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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 762 週間リポート 読売ジャイアンツ

2022年10月19日 | 1977 年 



だめリンド返上で評判上々
5月23・24日に2試合連続本塁打を放ったリンド選手。ファンの間では「リンドがコンド(今度)はやった」や「サイド(再度)リンドが打った」など妙な語呂合わせが飛び交った。長嶋監督も「おい、リンド!もういっぺん間違えてくれ」と言う始末。 " 間違い " とは不振から一転してポンポン打ち始めたリンド選手のバッティングのことだ。シーズン途中の緊急来日以来、約1ヶ月半ようやく日本の野球に慣れてきて実力発揮というところだ。「二ホンのアンパイア下手ね。ココ(胸のマークあたり)をストライク、ココ(膝のあたり)をボールと言う。アメリカでは逆ね」とリンド選手は来日当初は愚痴っていたが今では対処できているようだ。

習慣の違いと言えば去る22日の試合の守りで左翼手の張本選手と打球を譲り合って安打にしてしまい失点してしまった。張本選手は「俺は『ショート・ショート』と声をかけたんだけど…」と言ったが、リンド選手は「ハリモトが声を出したから任せたんだよ」と。アメリカでは声を出した選手が打球を捕るのがセオリーなのだ。完全な約束事の違いによる誤解だった。そこで黒江コーチが「巨人では声を出したかではなく、その指示に従うことになっている。だから自分の名前やポジションを呼ばれたら『オーライ』と叫んで捕るんだ」と教えるとリンド選手は「オーケー」とニッコリ笑って了解した。

リンド選手は後楽園球場で試合がある時はシャツにジーパン姿で電車に乗ってやって来る。電車で来る理由についてリンド選手は「ひとつはお金がかからないからさ。もうひとつはせっかく日本に来たんだから、日本の生活や日本人たちと知り合いたいからさ」と。しかし口の悪い連中は「東京の交通渋滞を目の当たりにして車を運転するのが怖くなったんじゃないの」と気の弱そうなリンド選手を冷やかす。ホームランを打って沢山の賞品を貰って嬉しそうに帰る時も電車である。いるのかいないのか至って物静かなリンド選手。巨人ナインは「ホントに真面目な奴だ。まだまだこれから伸びるかもしれないよ」と最近ではリンド選手に対する認識が変わってきている。


オレを忘れてもらっちゃ困る
王選手や柳田選手の陰に隠れて目立たないが柴田選手の好打が光っている。巨人の開幕ダッシュ成功は柴田選手のお陰と言われたが、5月になっても柴田選手は好調を維持していた。「6月になったらもっと良くなるよ」と冗談めかして柴田選手が言うほどだ。5月31日の中日戦でも同点の8回裏一死満塁の好機に勝ち越し打を放っている。この勝ち越し打はベテラン選手らしい読みと技だった。「中日が前進守備を敷いていたでしょ、だから思いっきりスイングすることだけ考えたんだ。人工芝だから転がせば速い打球が飛ぶからね。正面をついたらゲッツーになるけどちょっとでも横にズレたら得点は入りますから」と相手の守備を見ての判断だった。

「人工芝には人工芝のやり方がありますからね。走者三塁の場面では外野フライを狙うのがセオリーと言われていますけど、何しろゴロのタマ足が速いから相手が前進守備だったらゴロを打つのも人工芝野球のやり方のひとつですよ」と盗塁数は目下「21」でセ・リーグトップだが単に足が速いだけでなく頭を使った野球をしている。相手の守備陣形を見て咄嗟に狙いを定めバットを操ることが出来る。決して従来のセオリーに固執することなく柔軟な思考が出来るのが強みだ。もともとの野球センスに加えて、今季の好調さは昨年の日本シリーズで何かコツを掴んだらしい。柴田本人は多くを語らないが周りはそう見ている。

野球をよく知っているエピソードとして柴田選手がまだ高校生(法政二高)の時にルールに関するペーパーテストを当時の監督にやらされたが、いつも柴田選手は満点だったという。巨人に入団後も何度かテストがあったが柴田選手は難なくクリアし、足も速いが頭の回転も速いと信頼を得て「ルールの事なら柴田に聞け」がチーム内での合言葉になったほどだ。こういう優等生がチームの切り込み隊長として頑張っているから巨人は強い。「今年は赤い手袋と言われた時代のように走りまくってスリルとスピードの野球をお見せしたいね(柴田)」と33歳になるベテラン優等生は今日も元気にグラウンドへ飛び出していく。


ヨッ!チョウさん日本一
日本ネクタイ組合連合会が6月19日の「父の日」にちなんでミスターパパコンテストなるものを開催しデパートや小売店で一般の人が投票した結果、長嶋監督が「ミスターパパ」に選ばれた。長嶋監督とミスターの座を争ったのは俳優の宇津井健、タレントのジェリー藤尾、環境庁の石原慎太郎長官など錚々たる面々だった。6月16日に後楽園球場内の特別室で表彰式が行われたが「ありがたいことですけど、パパとして子供と遊んだりする時間は少ないですからねぇ…」と長嶋監督はいささか怪訝な面持ちだったが連合会の人は「90番という背番号も一茂くんのアイデアですしパパとしてちゃんと子供と接していますよ。一般投票の結果ですからそれが世間の声です」と。

これには長嶋監督も抗しきれず「では喜んで頂きます。これからも全国の子供たちの為にパパの代表として面白いゲームをするように巨人軍を代表して誓います」確かにプロ野球選手はキャンプが始まる2月から11月までは殆ど家族サービスは出来ない。試合がなくても練習はあるし、監督やコーチになるとスタッフ会議もある。そういう意味では最も良くないパパであるかもしれない。しかし自分の家庭を犠牲にして全国の子供たちが熱狂するプレーを続けているという意味から言えば立派な子供たちのヒーローである。

「子供の躾は厳しいですが、だからといってワクにハメたりはしません。自由放任、奔放な人間になって欲しいですね」と長嶋監督は自宅の庭には二宮金次郎の像を置くなどして無言のうちに勤勉の精神を植え付けようとしているが、ああしてはいけない、こうしてはいけないというような規制はしていないという。自由にのびのび健やかに、の姿勢は現在の巨人にも現れていて6月13日の大洋戦のように9回に一挙9点を奪って大逆転したり、若い山本功選手が重圧を感じず決勝打を打ったりするチームになっている。

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