まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

生かされて 蝋梅の黄に 安堵する

2015年01月21日 | たまには真剣な研究なども

  さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていて、夜には雨が降る見込みらしい。気温は3度から9度、湿度は84%から59%、風は1mから3mの南東の風が少し。明日の22日は、四国の南岸を通過する低気圧の影響で、明け方までは雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。その後も気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすいらしい。

 

 で、今日もさぬき市長尾西にある「一畑御坊」と呼ばれている「宗林寺」さんに行ってきた。ここは真宗大谷派のお寺さん、いわゆる「お東さん」である。

 

 ご覧のように参道から境内から畑の中から墓地の中まで、こうした句碑が無造作に置いてある。その数はおよそ50基。

 

 昨日、撮影した画像をプリントアウトしてみた結果、幾つかの事実がわかってきた。

 

 たとえばこれ。このはしごを置いてあるこの句は、「お寺の秋は 大松のふたまた」という尾崎放哉の句である。

 

 今日、はしごを外して撮影してきた。

 

 この句碑は、正岡子規の「み佛も 扉をあけて すずみつつ」という句であるが、実はこの句碑の裏側に・・・・

 

 「松はおだやかな汐鳴り」という句が刻まれていた。いくら探しても見つからない筈だ。

 

 それとこれ。無造作に置かれた石板なんだけれど、真ん中の短い文章。これが見慣れた「山頭火」という字である。だから、「日ざかりに空腹がなく」と刻んである。本当の山頭火の句は「日ざかりに空腹が鳴る」である。また、左の「風の明暗をゆく」だが、本当は「風の明暗をたどる」である。この句碑は新しいものらしく、どんな句碑集にも掲載されていない。

 

 昨年の秋にお邪魔した頃にはうっそうとした境内であったが、枝も短く剪定され、雑草もきれいに取り除かれてさっぱりとしたお庭になっていた。この本堂前の荷物もどこかに片付けられたら、もっとさっぱりするなぁと感じたことだった。

 

 で、今日は寒いからと言うことで町内の杉本うどんに駆け込んだ。

 

 で、今日もしっぽくうどん小で400円。今日も汗を流しながら食べたことだった。

 

 午後からは、早速にデーターの修正作業をやっておいた。鉄は熱いうちに打たねばならないし、熱のあるうちに作業をやっておかねば、冷めてからはあきてしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷惑をかけずには生きられない「おかげさま」ってほんとうなんだ」というもの。。「人様に迷惑をかけるな」などと、親が子に教えたものだが、人は誰も迷惑をかけずには生きられない。子供は親に迷惑をかけて大きくなり、親は子に迷惑をかけて亡くなる。まだまだ、「おかげさま」とは言えないけれど、これからどうなっていくのかなぁと思う毎日ではある。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


一日は 枯れ葉のように 奪われる

2015年01月17日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側や山間部を中心に雲が広がり、雨や雪の降っている所があった。気温は5度から7度、湿度は70%から58%。風は4mから7mの西風が強かった。明日の18日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

  

 今日は曇っているし、小雨も降っていたし、風も強かったので現地調査はやめにした。だからパソコン三昧の一日になった。

 

 相変わらずの「さぬき市を歩いた山頭火」という句碑集の編集作業。一応の本の体裁はできあがったので「試作版」を作ってみることにした。来週の日曜日の25日には、「おへんろつかさの会」のバス研修がある。そのときに副会長ほかに眼を通してもらうための前段階。

 

 原稿はこうしてワード文書で作成してある。プロトタイプ(試作版)はモノクロ印刷でやってみる。

 

 表紙はパワーポイントを使っての表紙になっている。裏表紙や観光マップも同時に作成してある。

 

 で、両面印刷をやってみる。ページ合わせもうまくいった。

 

 プリントアウトされたものを確認・チェックして製本してみる。

 

 右が原稿、左が試作版。ずいぶんと厚かった原稿も、両面印刷してみると半分以下になった。

 

 中身はこういう感じ。こうしてみると、誤字やデザインのまずさ、画像の配置なんぞがよくわかる。すぐに赤ペンで真っ赤になりそうだ。

 

 こうして、試作版第一号は完成した。

 

 さて、私のホームページのあるプロバイダーOCNが、今年の2月28日でホームページサービスをやめるという。だから、それまでにホームページを移転しなければならない。今度は、現在、さぬき市全域で使っている「ピカラ」という四国電力系のプロバイダー。ケーブルテレビもインターネット環境も電子メールもピカラに切り替わっている。だから、ホームページもここに移転する。

 

 だから、不要なコンテンツなどは省略して移動準備をやってきたので、思い切って、ピカラに転送してみた。思ったよりすんなりと転送ができた。今後はピカラのほうで更新作業をやっていくことになる。

http://wwwb.pikara.ne.jp/h-kimm

 

 なお、メール・アドレスも同様のプロバイダーになっているので、切換や修正をお願い。メルアドは、頭の部分はそのままで、

 ○○○○○○○@md.pikara.ne.jp に修正してください。

 

 今日の掲示板はこれ。「物事はうれしい前に決まって 心配事やら悲しいことがあるんです」というもの。

物事ってえものは、うれしい前にはきまって、
心配事や悲しいことがあるんです。
心配事や悲しいことから、
うれしいことが生まれてくるもんですナ

 という「なめくじ艦隊」からの言葉。「なめくじ艦隊」ー志ん生半生記は古今亭志ん生さんの著作。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


山頭火 歩いた畑の 梅の花

2015年01月16日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れたが、気圧の谷で雲が広がってきた。気温は5度から10度、湿度は74%から58%、風は1mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の17日は、冬型の気圧配置となるため雲が広がりやすく、昼過ぎまで雨か雪の降る所がある見込みらしい。

 

 で、今日も「山頭火の句碑集」の編集作業。マイクロソフトのワードで本を作るというのは根気のいる作業である。文章だけだとさほどでもないが、画像を含めるとなると根性がいる。

 

 で、今日は、さぬき市多和竹屋敷というところにある「野田屋竹屋敷」という建物の内外にある句碑を整理しながら編集を行った。

 

 ここは、自然豊かな阿讃の山々に囲まれた里山にあって、数奇屋造りと心落ち着く庭園があり、湯元薬師温泉に浸かって旬の会席に舌鼓をうちながら心に残るひとときを過ごせる旅館と、その一角にある「はなみずき」は、料理人の技を駆使した季節感あふれるうどんとそばを、心静かに堪能できるスポット。

