まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

彼岸花 今日の日課は やり遂げた

2015年09月18日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた、寒気を伴った気圧の谷の影響で、瀬戸内側や山地では雲の広がっている所が出てきた。気温は19度から26度、湿度は90%から55%、風は1mから4mの北北西の風が幾分か・・・。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 わが家の周囲にはこれこの通りのマンジュシャゲの花畑。昔の人が植えた訳でもないのだろうが、自然の力はすごいものだと教えられる。刈っても切っても剃ってもまた生える。

 

 老化・・・ということで記憶力が著しく低下してきている。それに、そろそろ、認知症も進行しているのかも知れないが、ものごとを忘れてしまって大慌てすることが多くなった。そこで、柱に予定を順番に貼り付けておくのだが、これが風で飛んでしまったりして行方不明になったりする。

 

 このように、テーブル・カレンダーにメモするのだが、ここにメモしわすれると闇の中になる。ま、多くは文書やメールで来るので紙化して柱に並べて貼り付けることになるのだが、メモしたことを忘れたり、メモ自体を忘れたり、メモした用紙が有ること自体を忘れたりと・・・いろんなことが起きるものだ。

 

 で、こういう、スケジュール帳にメモしたり、タブレットのメモ帳やパソコンのスケジュール帳にメモするが、タブレットを開かないと予定表は見られない。パソコンだって面倒になる。そんなこんなで、カレンダーと、この予定表と、ダイアリーの予定表の三本柱が必要になる。

 

 で、昨日、100円ショップで来年の予定表を買ってきた。それを、今年の予定表の後ろにドッキングした。こうすれば、今年の後ろに来年の予定表が書き込める。それでも、ここに書き込むのを忘れると、どうしようもなくなるのだけれど・・・。

 

 昨日の草を刈った水路にも、マンジュシャゲは勢いよく吹き出してきている。この元気さがうらやましいと思う。毎年毎年、時期を忘れず、場所を忘れず時を忘れずに生えてくるのだから・・・。

 

 さて、この棚次辰吉が使っているミシン、「簡便飾縫ミシン」というのだそうで、その特許を取った記念写真がこれだというのである。この「簡便飾縫ミシン」をずっと探して調べているのだが見つからない・・・。

 

 ところが、某所にあった「新一ミシン」と言われる物がこれ。新一ミシンとは明治33年(1900)に棚次辰吉が発明した軽便飾縫ミシンのことである。同35年に専売特許4185号を取得した。手袋の飾り縫いだけでなく、ハンカチの飾り縫いにも使われていたという。

 

 これが、そのミシンの説明書である。しかしのかかし、辰吉さんが使っている写真は、新一ミシンやなくて、この下のミシンによく似ている。

 

 これみたいな格好しているのだが。この中間に何か改良型でもあったんだろうか。

 

 ともかく、簡便飾縫ミシン=新一ミシン=ガタガタミシンは見つかった。「おお、兄弟、ここにおったのか・・・」という心境である。

 

 念願の「新一ミシン」は見つかったし、探しあぐねていた「デスクブロック」というダイアリーも見つかったし・・ということで、気分的には楽になったのだが、はてさて、明日の法話会の話題が見つからない。

 

 そこでまたしても、香川県立図書館に行ってきた。で、何冊かの本を借りてはきたのだが、前日になって大慌てしたって仕方がない。当日の雰囲気でお話を進め上げていくしかないか。

 

 今日から奥方が神戸に出かけたので、今夜はじっくりとお話の構成を考えるしかないな。

 

 今日の掲示板はこれ。「「やってられないよ」と思ったとき、「でも俺、頑張ってるよな」とつぶやいてみてください。「頑張ってる私って、結構いいな」と、自分を好きになってください。その方が生きやすくなるとは思いませんか?」という松岡修造さんのことばから。海外のテニスツアーは非常に厳しいもの。そして、一族からの支援は一切なし。名門生まれのお坊ちゃんが、ツアー時に宿泊した安宿の朝食で、隣のテーブルのクロワッサンを盗んで食べた・・・なんていうエピソードもあるそうだ。そんな彼が成し遂げた、1995年のウィンブルドンでのベスト8という偉業には、日本全国が歓喜した筈。そう、彼は単なる、おもしろおかしい、元スポーツ選手タレントではないのである。自分自身の力で、壮絶な人生を切り開いてきた、アスリートの言葉だからこそ、
そこには説得力があるのだと思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


咲いている 花愛おしと 彼岸花

2015年09月17日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は四国の南海上の前線や湿った空気の影響で、東部を中心に雨が降っていた。気温は19度から20度どまりで湿度は94%から85%。風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。降雨量は0mm/hから6mm/hと断続的に降り続いていたが、豪雨には至らなかった。明日の18日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、未明は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 連日の雨で、水かさは少しばかり増えているが、そんなにたいした量ではない。上流の大川ダムも、水田用の水がいらなくなったせいか、適宜、放流して大幅に貯水量を落としている。

 

 お仕事に行ってる時には雨だろうが雪だろうが平気だったし、それがお仕事だったから半ば義務的にお仕事に向かったものだったが、最近は雨の日は外に出ようとは思わない。雨の日に行きたい場所もないし、出かけてもいい写真が撮れる訳でもないし・・・。

 

 で、今日もまた、10年メモ帳の追加入力。今日は2011年の6月30日から1月1日までの181日間の日記である。この期間には、あの、東日本大震災があった年で、生々しい様子が思い出されてきたものだった。

 

 過去のブログを逆に辿りながら、1日1日の記録を記入する作業も根気がいる作業である。半ば飽きてきたのだが、どうにか2011年分は完成した。この続きの2010年分は冬場になっておこたにでも入っての作業にしたいものだ。

 

 雨は降ったり止んだりを繰り返している。私も出かけようかやめようかを繰り返していた。

 

 お昼前になると、さすがに「窮屈さ」を感じ出す。どうにもじっとしていられない性分らしい。このあたりでは「イラチ」というのだが、気が短くて、すぐに「いらいら・・」としてしまう。

 

 先日から、この来年用の「ダイアリー」を探しているのだが、まだ、時期的に早いのか、どこにも置いていなかったし、来年用のカレンダーもまだない。

 

 毎年、10月の15日あたりに購入している筈なのに・・・と古い日記を読み返したら、まさに、10月15日あたりであって、決して9月の15日ではないことがわかった。今年は少しばかり慌て過ぎたみたいだ。来年は期待するほどにいい年になるんだろうか。

 

 ということなんだが、探せばあるもので、早くも来年用のダイアリーを探して購入してきた。ついでに、平成28年用の暦(こよみ)も・・・。

 

 この暦は、旧暦を調べたり、海の潮を調べたりするためであるし、私のホームページの「行事予定表」を作成するためのものである。これを見れば満月だとか新月だとか上弦・下弦などもすぐに分かるからである。それに一般的な行事予定表も記載されているので便利なのである。

 

 だからと言って、カレンダーはまだ9月の中旬。来年のダイアリーを買ったからと言って、そこに書き込む予定表なんぞある筈がない。来月の予定表さえ真っ白なのに。それでも、来年の予定が書き込めるというのは、なんだか安心なものなんである。

 

