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オホーツク管内遠軽町白滝にあるJR白滝駅が8月12日、90周年を迎え、地元の住民が記念の式を行った。
地元・白滝地区の、駅とおなじ90歳の男女4人も参加し、駅舎をかたどったケーキを食べ、昔話に花を咲かせていた。
筆者は仕事は休みだったが、鉄道がらみの催しは珍しいので、ちょっとのぞいてみた。
白滝駅は1919年(大正8年)8月12日、石北線が丸瀬布から延伸してきたのに伴って開業した。
北海道の東西を結ぶ三つの鉄道路線のうち、いちばんはじめに開通したのが名寄線の名寄―興部間(1989年に廃止)。
次が根室線。
旭川から遠軽、北見、網走までをむすんでいる石北線は最後だった。
まあ、地図で見ればわかるが、大雪山系の中を通る、いちばん標高の高いルートなので当然だろうと思う。
かつて、白滝シリーズと呼ばれた駅の並びがあった。
旭川側(西側)から順に
奥白滝
上白滝
白滝
旧白滝
下白滝
という五つの駅が並んでいたのである。
首都圏の鉄道ファンには「●浦和」という駅が集中して存在するのが知られているだろうが、「白滝」という名を含む駅が、途中に他の名を有する駅を挟むことなく、五つ続くのは珍しいと思う。
奥白滝は2001年に信号場となった。
残る3駅も廃止され、5駅のシリーズのうち残っているのは白滝駅だけになってしまった。
なお、奥白滝と上川の間にはかつて上越、中越、天幕の三つの駅があったが、附近に住民が誰もおらず、2001年に廃止されている。
そのためもあって、白滝と上川は、となりの駅でありながら、41キロも隔たっている。
駅舎内には、たくさんのサボ(鉄道車両に付ける行き先表示板)や古い写真パネル、説明が展示してあった。ちょっとした博物館である。
「函館ー網走」というサボは、特急おおとり(1964~88年)のものだろう。
半世紀前の人たちは、よくこんな長距離を旅していたものだと、感心してしまう。
10時間半ほどかかっていたという。
解説文では、特急オホーツクが北海道の鉄道史でいかに画期的かを力説していた。
それまで道内の特急はすべて函館発着で、青函連絡船で本州から渡ってきた乗客への利便を第一に考えていたが、このオホーツクが初めて走った、札幌発着の特急なのである。
それにしても、後ろに見えてるサボ、白滝とは直接関係ないんだけど、もう廃止された駅だらけだなあ。
十勝三股、北見枝幸、朱鞠内、万字、広尾、中標津…。
正午にやってきた、上川発遠軽行きの普通列車。
この日は誰も乗り降りしなかった。
白滝駅を出発する列車は、下りが普通列車3本(うち2本が始発)、特別快速1本、特急2本。
上りは普通列車1本、特別快速1本、特急2本しか発車しない。
なお上りはこの駅終着の普通列車が2本ある。
上りの最終列車は特急大雪(旭川行き)の15:01。
なかなかきびしいダイヤ設定である。
白滝は、湧別川の最上流部の谷あいに広がる地区で、大雪山系も近い。
山々の標高はかなり高い。
写真で見ればわかるが、駅の裏には森林が広がっている。
ふだんは、こういう静かな駅である。
この後、北見発旭川行きの特別快速「きたみ」がやって来たが、やはり乗り降りする客はいなかった。
この日、遠軽駅長が制服姿で来ていたので話を聞いたら、なんと初任地がこの白滝駅だったそうだ。
当時はまだ国鉄で、駅員だけで20人以上がいたという。
ポイントの切り替えは、大きなレバーを手で動かしていたという。
ほかに保線や機関区などもあったとのこと。
いまは無人駅である。
去って行く「きたみ」。
特別快速といっても、ディーゼルカー1輛で、べつに豪華な列車というわけでもなく、エアコンもついていない。
北見からここまで通過する駅は、西留辺蘂、生野、瀬戸瀬の三つだけである。
次の上川駅まで37分もかかる。
赤字路線のバス転換が取りざたされている昨今だが、この白滝駅が無事に100周年を迎えることができるよう、望みたい。
(この項続く)