 

 こういうお店の中や中庭、遊歩道、駐車場などに山頭火の句碑があるのだから、うかつには入れない。まずは、どこに何があるのかを事前にしっかりと把握してからお邪魔しなくては・・・。

 

 駐車場とか入り口周辺、中庭などはあらかた調べてあったので、それらからまず編集をはじめた。句碑集にないものもあれば、句碑集にはあるが、まだ調べていないものもあるし、山頭火の句碑らしいのに、山頭火全集には入っていないものもある。

 

 こういう大きなものになると、三面に俳句が刻んであったりする。普通は、よく見える一面にしか注目していないから、あとの二面は調査忘れになっている。こういうものがたまにある。

 

 ま、じっくりと一歩一歩と、作業を進めてゆくしかない。

 

 今日は木村食堂での「肉うどん」になった。あんまり、わが家ではおうどんは食べたくない気分なんだけれど、最近の働きぶりが悪いので「生活弱者」だから、わがままも言えない。

 

 で、15時前に、ようやく全ての資料が整理できた。これを元にして、「宗林寺」さんと「竹屋敷」さんの現場調査を行うのだが、明日もまだ天気が悪そう・・・。

 

 私は山頭火の句碑を探してはいるが、それは「さぬき市内」のみ。お隣の東かがわ市や高松市にも山頭火の句碑はずいぶんとある。それらは探そうとは思わないのだから、根っからの山頭火ファンではないらしい。

 

 一覧表をエクセルで作って、句碑集などと対比しながら、漏れはないか、追加はないかなども確認しながらの作業になる。で、今日の「竹屋敷」さんでは21基の句碑が確認できた。これでさぬき市内には77基の句碑があることになる。少なくとも、私の画像と、句碑集などを総合したところが77基ということである。当然、句碑集にないものもある訳で。

 

 本らしく、前書き、後書き、参考資料、奥書、目次もできている。これを参考にして、再度、現場調査をしなければならない。お天気次第の作業になる。

 

 今日の掲示板はこれ。「あせりすぎちゃいませんか? 人生は短距離走じゃないんですよ」というもの。とかく、一月は行く、二月は逃げる、三月は去る・・・なとと云われる今頃、ついつい、焦ってしまうもの。でも、人生は70年、80年の長丁場。人生は短距離走じゃないのである。「のんびり・・」なんてとは云わないけれど、肩の力を抜いて、大きく深呼吸して、息抜きも必要だなぁと思う昨今である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


何色と 問えば黄色の 雨の里

2015年01月15日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方の低気圧や前線は遠ざかるけれど、寒気の影響で雲が広がり、夕方まで雨が降る見込みらしい。気温は6度から10度、湿度は92%から83%、風は3mから5mの西北西の風が強かった。朝方はすごい雨だった。明日の16日は、寒気の影響で雲が広がりやすいとのこと。

 

 朝方はものすごい雨の音で起こされた。川の水音もすごくて嵐になるのかなぁと思ったほど。

 

 こんな日に出かけたくはないが、わが家にいても資料が少なくてどうにもならない。

 

 雨をついて出かけたが、高松市内に入ると弱雨・小雨・微雨になった。だから、傘も使わずに県立図書館に入った。さすがにお客さんの数は少なかった。時間もまだ9時半過ぎだったし。

 

 相変わらず、新聞を読みふけるおじさんたちがいる。毎日、熱心なことだなぁと思うこと。

 

 私の今日の目的は、山頭火の句碑集と、「草木塔」という山頭火の俳句集を探すこと。それらは簡単に見つかった。貸出禁止の句碑集はカメラに収めておいた。これが案外と役にたった。

 

 これは全国の山頭火の句碑を集めたもの。よくもよくも集めたものだ。気になるのは、石材屋さんの敷地内にある句碑である。私は狛犬の研究をやっているが、石材屋さんの敷地にある狛犬は相手にはしない。ちゃんと神社やお寺の境内や参道に奉納安置されているものだけを研究の対象にしている。うどんの研究家がスーパーに並んでいるおうどんを研究するようなもので意味がないではないか。

 

 娘が、この近くにあって、住宅地におじいさんがやっているうどん屋を知らないか・・と言うことだったので探してみたが「穴吹製麺所」だと思うが、駐車場が狭いのでやめにして、いつものここにした。香川大学工学部前にある「たも屋・林店」である。

 

 で、カレーうどん一玉の「麺ぬく」を注文した。410円である。こういう場合には席まで運んでくれるのだ。少しばかり時間がかかるかららしい。普通のセルフのお店では、店員さんはカウンターや厨房からは出ないもの。「できたらお呼びしますから」という場合が多いのに。

 

 11時前だということと雨が激しかったということもあるのか、店内にお客さんの数はちらほら。まだ、大学はお休みなのかな。

 

 で、借りてきた句碑集の重要な部分はスキャナーで画像化しておく。

 

 それと同時にカラーコピーも忘れない。どうしてもすぐに情報を忘れたりなくしたりしてしまうのだから。

 

 しかしのかかし、北は北海道から南は鹿児島県まで、その数950あまり・・・。よくもよくも集めたものだ。山頭火の人気というものがうかがわれる句碑集である。

 

 そんなんで、今日は資料の収集と整理に終わってしまった一日になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「実際に行動することによって、人はどんどん変わっていきます。失敗して地震をなくしたり落ち込んだりすることで人は強くなっていく」という周防正行さんの言葉から。周防正行(すお まさゆき/1956年10月29日)は、東京都出身の映画監督、脚本家。妻はバレリーナ・女優の「草刈 民代(くさかり たみよ)」。立教大学を卒業後、「神田川淫乱戦争」(黒沢清監督/1983年)などで助監督を務めた後、1984年にで監督デビュー。1989年に「ファンシイダンス」で大きな注目を集め、1996年に「Shall we ダンス?」で日本アカデミー賞の監督賞と脚本賞を受賞。その後も「それでもボクはやってない」(キネマ旬報ベスト・テン日本映画部門1位)や「終の信託」(毎日映画コンクール日本映画大賞)などで高い評価を獲得している。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+朝日新聞どらく)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冬の日は 冬そのままに 日が暮れる

2015年01月14日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜遅くには雨が降るらしい。気温は1度から8度、湿度は86%から69%、風は1mから3mの南南西の風が少し。明日の15日は、前線を伴った低気圧が四国の南岸を通過するため、昼過ぎにかけて雨が降る見込みなんだとか。