 さて、昨日の水路の草刈りだが、奥方に褒めてもらえると思ったら、大層、叱られた。「せっかくお花が着いているのに、どうして終わるまで待てなかったの・・・」「お花が終わるまで待ってからでも草刈りは遅くないでしょ・・・」と仰るのだ。奥方が植えたお花でもあるまいし、きれいなお花でもあるまいし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「一人ひとりに、それぞれ歩んできた掛け替えのない人生がある」という、内藤久さんのことばから。


 娘さんは、「土足で上がって構いません。全部ゴミですから、早く済まして」と、いかにも面倒といった具合で、私は殺伐とした雰囲気の中、作業を始めることになったのでした。
 
ところが、部屋の中から、あるものが見つかったことで 雰囲気は一変しました。それは、幼い頃の娘さんを写した写真の束。そして、その一枚一枚の裏面には、撮影日と成長記録のようなものが書き記されていた。「きょう、“アブナイ”という言葉を覚えた」 「ニンジンは嫌いなのかな?」 「生まれてきてくれて、本当にありがとう」 勝手に捨てるわけにもいかず、私はその写真を娘さんにお渡ししました。すると、見る見るうちに表情が変わり、彼女の頬をポロポロと涙が伝わりました。

 「どうしようもない父親でした。正直、憎んでいました。それでも、私が生まれてきたことを喜んでいてくれたんですね……」

 写真を胸に抱え、穏やかな表情になって母子は現場を後にされました。
     「故人の想いを遺族へ紡ぐ」 内藤久(遺品整理の埼玉中央代表)

             『致知』2014年10月号 特集「夢に挑む」より

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


彼岸花 今日の予定を にしひがし

2015年09月15日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて瀬戸内側では概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で次第に雲が広がる見込みらしい。気温は18度から25度、湿度は88%から63%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の16日は、南海上の前線が北上し、湿った空気が流れ込むため、雨になるらしい。

 

 今日の朝食はこれ。日曜日の「地神さん」のお下がりに頂いた「フレンチ・アップルバイ」入りのパンとミニ・イチジク・・・。これでも、れっきとしたイチジクなのである。

 

 これを左手に受けて、そのまんま口に放り込んでおしまい。変わった植物ができるもんだ。

 

 その後、さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」へ出勤。ここでお遍路さんが納めた「納め札」の調査をやっている。今回は志度町にある「田淵家」の屋根裏にあった「俵」の中から見つかった一千枚ほどの納め札を調べている。

 

 こういう納め札を丁寧に伸ばしてファイルに納めて、デジタルカメラで撮影し画像化してある。それを読み取ってエクセルシートに一枚ずつ、出身地、年号、名前なんぞを記録している。

 

 こちらが整理班。くしゃくしゃに押し込んである紙くずを、丁寧に伸ばしているところ。

 

 こうして、画像化されたものを読み取るにも経験と勘がいる。「美馬郡」というと、「あ、徳島県美馬郡」と、すぐに出てこないといけない。この場合の「刷」の意味は「版刷り」ということで、版木によるなどの「印刷物」を意味している。全体の八割ほどが「手書き」である。時代は「明治から昭和初期」、地域的には徳島県・香川県が圧倒的に多いが、たまに島根とか天草とか延岡とか知多郡とかもある。そして、多くがカタカナ名前の女性遍路である。

 

 今日は、私がエクセルの入力係。私はパソコン担当ということで協力している。

 

 今日は次のイベントで会場を使うというので、11時前に作業をやめたので、私はそのまま、高松市内にある「香川県立図書館」に向かった。皆さんとお茶をしながら情報交換も楽しいが、どうにも甘い物は苦手なのだ。

 

 で、親鸞さんほかの本を返却して、今度はため池関係の本を数冊程借りて来た。

 

 昨日の「弥勒池」にちなむお話が掲載されている本である。讃岐は昔から「水との闘い」が激しかった土地柄なのである。それだけに「水」にまつわるお話も多い。

 

 その帰りに、さぬき市寒川町にある「21世紀館 さんがわ」という施設に寄ってみた。ここで、今日から絵画展が開かれているのだという。

 

 この人は我が大川町の有名な美術の先生なのである。と、言うても、ホントは詳しくないのでググってみた。十河安則(そごう・やすのり)さんは今年92歳。太平洋戦争中に香川青年師範学校(現・香川大学)に入学、軍事訓練・勤労奉仕作業に明け暮れる日々の中、偶然立ち寄った高松市内の本屋の廃棄棚にあった『芥子園畫傳(かいしえんがでん)』を見つけて買った。十河青年は、この廃棄寸前の古本から「こころの中の山水画を描きたい・・」と一念発起したのだという。

 

 戦時中の何もかも踏みにじられてしまう激劣の時代にあって、廃棄棚に忘れ去られたようにあった本との出逢いは奇跡とも言えるが、その本の価値を知る人だったからこその必然的な出逢いと言えるだろう。70年間、戦争を知らなかった私たちに、本当の価値を見る目、真実を見極める目が必要なことを教えていただいたような気がしたものである。

 

 大自然や風物の中に、歴史の深遠さを学び、心洗われる思いで絵筆を運び続けてこられたという十河先生の集大成ともいうべき回顧展である。ほとんどが水彩画で、やわらかなタッチのそれでいて重厚さを感じさせてくれるようなミニ絵画展である。

 

 町内の美術の先生であったということだが、私は、この先生に美術を教わった・・・という記憶は全くない。ただ、学校の中や展覧会や町内の施設などで、先生の水彩画はよく目にしたような記憶が残るばかり。

 

 今日の掲示板はこれ。「好奇心、幼児性を持っていないと、大切な者を見落としてしまう。三歳の子供からでも学ぶことは沢山ある。」という堀威夫さんのことばから。堀さんの人を選ぶ三つの基準は、それが歯と目と声。「歯はビジュアルの面での美しさもそうだけど、もう一つ重要なのは咀嚼力。健康じゃないととてもこの仕事は務まらない。二番目は目。何か事を成すっていう人の目はキラキラしていますよ。イワシの腐ったような目はしていない。そして最後は声です。声っていうのは、大きければいいんです。スピーカーでも出力が大きいスピーカーで小さい音を出すと、聞こえがいい。小さいスピーカーで大きな音を出そうとすると耳障りなわけですね。それに、でかい声を出す人はネアカな人が多いし、根暗の人の声は小さい。」人を見る目もさまざまだなぁと思ったことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あきあかね ぐうたら午後を のぞき込む

2015年09月03日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は前線や低気圧の影響で雲が広がり、雨や雷雨の所があるらしい。気温は22度から25度、湿度は96%から90%、降雨量は1mm/h~4mm/h、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の4日は、高気圧に覆われてくるため概ね晴れるらしいが、気圧の谷や湿った空気の影響で、朝にかけて雲が広がる見込みなのだとか。

 

 で、香川県立図書館の蔵書検索で調べたところ、何冊かの興味深い本が見つかったので、「それ、行け~」っとばかりに、香川県立図書館にやって来たという訳。

 

 さすがに九月になると蝉の声は全く、聞こえない。あれだけ騒がしかった蝉はすっかりと往生してしまったのか。自然の移ろいというものは、残酷でもあるし冷酷でもある。それに、全く興味すら示さずに通り過ぎる人間はもっと冷酷だ。

