1984年のプロ野球シーズンが動き始めている。そこには様々な顔がある。新人もいれば中堅やベテランもいる。皆がそれぞれの思惑と成算を秘めてスタートする。「やるぞ!」の気持ちもその置かれた状況によって微妙なニュアンスをもって異なる。野球人生の曲がり角の男たち・・彼らもそれぞれが「気になる部分」を抱えて今シーズンにチャレンジする
◆羽田耕一(近鉄):眠れる猛牛にとってのすっかりプロらしくなった金村の存在
" 珍プレーの羽田選手 " と一夜にして有名人になってしまった。テレビ放映された「珍プレー・好プレー」のせいである。飲み屋に行く度に「あっ、珍プレーの羽田だ」と見知らぬ人達に声を掛けられる。「正直いい気分はしませんよ。あれだけエラーの場面を繰り返されたらイメージが付いちゃいますからね」とお人好しの羽田も少々おかんむりだ。そのせいか昨年のオフは外出する回数もめっきり減ったとか。確かに昨季は18失策と例年に比べて多く、加えてチームトップの78三振を喫する散々なシーズンだった。かつてはダイヤモンドグラブ賞を受賞した男なのだがどうしたのか?仰木ヘッドコーチは「打球に対して攻める姿勢が欠けていた。いつも一歩下がってヘッピリ腰で守っていた印象が強い」という。思い返せば一昨年は最高のシーズンだった。打率.277 ・85打点は自己最高で「やっと眠れる猛牛が目覚めた」と周囲も一人前と認めた。その陰には羽田を奮起させた幾つかの要因があった。それは黄金ルーキー・金村と新外人ウルフの加入だった。10年間に渡り不動の三塁手だった地位が危うくなった事が好成績に繋がったのだ。
それから一転して昨季は自己最低へと転落していく。シーズン半ばには真剣に一塁コンバートも考えていた。それもやはり仰木ヘッドコーチの言う逃げの姿勢の現れであったのかもしれない。しかし年が明けて心機一転、三重県の賢島で山籠もりをして「サード一本でやる」と考えを新たにした。今季から一塁は新外人のマネーが守る事が決まり羽田は三塁のレギュラーを金村と勝負する事となる。実績では羽田に軍配が上がるが金村には若さという大きな可能性がある。「金村がライバルなんて僕は思ってませんよ。奴も上手くはなったけどまだまだヒヨっ子」控え目な羽田にしては珍しく強気。自主トレ初日の羽田を見て「今迄と随分ちがう。顔から笑みが無くなっていた。相当に入れ込んでいるようや」と岡本監督の目にも羽田の変化が映った。一方の金村は昨年の秋季キャンプで特守に次ぐ特守で課題の守備を向上させ「やっと落ち着いて守れるようになった」と自信を深めた。身体も1年間で尻周りが4㌢大きくなるなどすっかりプロらしくなった。岡本監督も「羽田を脅かすくらいの力を付けてきた」と成長を認めている。今年の羽田を取り巻く状況は活躍した一昨年と似てきているが果たして今季は?
◆中尾孝義(中日):この2年、明から暗へと両極を見た男が挫折の中で学んだもの
セ・リーグ初の捕手のMVP受賞を果たし幸せの絶頂だった一昨年はまさに天国。僅か1年で地獄を味わった中尾。出場試合数も119から92に減り自慢の強肩も盗塁阻止率.430 から .305 にまで落ち込み、リーグ優勝から5位に終わったチームの戦犯として批判された。悪夢の昨季を振り返って中尾は「調整の失敗」と語る。元々身体能力は高く背筋力は300㌔、握力は左右共に80㌔以上と恵まれた資質を更に伸ばそうとして過剰なトレーニングに取り組んだ。優勝して連日多忙なオフを過ごし、ろくに休みを取らずに年が明けて始動した。球場でのトレーニングを終えると球場脇の市営プールで「プラスアルファを引き出すには日頃使っていない筋肉を強化するしかない。水泳で全身の筋トレをしてるんです」と語っていた。結果はどうだったか?言葉とは裏腹に3日目にして風邪を引き体調が万全でないまま串間キャンプに突入するとキャンプ中盤で腰痛を発症し満身創痍でシーズンイン。「冷静に振り返るとやっぱり僕が甘かったという事。オーバーホールを欠かせないオフに身体を過信して休ませなかった。シーズンに入ってからの怪我もそのツケだと思う。だから今回はしっかり休んだ」と。
ナゴヤ球場での自主トレで他の選手が午後の練習を始める頃になると中尾は一人球場を後にする。実は昨年痛めた右膝が完治しておらず病院に通っているのだ。「痛み自体は無いですが違和感は残っている(中尾)」ので慎重を期している。病院での治療後は全身マッサージに向かう。「怪我の予防の意味で通っています。目に見えない疲労が取れると安心感が生まれますね」と。このマッサージ通いには球団首脳陣も歓迎している。捕手という激務にありながら中尾は過去4年間、かかりつけの専門医を持たなかった。中尾は「球団からは治療院を紹介されたりもしましたが今一つ乗り気じゃなくて…」と断っていたがようやくその気になったようだ。これには球団首脳も「やっと本人に自覚が生まれたようで結構(大越球団総務)」と諸手を挙げて大歓迎だ。今季の中日は山内新監督を迎えてV奪回に挑む。それには中尾の復活が欠かせない。 " ガラスの王子 " と揶揄され反省しない男と言われた中尾が「MVPに選ばれたという事は生涯一流選手を義務づけられたも同じ。それを自分の無自覚で裏切ってしまった。二度と同じ轍は踏まない」とまで言う。昨年同時期の動きに比べると静かだが他球団は逆に脅威に感じている筈だ。