  

 今日も山頭火の句碑集の編集作業でデスクワーク三昧となった。鉄は熱いうちに打たねばならんし、ものごとはやる気のあるうちにやらねばならん。

 

 ということで、今日は「俳諧の寺」といわれている「宗林寺」さんの句碑についての編集作業。ここは真宗大谷派のお寺らしい。先代の住職さんの趣味で、境内に50基もの句碑があるというのだが、そんなにはないと思う。

 

 朝の8時半から作業を始めて、15時過ぎに「宗林寺」さんの全句碑が終わった。山頭火の句碑だけで21基もあった。これが正解かどうかはわからない。昨日までで35ヶ所、合計56ヶ所がまとまった計算になる。

 

 あとは、「竹屋敷」という温泉旅館の敷地が残る。ここにも30基ほどの句碑があるというのだが、有料施設だから見せていただくのは最後の最後になる。それまでに「句碑」を整理しておかねばならない。もし、ここに30基の句碑があれば、総数は86基にもなる計算。よくも、これだけ建てたものだと感心する。

 

 明日は午前中は雨になるらしい。だったら、香川県立図書館に行って、再び山頭火の俳句集やら句碑集を借りて来よう。これまでの成果と記録された物を付き合わせてみる必要があるし、漏れていれば再調査もやらねばならない。

 

 ネットでこのお寺のことを調べてみたが、案外と有効なデータは出て来ない。弁慶の馬の墓の話くらいは出てきそうなものだが見つからなかった。

 

 これが宗林寺さんの本堂。こうしてみればきれいなお寺だが、なかなかに手入れや掃除が行き届かないのか雑然とした寺ではある。参道には多様な句碑が並び、境内から墓地から句碑だらけ・・・。不思議な感覚になるお寺さんである。

 

 「あんたは山頭火のどこが気にいってるんじゃ・・」と、住職さんに聞かれたけれど、別に好きだから山頭火を調べているのじゃない。句碑があるから調べているのだと答えたら、「そんな人が拓本を取りに来るんかいな・・・」と言うていた。山頭火の句碑の拓本を取るファンも多いのだそうだ。

 

 山頭火の研究会や顕彰会も全国に多いのだとも聞いた。なんで山頭火がいいのかと言われるとわからない。わからないが、なぜだか山頭火の句碑を追いかけている私がいる。

 

 ということで、冬の一日は早い。気がつけば早くも夕食の時間になっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「けさ 目覚めたら まっさらの命 今日もキラキラ」というもの。時間がまだあると思うからこそ、今じゃなくてもいいと思ったりする。今度、またにすればいいやと思ったりする。でも、私たちには肉体の期限はある。明日、事故で肉体を失うことだって、ありうるのだ。ところが、私たちは永遠の命だと信じ込んでいる。だから、またにすればいいと思うのは、本当は 自然なことなのかもしれない。今朝目覚めたら、空気感がまるで違った。冬らしいさわやかな朝だった。まっさらな命をかかえた朝だった。今日もキラキラとした朝だなぁと実感する冬の朝を迎えていた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


思い出を 積み上げていく 朝の霜

2015年01月13日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は4度から9度、湿度は72%から62%、風は2mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の14日は、気圧の谷が接近するため雲が広がり、夜遅くには雨の降る所がある見込みなんだとか。

  

 1860年(万延元年)、日米修好通商条約の批准書を交換するため遣米使節団一行がアメリカ軍艦ポーハタン号にて太平洋を横断。咸臨丸はポーハタン号の別船として、旧暦1月13日に品川港を出帆、旧暦1月19日に浦賀を出港、旧暦2月26日(太陽暦3月17日)にサンフランシスコに入港した。

 

 船将は勝鱗太郎(正確には勝海舟は「軍艦操練所教授方頭取」、木村摂津守は「軍艦奉行」であったが、中浜万次郎は勝が艦長、木村が提督との説明で押し通した。)。福沢諭吉やジョン万次郎らも乗船していた。万次郎以外の船員は大半が船酔いで、技術アドバイザーとして乗船していたジョン・ブルック大尉他、アメリカ人乗員の助けを借りての航海であった。(Wikipediaより)

 

 さて、法然上人に関するレポートは片付いたので、昨年からの宿題の「種田山頭火」のまとめに入った。昨年の2月から白内障が進み、10月には完全に失明したので作業を中止していたもの。

 

 おへんろつかさの会で、さぬき市内の歴史や文化などを調べている内に、さぬき市内には数多くの山頭火の句碑があることに気がついた。そこで、それらを調べてまとめて本にしたいと考えたのだ。

 

 このように、ワードで文章を作り、画像や地図を貼り込んでゆく。

 

 で、こういうものができあがって、その校正作業途中で眼が見えなくなったのでお休みをしていたもの。

 

 この句碑は、さぬき市多和兼割地獄谷にあるとされるもの。ある本では「八丁石付近」と書いてあって、これを探すのにずいぶんと山の中を歩き回ったのだが、いまだに発見されていない。顕彰会の会長さんに聞いても「さぁ、どこやったかいなぁ・・」というばかり。

 

 多和から大窪寺に向かう遍路道に八丁石がある。この細い川の下(南)側が地獄谷、上(北)手が極楽谷だと聞いた。そのあたりを歩き回ったが見つからない。

 

 今日、校正を兼ねながら資料を繰っていると、「赤松家奥揺らぎ石手前」という言葉をみつけた。先の地図あたりには「赤松」という家も「揺らぎ石」というものもない。何かの間違いだと思って見過ごしていたのだが、子供の頃に大窪寺に行くときに歩いた東かがわ市からの遍路道にも「八丁石」があったことを思い出した。

 

 地図を見ると確かに「赤松家」がある。大窪寺の南面の地獄谷である。八丁石もある。

 

 阿波からの旧遍路道である。結願を前にして行き倒れた遍路の墓である。赤松さん横の六丁石から十二丁石まで歩いてみたが、それらしきものはない。行ったり来たりしながら歩いていると、

 

 見逃すような小さな石。高さ35センチ、幅25センチ、山頭火の句碑中、日本一小さな句碑らしい。「夜が長い 瀬音とほくもちかくも」と刻んである。その字も小さくて細い・・・。やっと、見つけたぞ。

 