 

 この、「向山周慶翁伝」「讃岐さとう物語」はともに貸出禁止の本だった。間の、「薩摩の目を逃れて」は借りてきた。少ない貴重な本なのに貸出禁止というのはちと辛い・・・。

 

 この、郷土コーナーというのは、いつも人影が少ない。ま、その分、落ち着いて本を探せるのだけれど。

 

 今日、借りて来たこの本、ともに「松村哲夫」という人の本だが、中身は「小説」というか「物語」であった。中学校の校長を退職して書き上げた「作品集」らしいが、小説では論文の参考にはならない。

 

 この小説では、主人公の「向山周慶」に目を向けるのではなく、奄美大島からやってきたお遍路さんに焦点を当てているが、「当盛喜」という人物が、なぜ、「関良助」になったのかがわからない。江戸時代のことだから、勝手に名前を変えてもいいっていうもんじゃないし、「関さんの勝手でしょ・・」というもんでもないし・・・。

 

 このいかめしい「白鳥(しろとり)町史」は参考になるぞ・・・と期待したが、それこそ、「データー」ばかりで、少しも参考にならなかった。「帯に短したすきに長し」である。物事はなかなかにうまくいかないものだ。

 

 文章部分だけでもと、一応はスキャンをやってみたのだけれど、果たして使えるのかどうか・・・。

 

 ここには、讃岐の糖業と、手袋産業が掲載されているのだけれど、ご法話や町歩きのタウンガイドに、あんまり詳細なデータはいらない。30分もみているだけで、あたまがクラクラとしてきたものだった・・・。

 

 珍しいと思ったのは、人力によるサトウキビ絞りの作業である。ほとんどの場合、牛による搾汁作業が描かれていたが、ここでは二人の男性による作業であった。これは少しばかりきつい作業だったのじゃないか。でも、牛のいない家庭なんぞでは、牛を借りてまでもは作業できないから、こうした方法もヤムを得なかったのか・・・。

 

 昭和の中頃だろうか、昭和の40年代ごろから急速に農家の機械化が進んで、耕耘機やトラクターなんぞが走り回るようになると、急速に牛や馬が農家から消えた。このあたりでも、各農家には必ず、牛がいたものだなぁと、ふつ、思い出したことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しみをなげく人あり 苦しみを活かす人あり」というもの。これまた、どこのどなたの言葉かはわからないのだが、過去に起きた不運な出来事は、すでに過ぎてしまった仕方ないことである。それをいつまでも引きずり、苦しみを背負い続けるか、それとも、それを活かして人のために役立たせるか、その発想には人生のつくられ方がまったく逆になることだろう。大切な一度きりの人生をしっかり見据え、考え、生き方を選択したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ひとしきり 夏の終わりを 噛みしめる

2015年08月23日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は22度から32度、湿度は88%から60%、風は1mから3mの北の風がすこしばかり。明日の24日は、引き続き高気圧に覆われて晴れますが、台風第15号が北上するため、夕方からは湿った空気の影響で雲が広がる見込みらしい。

  

 さて、昨日、バサラ花火大会やら婆娑羅まつりやらHOTサンダルの作品展やらがあるのに、急いで山の家に戻ってきたのには訳がある。というのが、街でいう「地蔵盆」、この集落では「お地蔵さん」の日ということで「寄り合い」があるのだ。

 

 私はここの生まれではないので全く由来も伝承も知らないのだけれど、この石段の上の祠(ほこら)に、「お地蔵さん」がお祭りされているのだという。どんなお地蔵さんだかも見たことはない。ま、石のお地蔵さんであることは確か。

 

 で、集落の10軒が総出で、7時からの掃除になるのだが、決まってご婦人方は30分前くらいから集まって、にぎやかに掃除を始めるのだ。

 

 で、30分ほどで掃除は終わる。そして、この場は解散になる。昔・・・と言うても戦後の20年代から30年代ごろには、この前の広場に、80人から100人ほどが集まって「お地蔵さん」を楽しんだ・・・という。戦後の娯楽も食べるものもない時代には、子供たちの楽しい「祝日」であったらしい。

 

 今は、夕方の15時から集会場での「おまつり」になるので、その間が手持ちぶさた。先の8月1日にしわく広島で中学生相手に「幕末歴史講座」をやったのだが、そのお礼状がお盆明けに届いていた。その、「お礼」ということで、その時に使ったスライド(パワーポイント)資料を本にしてプレゼントすることにした。

 

 パワーポイントのシートを全て印刷すると、106ページにもなった。それを両面コピーにして50枚少し。これを製本して、担当の先生に送ることにした。

 

 これこそ、「世界で一冊の本」、「本屋さんでは売っていない本」が出来上がった訳だ。表紙だけは「写真印刷版」でカラー印刷になっている。

   

 これを、明日、郵便局から引率の山地先生に送っておくことにした。

 

 このセミはメスなのか静かに網戸にすがっているばかりだったが、夕方には、「ミーン・ミーン」というミンミンゼミやヒグラシ、ツクツクボウシが啼くようになったが、その数もめっきりと減ったように思う。日が暮れたら、虫たちの合唱が始まる。

 

 15時からがお地蔵さんのおまつりなんだが、14時半にはほとんどが集まっていた。今日は日曜日ということで、農家の三軒が稲刈りだからということで欠席したので、7人だけというさみしい会になった。おまつりだからと言ってもお茶とパン二個しか出ない。

 

 今日は「開店休業やなぁ・・」ということで、早々に解散することになった。明日からは台風15号の影響が出そうだ・・・ということで、農家の人は稲刈りが優先だから仕方がない。結局の薬局で、なんのためにみんなが集まったのかもわからないような寄り合いになってしまった。「お地蔵さん」の意味も意義も役割も分からなくなってしまって、単なる座談会でおしまいになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなおとなたちも、一度はこどもだった。でも、そのことを覚えている大人はほとんどいない」というサン・テグジュベリの言葉から。王子さまと一緒に星々を旅すると、狭い世界しか見られない日常から大きく飛躍して、自由な精神世界を飛んでいるような昂揚感と喜びが感じられる。この“王子さま”は、砂漠でさまよう飛行士である“僕”の内面であり、作者であるサンテックスそのものであり、読者の心が形になった姿でもあると言えよう。いちばんたいせつなことは、目に見えないということなのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


気高くも 高砂ユリの 花の白

2015年08月16日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 丸亀地方は前線の影響で雲が広がり、夜は雨が降る見込みらしい。気温は24度から32度、湿度は86%から60%、風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の17日は、前線や低気圧の影響で雲が広がり、雨が降りやすい見込みらしい。

 

 賑やかな一夜が明けると、お盆休みの爆音族の競争とセミの大合唱で起こされた。昨夜のお客さんの半分は帰ってしまい、後の半分はそのあたりでゴロゴロと寝ていたが、田舎のおじさんらしく6時過ぎから起き出して早々に帰ってしまった。

 

 最後に残った私たち二人だったが、9時過ぎに、私も「じゃぁ、私も広島に帰りますわ~」と、いうことで、わが家を出た。後には奥方一人きりが残ることになった。奥方は今日はぐっすりと寝るのだそうだ。

 