◆山本和行(阪神):投手陣の弱体化、年俸ダウンなど悪状況下での救援エースの身上
暮れから正月にかけて今年も山本はハワイ旅行を楽しんだ。夫人と2人の子供たち家族4人の家族旅行は今年で3年連続だ。「広い所でノンビリ。一度海外のスケールの大きさを知ったら忘れられなくてね」・・暮れの契約更改で22%減、金額にして9百万円の減俸(推定3千2百万円)提示を受け「これなら1年間丸々休んで(規定限度枠の)25%下げてもらう方がマシ」と二度に渡る交渉も決裂しモヤモヤした気分を一新する意味も兼ねたハワイ旅行だった。初めての海外キャンプ(昭和55年のテンピ)で広大なアメリカに圧倒されて以降、海外にはまり英会話の教材を手に入れて今では日常会話程度ならお手の物。今年のハワイ旅行ではオルセンの自宅を訪ね通訳なしで野球談議に花を咲かせた。「巨人に入ったクロマティを知っていて色々教えてもらった」との事。未更改のままの旅行だったが視線はしっかり今季に向かっている。それにしても昨季は惨めなシーズンだった。5月6日、原(巨人)にサヨナラ本塁打を浴びたのをきっかけに投げても投げてもガタガタの悪循環。守護神・山本の崩壊が即、チームの崩壊に繋がった。
「チームに迷惑をかけた、と口で言うのは簡単だけどね。今更(不調の)理由を言っても仕方ない…」 元々が無口で余り不調の原因について口を開かないがトレーナーによれば2年前の大車輪の働きで肩、肘、膝の負担が大きくパンク寸前状態で夏場には本人から二軍で再調整する希望が出されたが首脳陣は認めなかった。体調が整わないままシーズンを過ごした結果が先の22%ダウン提示となっただけに本人は納得していない。「監督やコーチもチーム全体のバランスを考慮して二軍へ行かせなかったんだろうけど、再調整していたら違った結果になっていたと思うだけにダウンは仕方ないが9百万円は下げ過ぎなんじゃないかな」と山本。表面は静かだが内面は一本筋が通った男であり、救援エースとしてのプライドが許さないのであろう。今季の山本には奮起せざるを得ない理由がある。小林投手の突然の引退である。「コバが抜けて阪神はボロボロになると言われて我々が黙っていられますか?コバの13勝の穴は勿論大きい。その穴を感じさせないくらい残された人間が働かんとね」 小林投手の引退が山本ら阪神投手陣の眠っていた部分を叩き起こした。
◆若菜嘉晴(大洋):アメリカで一度は死んだ男のカムバック元年へ向けての蘇生度
熊本県にある菊池温泉。車で4~5分も走れば通り過ぎてしまう小さな温泉街で若菜の新しいシーズンが始まった。1月5日から15日まで斎藤、田代の投打の主軸と共に身体を動かした。午前8時過ぎの散歩に始まりランニング、体操、バットスイングで汗を流す。「こんなに早い始動はいつ以来だろう?でも今年は大事な年。ここで働けなければ後はない」と決意を新たにした。関根監督が正捕手に課すノルマは打率.270 ・20本塁打と決して易しい数字ではない。辻や加藤といったベテラン捕手を越える若手が不在で長年に渡り悩ませてきた正捕手候補がようやく現れた。グラウンドに出れば監督の代理とも言われる捕手を一人が務めるのが強いチームの定石。若菜ならそれが可能であると期待しているだけに関根監督の要求も高くなる。昨年7月に若菜は突如、日本球界に復帰した。阪神をスキャンダラスな話題が元で退団。アメリカの3A・タイドウォーターでは選手というよりコーチ補佐の仕事に追われてクサッていた。そこに救いの手を差し伸べたのが大洋。若菜にとってまさに地獄に仏であった。
阪神時代には周りにチヤホヤされる余りに鼻持ちならない態度ものぞいたものだが今の若菜にはそんな昔の姿を見つけるのは難しい。「アメリカでは試合には出られなかったが野球は試合に出ていない選手を含めた全員で戦うものだと気づかされた。僕は一度は死んだ男。それだけに拾ってくれた関根監督や球団に恩返しする義務がある」とドン底まで落ちた若菜は再起を誓う。だが現実は厳しい。一昨年の夏頃から実戦から遠のき、大洋に入団する迄ほぼ1年間は野球らしい野球をやっておらず一軍でプレーするだけの体力や技術も鈍っていて先ずは実戦の勘を取り戻す必要がある。つまり大洋2年目に当たる今季に活躍してこそ本当のカムバックと言える。「昨秋の伊東キャンプで身体を絞り今はほぼベスト体重。初心を忘れない事を肝に銘じてプレーすればそれなりの成績を残す自信はある」 嘗ては球宴やベストナインの常連。元々は実力派だけに真摯なプレーを心掛ければ大洋にとって貴重な戦力になるのは間違いない。