 あとは、宗林寺の境内と、竹屋敷という食堂兼宿泊施設の中である。ここは他人さんの敷地内だから自由に調査ができないのがつらい。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人が変わるのを期待してもがっかりするだけ 受け止める自分の心を変えるのがいちばん」というもの。相手を変えようとしない、相手に期待しない、適度な距離感を保つ、当たり前だという気持ちを捨てる。人間関係では、それでいがみ合ってしまったり、人を恨んだり・・・こんなことなら付き合わなければよかった・・・と思うことだってある。人間関係を良くしたいと思ったら、相手を変えようとするよりは、まず自分から変わるしかないのかも、知れない。親しき仲にも礼儀あり・・・というように、どんな関係になっても相手を尊重すること・・・それは相手に対して踏み込み過ぎないということでもあると思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


はやなぬか 松片付けて 風の中

2015年01月07日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側を中心に雲の広がっている所があった。気温は5度から8度、湿度は73%から58%、風は3mから4mの北北西の風が吹いていた。肌寒くて薄暗い一日になった。明日の8日は、引き続いて冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 目が見えるようになったら、今度は右足が痛くて歩けなくなった。けがをしたとか打撲をしたとかという意識はない。じっとしていると痛くなって、少しずつ歩き出すと歩けるようになる。足が冷えたのかな。

 

 朝のNHKテレビで、「マンホール女子」というのをやっていたが、私も一時期はマンホールを集めてホームページに掲載していたことがあるが、けっこう、これが容量を食うのでやまってしまった。パソコンの中にはずいぶんとマンホールは溜まっている。

 

 マンホール女子もいいが、「狛犬女子」も増えて欲しいものだと思う。狛犬を追いかける女子というのはあんまり聞いたことがない。「神社女子」とか「仏像女子」というのは聞いたことがあるが、その流れから言えば、「狛犬女子」がいてもおかしくない。

 

 狛犬だって、追いかけていればかわいい狛犬だっているもんだ。

 

 さて、天気は悪いし、風は強いし、足は痛いし・・・ということで、今日は引きこもってのお勉強モード。寒い日に歩き回って肺炎になったら命取りになる身だから、寒い日はお勉強をすることにした。

 

 相変わらずの「法然上人」の追っかけである。今日は数値のデータ化をやっていた。

 

 どこの町を歩いたかとか、何宗のお寺になっているか・・・などの数値化である。どうにも技術屋は数値やグラフでないと落ち着かない。

 

 こういう絵伝を見ても、これを画像化できないかとか、これを数値化できないか・・などと考えてしまう。だったら、数字に強いのか・・と言うとさほどでもない。

 

 さて、思い出したようにメール便が届いた。恒例の「佐柳ふるさと会」からの文集だった。

 

 毎年、毎年、送っていただいているもの。最近は少しも恩返しができていないのに。

 

 先ほど、「狛犬女子」の話をしたけれど、私みたいな中年親父が狛犬を探すのは「狛犬親父」と言うんだろうか。昨年だかに「狛犬の本を書いてくれませんか」という出版社からの話があったけれど、「狛犬は飽きたです・・・」と言うたのだけれど、落ち着いたら、狛犬のうんちくでも書いてみようかなぁとも思ったりして。これこれ、やることは当面、一杯あるでしょうに・・・。

 

 今年も、この「二本立て」での執筆活動をやるつもりだから・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「失敗はありがたい 失敗して自分を知る 他人を知る 人生を知る」というもの。

失敗も
おかげである
失敗して
自分を知る
他人を知る
人生を知る
みんなありがたい

 という倉科 良俊さんの言葉からである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ロウバイに こころの隙を 見透かされ

2015年01月06日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は低気圧や前線の影響で、雨が降っていた。気温は6度から10度、湿度は70%から86%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の7日も、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日は一日中、雨だという予報だったので、またしても香川県立図書館にやってきた。先日に借りたものは概ね目を通したが、とりたてて役にたつ情報もなかったので返却した。

 

 そこで、今回は「法然上人絵伝」や絵図を借りてきた。

 

 こういうものも借りてきた。法然上人を理解するにはこれが一番だろうと思ったのだが・・・

 

 こうした絵図には季節感がまるきり感じられない。いつの頃の絵図なのかを掴もうと思ったのだが、この絵伝ではわからない。「善通寺に出かけた」という絵図はあっても、何月に参詣したのかはわからないのだ。

 

 ここでも、3月に塩飽島に着いたということと、12月8日に赦免になったということで、その間の日付は一切ない。行ったところは善通寺のみ・・・。ふむ、困った。

 

 それでは・・・ということでもないのだが、やってきたのは高松市仏生山町にある「法然寺」さん。しかしのかかし、激しいあめのために人っ子一人いないし、門前のうどん屋さんも「定休日」とかで閉まったまんま。しまった、しまった、島倉千代子。

 

 仕方がないので、100円玉でおみくじを引いてみた。行くところもすることもない雨の日だもの。

 

 あらら・・・。四日の日に与田寺さんで引いたものと全く同じものが・・・。同じ24番で、全く同じ事が印刷されている。ただし、与田寺さんのものには「恵比寿」さんが入っていた。こういうことって、あるもんだなぁ・・・。

 

 境内をうろうろしていたら、寺務所前の狛犬ににらまれた。

 

 山門の仁王さんにもすごまれたので、すごすごと法然寺を後にした。雨は降る降る 愛車は濡れる・・・。

 

 午後からは、論文を見直して、若干の修正を行った。

 

 今日の掲示板はこれ。「こころざしを高く まず一歩」という、今日の法然寺さんにあった言葉から。あちらこちらで見かけるのだけれど、誰の言葉だかはわからない。ま、年頭に当たって、志を高く掲げて、まずは第一歩から始めなさいよ・・・というとるのだと思う。ということで、わずかな一歩だけれど、まずは一歩を踏み出してみよう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


一つずつ 成果の見える 朝の霜

2014年12月21日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市の21日は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、夜遅くには雪や雨の降る所がある見込みらしい。気温は2度から7度、湿度は68%から51%、風は2mから5mの西の風が少しばかり。明日の22日は、気圧の谷が通過し冬型の気圧配置が強まるため、雲が広がりやすく、朝まで雪や雨の降る所があるとのことだった。

 

 現役時代には、「毎日が忘年会です。ボクの家」とかと豪語していたのだが、年金生活者になると、そんなことは夢のまた夢。忘年会の話も新年会の話もクリスマス会の話も全くない・・・。

 

