ふだん美術鑑賞などにまったく無縁な人からけっこうな頻度で投げかけられる質問に、次のようなものがある。
「ギャラリー(画廊)って、入るのにお金がかかるの?」
基本的に、無料である。
どうして美術館やデパート催事場で開かれる展覧会は入場料がかかるのに、ギャラリーはお金を払わずに入れるのか。
それは
「ギャラリーもお店だから」
と考えればわかりやすい。
ギャラリーは、絵などを売っているのである。
入店する際に、お金を払う本屋さんはない。
本や雑誌を買うときに初めてお金が必要になるのだ。
これは、扱っている物の価格には関係ない。
高級ブランド店でも誰でも無料で入れるし、買い物をせずに手ぶらで外に出ても、とがめられることはない。
まあ筆者のような人間にとってちょっと勇気がいることではあるけれど。
美術館の事情も、裏から見たら同じようなものである。
販売をせず純粋にアートを見てもらう空間への入場料が必要だが、グッズを売っている場所は、入場が無料である。
美術館自体の入場料がかかるという例はほとんどなく、ミュージアムショップやロビーなどは入場無料なのだ。
つまり、図録などを買いに行くだけだったら館内に入るのにお金はいらないというわけだ。
なお、パフォーマンスや音楽演奏、ダンスなどは、鑑賞する行為自体を購入して持ち帰ることはできない。
持ち帰り可能なのは鑑賞の記録だけである。
したがって、入場し鑑賞するつど、お金を払うということになる。
(あまり知られていないが、日本の博物館法第23条は「公立博物館は、入館料その他持物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。」と定めている。この件は記事の趣旨とは関係ないので、ここでは立ち入らない)
以上は原則であり、今年にはいったあたりから、必ずしもあてはまらない事例が散見されるようになってきた。
美術館では、札幌芸術の森美術館の「リサ・ラーソン展」のように、本来の展示室の一角をつぶして物販コーナーとし、観覧者以外はグッズなどを購入できないという展覧会があった。
一方、札幌市内のギャラリーでは、入場料を徴収する例がいくつか出てきている。
筆者の個人的な考えでは、これはどうやら「発表する側の経済的な都合」が背景にあるようだ。
道立近代美術館の所蔵品展が一般510円である。
したがって、入場料500円をとるギャラリーがあるとすれば、この所蔵品展に質量ともに匹敵するような展示をしていなければ、釣り合いがとれないのである。
(その計算でいけば、道展や全道展の800円はいささかビミョーである。もっとも、ビミョーどころか、マジかよと言いたくなる団体公募展も存在する。ちなみに、同美術館の510円は、国内の公立美術館の常設展示では、最も高額の部類に属するらしい)
筆者も、お金を払ってでも見たいという作家は少なくない。
ただし、入場料を徴収する場合に限っては、そのような例はあまりない。
まあ、入場料をいくらに設定しようと、それはギャラリーや作家の自由だろうとは思う。
筆者のようなケチな人間に
「有料にしていると、見る人の裾野は広がりませんよ」
と言われたところで、なんの痛痒も感じないに違いあるまい。
ただ筆者としては「たいしたキャリアもないのに、強気だなあ」と思うだけである。
(とはいえ、美術家がどんどん経済的に苦境に陥っていく事態があるとするなら、それは決して好ましいものではない。つまらない作品ばかり作っている美術家から順に淘汰されていくのなら別に問題はないが、たぶんそういうふうにはならないだろう。ただ、その唯一の解決策がギャラリーの有料化なのかと問われれば、それもまた違うような気がする)
「ギャラリー(画廊)って、入るのにお金がかかるの?」
基本的に、無料である。
どうして美術館やデパート催事場で開かれる展覧会は入場料がかかるのに、ギャラリーはお金を払わずに入れるのか。
それは
「ギャラリーもお店だから」
と考えればわかりやすい。
ギャラリーは、絵などを売っているのである。
入店する際に、お金を払う本屋さんはない。
本や雑誌を買うときに初めてお金が必要になるのだ。
これは、扱っている物の価格には関係ない。
高級ブランド店でも誰でも無料で入れるし、買い物をせずに手ぶらで外に出ても、とがめられることはない。
まあ筆者のような人間にとってちょっと勇気がいることではあるけれど。
美術館の事情も、裏から見たら同じようなものである。
販売をせず純粋にアートを見てもらう空間への入場料が必要だが、グッズを売っている場所は、入場が無料である。
美術館自体の入場料がかかるという例はほとんどなく、ミュージアムショップやロビーなどは入場無料なのだ。
つまり、図録などを買いに行くだけだったら館内に入るのにお金はいらないというわけだ。
なお、パフォーマンスや音楽演奏、ダンスなどは、鑑賞する行為自体を購入して持ち帰ることはできない。
持ち帰り可能なのは鑑賞の記録だけである。
したがって、入場し鑑賞するつど、お金を払うということになる。
(あまり知られていないが、日本の博物館法第23条は「公立博物館は、入館料その他持物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。」と定めている。この件は記事の趣旨とは関係ないので、ここでは立ち入らない)
以上は原則であり、今年にはいったあたりから、必ずしもあてはまらない事例が散見されるようになってきた。
美術館では、札幌芸術の森美術館の「リサ・ラーソン展」のように、本来の展示室の一角をつぶして物販コーナーとし、観覧者以外はグッズなどを購入できないという展覧会があった。
一方、札幌市内のギャラリーでは、入場料を徴収する例がいくつか出てきている。
筆者の個人的な考えでは、これはどうやら「発表する側の経済的な都合」が背景にあるようだ。
道立近代美術館の所蔵品展が一般510円である。
したがって、入場料500円をとるギャラリーがあるとすれば、この所蔵品展に質量ともに匹敵するような展示をしていなければ、釣り合いがとれないのである。
(その計算でいけば、道展や全道展の800円はいささかビミョーである。もっとも、ビミョーどころか、マジかよと言いたくなる団体公募展も存在する。ちなみに、同美術館の510円は、国内の公立美術館の常設展示では、最も高額の部類に属するらしい)
筆者も、お金を払ってでも見たいという作家は少なくない。
ただし、入場料を徴収する場合に限っては、そのような例はあまりない。
まあ、入場料をいくらに設定しようと、それはギャラリーや作家の自由だろうとは思う。
筆者のようなケチな人間に
「有料にしていると、見る人の裾野は広がりませんよ」
と言われたところで、なんの痛痒も感じないに違いあるまい。
ただ筆者としては「たいしたキャリアもないのに、強気だなあ」と思うだけである。
(とはいえ、美術家がどんどん経済的に苦境に陥っていく事態があるとするなら、それは決して好ましいものではない。つまらない作品ばかり作っている美術家から順に淘汰されていくのなら別に問題はないが、たぶんそういうふうにはならないだろう。ただ、その唯一の解決策がギャラリーの有料化なのかと問われれば、それもまた違うような気がする)