 途中、三男の「たっくん」ちへ寄って、島の家の草刈りに誘って、丸亀港近くのスーパーで食材を調達して丸亀港に着いた。

 

 11時10分発の高速艇「ニュービサン」に乗り込んで、しわく広島に向かうが、大阪からの高校生の一団、30名ほども乗り込んできた。バレーボール部の広島での「讃岐合宿」なんだそうだ。

 

 今日もまた、蒸し暑い夏の日なのだが、照りつけるような暑さはなくなった。

 

 ところが今日もハプニング。島の軽トラのキーがない。いくら探しても。だから仕方なく歩いてわが家まで行くことになった。知り合いの人でもいれば送ってもらえるのに、今どきでは知った人にも出会わない。元気なのは合宿に来ている高校生くらいなもの。

 

 島の家のスペアーキーを取り出して、またも徒歩で港まで行かねばならない。徒歩ではおよそ10分くらいなもの。

 

 今回の目的は、またしても島の家の草刈りである。この19日から京都の大学生一行がやってくるというので、その前準備である。

 

 私と弟のたっくんとで、家の周囲の草刈りである。今日は薄曇りであったせいか、あの、お盆前のギラギラとした暑さはなくて、汗は出るものの、苦しい作業にはならなかった。

 

 およそ一時間の作業で周囲はさっぱりとした。今度は秋祭りの頃に草刈りだろうか。

 

 さっぱりとしたら、シャワーを浴びて洗濯を済ませ、夕食までは昼寝をしたり読書をしたりでのんびりと過ごす。ここは奥方パワーから脱出できる「治外法権」的、男の隠れ家でもある。今夜は静かに男の宴会を楽しむ予定・・・。

 

 高校生たちの歓声も聞こえなくなって静寂の戻った塩飽広島である。

 

 今日の掲示板はこれ。「見る気がなければ何も見えない。聞く気がなければ何も聞こえない」という荒了寛さんの言葉から。だからと言って、何でも見たがって、余計なものまで見てしまい気になってしまったり、何でも聞きたがって、余計な事まで聞いてしまい不安に陥ってしまったり。他人の事も、自分の噂も、事実とは違ってる事が勝手に出回っているということはよくある話である。そういうことに翻弄されない心構えが必要な時代でもあるなぁと感じる今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


宅配便 暑い暑いと 言うばかり

2015年07月19日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がり、朝方は雨が降っていた。気温は23度から31度、湿度は90%から64%、風は2mから6mの南南東の風が少しばかり。明日の20日は、引き続き、湿った空気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

  

 折角の三連休の中日だというのに(私が言っても無意味だけれど)、小雨の降る湿気の多い日には出かけたくても出かけられない。それよりも、今日は休養日に宛てたいと思うような朝になった。

 

 朝の犬の散歩で気づいたのだが、わが家の周囲でも木の枝が折れたり、飛び込んだりと結構な強風が吹き荒れたみたい。よそさんの畑の杉の木も根元から折れているし・・・。

 

 散歩から戻ると、それを待っていたかのように激しい雨が降り出してきた。この雨で落ち葉や木の枝を洗い流してくれるといいのだけれど、そんなに多くは降らない様子。

 

 わが家の玄関周りの落ち葉は大きなものだけ片付けておいた。小さな落ち葉は刈れて吹かれて消えてなくなる。

 

 さて、例の「夏休み幕末歴史講演会」のパワーポイント資料の整理に入った。塩飽の幕末から明治の歴史年表を元に、咸臨丸水夫の徴用から咸臨丸渡米、小笠原探検、として鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争。古川庄八らのオランダ留学と開陽丸での帰還。その間に、英国軍艦による塩飽海域の水路調査、灯台敷地調査、そして英国士官レキの死亡と埋葬。戊辰戦争の勃発から榎本軍の北海道への脱出。開陽丸の沈没や咸臨丸の沈没・・・。結構な情報量になってしまう。

 

 それに、「おもしろおかしく」という課題が重い・・・。

 

 だからということで、大幅にシートを非表示にしたら、今度は時間が半分の30分になってしまった。慌てて、非表示を少しずつ表示指定に戻しながらの時間調整。概ね、45分ほどまでには回復した。古川阪次郎や山口嘉次郎らをどこまでお話するかにかかってきた。

 

 奥方が娘の家から戻ってきて、「倒れたキュウリの枝を元に戻すので手伝って欲しい」とか、「落ち葉を片付けて欲しい」とか言うので、ホイホイと片付けてきたが、たいした被害ではなかった。あとは、川の中に垂らしてある「水中ポンプ」が流されていないかどうかの確認をやっておかねば。前回にはうっかりと流されて探し回ったもので、今回はしっかりとロープで結んではあったのだけれど。

 

 あれ、台風12号は熱帯性低気圧になってしまったのか・・・。てっきり、同じコースをたどると思って、22日から島の家に帰る予定にしてあったのに・・・。これまた、作戦変更を余儀なくされた。ともかく、しわく年表と予定原稿を届けに島に帰ろうか・・・。

 

 天候としては、明日の午後からは晴れてきそう。高校野球県大会も順調に進むだろうし、梅雨明けもするような天候になってきた。今年の梅雨明けは、18日ごろが平年で、昨年は7月の20日ごろだった。今年もそれぐらいになりそうかな。

 

 アブラゼミはなぜアブラゼミというのか・・という質問を毎年聞くのだけれど、最近のこどもは自分で本とか参考書とか、Googleとかで調べないんだろうか。山とかで実物を見ればすぐにわかるんだけれど、なかなか山とかの自然は遠くなってしまったし。その答えは、鳴き声がジー、ジリジリジリ…と、油で揚げものをする音ににているから、アブラゼミと名づけられたという説と、羽が透き通っておらず、油紙のように油がしみた感じだからだ、という説があるようだからと言われて居る。

 

 その反面、クマゼミはなぜクマゼミというのか・・という質問は見かけない。なんでだろ・・。こういう質問があってもいいと思うのだけれど、いくら探しても見つからない。

 

 今日の掲示板はこれ。「多くの人が忘れているようだけれど、誰の命にも必ず終わりがある。その間に何をするかが大事なのです。」という「道場六三郎」さんの言葉からである。別に忘れている訳ではないのだけれど、「考えたくないようにしている」のかも知れない。明日には死ぬとか、7時間後には死ぬかも・・と考えていると生きていけないではないか。いつかは死ぬのだろうとは漠然とは思うのだけれど、突き詰めて、それがいつだろうか・・と考えていれば、オツムがおかしくなってしまいそうだ。ま、その間に何かをしなければなぁと思いつつ、生きているような気もする昨今である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


花あざみ 休みの済んだ 気の重さ

2015年05月10日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。昨日の雨がウソみたいな一日になった。気温は14度から23度、湿度は90%から46%、風邪は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の11日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 7日の夕食あたりから、おなかが膨らむ感じで食事がほとんどできなくなった。で、仕方が無いから焼酎とか、ウィスキーとかを飲んでぐっすりと寝たが、9日の朝からはいつもの「心不全」の兆候が出てきた。で、慌てて、「利尿剤」を二日分飲んだ。おなかがふくれてきて心臓を圧迫して呼吸困難になる症状・・・。

 

