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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 440 電撃トレード ①

2016年08月17日 | 1985 年 



キャンプイン直前の1月24日、突然大きなトレードが成立した。中日の主砲・田尾安志外野手と西武の左腕エース・杉本正投手プラス大石友好捕手の交換トレード。まさかこの時期に、と両球団関係者を驚かせるに充分な電撃ぶりであった。田尾と言えば中日の看板選手で球界屈指の好打者。これほどの選手がなぜ西武に放出されたのか?そして西武の若いバッテリーが揃ってユニフォームを変えなければならなかったのにはどんな理由があったのか?その舞台裏を覗くと球界全体の風の吹き方、両チームの複雑な事情が浮かび上ってくる。

年が明けて名古屋市内に小雪がちらついた寒い朝、スポニチの一面に『田尾・西武移籍』の見出しが躍った。自主トレ取材に向かう予定だったスポニチ以外の記者達は球団事務所を訪れた。「知らないね」と球団職員は素っ気ない態度。しかし多くの記者はそれがシーズンオフ恒例の " 飛ばし記事 " に対する態度とは明らかに違うモノを感じた。同じ頃、遠く離れた西武の合同自主トレに顔を出す予定の広岡監督の到着が珍しく遅れた。あの時間に厳しい広岡監督がである。「何かある」・・スポニチの記事を見た記者は異変を感じていた。後に分かった事だが広岡監督は球団フロント幹部と都内で最終的な打ち合わせをしていたのだ。

名古屋では「そんな筈はない」という担当記者、「やっぱり本当だ」という記者が混在していた。有り得ない説の根拠は中日の機関紙である中日スポーツが全く触れていない点、一方の有力説を唱える根拠は西武の内部情報には定評がある毎日系のスポニチが書いたという点。両者がヒソヒソ話をしている視線の先にはトレーニング中の田尾の姿があった。田尾は球場に現れるとベンチに座っていた鈴木球団代表に「僕はまだここで練習をしていいんですか」とジョークを飛ばすと鈴木代表も「どうぞ、どうぞ」と笑顔で返すのを目の当たりにした記者達は「やっぱり飛ばし記事だ」という思いに傾いていた。

しかし練習が終わった午後零時半過ぎ、マネージャーが田尾を「監督室に…」と呼び止めた。監督室には先ほど和やかに軽口を交わし合った鈴木代表が待機しており「西武とトレードが成立した」と告げられた。監督室から出てきた田尾は顔面蒼白で端正なマスクは引きつっていた。「トレードを通告されました。トレードなんて他人事と思っていたので少し動揺しています」と淡々と話した。時を合わせるかのように埼玉・所沢では杉本と大石もトレードを通告されていた。実は杉本は4日前に内示を受けていたがトレード先がどこかは知らされていなかった。内示を受けた杉本を東尾ら同僚が慰め激励していたが、その同僚の中に大石もいたのだが一転して立場が激励される側になってしまった。

そもそもこのトレードを画策したのは西武だった。昨シーズン、テリーが大リーグ(ドジャース)に復帰し大砲不在となった穴埋めに白羽の矢が立ったのが大島だった。根本管理部長が鈴木代表と山内監督に大島譲渡を打診したのが昨年5月、しかし当時の中日は好調で広島と首位争いを繰り広げておりトレード話はシーズン終了を待つ事となった。2位に終わった山内監督は投手の補強を希望した。「山内監督は大島は出せないと言ってはいたが実は投手が欲しかった。だから森と杉本の2人が獲れれば大島を出す腹づもりだった」と中日担当記者は言う。 " 大島⇔森プラス杉本 " の中日からの回答を西武は受け入れずこの話は立ち消えとなった。

大砲が欲しい広岡監督、優勝するには投手が必要な山内監督。我慢比べで早く動いた方が負け、といった事態を解消するチャンスが巡って来る。プロ野球界の中で様々ある委員会で中日・鈴木代表と西武・坂井代表が同じ福祉委員会に名を連ねていたのが幸いする。1月9日の会合で顔を合わせた2人は「お互いの監督が困っているのだからこの辺が潮時じゃないか」と胸襟を開いた。「森と杉本の両方は無理だが杉本と大石なら(坂井代表)」 「それじゃウチは田尾を出しましょう(鈴木代表)」とそれぞれが提示した。坂井代表は球団に戻り、田尾の名前を広岡監督に伝えるとあの冷静な広岡監督は大喜びしたそうだ。大島が35歳と峠を越しているベテラン選手であるのに対し田尾は円熟期の31歳。しかも打つだけの大島ではなく守って走れる田尾は広岡監督好みだった。

契約更改交渉で越年していた田尾は1月20日の交渉で最初の提示額四千五百万円から三百万円アップで更改した。中日では谷沢の六千万円に次ぐチームNo,2、球界全体でも10位にランクインした。更改後の会見で「ようやく球団も理解してくれた」と笑顔を見せていたが、中日にしてみれば西武が払うものと考えて餞別代わりにあっさりアップしたのだった。なぜ大島ではなく田尾だったのか?田尾が選手会長として球団に対して様々な要求をし、煙たがられていた事。また山内監督の打撃理論を受け入れず自己流の打撃スタイルに固執し、更には藤王や川又など有望な若手が育ちつつある事などが理由とされているが一番の要因は西武が田尾を高く評価している事に尽きる。本来トレードとは球団にも選手にも有益であるべきものである。移籍先に馴染めず実力を発揮出来なければ選手も球団も不幸である。

大島ではあと1~2年で先が見えてしまい移籍は本人の為にはならない。その点で田尾は4年連続で打率3割をマークするなど実力は折り紙つきで5~6年はバリバリ働けるだろう。また田尾が移籍する事でなかなか出番がなかった藤王ら若手にもチャンスが芽生える。田尾の放出を知った大島が「俺の身代わりになった」と語ったが決してそうではなかった。田尾を失うのは痛手だが代わりに有望な左腕を得た。セ・リーグには掛布(阪神)や若松(ヤクルト)など左の好打者が多い。加えて杉本は巨人が本拠地とする後楽園球場のマウンドと相性が良く得意としている。中日が昨シーズン優勝を逃した要因の一つに捕手層の薄さがあった。広島との優勝争いのさなかに中尾が骨折し欠場するとたちまち転げ落ちて行った。中日にとって優勝するにはバッテリー間の強化が絶対不可欠だったのである。

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