 そんな中・・・、「つかさ勉強会と懇親忘年会」という案内が届いた。それは行かなくては・・・ということで、今年、唯一の忘年会に行って来た。でも、1時間半のお勉強会が待っていた。

 

 今日のお勉強は、「巡る人々、巡る信仰」というタイトルの「木食(もくじき)」上人と六十六部衆のお話。「木食」というのは、五穀・十穀(稲・畠稲・麦・小麦・蕎麦・粟・黍・蜀黍・稗・大豆・赤小豆・緑豆・蚕豆・豌豆・ささ豆・へん豆・刀豆・胡麻)を食べないという食物戒をしながら修行する人たちのこと。そういう戒律を持ちながら、勧進や作仏(さぶつ)しつつ、諸国を廻国する修行僧のこと。

 

 こういう生の木に造仏したり、丸太で仏像を彫ったりした。有名な「円空」も、この仲間だったらしい。だから、彼らは六十六部衆もしたり、秩父霊場なども回ったし、四国遍礼の札所巡りもしたり、小豆島霊場を開いたりもした。四国遍路の開祖みたいなことだった。

 

 こういう、木食修行僧が何人も讃岐やさぬき市あたりにやってきては、大黒さんやお不動さんを掘って残しているのだという。つまりは、昔は、木食修行僧も、六十六部衆も、四国遍路も、秩父観音霊場も・・・一緒くたの信仰であったらしい・・・。

 

 お勉強が終われば懇親会に移る。みんなで座布団の学習会から椅子席の懇親会場に模様替え。私たちの先生の「櫻谷和香権大先達」が、晴れて「「大先達」に昇進したという祝賀会。中央の男性は市原さん。お遍路の本を出版したというので、その祝賀会。右の女性は、「おへんろつかさの会の立役者」江崎さんの結婚祝賀会・・・という名目の忘年会。

 

 さぬき市長さんもお祝いに駆けつけてくれてのお祝いメッセージ。

 

 お食事は・・・・こうしたものでつつましく・・・。なにせ、会費が1500円なのだから、これでも豪勢なお食事だ。

 

 要は、みんなで食べればおいしく食べられる・・・みたいなことだ。もちろん、本物のビールから日本酒、ワインまで用意されているが、時節柄、お茶やノンアルコールビールとかウーロン茶なども用意されている。

 

 みんな、おへんろをキーワードにはしているが、想いも願いも夢もはさまざま・・・。宗派だってさまざまだし、考え方もさまざま。お遍路のお墓が専門の人も居れば、お接待にいのちをかけている人も居る。お遍路には全く興味はないが、みんなでわいわいと話ができるのがうれしいという人もいる。だから、この人たちの中には有名な人も居れば学術的に著名な方もいる。

 

 でも、そんな肩書きや垣根を感じないで交流できるのがうれしい。

 

 朝の9時の会場準備から始まって勉強会、懇親会・忘年会を終えたのが14時。みんなで一斉にお片付け。残飯整理からお土産造り、椅子やテーブルの片付けからモップがけまで。「赤信号 みんなで渡ればこわくない」みたいに、「後片付け みんなでやれば なんでもない」。あっという間に片付けが終わってしまう。そして、明日からはまたもや他人に戻ってしまう。

 

 木食(もくじき)上人というのは、そういう名前のお坊さんかと思って居たら、穀物や火を通した食事をしない修行僧の一団で、その中に、「行道」とか 「以空」とか「連業」とか「観正」とか・・・さまざまなお坊さんがいたのだということを知った。また、その人たちが、お寺を中興したり、再興したり、勧進したり、中には蓮如上人の像を作仏した人もあったという。

 

 宗門内でも学問もまた大事ではあるのだが、宗門外から見た学問もまた、大事なことだなぁと感じたことであった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ 生きていると言うことを実感することもできない」という言葉から。ハイデッガーという人の言葉らしいが、この言葉をそのまま、すなおに受け止めておきたいと想ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


虫の音に 明日の予定を 確かめる

2014年10月03日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎにかけて雨の降る所があった。気温は温かくて21度から24度、湿度は82%から70%、風は1mから2mの南の風が少しばかり。明日の4日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしいが、肝心の5日の日曜日は雨らしい。日曜のお昼は講演会のための駐車場係を仰せつかっているのに。

 

 講演会は雨でも開催されるけれど、駐車場係は雨具を着ての案内・誘導をやらないといけないのか・・・。そうなると大変だな。

 

 それはさておき、今日も曇ったまんま・・。お昼前からは雨になった。奥方は野菜ものには恵みの雨だわ・・・と大喜びをしていたが、そんなに多くもは降らなかった。おかげで今日は引き籠もりの日になった。

 

 ということで、今日もパソコン三昧。このあたりでも、「へんろ」と「へんど」は混同されて使われていたりするし、自然に使っている人もいる。そうかと思えば、「へんど」という言葉にはいやな顔をする人がいるし、顔をそむける人もいる。小声で「そういう言葉は使ってはいけない」と言うひともいる。人それぞれだが、そのあたりを調べてまとめていたら、頭の中がウニウニになった。

 

 秋祭りのシーズンだが、獅子ややっこの「祝儀」を集めて回ることを「へんどに行く」というが、絶対に「へんろに行く」とは言わない。ま、そういう意味からして「良いことば」ではないし、「そんなに言うことをきかない子はへんどにやるんぞ」と言われて真っ青になってものかげに隠れた子供は多かった。遍路に関する民俗学だし、社会学かも知れない。四国全域で聞かれた言葉だと思う。

 

 サルが食べ散らかしたクリの実である。「行乞(ぎょうこつ)」という言葉は良いが「乞食」という言葉は禁止用語らしい。だんだんとことばも使うのが難しくなってくる。やがて「へんど」も使用禁止になるのかも知れない。「辺土」とか「辺奴」とか「遍奴」とか書いてあるが、正確なことはわからないが、「辺路」の訛ったものだと思われる。要は「職業遍路」であり「病気遍路」であり、「行乞遍路」であった。

 

 「病気遍路」という人たちは見なくなったが、「職業遍路」は今もいて、大型スーパーの前や札所近くに立っている。お参りもせずにただ立っている。とても「托鉢」をしているようにも思えないし、お経も唱えない。そんな研究を整理していて日が暮れた。

 