 ま、お大師まいりというか、お接待を頂いて回ったという感じで一応は終わった。その頃になると、お昼もなんとか食べられたが、今夜はどうなるかわからない。夜中には防災ヘリも飛んでは来られないし、島には救急車なんぞない。

 

 で、慌てて、わが家に戻ってきたのだが、不思議なことに、わが家に戻ると、まるきりの普通に戻った。だから、昨夜の夕食は、ごく、普通に食べられて、普通に飲んだ。一帯、なんだったんだろうか。今朝もまったく平常だった。

 

 で、朝の散歩で、恒例になった、県立大川ダムに行ってみた。やはり、朝だとは言っても暑くなってきた。しばらく歩くと、うっすらと汗がにじんでくる。それでも、呼吸困難になることはなかった。

 

 今年は雨が多かったから、田植えが始まっても、そんなにダムからの放流は少ないらしい。夏場もこのままで乗り切れたらいいのだろうけれど。

 

 散歩から戻るとシャツは交換した。やはり、濡れた下着は気持ちが悪い。そういう時期になってきた。寒いのはあかんけれど、暑いのもまるで弱くなってきた。それじゃ、ダメじゃん、春風亭昇太。

 

 学会発表も、一ヶ月を切った。そろそろと発表会のリハーサルもやっておかねばならない。発表時間は20分。今日は奥方が途中で入ってきたので、19分35秒だった。ま、そんなもんでもいいか・・・。

 

 今日の木村食堂も、昨日と同じで、お接待で頂いた即席ラーメンとお寿司になった。あとはスナック菓子ばかりになったが、うちの犬は、そういうものが嫌いらしい・・。ポテトなんたらを朝食にやったら、ほとんどを芝生の上にはじき出してしまっていた。困った、困った、こまどり姉妹。

 

 午後からは、法話用パワーポイント原稿の作成・・・。民話を元にして40分程度の法話にするのだけれど、民話なんていうものはわずか数分程度・・・。伸ばして、膨らませて、引きずっても20分から30分が限度・・。余分な話を入れると、ストーリーがややこしくなる。ここでも、困った、困った・・・、もう、エエか・・。

 

 あまり、脚色はしたくないし、あんまり、くどくどしい話にもしたくないし・・・。

 

 お昼からはのど自慢大会を見たり、なんでも鑑定団を見たりしながら、のんびりモード。三時を過ぎたら、お布団や洗濯物を取り込んで、迷犬ごんの散歩に行って・・・お風呂の掃除や準備と、ルーチンワークが待っている。

 

 あれだけ楽しみにしていた「島の家」だったけれど、一人もお客さんが来ないのでは草刈りや部屋の掃除も意味が無い。そのうえ、体調不良になっては、何のために島に行ったのやら・・・。ま、気分を入れ替えて、明日からの一週間を楽しい意味のある週にしたいものである。

 

 とりあえず、明日は歯医者さんで虫歯の治療らしい・・。あんまり歯医者さんは得意ではないし、痛くもない歯をいじられるのは楽しいことではない。

 

 今日の掲示板はこれ。「俺はキムタクにはなれないが、キムタクも俺にはなれない」というもの。ま、向こうさんは、俺になろうとも思ったりは絶対にしないのだろうけれど。こういうことはザラにあることで、子供の頃には、鞍馬天狗や七色仮面や白馬童子にあこがれたけれど、鞍馬天狗や七色仮面が私になりたいなんてことは考えもしなかったに違いない。そこには価値観の根本的な相違があることに気づかないだけである。このコペルニクス的展開こそが大切なのではないかと思った事だった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やまつつじ 思い思いの 夢が咲く

2015年04月27日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は13度から23度、湿度は72%から48%、風は3mから4mの南南西の風が少しばかり。明日の28日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷の影響で夕方からは次第に雲が広がる見込みらしい。

 

 FBFのヤッホさんこと菱村さんから、「四国遍路の闇と影」の誤字訂正通知が届いたので、忘れないうちにと、早速に修正しておくことにした。28項目ほどの修正だが、見て行くとずいぶんと誤字がある。多いのは「ほ」と「は」の認識違い。上下は→・←に変換していたりする。

 

 一応、50項目ほどの修正を施してからお出かけ。本当は、高松の御坊さんで春の法要が行われるので、お参りに行こうと考えていたのだが、土曜日あたりから、またしても歯の痛みがぶり返したようなので、11時から抜歯をするという連絡が入った。

 

 で、元、奥方が勤めていた歯医者さんに出かけて行って、すぐに局部麻酔を打ってすぐに抜歯して5分ほどでおしまい・・。痛みは消えたが、麻酔が2時間以上も効いていて気分が優れない・・・。下あごが私の物ではない感覚・・・。言葉にもならない。

 

 そこで、気分転換に旧宅の木村株式会社に行ってみた。油断をしていると、ほれ、この通り・・・。お墓の前の敷石が持ち上げられている。

 

 あちらこちらからとタケノコが伸びている。短くて細いものは切り飛ばしてしまう。

 

 大きな物だけを持って帰ってきたが・・・、

 

 それでも、大きな鍋、いっぱいになった。またまた、タケノコ料理が続くのか・・・。

 

 13時過ぎに三男のたっくんがやってきて、簡単な食事になった。その頃になると麻酔も完全に切れてきた。

 

 昨日のバス研修で、山頭火の句碑集を配ったが、3部ほど余ったので、お世話になった「宗林寺」さんに届けようと思った。

 

 これが「俳諧の寺」と言われて居る「一畑御坊」の宗林寺さん。真宗大谷派のお寺さんである。

 

 住職さんが境内のお掃除をしていて、いろいろと話し込んだ。拓本のこと、「ザイゴ(在郷)節」で苦労したこと、真宗の説教師のあれこれやら・・・。2時間ほどがあっという間に過ぎた。

 

 このあたりでも、この連休中に田植えをするらしく、慌ただしくトラクターが走り回る時期になった。

 

 今年も、五月の連休中、島の家には誰も行かないらしい・・。私は2日の土曜日から10日の日曜日までを予定しているが、そんなにも長くいるのも苦痛だから、前半は山の家で、7日から島に帰って、「9日のお大師まいり」=「お接待」を済ませてから戻ろうかとも考えている。

 

 今日の掲示板はこれ。「「・・・したい」「・・・になりたい」って、悩んでいてもしかたないよね。ホントになりたい人は、そう思う前にやっているよ。どんどん行動しているよ。」と、言うもの。漫画家であり、絵本作家である小泉吉宏氏の言の葉である。仏教には「願行具足」という言葉があって、願いと実践とがともにそなわること。浄土教では,浄土に生れるための願と行とが兼ねそなわることをいうのだが,その解釈については宗派によって異なる。浄土宗鎮西派では,願行を衆生が起すものとするが,西山派や真宗では,ともに仏のほうでなしとげられているとする。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春の雨 句碑を濡らして 山頭火

2015年04月01日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は14度から19度、湿度は92%から77%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の2日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 世の中は第一四半期が終わって新会計年度が始まる四月。学校も会社もお役所もカレンダーが変わる時。わが家も気分一新したいものだと、掃除をして片付けに入ったのだが、2時間も大掃除をした割りに、ゴミ箱が半分ほど埋まっただけ。掃除とは「物の移動だ」と誰かが言ったが、その通りだと思った。単に、置き場所が変わっただけだった。

