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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#115 プロ野球 スカウトの死 ①

2010年05月06日 | 1980 年 





あのイチローを見出し、後年は残酷な運命に飲み込まれた三輪田勝利氏についての記事です。
三輪田は早稲田大のエースとして昭和41年夏の早慶戦から、翌42年春の東大戦まで11連勝を
記録するなど活躍しました。当然のようにプロは注目し昭和44年のドラフトで近鉄に1位指名され
ました。三輪田は名古屋の出身で子供の頃から自然に中日ファンになっていました。もしプロへ
行くなら中日と決めていたそうです。



「要するに若かったんです。あまりにも幼かった、その一語に尽きますね」 「当時は事前に何の話し合いも無かった。近鉄が
いきなり私を1位で指名した事に、私が一番驚いた。今みたいにドラフト前に接触していれば、また事情も違っていたでしょうね」



三輪田はプロ入りを拒否し大昭和製紙へ進みました。拒否することには何の後ろめたい思いはなく
スカウトに対しても「申し訳ない」という感情も無かったそうで、後年自分がスカウトする側の人間に
になって初めて当時に思いを馳せたと語っています。ノンプロで腕を磨き昭和45年のドラフトで再び
指名されました(当時はノンプロに入っても1年でプロへ行けました)。中日ではありませんでしたが
阪急の1位指名に、今度は拒否することなくプロ入りしました。



「ノンプロで怪我をして野球の神様に見放されたと思うようになった。でも結果的にそれが良かった。あの怪我で大人になれた、
世の中を見る視野が広がりました。夢と現実を区別できるようになれました」




しかしプロ入り後の成績は芳しくありませんでした。4年間で通算4勝0敗で引退しましたが球団は
三輪田の人柄を評価しスカウト転身を薦めます。その後、2軍コーチにも就任するも本人の希望で
再びスカウトに戻ります。誠実な人柄で多くの選手から信頼を得ます。昔の三輪田と同じく中日への
入団を望むイチローを粘り強く説得し入団にこぎつけるなど、三輪田はスカウトとしての力量を評価
されるようになります。プロ入りに二の足を踏む選手にも誠心誠意 相手の立場になって交渉すれば
こちらの言うことに必ず耳を傾けてくれる、それが彼の信条でした。スカウトという仕事にやり甲斐を
感じていた三輪田に悪夢が忍び寄っていました。 ・・・つづく


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1 コメント

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Unknown (きゃすぱ~)
2010-05-06 08:37:46
三輪田さんにプロ入り拒否の過去があったとは知りませんでした。自身の経験を新垣投手に説いても、通じなかった事に無力感を抱いたのかも・・改めて冥福をお祈り致します。 P.S 昔の記事を毎回楽しく読ませてもらってます
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