 この表紙は暫定版。とりあえずの試作品である。昔の若き空海さん(教海とか無空とか呼ばれた時代)も山で修行した時は「行乞」とか「修行」ということで托鉢もしながら旅をしたんだろうなぁと思う。近年の山頭火もそうした「修行」や「托鉢」をしながらの旅だったんだなぁと思った。やはり、原型はそういう「寄進」を受けたり、喜捨を受けての旅のようだった。お坊さんだって、食べない訳にはいかないのだから。

 

 我が家の金木犀もほとんどが散ってしまった。あっと言う間の華の命。でも、ご用が済んだから散ったのだろう。でも、根っこが染まるほどには黄色くなっていない。

 

 秋はぎもそろそろと花が散り始めた。植物たちもそろそろと冬の準備を始めている様子。我が家の秋の虫たちはまだまだ元気。

 

 秋と言えば、このすすき。ススキは「芒」とか「薄」とか書くらしいが、イネ科のススキ属の植物で「尾花」ともいい、また茅(かや)とか「萱」とも書くらしい。うちのおばあちゃんはこれを刈って干して、炭を入れる「俵:たわら」を作っていたのを思い出す。

 

 そういう炭焼き作業も、炭俵編みも昭和という時代とともに消えて行ってしまった。

 

 でも、ときどき、バーベキューとかをする時になって、そういう時代のことをふっと、思い出すことがあったりする。

 

 今日の掲示板はこれ。「太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない 太陽が昇るから夜が明けるのだ」というもの。

 太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない。
 太陽が昇るから夜が明けるのだ。
 われわれはとかく、環境や他の条件の責任にしやすい。

 水は低いところへ集まってくる。
 尊いもの 美しいもの 善なるものも みんな
 謙虚な人のところへ集まってきて
 その人のものとなる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


夏水仙 きっぱりとして 日が暮れる

2014年08月19日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気分的には秋らしくなったなぁと感じた一日だった。気温は23度から30度、湿度は88%から64%。風は2mから3mの南南東の風が少し。明日の20日は、引き続き湿った空気の影響で雲が広がり、午後は雨や雷雨の所があるらしい。

 

 朝方はエアコンなしでも良かったが、さすがに午後からはエアコンをドライモードで動かせていた。

 

 朝方は久々に香川県立図書館に行ってきた。まだまだクマゼミがシャンシャンシャンと賑やかに鳴いていた。

 

 今日は香川県立文書館で展示されている古文書類を見るためである。そこには村境・・・ということを意識した文書が展示されている。

 

 ま、さまざまな境界に関する文書があるが、辺路(遍路)の村送りとか捨て往来手形の興味深い書類があった。伊予(愛媛)で動けなくなった遍路を村送り(当該の村の役人が隣村の役人に引き渡して故郷まで送り届けること)していったのに、丸亀で書類に不備があって再び伊予まで戻されたので、そんな無駄なことにならぬようにという文書などが興味深かった。

 

 昔から境界争いというのはどこでもであったようで、さまざまな古文書が並んでいた。

 

 しかしのかかし、筆文字でことこまかく漢字ばかりで書いてあること。それをまた読み解く人がいること。頭痛がしそうなコーナーだった。

 

 で、今回も何冊かの本を借りてきたが、いざ読もうとすると、面倒くさい・・・。

 

 今回も法然上人の本ばかり5冊。どれもこれも漢字ばっかり・・・。

 

 今日は8月19日ということで「俳句の日」らしい。だからと言って俳句がどんどんと湧いて出る訳ではない。

 

 この本に、「お菓子の名前+中七+ハイキング」というコーナーがあった。「ビスケット」+「砕けてしまった」+「ハイキング」・・・みたいなお遊びだな。しばらくやってみたが、お菓子の名前が出て来ない。お菓子なんて食べないし見ないもの。

 

 今日のお昼はここになった。さぬき市長尾東の「笠堂や」。早くて安くてうまい・・・というお店。

 

 今日は「わか梅うどん」の小で320円。ワカメの食感と梅干しのすっぱさがおいしい。

 

 午後からはパワーポイントを使っての法然上人の資料作り。でも、根気が続かないし、集中力が途切れてしまう。これでは夏休みの自由研究がままならない。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるうえで「悩み」はつきものです。まったく悩みのない人生など有り得ません。生きるということはすなわち悩みと共に歩くことなのです。」という枡野俊明さんの言葉から。枡野俊明(ますの しゅんみょう/1953年2月28日-/男性)は、神奈川県横浜市出身の僧侶(曹洞宗)、作庭家。神奈川県にある建功寺の住職を務める人物であり、禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動で国内外から高い評価を獲得。日本造園設計の代表を務めるほか、多摩美術大学環境デザイン学科教授やブリティッシュコロンビア大学特別教授も兼任している。2003年にカナダ政府よりカナダ総督褒章、2006年にドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受賞。(参考文献:ウィキペディア)

 

 悩みが生まれる原因は一つ。それは何かにとらわれているからである。欲望や夢、ときには人間関係にさえも執着してしまう。その執着心にこそ、悩みの発端がある。これだけは手放したくない、これは絶対に手に入れたい。この思いが叶わない時に悩みが生まれる。人間の持つ悩みとは、自分自身で生み出しているものが多いのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


水無月の 風とは思えぬ 草の丈

2014年06月01日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。また、黄砂を観測しているらしい。気温は18度から32度、湿度は74%から57%。真夏のような暑さだ。いきなり、こんな気温になると身体がついていけない。風は2mから0m・・・。北東の風が気休め程度。明日の2日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷の接近で夕方からは雲が広がる見込みらしい。引き続き1日にかけて黄砂を観測する可能性があるとのこと。

 

 さて、いよいよ今日からは6月、水無月に入った。ま、農家でもないので、だから、どうしたと云われるとなんでもない。このブログ、今日で開設から、3,333日目なのだそうだ。ま、一般的な通過点だから、これまた、なんでもない情報だったりする。

 

 お山から「真宗公論」という「興正学会」の機関誌が届いた。うちの宗派のお勉強会の本だ。

 

 昨年に発表した、私の論文が掲載されている。今年は「体調不良」で学会はお休み。「安居」もお休みさせていただいた。で、「じゃぁ、再来年は「法然さん」ですね」と云われたので、来年の発表用の論文を用意しないといけない・・・。

 

 これが昨年にまとめた「讃岐における法然聖人足跡巡拝指南書」と云うもの。この中に掲載されている「主題論文」を加筆修正して、そこそこのページ数に調整して提出することにしたい。

 

 これも、この秋頃までに提出だったかな。調べてみると、来年の三月末が提出期限らしい。まだ、間があるといえば間があるけれど。優先順位をつけないと・・だな。

 