 

 で、余分に作った、「山頭火句碑巡り集」や「四国遍路の影と闇」を、お世話になった先生に届けに行ってきた。

 

 三日連続で、亀鶴(きかく)公園に寄ってみた。一気に桜が開花して満開状況。なのに、小雨が降っているからだあれもいない・・・。実にもったいないばかりである。気温は日一日と上がり、陽光も明るさと強さを増してくる。今年の桜前線は早い。一気に東日本目指して駆け上がって行くようだ。

 

 たい焼き屋さんが所在なさそうに店番をしているばかり。お客が来ないのでは張り合いがないというもの。明日は晴れ間が出そうだから、明日は人出が多くなるのかも。

 

 さすがに雨では、デイ・サービスのお年寄りたちもやってこない。

 

 家の近くの「県営大川ダム」にも寄ってきたが、一気に満開状態。しかしのかかし、ここにも猫の子一匹、犬の子一匹もいない・・・。

 

 山の旧宅にも足を伸ばしてみたが、相変わらず、タケノコはイノシシが掘って食べた跡ばかり・・・。20年前には、生えて生えて困るから、「ご自由にお持ち帰りください」と書いて、道ばたに積み上げていたのが、まるで夢のような光景。しかしのかかし、タケノコを買ってまでは食べたいとも思わない。

 

 今年の花壇のチューリップは、スイトピーに栄養を吸い取られたものか、花が小さい。

 

 近くの県道の防災工事も一段落したみたい。工期は3月末日だったが、まだ、なにやらやっている。でも、うっすらと緑が萌えだしてきている。五月になると、ここが一面、緑色に塗り替えられることだろう。

 

 今日、四月一日は親鸞聖人の誕生日。聖人は承安3年4月1日生まれであるという。本願寺さんは5月の21日に「親鸞聖人降誕会」を行うらしい。聖人の命日には各地で報恩講などで盛大な法要が行われるが、お誕生日はそんなにも話題にはのぼらない。

 

 古くから、旧暦4月を卯月(うづき)と呼んでいたが、現在では新暦4月の別名としても使っている。卯月の由来は、卯の花が咲く月「卯の花月(うのはなづき)」を略したものというのが定説となっている。しかし、卯月の由来は別にあって、卯月に咲く花だから卯の花と呼ぶのだとする説もある。「卯の花月」以外の説には、十二支の4番目が卯であることから「卯月」とする説や、稲の苗を植える月であるから「種月(うづき)」「植月(うゑつき)」「田植苗月(たうなへづき)」「苗植月(なへうゑづき)」であるとする説などがあった。

 

 午後からは、「晴耕雨読」ということで、法然上人のお勉強を少しばかりやっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生における幸せは 成功ではなく成長にある」というもの。サッカー、中澤佑ニ氏の心に響く言葉より…。「人生において『成功』は約束されていない。しかし人生において『成長』は約束されている」と言う言葉が元になっているらしい。チャールズ・ダーウィンの言葉のように、『最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるでもない。 唯一生き残る のは、変化できる者である』 の言葉を思い出した。たとえどんな小さな努力であろうと、それを日々継続し、変化し続けることができるかどうか。人生の本質的なゴールは「成功」ではなく、自己の魂の「成長」である。成功ではなく、成長を目指して生きて行きたい。

 

じゃあ、また、明日、会えるといいね。

 


うぐいすが よく啼く朝だ 伸びた爪

2015年03月25日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、山沿いでは寒気の影響で雲の広がっている所があったらしい。気温は3度から11度、湿度は68%から41%、風は3mから5mの北北西の風が若干あって肌寒く感じた。明日の26日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 さて、月に一度の県立病院の予約診察日。9時過ぎに病院に着いた。今日は検体検査ということで採血と尿検査があっただけ。10時前にはドクターの診察があって、OKということで、いつもの薬が処方されておしまい。

 

 今日は案外と患者さんも少なくてとんとん拍子に終わったが、それでも10時半過ぎにはなった。そのあと、車の燃料を入れたり薬局で薬を受け取ったり・・・。

 

 今日は久しぶりにここに寄ってみた。東かがわ市白鳥(しろとり)にある「讃州うどん・ほそかわ」というプチセルフのお店。以前は「ぶっかけうどん」のおいしい一般店だったが、昨年fだかにセルフのお店に変わった。

 

 今日は変化をつけて「山菜うどん」小をお願いした。350円だった。番号札を渡されて10分くらい待たされた。待たすのだから出来上がればテーブルまで運んで来るかと思えば、呼ばれたらカウンターまで取りに行くのだとか・・・。ま、麺はおいしいと思った。

 

 今日は天気もいいことだし・・ということで、徳島方面に向かった。で、ふと見かけたのがこの桜。四国霊場7番札所、十楽寺にあったもの。ちらほらと、それでも数十輪の花びらが開いていた。高松は昨日にソメイヨシノの開花を観測した・・・というていた。

 

 こちらはまた、品種が違うのだろうか。花びらの奥が濃い桃色になっている。

 

 天気がよくなったからか、マイカーでのお遍路さんが多くいたし、歩き遍路の若者も目立つようになった。

 

 これは、6番札所の「安楽寺」の入り口にある種田山頭火の句を刻んだモニュメント。「暮れても宿がない もずがなく」と刻んである。お大師さんの基礎台の三面に、こうした句が刻んであるし・・・。

 

 こうした「杖立て」にも山頭火の句が刻んである。「うれしいことも かなしいことも 草しげる」という句である。ここには、山頭火の句碑が多い。

 

 ここの桜もまた、品種がちがう。

 

 ここのおへんろさんはお昼どきだったためか、案外と少なかった。

 

 多かったのは、二番札所の極楽寺さん。大型バスが一気に6台もやってきたからたまらない。お参りするのも順番待ち。これでは「納経取り」の添乗員さんは大変だ。

 

 このあたりでは、桜が満開状態だが、ソメイヨシノではない。あるところでは「ヤマザクラ」が満開になっていた。すっかりと春だなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きることに満足せずして 何に満足するのか」というもの。人は常に満足していない。だからあれこれ 自分の思いを満足させるために常に何かを手に入れようと躍起になっている。地位、名誉、金など…あたかもそれらを手に入れることが人生の目的であるかのように。しかしどれだけ手に入れたとしても決して満足できない私たち。一時は満足するかもしれない、しかしそれでもう終わりということは決してない。 それはちょうど食事をして腹を満たしたとしても、時間が経つと腹が減ってくるように。 しかもさらに欲求が大きくなっていくので、これまでのものでは満足できなくなってくる。それでもっと上へとまた追い求めていく、それの繰り返しできりがない私たちである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


薄氷 踏む毎日の あるばかり

2015年02月16日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、西部を中心に弱い雨が降っていた。気温は2度から8度、湿度は78%から52%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の17日は、低気圧の影響で明け方まで雨が降る見込みらしい。その後は、寒気の影響で雲が広がるという。

 

 相変わらず、懲りもせず、飽きもせず、諦めもせずに石碑探しの毎日。どうしても見つからない句碑が2基、資料にはないが意味不明の歌碑が2基ある。それを解明すべく、今日も宇佐神社にやってきた。

