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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 617 ニュー・ジャイアンツを担う ➋

2020年01月08日 | 1976 年 



常時出場を願うファンの声にもクールな男・淡口憲治。川上監督の持論「今の高校生は2~3年は二軍で鍛えないと使えない」を覆す例が淡口だった


昔の人に好かれる " 黙々 " 努力型
1㍍73㌢・76㌔、プロ野球選手としては小柄な部類の淡口だが高卒1年目の春季キャンプでいきなり二軍から一軍へ昇格し、オープン戦にも出場した。川上監督に淡口を推薦したのは白石二軍監督。「足腰は既に完成している。パワーもある。まるで哲っちゃん(川上監督)が入団して来た時とそっくりだ。性格も真面目で浮ついた所はまるでなく二軍に置いておく理由はない。レベルの高い一軍で勉強させた方がチームの為にもなる。近い将来レギュラーになれる選手だ」と太鼓判を押した。がっちりした体躯、いかにも芯の強そうな面構えは川上監督好みの選手というより昔気質のオジサンに好かれるタイプだった。

中学時代のあだ名は「オッサン」。頼られ信頼される要素を当時から持っていたのだろう。淡口の経歴は神戸で生まれ育ち本山第一小学校5年生の時に少年野球チームに参加。6年生の時に神戸市の東灘大会でエースとしてベスト8まで勝ち進んだ。中学では1年生から一塁手のレギュラー。2年生からはエースで東灘大会で準優勝。その頃から将来は阪神の選手になる事を夢見ていて「村山さんの大ファンでした。甲子園にはよく巨人戦を見に行って巨人の選手を野次ってました(笑)特に国松さんを野次ってましたね、代打で出てきてよく打っていたので憎らしい存在でした(笑)」

昭和43年に三田学園に進学。報徳や育英など強豪校がいるこの地区は練習も凄まじい。当然ポジション争いも熾烈だが1年生から補欠ながら14人のベンチ入り選手に選ばれた。上級生には今は同僚の山本功や羽田(近鉄)がいた。1年生時のポジションは遊撃、三塁。2年生で外野のレギュラーとなった。打撃では三番を任され第42回・43回選抜大会に連続出場し共にベスト8だった。甲子園では通算3割3分台を記録し一躍プロ注目の選手に。昭和45年のドラフト会議で巨人が3位で指名した。「阪神が第一希望でした。5位以下だったら法政大学に進学するつもりでしたが3位指名だったのでプロ入りを決断しました(淡口)」


アガって死人のようだった初舞台
さて巨人入りしてからだが昭和46年には5試合に出場した。「プロデビューは川崎球場の大洋戦でした。相手投手は平松さん。代打だったんですが川上監督からは自分のバッティングをしてこい、と言われました。でも緊張で足はガクガク、心臓はバクバク。打席に向かって歩くのも一苦労でした。結果は平松さんのカミソリシュートを引っかけてショートゴロ。ベンチに戻ると先輩から顔色が真っ白だと言われました」。だが淡口の巨人入りは絶好のタイミングだった。川上巨人は後半を迎えて次代を担う若手選手の発掘が重要課題だった。王・長嶋が健在なうちに次期クリーンアップ候補を探していた。

昭和47年のキャンプでは川上監督直々にカーブ打ちを伝授された。川上監督は淡口に「俺も初めはカーブが打てなかった。先ずはカーブの曲りの軌跡を見ることから始めなさい」と教えた。そして普段の練習方法にも触れて「全てを自分中心でやること。相手に合わせるのではなく自分から動くように。主導権を握れば自ずと結果は出る」との教えは今も淡口の支えとなっている。初本塁打は昭和47年6月の大洋戦(後楽園)で坂井投手から放った。「ベースを一周してベンチに戻った時、三塁とホームベースは踏んだけど一・二塁ベースを踏んだ記憶がなくて焦ったのを憶えています(淡口)」と初々しい一撃だった。

現在の淡口はまだ明日のクリーンアップ候補のままでレギュラーを獲得していない。現在のままでは不十分である。先ずは苦手の左腕投手を克服しなければならない。「去年の秋季キャンプで左投手も打たせて欲しいと国松さんに申し出たんですけど、左も右も打ち方は同じ。先ず自分の型をしっかりと作る事に徹しろと言われました。そこで今はフォーム固めをしています。毎試合出場してファンの皆さんの声援に応える為にも必ず左投手を克服します」と淡口は話す。私生活では食事を摂る際には必ずサラダを追加するなど健康面も気遣う。愛車はコスモ。このあたりもクールさが現れているが、一歩一歩着実に階段を昇っていくことは間違いないだろう。

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