 我が家のビワもほんのりと色づいてきたが、食べられるようになると、山のお猿が食べてしまうに違いない。先週だかに高知に行ったら、ちょうどいい具合に色づいて、あちこちで売ってはいたが買って食べたいとも思わない。

 

 今日は娘と孫のなぎちゃんがやってきて、お昼はこの、「さわらの押し寿司」というものを、なぎちゃんが作ってくれた。

 

 このさわらの押し寿司を食べると、「さぁ、田植えをがんばれよ」という合図だったと云う。「春祝:はるいを」と云ったが、食べたいが、食べたくないなぁ・・・という気分にはなった。PTAの総会後の懇親会にも「サワラ」の料理が出た。「あ、ハルイオやな・・」と聞いただけで、任期の終わった者は良かったが、新しく役員になったものは、「・・・・」と云う気持ちになった。

 

 しかし、云うと云わんと、少し動くと汗が流れるようになった。これから数ヶ月が大変だ。暑さになれてしまえば、そうでもないのだろうけれど、梅雨を乗り切るまでが心配ではある。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の幸せは自分で決めていい 今のまんまそのまんま だからあなたはそのまんまでいいよ」と云うもの。「遊書家 とし」さんの言葉から。 「自分の幸せって自分で決めて良いんですよねぇ~。だから、今のまんまの自分でも幸せだったりするんですよねぇ~。だから、そのまんまの自分でいられることが幸せだったりするんですよねぇ~。なぁ~んて、ふと思ったトシでした♪。みなさんに幸せな事が起きますように♪  」と云うことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


びわの実が ふくらんでいる 雨になる

2014年05月21日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は気圧の谷の影響ではじめは雲が広がっていたが、昼前過ぎからは高気圧に覆われて次第に晴れてきた。気温は15度から24度、湿度は94%から47%。風は4mから7mの北西の風がときおり吹き荒れていた。明日の22日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方は曇っていて、しかも小雨が降っていて、これでは出掛けても楽しくはならないなぁ・・・と云うことでお出かけを諦めた。

 

 で、昨日に図書館で借りてきた本をスキャニングする作業に入った。プリンターに内蔵されているスキャナーを使って本の資料や画像なんぞをパソコンに取り込む作業。

 

 この「巡礼の文化人類学的研究」という本の「邊土:へんど」に関する部分をスキャニングしたが、450Pもある論文集のわずか26Pしか読み込めなかった。内容が濃いもので読み込んでは確認し、修正したりしながらの作業だから・・・。

 

 私の家はお遍路さんが通る「へんろみち」沿いではなかった。それでも、子供の頃には大窪寺(四国霊場88番札所)に向かうらしい「おへんどさん」がぞろぞろと歩いていた。家族も近所の人たちも「おへんどさん」と云うていた。「いうことを聞かん子はへんどに連れていてもらうぞ!」などと叱られたこともあった。だから、「おへんどさん」はおそろしいものだと子供ごころにも感じておった。

 

 汚い服を着ていたり、泥んこのままで遊んでいると、「へんどみたいな姿をするな」とか、食べながら歩いたりすると「へんどみたいにするな」とかと、なにかにつけて叱られた。そう云われると、意味もわからぬままにおとなしくしたものだった。

 

 気が付けば、そういうおへんどさんはいつの間にかいなくなっていた。そして、昭和40年頃からか、「お遍路ブーム」と讃岐うどんブームがわき起こった。あの「おへんどさん」は何だったんだ・・・という、永年の疑問を、いまさらながらのように掘り起こしてみたいと考えたのだ。

 

 つまり、次男・三男の口減らし、結核やハンセン病だと宣告された人たち、仕事や家庭を失った人たち、犯罪などで古里を追われた人たち、身体障害者や労働に耐えられない人たち・・・。そんな世の中からはじきだされた人たちが、四国の「お接待」というシステムの中で、「お四国」と呼ばれるシステムの中でいのちをつなぎながら・・・四国の土になった。

 

 このグラフは、西国三十三ヶ所を回った人の宗派別の巡礼者数。昭和62年から63年にかけての年間の巡礼者だという。ここは観音霊場なのだが、なぜだか浄土系で参詣者の52%を超えている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%9B%BD%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%89%80

 

 こちらは秩父三十四観音霊場の宗派別参詣者数。ここでも浄土系が二割ほどいる。これは平成2年から3年の数値である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A9%E7%88%B6%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%9B%9B%E7%AE%87%E6%89%80

 

 こちらはお四国霊場のお遍路さんの数値。」平成8年から9年の数値である。ここでも浄土系が二割をキープしている。ま、一般的に言って、浄土系の信者さん、門徒さんの数が圧倒的に多いから・・・ということも関係しているようだが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80

 今日の掲示板はこれ。「毎日毎日の足跡がおのずから人生の答えを出す きれいな足跡にはきれいな水がたまる」という相田みつをさんの言葉から。一日はあっという間に過ぎて行くもの。小さい出来事しかないかもしれないのだが、一日一善という言葉が、多くの人に受け入れられるように、一日一日は大切なものであり、貴重なものであったりするのである。だから、精一杯の出来ることをするように心がけて、悔いのないように生きる努力をしていきたいものだと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


麦秋に ねぼけまなこの 眼をこする

2014年05月12日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、西部を中心に雨が降っている。夕方からは雷を伴う所がある見込みなんだとか。迷犬ごんが散歩に行きたくない訳だ。雷さんにはめっぽう弱い。気温は19.6度から22.4度。湿度は76%から96%。風は4mから10mの南東の風が吹いたりやんだり。明日の13日には高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 朝から曇っていて目覚めが悪かった。頭痛はしないが頭の中がぼんやりしている。寝不足のようだが、そんなに遅くまで起きていたのだろうか・・・。

 

 寝不足だからと云って、8時過ぎから寝る訳にもいくまいし、天気が悪いのでは出掛けても楽しくないし、それに午後からは雨になるとの天気予報だったし・・・。

 

 そこで、「お遍路さんの陰と闇」についてのお勉強。今年は「四国霊場開創1200年」ということで、各地でさまざまなイベントが行われて表の「お遍路さん」は明るくて楽しそうだが、ひねくれ者の私は、その裏にある「陰と闇」について調べている。