 

 左手には懐中電灯と巻き尺、右手には資料集と赤ボールペン。まるで建築関係者みたいないでたちである。

 

 今日は暖かくなりそうだなぁと思ったが、案外と杜(もり)の宮は底冷えがするし、日当たりがない。永くは居られないので確認だけして境内を出た。新しい発見はなかった。

 

 こういう植木の中や木の陰などにあると、なかなかに見つけられないというものだ。

 

 それでは・・・ということで、またしても長尾寺にやってきた。さすがに寒いからか、お遍路さんの数は少なく、地元の方らしいおまいりの方が数人いただけであった。ここに、前住職の村岡楠蔭師の句が2基あるらしいのだが、あと一つが見つからない。今日も境内をくまなく探したのだが見つからない・・・。

 

 この句が、その二つの内の一つ。「一生の只あわただし年の暮」という句である。この方も相当に俳句好きのお方だったらしい。

 

  収穫のないままに戻って来て、編集されたものの再校正作業。

 

 これまで撮った写真を何度も何度も眺めて、読める句碑や歌碑を探し出すのだが、あと数基になって全くのお手上げ状態。拓本を取れば少しは解明できるかも知れないのだが、拓本セットは島の家に置いたきり。島のお墓探しに使ったまんま・・・。

 

  それでも昨夜から今日にかけて4基の句碑を解読した。もうあと数基が残るばかり。

 

 これで、山頭火78基、その他の句碑歌碑が71基、合計149基になったわけだ。150越は間もなくだ。

 

 明日は天気が悪そうだから、香川県立図書館に行って来ようと思っている。借りている本を返却するためだが、次の研究のネタ探しもしなければ・・ということで。

 

 今日の掲示板はこれ。「老病死は自然である その老病死に向き合わず逃げ回っている我々の姿を無明という」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあったもの。生まれたいのちは、その瞬間から「老病死」を抱いて生まれている。それが全てのいのちに共通する自然である。その事実に向き合わずに、自分だけは死にたくない、老いたくない、病になりたくない・・と、逃げ回っている姿を「無明」というのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


黄水仙 旅の支度と 丸坊主

2015年02月11日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、瀬戸内側では気圧の谷や寒気の影響で雲の広がっている所があったそうで、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は1度から13度、湿度は76%から55%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。比較的暖かな」一日になった。明日の12日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、昼過ぎまで雨の降る所がある見込みなんだとか。

 

 今日は天気がいいのだけれど、「目が見えるようになると出歩き回るのはやめてちょうだい。休日くらいは家にいて、片付けでもやってよ・・・」というもので、外出禁止になった。家にいればいたで、「引きこもり老人になったわね・・・」などと言うくせに。

 

 朝から、わが家の前で重機が作業をやっている。秋頃のイノシシの活動が激しくて、この山際を掘って掘って、その土で水路が埋まってしまったのだ。

 

 こういう具合に葛(くず)の根を掘って食べて、そのまんまにして、その土が水路を埋めてしまったという訳。そこで自治会長さんが、大雨になったら災害につながるからと市役所に連絡したらしい。

 

 連絡して一週間もしないうちに、こうして復旧工事をやっている。水路の土を山に戻して、崩れないようにしっかりと転圧までやっている。こんな工事なんぞ、来年度回しだな・・と思っていたのに早いこと・・・。自治会長さんのパワーなのか、お役所が優しくなったのか、業者さんが、たまたまヒマだったのか・・・。

 

 さて、昨日までに見つけた句碑や歌碑の整理をやっておかないと、すぐに忘れてしまうし、しばらく休むと飽きてしまう恐れがあるので、「鉄は熱いうちに打て」ということで、編集作業をやっていた。これは、昨日、長尾寺さんで見つけた、松尾芭蕉の句碑であるが、安政四年というから、さぬき市では最古の句碑になるんではないだろうか。もちろん、芭蕉がここに来たという訳ではない。

 

 この句碑、古いからか、ひび割れがしていて、セメントなんぞで補強している姿が痛々しい。ま、貴重なものだから保存もしないといけないのだろうけれど。

 

 まだ、読めないものや、見つけられないものが10基ほどあるが、このあたりで区切りを付けないと、ずるずると引きずってしまっても意味がない。ここまでで、山頭火の句碑が78基、それ以外の句碑・歌碑が67基、合わせて145基にもなった。後、5基は読めるとして、総数は150基にはなる。

 

 テスト印刷して各部のチェックをやってみた。やはり、一番多いのが「俳諧の寺」の宗林寺さん、実に44基もあった。次いで「碑(いしぶみ)の宮」の宇佐神社が35基。87番長尾寺には8基、88番大窪寺には4基、86番志度寺には3基あることが分かった。

 

 しかしのかかし、150基もの句碑や歌碑が「長尾町」という町にあるというのは、その異常さが目に付くばかり。よほど、句碑に興味がある団体や個人が多いということなんだろうと思う。

 

 さて、明日とあさっての一泊二日で京都に行くことになっている。その準備を今からするのだけれど、少しばかり天候が気になるところ。ま、大雨や大雪にはならないのだとは思うのだけれど。

 

 ということで、今回はPCを持って行かないので、明日のブログはお休みになる。戻ってからの更新になる予定なので、更新がなくても心配しないように。Facebookのほうは、タブレット端末から、機会と時間があれば投稿予定。タブレットからもブログの更新ができればいいのだが、何か設定を間違えてしまっているらしい。そろそろ、新しいタブレットにしてもいいかなぁとも考えているのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「やりたいことがあったのに やれなかった人がいます。せいいっぱい生きたかったのに 生きられなかった命があります。命いっぱい生きなければ・・・・」というもの。病気や災害や事故などで、突然にいのちをなくした人が大勢いる。東日本大震災では若い命がたくさん失われたし、先の大戦でも多くの若者たちが帰らない人になってしまった。やりたいことがいっぱいあったのに、いっぱい生きたかったのに・・・。そんな人たちのことを考えると、うかつには生きていけないぞ。ぐずぐずしててはいけないぞと背中を押される想いがわき上がってくる。

 

じゃぁ、また、あさって、会えるといいね。

 

 


黄水仙 旅の支度と 丸坊主

2015年02月11日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、瀬戸内側では気圧の谷や寒気の影響で雲の広がっている所があったそうで、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は1度から13度、湿度は76%から55%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。比較的暖かな」一日になった。明日の12日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、昼過ぎまで雨の降る所がある見込みなんだとか。

 

 今日は天気がいいのだけれど、「目が見えるようになると出歩き回るのはやめてちょうだい。休日くらいは家にいて、片付けでもやってよ・・・」というもので、外出禁止になった。家にいればいたで、「引きこもり老人になったわね・・・」などと言うくせに。

 

 朝から、わが家の前で重機が作業をやっている。秋頃のイノシシの活動が激しくて、この山際を掘って掘って、その土で水路が埋まってしまったのだ。

 

 こういう具合に葛(くず)の根を掘って食べて、そのまんまにして、その土が水路を埋めてしまったという訳。そこで自治会長さんが、大雨になったら災害につながるからと市役所に連絡したらしい。

 

