今年も西武のユニフォームを着て大張り切りの田淵の姿を見ると私はつくづく田淵は変身したと言うか成長したと言うか、人間は良くもここまで変われるものだと感慨深い。昭和53年暮れの真夜中に阪神・小津球団社長に阪神ホテルに呼び出され西武へのトレードを通告された時に涙の抗議をした事など嘘だったような気さえする。
田淵の話とは少々離れるが私がクラウンライター・ライオンズの球団専務をしていた時に根本監督招聘に熱心だったのは彼が広島カープの監督時代に後の広島の礎を見事に作り上げた手腕に惚れ込んだ為だ。当時のクラウンのチーム構成は頭打ちの状態だった。私なりに考えていたのは若手の真弓・若菜・立花らに加えて中日の小松投手と宇野選手をトレードで獲得し、ベテラン・中堅の竹之内や太田を絡めてチーム作りをしていくという計画だった。中日の2人が獲れるのなら主力級を放出する覚悟で中日の中川代表(当時)と交渉を進めていた。しかしプロ2年目の宇野が一軍で活躍しだして中日側が放出を渋る一方、真弓や若菜が地元の柳川出身で彼らの放出は後援会筋からの反対もあって計画は頓挫。その後、私は球団専務の職を離れる事になる。 ※ 詳細は 【 #290 風雲録 ④ 】 参照
私の構想に根本監督も賛同してくれた。さらに「チームの若返りの過渡期にはベテランの力も必要」だとして新生西武の顔となる看板選手の獲得を提唱した。チームを一新するには先ず人気選手を加入させるのが王道である。そこで田淵の名前が浮上した。私生活で何かと世間を騒がして阪神も手を焼いているとの情報は球界内に知れ渡っていた。昭和53年10月、堤オーナーの至上命令で田淵獲得に勢力的に動き出した。特に小津球団社長と個人的に親交のあった根本監督が「新チームには田淵が絶対に必要」と阪神側に働きかけた。既にクラウンの球団専務を辞め大阪の自宅いた私に阪神の西山和良編成部長から「青木先輩、ライオンズで有望な選手は誰ですか?」と電話があったのはその頃であった。
その電話の声だけでピンと来た私が「西山君よ、ライオンズと大トレードか?」と聞くと「いやぁ…」と返事に詰まった。そこで私が「阪神が出す選手のレベルによって獲れる選手は違ってくる」と答えると「ウチは相当の覚悟で挑むつもりです」と言った。その時点でライオンズの人間ではなかったので「西武に義理はないから阪神OBとして知っている限りの事は話すよ」と言って電話を切った。スポーツ紙に堤オーナーの談話として「人気選手が是非とも欲しい。阪神と交渉中である」という記事が載ったのはそれから数日後の事だった。暫くたって再び西山編成部長から電話が来たが、その内容から交渉はかなり具体的な段階まで進んでいると思わせるものだった。
「田淵と古沢の見返りなら誰を要求すればよいですかね?」 「それなら真弓、若菜、立花、大田…」と名前を挙げたが一言、二言付け加えた。「たぶん根本君は立花や真弓は出したがらないと思うが簡単に妥協しちゃ駄目だよ。うんと粘って僕が挙げた選手以外だったら阪神は損するよ」と。田淵が深夜にホテルに呼び出されてトレード通告を受けたと報道された頃にまた西山編成部長から電話があった。「真弓と若菜はOKでしたが立花と大田はNGです」と言うので「古沢を出すなら投手を獲ったらどうか」と答えた。交渉の末、西武は真弓・若菜・竹之内・竹田の4人に決まったが阪神では古沢は移籍を了承したが田淵がゴネた。
後になって人づてに聞いた話では阪神は田淵に「一旦、根本監督の下で勉強していずれ阪神に指導者として戻って来ればいい」と西武に移籍してもいずれは阪神に帰って来られるからと説得したそうだ。これには背景がある。昭和43年のドラフト会議で阪神が1位指名したが巨人入りを熱望し阪神入団が難攻していた田淵に当時の担当スカウトだった佐川直行氏が、大津淳(現球団営業部長)・村山実・安藤統男に次ぐ球団史上4人目となる「本社からの出向社員」の条件を提示して入団に漕ぎ着けた。これは将来に渡り身分保障をする特別待遇であり、トレード通告を受けた田淵が「阪神に騙された」と言ったのはこの時の話があったからだ。
このトレード交渉中、阪神が要求した大田を根本監督が最後まで拒否したのが興味深い。春秋の筆法をもってすればあの時に大田が阪神入りしていたら昨年の日本シリーズでの大田の活躍は無かった訳で西武の日本一は達成出来なかったかもしれない。あのトレード劇から5年、今なおチーム中心選手として活躍する田淵と大田を見ていると根本氏の選手の能力を見る確かな眼力やフロント業務に精通していた巧みな交渉テクニックが堤オーナーの信頼を得る礎になったと思わざるを得ない。あの田淵を優等生に変身させた広岡監督の操縦術にも敬服しながら大田や真弓のプレーを楽しみに球場に足を運んでいる。
どちらかというと悪役で出てくるイメージ。
①ライオンズが大損した加藤初+伊原⇔関本+玉井のトレードをオーナーに根回しして成立させた
②ライオンズの監督兼選手だった江藤慎一を排斥するように煽った
が思い出されます。①は歴代でもワーストに限りなく近い商談でしょうし、②に至っては江藤の名前が裏書した不渡り手形が出たとき「これは大事件だ!」とはやし立てたとか。
また機会があったら読んでみますけど、話しは変わりますが坂井さんの文章はいつ読んでも素晴らしいんです!