まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

静けさを 春の寒さと 言ってみる

2017年02月14日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は寒気の影響で概ね曇り、雨や雪の降っている所があった。気温は2.9度から9.8度、湿度は88%から58%、風は3mから6mの西北西の風が少しばかり冷たかった。明日の15日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 冷たい小雨の降る中、恒例の火曜日は前山活性化センターへの出勤である。これは県営前山ダム湖である。その湖畔に、この建物が建っている。

 

 「パソコンのできる人、いませんかぁ・・」というので、手を上げたら、毎週毎週、ここに通うことになって、あっという間の二年間が過ぎた。パソコン作業だけだと思っていたら、ホームページも作りたい、研究資料も作りたい・・と、どっぷりと、引き込まれてしまった二年間。今年の四月からは三年目に入る。

 

 屋根裏につり下げられていた汚い俵の中には多種多様な紙くずが押し込まれていて、主要な「納め札」の調査は終わって、今は、その他の紙くずの整理の最終段階。展示できるものと、それ以外に分類中。

 

 だから、メンバーもぐんと減って、今日は男性3人、女性2人になった。私のお仕事は、ほぼ、ない。単に、ホームページ用の資料の確認と打ち合わせくらいなもの。

 

 これは何かとよくよく見れば、「熊野三山」の護符で、八咫烏(やたがらす)だという。カラスで何かの字を書いてあるんだろうか・・・。

 

 私は日曜日に見た、この句碑が気になって仕方がない。「春風や 人あるかぎり いろは歌」と刻まれている。長尾寺と「いろは歌」の関係を聞いてみたが、誰も知らないという。

 

 現地に行こう、現物にさわろう・・・ということで、冷たい風のながれる中、87番札所長尾寺にやってきた。長尾寺の住職は9代宥意阿闍梨という近郷まれな高僧であった。宥意は静御前とその母磯野母子の上品さとなにか哀愁のある巡礼姿に気をうばわれて、庫裡に招いて悩みを尋ねた。

 

 事情を聞いた宥意が二人に諭したのは「いままでの出来事をすべて忘れて、いまから新しい人生の道をたどるのが最良」と語り、更に"いろは歌※3"を示して仏教的な無常観を解説した。 母子は虚心坦懐な気持ちになり得度剃髪を懇願した。と、この看板に書いてあるではないか。※3 いろは歌は、作者不明の七五調四句の手習い歌の一つである(空海の作は誤り)。仏教信奉者は無常偈の意味があると説明している。

 

 得度して静は〔宥心尼〕、磯野禅師は〔磯野禅尼〕と名乗るようになった。 剃髪した髪は本堂の近くに葬り石を重ねた。いまも護摩堂の前に〈静御前剃髪塚〉があり、凝灰岩の五輪塔のようなものが残っている。これが、長尾寺に安置されている「宥心法尼」、俗名「静」の位牌である。

 

 1191年11月20日 磯野禅尼が長尾寺でお参りを済ませ、薬師庵へ帰る途中、井戸川(鴨部川)のほとりで老衰と寒さもため倒れ、命を落とした。 69才であった。

 

 井戸川橋畔に磯野禅尼の墓があったが、1937年の県道改修工事のとき現在地に移転された。墓石の前に花崗岩の自然石で〈磯野禅尼之碑〉と刻まれた石碑が建っている。

 

 この小さな石碑が磯野のお墓である。家に戻って、養成講座の資料を開いてみると、そのくだりは、ちゃんと資料の中に印刷をされていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「占いに 迷い一層 深くなり」というもの。新年を迎えて、神社仏閣のお参りや 今年の運勢を見るために占ってもらう人が多かった。占いはこの「迷」があるから占いに走るという。一般的な迷いのほとんどが、お金や病気、仕事のこと、愛または欲かも知れない。迷いの「迷」は、「米」の八方に引かれた線が方向を表し、しんにゅうの「辶」は走るという意味で、行き先や方向がが分からず、とにかく四方八方に走り回ことを差していることらしい。私もそうだったけれど、お酒を呑む人が その店で満足せずに、次の店に、また、次の店に行くように、占いも、次から次へと「占いのはしご」をするものらしい。おみくじが気に入らないと言って、次から次とおみくじを引く人が居るようなもの。でも結果は、ご自分の中にすでに決めていることがあり、自分に納得できることを求めているからなのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


寒牡丹 私が私で あるように

2017年02月07日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、概ね曇りで時折、小雨が降っていた。気温は4.2度から8.2度、湿度は75%から62%、風は3mから4mの北西の風が冷たかった。明日の8日は、気圧の谷の影響で、概ね曇る見込みらしい。

 

 朝、8時前に、自治会の会員さんから、太い竹が倒れて光ケーブルが切断されそう。至急、ケーブル会社に連絡して切ってもらって・・・」という連絡が。ま、枯れた竹が強風で倒れたもの。ま、連絡はしておいたが、夕方に見たときはそのまんまだった。

 

 今日は火曜日だということで、さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」に出勤した。さすがに、この時期の「歩きへんろ」の方は一人、二人・・・。

 

 今日の出勤者は男性4名、女性3名になった。作業は大詰め段階。どのように展示をするかを考えていた。

 

 このような新聞が何枚か発見されて、ああだこうだと読みふけっていたり。中には、新聞紙で袋を作っていて、その袋を開いてしわを伸ばしたりの作業になった。

 

