まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

水仙は 迷いもせずに 生きている

2015年02月09日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、山地を中心に雲が広がり、雪や雨の降っている所があった。気温はマイナス2度から5度どまり。湿度は78%から56%、風は3mから6mの西北西の風が冷たく強かった。明日の10日は、冬型の気圧配置は次第に弱まるが、寒気の影響で雲が広がりやすい見込みなんだとか。

 

 手洗い場の水もしっかりと凍っていて冬の厳しさを示してくれた。迷犬ごんの水桶はお昼になっても凍ったまんまだった。

 

 昨日お世話になった、「プレッソ古川」へ行って精算をしてきた。朝の宴会場というのは殺風景なものだなぁと思った。

 

 奥方から預かった金額から、ここの精算をした残りが、私の昨日のお布施になるというのでわくわくしながら行ったのだけれど、奥方の計算がしっかりとしていて・・・。それでも休日明けの京都行きのお小遣いくらいは残った。

 

 昨日は正午過ぎから午後2時まで飲んで飲んで・・・。自宅に戻って二次会をして飲んで。みんなが帰った後のビールなんぞの残り分を片付けていたら・・・お風呂にも入らずに6時過ぎから寝てしまっていた。だから、お風呂に入って気分をすっきりとさせて。

 

 今日のお昼はここになった。さぬき市津田にある「さぬきうどん羽立(はりゅう)」という一般店。一般店だが、セルフのお店のように早いのが特徴。それに旨い。お値段だってびっくりするようなお値段ではない。

 

 今日も冬場限定のしっぽくうどんの小。これで450円。ピンポン玉のような里芋が入っていた。

 

 この方が店長さん。玄関を入ったところで、こうして麺を打ったり切ったりしている。

 

 真ん中のおかあさんが天ぷら担当で、注文を聞いて即座に天ぷらを揚げて出す腕裁きは見事なもの。

 

 それにしても、今日は底冷えがするような冷たさ。句碑探し・歌碑探しを諦めてデスクワークに専念することにした。風邪など引いたら大変だ。

 

 今までに判明した句碑・歌碑をワード文書でまとめておく。詠み人がどこの誰で何をした人か・・・とういうことなども調べながら入力するので、実に手間暇がかかる。ま、急ぐ仕事でもあるまいし。

 

 こういう句碑の文字が読めない。読めそうでなかなかに難しい・・・。

 

 漢字がまた難しい・・・。見たこともないような漢字があちこちで出て来る。そのたんびに「手書き文字入力」で検索したり、グーグル検索したり。だから、文字の意味とか歌碑の意味なんぞは全くわからない。

 

 ま、慣れるしかないのかなぁとは思いながら、句碑や歌碑を眺め続けているのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「努力して結果が出ると、自信になる。努力せず結果が出ると、傲りになる。努力せず結果も出ないと、後悔が残る。努力して結果が出ないとしても、経験が残る」というもの。努力をすることは得意ではないが、得意なことをやっている間は努力をしているんだと思う。句碑探しや歌碑探しをやったところで一円にもならぬどころか大赤字が待っている。それでも、こつこつとあるいて歩いて、探してさがして・・・。経験が残ればいいか・・・みたいなところでやるしかないなと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅一輪 今日の一歩の あたたかさ

2015年02月06日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は弱い冬型の気圧配置となっているために、概ね晴れていたが、瀬戸内側では雲の広がっている所があったらしい。気温は4度から9度、湿度は70%から51%。風は4mから5mの北北西の風が少しばかり。お昼前に地震があったらしいが、わが家ではぴくりともしなかった。各種メールが飛び込んできたが、そちらのほうが怖かった。明日の7日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、午後は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がる見込みとか。

 

 さて、懲りもせず、飽きもせず、諦めもせずに、今日もまた、ここ。さぬき市長尾西にある「宗林寺」さんは俳諧の寺。正式には「大照山慈光院宗林寺」という真宗大谷派のお寺で、通称「一畑御坊」さんと呼ばれている。

 

 今日の収穫はこれ。こんな大きなものが、今までなんで見つけられなかったんだろうか。「さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ」という河東碧梧桐の句である。今日も住職さんとあれこれとお話をさせていただいた。

 

 先代の本木さんという方が俳句が好きだったようで、参道から境内から、これ、この通りの石だらけ。今の住職さんは全く興味がないようで、植木の手入れや移植を懸命にやっている。話題は寺院護持に落ち着いてしまう。

 

 次に向かったところもお馴染みになった「宇佐八幡宮」。ここにも30基ほどの句碑や歌碑があるのだが、資料にはあっても石碑が見つからないもの。資料にはないが句碑があるものなんぞで、10基ほどが見つからない。

 

 で、ようやくに見つけたものがこれ。特殊な字体だから見つけやすいのに、場所が悪くて手洗い場の奥手に隠れていた。

 

