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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 351 今だから話せる ①

2014年12月03日 | 1983 年 



最近の江川君の快投ぶりを見る度に25年間のプロ野球界生活の中でも忘れる事の出来ない昭和53年秋から翌54年暮れまでの慌しかった1年間を思い出す。私は当時クラウンライター・ライオンズの球団代表代理。昭和53年10月末に当時の中村長芳オーナーが3年越しで監督就任要請をしていた根本陸夫(現西武管理部長)を説得して3年契約が完了した。シーズン後半丸々を費やしていただけにホッと一息つくとドラフト会議が目前に迫っていて少々慌てた。まだ指名選手選考が済んでいなかった。この年の目玉は文句なしで江川卓投手(法政大)、だが早くから元衆議院議長の船田中氏を後見人として巨人以外はプロ入りしないと表明していた。江川本人も両親も交渉の窓口を蓮見秘書に全面委任していた為に巨人以外の各球団は直接挨拶も出来ず難攻不落状態だった。

スカウト生活が長かった私でも江川獲得は困難に思え諦めの境地だった。スカウトが選手を獲得する時は先ず相手選手を恋人の如く惚れ込まないと粘りに粘って説得する気持ちも湧いてこないし、本心から惚れなければ選手にも本気度を見透かされて獲得は難しくなる。そうした経緯から私は1位指名候補に松本正志投手(東洋大姫路高)、小松辰雄投手(星稜高)、門田富昭投手(西南学院大)の3人に絞り込んでいた。ただ門田は腰に持病があり左腕投手という利点から松本を推していた。一応、毒島スカウトに江川の調査を命じていたが江川家周辺から「クラウンは一番行きたくない球団」と念を押された。毒島が法政大のグラウンドに姿を見せるだけで江川は練習を切り上げて消えてしまう徹底ぶりだった。

当時の球団の財政状況からすれば江川1人に1億円近くの契約金を払うのは難しいと考えていたが中村オーナーは世間が球団の懐具合を揶揄すれば逆に強気な発言を繰り返した。11月18日のスカウト会議で各スカウトの現状報告がされて指名候補の絞り込みを行なった。私は松本を推していたが小松も捨て難かった。ただ小松の父親が遠洋漁業中で留守を預かる母親に「主人共々、大学進学か社会人の熊谷組にお世話になるつもり」と言われて諦めざるを得なかった。会議で私は中村オーナーに「根本新監督の下、若手の力でチーム再建を目指しているのだから江川より松本を指名するべき」と意見を述べたが、中村オーナーは「一応、分かった。ただ最後に船田先生にお会いして真意を確認してから決める事にしよう」と最終結論は持ち越された。

しかし中村オーナーは船田代議士と接触出来ずにいた。電話でアポイントを取ろうとしても秘書に断られ、国会が閉会する時機を見計らって直接事務所に出向いても多忙を理由に会えなかった。遂には岸元総理に仲介を依頼した所、後日書面で回答が来た。そこには「本人及び家族が巨人入団を望んでおり他球団に指名されても入団せず迷惑をかけるだけなので御遠慮願いたい」という趣旨の内容が書かれていた。ただ主要スポンサーであるクラウンライター会長の桜井氏はじめ後援者の多くが指名回避に反対した。結局、結論は出ず指名か否かは中村オーナーに一任された。ドラフト当日のホテルグランドパレス1階喫茶室に坂井球団代表、根本監督、浦田・毒島スカウト、それと私を集めて中村オーナーが口を開いた。

「指名順が1番だったら江川でいく。世間がウチの財政問題をとやかく言うなら今回は避けて通れない。門前払いを喰らい皆に苦労をかけるかもしれないが私の決意を汲んで貰いたい」と表明した。根本監督は「オーナーの意向なら現場はそれに従うしかない」と理解を示したが私は「オーナーの命令には従いますが政界関係は門外漢です。船田事務所周辺の説得はオーナーにお任せします」とクギを刺した。そして江川指名後を想定して政界関係はオーナー、法大関係者は法大OBの根本監督と私、実家周辺は毒島スカウトと役割分担を決めた。しかし確率は1/12 なので取り越し苦労になるに違いないと楽観し、松本と小松の両獲りが叶うよう願いながら会場に入った。

予備抽選の後、本抽選が行われ中村オーナーは1番クジを引き当てて喜色満面。皮肉な事に江川が希望する巨人が2番だった。当時は本抽選後に昼休憩を挟んで選手の指名を行なっていた。すると巨人側から「別室を用意してありますので是非…」との申し入れがあった。恐らく江川指名回避のお願いとその代りにクラウンに有利なトレード等の提案をしたがっているのが手に取る様に分かった。「松本か小松を指名出来て尚且つ巨人から有望な選手を獲得出来ればチーム再建に大いに役立つな」との思いが私の頭をかすめたたが中村オーナーは「ウチは江川でいきます」と間髪入れずに答えて巨人側の昼食の誘いを断った。

それでも長嶋監督は諦め切れないのか「どうにかなりませんか?」と私や根本監督に尋ねたりしていたが「オーナーが決める事だから私らが口を挟めるものではない。山倉(早稲田)は巨人の補強ポイントにピッタリじゃないか」と言うと長嶋君は苦笑いした。また廊下ですれ違った上田監督(阪急)は「先輩、パ・リーグの為にも江川でお願いしますよ」と言うので「阪急は松本か?ウチも欲しいんだが譲るよ、貸しだゾ」と答えると「これで松本と三浦(福島商)の両獲りだ」と嬉しそうに昼食に向かった。このように指名を待つ間に舞台裏では各球団が駆け引きを行なっていた。そしてクラウンライター・ライオンズは悲壮な覚悟で江川指名に踏み切った。

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5 コメント

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まむしの・・・ (th)
2014-12-03 22:57:49
まむしの一三さんがこうおっしゃっていたんだ。ライオンズ史は面白い。門田を回避する気でいたというのも初耳でした。松本が大成しなかったのは残念でしたね。
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失礼しました (th)
2014-12-04 23:15:55
よく読んだら門田投手を「回避」とはどこにも書いていないですね。失礼しました。
大洋がその門田を5番目で指名するわけですが、晩年の「球の遅い」門田しか知らない当方にとっては、肩の故障で快速球がなくなってしまったのは残念でならなかったです。
引退後二軍コーチから打撃投手に転身し、故郷に帰ったと聞きます。正直気の毒でならないです。球団からトレードの打診があり断って引退したのに・・・。
やはり地元のライオンズに入っていれば野球人生がもっと良くなっていたのかな?
ドラフトは人の人生を翻弄してきましたね。
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Unknown (SBO)
2014-12-07 07:24:25
この時すでに江川の指名権を手土産に西武への身売り話が進行中だったらしいですね。確か1億を超える契約金も西武から借りていたという記事を見た記憶があります。江川も素直に入団していればその後の野球人生も違ったでしょう。
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当時 (大洋ファン)
2015-05-25 11:10:32
当時たしかに巨人1本といわれていたが、実は在京の大洋、ヤクルトでもすんなり入団していたとのちに語っていた江川さん。高校卒業時は大洋が1番くじ、迷ったけど
山下大ちゃん指名。もしあのとき江川投手を指名していたら入ってくれたかな。大学進学が希望だから無理だったろうな。
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江川の言い訳 (th)
2015-06-18 00:25:59
江川は高卒時のドラフトでは、巨人以外なら進学。
大卒時のドラフトでは「在京セなら入団するつもりだった」とのちに戯言を言っていたそうです。
指名順位2位の巨人の手前でライオンズにすくわれたのは、行いが悪いとしか言い様がないですよ(笑)
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