 お四国のあちらこちらにこういうお遍路さんもどきが立っている。で、なにがしかの「喜捨」を待っている。この人たちは巡拝はしない。もっぱら数時間立っていて、やがてにはどこかに消えて行く。最近はスーパーの前などの人数の多い場所を選んでいる。彼らを「職遍:職業遍路」という・・・。巡礼の割に、衣服やクツが汚れていなくてきれいなのが特徴。

 

 私らが小さい頃から、こうした「職業遍路」や「病気遍路」がいた。最近は福祉が充実したからか、さすがに目立たなくなったが、案外と今もいるのだという。今は、リストラ組とか派遣切りとか離婚とかでアテもなくさまよっている人が増えたとか。元々、庶民の旅は「死出の旅」でもあったと云う。だから、死に装束の白衣に杖が「五輪塔婆」で菅笠が墓標になった。

 

 昼からは本降りになった。そこでハタと気が付いた・・・。

 

 そうそう、昨夜、テレビでこの人のことを見ていたのだ。フジTVの「ワンダフル・ライフ」という番組で、天皇陛下の執刀医を務めた人。「今、日本で一番忙しい医師」で、病院の中で寝泊まりしているらしい。今は順天堂医院に勤める「天野篤」副院長先生。年間400例以上の手術を行い、これまでに6500例以上の手術をこなしてきたと云う。

 

 ところが、この先生。医学部に入学するのに三浪し、「偏差値50」。浪人中にはパチンコや麻雀をやっていたという普通の子だった。重い心臓病の父親を救うこともできなかった彼が、「天皇陛下の執刀医」にまでなったその訳は・・・。

 

 「当たり前のことを、全力でやり抜けば、当たり前の結果」になるという持論。だが、その過程には幾度もの失敗や人との軋轢もあったよう。努力の人だなぁと思った。

 

 その番組は21時から21時54分まであって、それから台所を片づけて、パソコンをやって寝たので、少しばかり寝不足になったのかも・・・。

 

 夕方になればあたまもすっきりとしてきたし、やる気も出てきたが、雨の月曜日ではどうしようもない。

 

 そろそろとお風呂の準備をして、夕食の準備をする時間になった。凡人の一日はそうやって終わってしまうもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「年をとったら遊ばないのではなく、遊ばないから年をとる」と云うもの。最近、トイレや洗面所などで、「あれ、あのおじさんどこかで見たような・・」と思って近づいたら自分の姿だった・・・というように老化とパワーダウンが目に見えるようになってきた。最近はなんだかんだと引き籠もってばかりいて、パソコンばかりの毎日だからか、熱気とか燃えるとかの出来事がない。それだから、年をどんどんと取ってゆくように思えてならない。

 「We don’t stop playing because we grow old; we grow old because we stop playing.」 と云う・・ジョージ・バーナード・ショーの言葉から。アイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家、社会主義者、ノーベル文学賞受賞。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


こでまりに 明日の夢を 見透かされ

2014年05月11日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は10.9度から26.8度、湿度は86%から55%。風は3mから9mの南東の風が強いが心地よい風だった。すっかりと夏!という気候になった。明日の12日は、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、夕方から雨が降り、夜には雷を伴う所がある見込みなんだとか。

 

 今日はさぬき市の「おへんろつかさの会総会」の日・・・ということで出掛けていた。「おへんろつかさの会」というのは、さぬき市において、四国遍路の文化や知識を伝え、さぬき市を観光的歴史的側面から全国に発信する活動をしている。主には、上り3ケ寺(86番志度寺・87番長尾寺・88番大窪寺)の案内や春と秋に遍路道を歩くまち歩きイベントを開催している。

 

 さぬき市前山地区にある「おへんろ交流サロン」=前山地区活性化センターに隣接する「前山公民館」で、その総会は行われた。

 

 おへんろつかさの会員はおよそ120名余らしいが、今日は40名余りが参加していたように思う。農繁期でもあって、お天気がいいとなかなかに皆さんも忙しいし、急遽、この総会の日程が一週間前倒しに変更されたことも関係するらしい。

 

 総会だから、活動報告・会計報告・新年度の活動方針・予算案審議なんぞがあるが、この会はそんなに堅苦しい会ではないので、どんどんと議事進行。役員改選もすんなりと了承されて総会は終了。

 

 その後、愛媛大学の「胡光(えびすひかる)准教授」の「四国霊場開創1200年と世界遺産への道」という講演があった。さすが、大学の准教授だけあって、パワーポイントの使い方、時間配分がうまい・・・。それに、「四国霊場開創1200年」の根拠の説明もまた納得させるようなお話だったし、「四国の遍路道や四国霊場」を世界遺産に登録させる目的・根拠・活動なんぞの詳しいお話にもなっとくした。

 

 国内の他の遺産とは違う独自性を発揮して、日本代表入りする「暫定リスト入り」を目指す方向性とかその意義とか意味とか・・・。

 

 講演会が終われば会場を片づけて、今度は懇親会場に設営替え。こういうのも、みんな自分らでやらないといけない。ま、お金を持っていないってことだ。こういうご時世だから、ノンアルコールビールが1本ずつとあとはペットボトルのお茶での懇親会。私は早々に退出した。

 

 ま、役員さんとか先生たちはお遍路談義に余念がないが、新入生が出しゃばる訳にもいかないので早々に失礼させていただいた。

 

 この、さぬき市前山地区にあるのが、県営前山ダムで、前山公民館からすぐに見える位置にある。

 

 前山ダムから少し下って、新しい農免道路を東進してしばらく走れば、さぬき市寒川町(さんがわまち)に入る。その少し山手に入ったところにあるのが、県営門入(もんにゅう)ダム。私がこどもの頃には「もんにょダム」という小型のダムがあったが、近年になって、こんな近代的なダムに変貌した。

 

 そろそろとつつじのお花もおしまいになる頃だろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「与えられた場所に生きる意味を見つけない人は どこにいっても満足はない」というもの。「やりたい仕事が見つからない」とか、「こんな仕事をやるためにこの会社に入ったんじゃない」とか、そういう声をよく聞くのだが、目の前にあるものをまずはきちんとやるべきで、「生きる意味」とか、「仕事の意味」とかは人に教えてもらうものではなく、自分で見つけるしかないのである。自分の置かれている環境に対して文句ばっかり言っていたって、何も解決はしないし、自分の人格を下げるばかり。だから、今自分にやれることをやる。自分で居場所を作って、自分で生きる意味を見つけるしかない。シンプルだけど、生きてくってそういうことの繰り返しなのだと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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