 「散る頃の櫻隣のも吹きさそひ来る」という、これまた、河東碧梧桐の句である。そのほかにも地元の人の歌碑を三つほど見つけ出した。

 

 帰りに町内の「杉本うどん」に寄って朝昼兼用のおうどんになった。

 

 冬季限定の「しっぽくうどん小」で400円。冷たい身体には暖かいおうどんがおいしい。

 

 帰ると、わが家周辺のお掃除。8日の日曜日に母の三回忌の法要がある。来客があるというのでお掃除をやることになった。ま、今日は暖かいので早めに済ませておくことにした。

 

 表の方も落ち葉なんぞをきれいに片付けて置いた。明日になれば、またも落ち葉が落ちてくるのだけれど。

 

 それが終わると、二階部分の掃除も・・・。二階にはお客さんは上がらないと思うのだけれど、「ついでにやっておいてちょうだい」と、奥方は確定申告と、介護のお仕事に出かけて行った。

 

 寝室部分にも掃除機を掛けて・・・。

 

 おこたやパソコンを元通りに戻して・・・おしまい。明日は仏間の用意をすることにしよう。

 

 で、今日、撮影した句碑や歌碑の写真をプリントアウトして、文字の読み取り。なかなかに他人さんの書いた文字は読めない・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「弱いから強くなれる 持ってないから何でも持てる」という城たいがさんの言葉から。何でも完璧と思うとそれ以上の発展はない。100点と思っていれば1点でも欠ければ99点と言う高得点であっても形の上では後退となる。30点の生徒が50点になればまだまだ合格点とはいえなくても確実に達成感は感じることだろう。もちろん、弱いより強いほうがいいし、持っていないよりも持っている方がいい。しかしのかかし、そういう一見マイナスな状態は幸福を手にしやすいということで逆にプラスに考えた方がいいと言う事である。持っていないから、何もないからと卑屈になるのではなく、何もないから一杯詰める事が出来る、と考えると元気になるではないか。私も要らない物がたくさん詰まっているかも知れないが、覚えたことはことごとく忘れてしまうから何もないのと同じ事。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅咲いて 今日の一歩の あたたかさ

2015年02月05日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨や雪の降っている所があった。気温は3度から9度、湿度は80%から60%、風は1mから5mの西の風が強くて寒かった。明日の6日は、冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすく、明け方までは雪や雨の降る所がある見込みらしい。日中は晴れるが風が強くなりそうだ。

 

 今日は朝から晴れたり曇ったり、雨が降ったり雪が降ったりと忙しい天気になった。で、晴れた間に、今日もさぬき市長尾東にある「宇佐神社」に行って来た。

 

 相変わらず、この前の公園ではウォーキングや散歩をやっている人が何人もいる。私は相変わらずの句碑・歌碑探しである。

 

 俳諧の寺「宗林寺」さんには50基ほどの句碑や歌碑があるらしいし、この「碑(いしぶみ)の宮」には30基以上の句碑や歌碑があるらしい。これだけでも80基以上になるのだからすさまじい。ほかの町にはそんなにはない。

 

 やはり、神社の杜は薄暗くて寒い・・・。数基を確認しただけで戻ってしまった。

 

 それを、早速に整理しながらの編集作業。これが実に時間がかかる。なにせ、原稿なしで直接にワード文書に入力しながら、グーグル検索を行いながらの、同時作業になるのだから・・・。

 

 今日はあっさりと木村食堂の「とろろそば」。珍しかったのかぺろりと食べてしまった。

 

 午後からは雨になったり、粉雪が舞ったりしたが、たいしたこともなく平穏な晴れ間に戻ったりもした。

 

 こうした文学碑も、字が読めるものはいいのだが、何を書いてあるのかわからないものがあって、これに困ってしまう。また、さぬき市内の文学碑や句碑などを調べた方がおいでになるが、その人もあきらめたのか、三分の二は記録されていない。こういうものは、私が読むしかないのだが、これが難解でどうにもならない。

 

 夕方になって町内で火災が発生した加減かどうか、急に停電が起きた。停電が起きると、パソコンは停止するし、通信用のアダプターやハブやLAN装置が停止する。こうなると通信が止まってしまう。お風呂は沸かしている途中だったから、再度、やりなおしから。

 

 ま、数分の停電だったからなんとなく復旧したのだけれど、思わずパニックに陥ったことだった。

 

 さて、今日は、山頭火以外の句碑や歌碑を整理したが、志度寺1、宇佐神社20基、宗林寺22基、竹屋敷3基、大窪寺2基の合計47基が整理できた。あと、宇佐神社が再調査を含めて10基、長尾寺が4基、宗林寺が10基となった。もう一息・・・というところ。

 

