鳴り物入りで阪神へ入団した岡田でしたが、プロの投手という敵より大きな壁が自軍の監督でした。
この前年に阪神の監督に就任したのがブレイザー監督でした。南海、広島で日本の野球を経験は
しましたがファンやマスコミ、特に関西での阪神の注目度は前の2球団とは段違いでした。球団は
当然、岡田を前面に売り出したい、片やブレイザー監督はあくまでも実力主義。六大学の人気選手
入団で球団と監督との微妙なズレは春季キャンプの頃には見えていました。
当時 三塁には掛布という絶対的な選手がいましたが、岡田の父の「息子は三塁で使って欲しい」との
無茶な要求を球団はアッサリと了承し一時は掛布が不快感を示すなどチーム内はバタついてました。
岡田の二塁コンバート案で掛布とのわだかまりは消えましたが、今度は監督発案の外野コンバートを
岡田が拒否して監督との冷戦状態が始まりました。岡田の守備力では内野は無理と判断した監督は
現状では控え選手だと球団フロントに告げると 「なんとか使えないか」「外野で八番でもいいので」と
フロントが懇願し妥協策としての外野コンバートでしたが岡田が拒否したことで内野の控えになる事が
決定しました。
オープン戦が始まっても先発で使われる事は無く途中出場した試合でも右翼・一塁・三塁とタライ回し
状態。一方、球団の反対を押して獲得した前ヤクルトのヒルトンや加藤一博など、ガッツを前面に出す
タイプの選手には多くの出場機会が与えられました。ブレイザーは「代打は左の藤田、右の中村勝が
切り札。この後にも榊原、大島もいるから岡田は代打の五番目」と公言していました。控え選手として
開幕を迎えても中々デビュー出来ませんでしたが4月11日の敗色濃厚な大洋戦の9回の裏に代打で
プロ初打席に立ちましたが、平松投手にアッサリと見逃し三振にきってとられました。
その後も代打専門でファンも岡田自身にもフラストレーションが溜まりだした頃に転機が訪れました。
掛布が膝を痛めて離脱した事で三塁が空きました。周りは当然そこに岡田が納まるものだと思ったの
ですが、ブレイザーの判断は外野手の佐野を1年半ぶりに三塁へ、外野には加藤を入れるというもの
でした。これをきっかけに岡田を使ってほしい球団フロントが現場に干渉するようになりました。 常々
ブレイザーは「現場に介入して来たら辞める」と言っていましたが、横浜での大洋戦を控えた移動日に
小津球団社長が大阪から駆けつけブレイザーと会談しました。 表向きはチーム状態の確認という事
でしたが岡田の処遇が主目的である事は誰の目にも明らかでした。
会談後、両者は中身を公表しせんでしたが大洋戦から岡田はスタメンに名を連ねるようになりました。
2人の会談前 遠く離れた大阪の阪神電鉄本社・田中オーナーの記者に対して「明日からはテレビを
見る楽しみが増えますなぁ」発言はフロントの現場介入を示唆したものでした。常々現場への介入は
監督失格の烙印だと言っていたブレイザーは阪神を去ることになります。
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