 連絡して一週間もしないうちに、こうして復旧工事をやっている。水路の土を山に戻して、崩れないようにしっかりと転圧までやっている。こんな工事なんぞ、来年度回しだな・・と思っていたのに早いこと・・・。自治会長さんのパワーなのか、お役所が優しくなったのか、業者さんが、たまたまヒマだったのか・・・。

 

 さて、昨日までに見つけた句碑や歌碑の整理をやっておかないと、すぐに忘れてしまうし、しばらく休むと飽きてしまう恐れがあるので、「鉄は熱いうちに打て」ということで、編集作業をやっていた。これは、昨日、長尾寺さんで見つけた、松尾芭蕉の句碑であるが、安政四年というから、さぬき市では最古の句碑になるんではないだろうか。もちろん、芭蕉がここに来たという訳ではない。

 

 この句碑、古いからか、ひび割れがしていて、セメントなんぞで補強している姿が痛々しい。ま、貴重なものだから保存もしないといけないのだろうけれど。

 

 まだ、読めないものや、見つけられないものが10基ほどあるが、このあたりで区切りを付けないと、ずるずると引きずってしまっても意味がない。ここまでで、山頭火の句碑が78基、それ以外の句碑・歌碑が67基、合わせて145基にもなった。後、5基は読めるとして、総数は150基にはなる。

 

 テスト印刷して各部のチェックをやってみた。やはり、一番多いのが「俳諧の寺」の宗林寺さん、実に44基もあった。次いで「碑(いしぶみ)の宮」の宇佐神社が35基。87番長尾寺には8基、88番大窪寺には4基、86番志度寺には3基あることが分かった。

 

 しかしのかかし、150基もの句碑や歌碑が「長尾町」という町にあるというのは、その異常さが目に付くばかり。よほど、句碑に興味がある団体や個人が多いということなんだろうと思う。

 

 さて、明日とあさっての一泊二日で京都に行くことになっている。その準備を今からするのだけれど、少しばかり天候が気になるところ。ま、大雨や大雪にはならないのだとは思うのだけれど。

 

 ということで、今回はPCを持って行かないので、明日のブログはお休みになる。戻ってからの更新になる予定なので、更新がなくても心配しないように。Facebookのほうは、タブレット端末から、機会と時間があれば投稿予定。タブレットからもブログの更新ができればいいのだが、何か設定を間違えてしまっているらしい。そろそろ、新しいタブレットにしてもいいかなぁとも考えているのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「やりたいことがあったのに やれなかった人がいます。せいいっぱい生きたかったのに 生きられなかった命があります。命いっぱい生きなければ・・・・」というもの。病気や災害や事故などで、突然にいのちをなくした人が大勢いる。東日本大震災では若い命がたくさん失われたし、先の大戦でも多くの若者たちが帰らない人になってしまった。やりたいことがいっぱいあったのに、いっぱい生きたかったのに・・・。そんな人たちのことを考えると、うかつには生きていけないぞ。ぐずぐずしててはいけないぞと背中を押される想いがわき上がってくる。

 

じゃぁ、また、あさって、会えるといいね。

 

 


梅咲いて 今日一日が 早すぎる

2015年02月10日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が弱まり、高気圧に覆われてきたため、概ね晴れていたが、西部では寒気の影響で雲が広がっている所があるらしい。気温は1度から8度、湿度は67%から52%、風は3mから7mの西の風が強く吹いて冷たい一日になった。明日の11日は、気圧の谷の影響で、雲が広がりやすい見込みなのだとか。

 

 香川県立図書館の蔵書リストを見ると、永らく貸し出し中になっていた本が「貸し出し可」になったので、早速に図書館にやってきた。

 

 開館直後の図書館は人影はまだ少ない。

 

 この本を待っていたという訳だ。中身の文章は電子化してあるのだが、データーや図表がどんな物だったかが分からなくなって原本を探していたのに、ずいぶんと長い間、貸し出し中になったまんまだった。

 

 それと、かねてから探している、この長尾寺の松尾芭蕉の句碑である。先日の夢では、丸い円盤状の石碑が岩の上に乗っているようなイメージだった。「あ、これなら、見たことがある・・」と思ったのだが、それは夢であったようで、境内のどこにも、そのようなものはない。

 

 この「人生の只あわただし年の暮れ」という句は見つかった。

 

 先の句は、この大きな頌徳碑の裏手に刻まれている。前の住職さんを頌える記念碑である。それでは・・・ということで、本坊の中庭を覗いてみた。護摩堂の前にある時計台、静御前剃髪塚からお庭を覗いてみた・・・。

 

 これである。「観音の甍 見やりつ 花の雲 はせお翁」と、四行に刻んである。これはこの地の医師であった「庵原柳園」という人が、「俳聖芭蕉の句碑が全国至る所にあるのに、ふみの国さぬきにはない」のを嘆いて建立したものだという。

 

 今日は珍しく奥方のけいこばぁが、「おうどんに行こうか・・・」と言うのでついていくと、近所のまるたけうどんさん。「ここが空いているのでいいでしょ」という簡単な理由かららしい。

 

 で、私はいつものしっぽくうどんの小をお願いした。具材を温めるのに数分ほど待たされた。ここでは、あんまり出ないメニューなのかも知れない。このあたりでは、「かけ大」というのが一般的だから。でも、具材がてんこ盛りだし、鶏肉もでかいのが二個も入っていた。

 

 空いていると言うても、時間になれば、どんどんと客が入ってくる。駐車場が一杯にならぬ前にお店を出た。巻き寿司とか天ぷらなどのサイドメニューを含めると、二人分では千円ほどになった。

 

 長尾寺で4句碑のうちの3句碑を見つけられたので、それでは・・・ということで、またもやって来たのが「宇佐神社」。この頃は風も収まってあんまり冷たくはなかったので、この境内を確認しながら歩いてみた。

 

 これ、見えないと思うが、「随臣の門を飾りて遅紅葉」と刻んである。この句碑も見つからなかったのだが、句の通りだとすれば、「随神門:随身門」のそばにある筈・・・ということで探したら、門の右手の松の木の裏にあった。

 

 この句も、探して探したのだが見つからなかったもの。本殿前の植え込みの影にあった。こうして、ここでも5つの句碑を探すことができた。やはり、現地に行こう、現物に触ろう・・・である。

 

 一通りの調べ物が済んだので帰ろうとして頭が真っ白になった。車の運転キーがない。これがないと帰れない。キーを落としたのは神社の境内なのだが、今日は丘の中、山の中、遊歩道も座ったり、寝転んだりして碑面をさすったりなぞったりしたから、山の中だとわからない・・・。

 

 でも、それは案外と簡単に見つかった・・・。ここで、本来ならば、ここの神さんに感謝の御礼をするのだろうが、一目散にわが家に急いだ私であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生見えない事ばかり。だから面白い!」というもの。今回の句碑探し、歌碑探しは全く先の見えない作業ばかり。全く、暗闇の中で手探りでやっているようなもの。この先どうなるの?とか、将来の不安を感じても仕方がないではないか。今の状況から先がわかる人などいないのだ。とにかくやるしかないと、行動ひとつで将来は変わってくる。そう思って、行動してみるしかないのである。昨日より今日、今日より明日が楽しめまるというもの。ワクワクするではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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