 明日の朝にでも、市内の図書館に行って長尾町史を借りて来たいもの。宇佐神社の歌碑を建てた人は町内の人が多いが、その人のことがわからない。学校の校長だ、元中尉だと言われても・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「らくな道を苦しみながら歩いている人は近くても到達できない 苦しい道も楽しみながら歩いている人は遠くても到達できる」という荒了寛さんの言葉から。お仕事も楽しみながらやれば辛くはない。遊びは楽しみながらやるから楽しくて飽きないで遊び続けられる。でも、いくら遊びであっても、苦しくなってきたら飽きてやめてしまうに違いない。なんでも楽しみながらやり続けたら、きっと本物になるに違いない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


見過ごした 時の流れの 梅の花

2015年02月02日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は、弱い冬型の気圧配置となっており、概ね晴れていたが、午後からは雲が広がってきた。気温はマイナス1度から8度、湿度は74%から53%、風は2mから4mの北西の風が少しばかり。明日の3日は、冬型の気圧配置も次第に緩むため、概ね晴れる見込みらしい。

  

 久々にいい天気になったのでお出かけをした。けいこばぁが庭先の掃除をしていて、私にも手伝って欲しいというのだが、お庭仕事はけいこばぁのテリトリー。あまり、踏み込みたくないエリア。

 

 前から気になっているこの歌碑。大窪寺のお庭にあるものだが、どうにもきれいに写らない。時間を変えていろいろ撮影するのだが、どうにも北向きに立っているので影ばかりになってしまう。今日もきれいには写らなかった。

 

 ここはお馴染みの、上がり三ヶ寺の一つの大窪寺。今日は平日ともあってか、参詣の人はまばら。

 

 ここにも歌碑らしいものがあるのだが、達筆すぎて読めない。空海さんのなんたらを書いてあるらしいのだが。さすがにここの空気は冷たかった。

 

 それでは・・・ということでやってきたのが、「野田屋竹屋敷」という宿泊施設。ここの山頭火句碑集を早々にまとめてしまいたいとやってきたもの。

 

 「蛍川沿いの遊歩道」とは、この道のことだろうか。「蛍川」という川は地理的にはない。ここの「ナツツバキ」の下に句碑があるというのだが・・・。右側にあるものは「アジサイ」の畑らしい。行ったり来たりを繰り返していたらば・・・。

 

 これかな・・・。「水あれば椿落ちてゐる」と読めそう。少し回りの風景が句碑集とは違うのだけれど。

 

 この写真は句碑集にはあるのだけれど、この石が見つからない。このバックの風景はどこかの玄関らしいが・・・。「水音 しんじつおちつきました」という句である。

 

 壁の石積みとか柱の色なんかでは、このあたりにありそうだが、ここには何もない。仕方がないので、旅館のフロントに行って聞いて見た。すると、「あそこにあるんです・・」と、すぐに教えてくれた。

 

 すると、中庭の奥の方に隠れるように置いてあった。こんな植え込みに移転されてきたのでは分からない。

 

 「これは、どんな句碑集にも載っていないの。よければ見る?」というので、見せて頂いたのがこれ。貴重なものだからと写真を撮らせていただいた。「うれしいこともかなしいことも草しげる」と読む。小学生の頃に、「文学はそのまま、書いてはいけません。「うれしかったです」とか、「かなしかった」ですという書き方はいけません。何があったからうれしかったのか、どんなことがあって悲しかったのか、その中身を書きなさい。」と教えられた。だのに、山頭火のこの句碑は、「さつき荘」と、「宗林寺」と、ここの三ヶ所にある。この句のどこがいいというんだろうか。

 

 その後、俳諧の寺、宗林寺さんにも寄ってきたが、新たな収穫はなし。

 

 上がり三ヶ寺の二つ目の「長尾寺」さんにもやってきたが、ここにある句碑を探しにきたのだが、依然として見つからない。松尾芭蕉の「観音の甍見やりつ花の雲」という句ならば、すぐに見つかりそうなのにどこにもない。最後はお寺の住職さんに尋ねるしかないな。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は自分の主人公。世界でただひとりの自分を創っていく責任者」という東井義雄先生の言葉から。これは、“教育界の国宝”と称えられた伝説の教師・東井義雄先生の遺した言葉。東井先生は、子どもたちに素晴らしい人生を送ってほしい、自分で自分の人生を粗末にするようなバカな生き方をしてほしくない、という祈りのような願いを持ち続けていた。結局、道にいい道、悪い道というのがあるのではない。その道をどんなふうに生きるかという、その生きざまによって、良く見える道も悪くなったり、悪く見える道も良くなったりするのである。五千通りの可能性の中から、どんな自分を取り出していくか、それぞれみんなの一人ひとりがその責任者なのである。世界でただ一人の私を、どんな私に仕上げていくか。その責任者が私であり、それぞれみんなの一人ひとりなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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