 画像化の作業も大詰め。ただ、紙のサイズがまちまちで、立ったり座ったり、スタンドでは画面が入りきらず、手持ちで撮影したりと苦労している。

 

 お昼からは量販店に出かけていって、テレビ工事と電話工事の部品や機材を買った。

 

 お兄ちゃんちのテレビを奥方の寝室に置いて欲しいという。お兄ちゃんはラジオで十分だし、CDラジカセやパソコンがあれば十分だという。で、昨夜、工事をしたら、私の部屋のテレビが見られなくなった。そこで、新しい分配機を買ってきた。

 

 地上波とBSを分ける「分波器」も用意した。

 

 何が悪かったのか、今日は二台とも正常に、地上波、BSともに見られるようになった。

 

 電話機の工事も終わった。最近は自治会長だ、民児協だ、レキ研究会だ、おへんろつかさだと、電話がよくかかるようになった。一階のリビングで奥方が電話を受けても、二階の書斎に転送しなければならなくなったのだ。

 

 私は40年も通信会社にいて、電話で暮らしてきて、もう、電話は大嫌い!と、パソコン通信やらメールやらでやってきたのだが、最近は、そうもいかなくなった。そこで、一階から二階へ転送してもらう必要ができたというわけ。

 

 それが終わると、今度は奥方のご用で、掛かり付けのお医者さんで薬を処方してもらって、

 

 お隣の薬局で薬を調剤してもらって・・・

 

 家に戻ると、宅配屋さんが待っていて、amazonに注文していたノートPCが届いた。まだ、隣では、Windows7のインストールを延々とやっているが、再再インストールをやりなおしても、動作が遅くて使い物にはならない。何がどうしたというんだろうか・・・。最後には、カラーフラッシュイするようになった。だめだな、これは・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「幸せという文字には 辛いと字が かくれている」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったものだが、誰の言葉かわからなかった。でも、似たような言葉を、星野富弘先生が書いている。「辛いという字がある。 もう少しで幸せになれそうな字である。」 辛いことを乗り越えた先に、どんなことが期待できるかをイメージしよう。いまは苦しくて辛いかもしれないけれど、そこだけを見て意識してしまうと、いつまでも負の循環から抜け出せない。辛さを乗り越えれば、希望が見えてくるというものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


冬晴れは 犬に散歩を せがまれる

2017年02月01日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、午前中は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは気圧の谷の影響で概ね曇り、一時小雨もふっていた。気温は1.2度から10.3度、湿度は94%から62%、風は1mから6mの西の風が一時強かった。明日の2日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、寒気の影響で朝まで曇る見込みのよう。

 

 昨日の俵札調査の時、「寒川郡長尾西・稲荷庵」というお札が話題になった。現在、そういう庵はどこにもない。そこで、おそらく、この「塚原稲荷神社」だろうということになった。そこで、ここを訪ねてみた。

 

 ずいぶんと高い場所にあるものだ。ここは、塚原という地区の鎮守として、「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」を山の神として祀っていた。江戸時代後期の文久2年(1862)に、京都伏見から「正一位稲荷大明神」を勧請し、「経納山稲荷神社」とし、別当を「稲荷庵」とした。だから、お札には「稲荷大明神」と、狐の絵が描かれていた。

 

 石段はきついから、裏道から登ることにした。

 

 これが稲荷山古墳と呼ばれ、さぬき市長尾西西塚原の尾根の先端にある。墳丘は鍵穴のような形をした「前方後円墳」と呼ばれているもの。墳丘の規模については資料が不足しているため複数のデータがあり、明確ではないが、後円部の径20mで、墳丘全長は40mとなっている。

 

 葺石が墳丘に施されていたとみられており、壺形埴輪などが採取されているし、墳丘には埴輪の配列がなされていた。発掘調査が1989年に行われている。主体部は2つ確認されていて、後円部頂中央にある埋葬施設は第1主体とよばれ竪穴式石室となっている。

 

 竪穴式石室は全長6.05m幅0.9mと測られている。後円部頂北寄りにある埋葬施設は第2主体とよばれ竪穴式石室となっている。古代において、この讃岐地域は双方中円墳が数多く作られた特異な文化圏が営まれていたらしい。この稲荷山古墳はさぬき市の史跡に指定されている。

 

 これが最初の「山の神」だろうか。この近くには、いくつもの古墳が確認されている。

 

 こちらが、現在の「稲荷神社」である。

 

 10月の第二日曜日が例大祭で、これが実にユニークなおまつりである。新旧二つの神輿の渡御があり、氏子たちが「あばれ」と呼ぶにわかみこしを担ぎ、本みこしを押しのけて大暴れする。

 

 「あばれ」は、工夫をこらして作ったもので、渡御の終わりには、池の中に放り込んだり、見物客を引っ張り込んで池に落としたりするのが特徴。参加した国会議員さんまで投げ込まれてしまうし、見物人も池の中に突き落とされる。その豪快でユーモラスな地域の人々の大らかさを感じさせるお祭りである。

 

 「お太夫さん」も地元の若者で、風刺をきかせた祝詞を自作で演じるのがおもしろい。隣の人は雨傘と稲穂を帯にしているのが目印。これで農作物の豊穣を祈願するとされている。

 

 最後にはおみこしまで投げ込んでしまうし、担ぎ手たちも池の中に飛び込んでしまう。これを「塚原のあばれみこし」という。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間は自分の都合で鬼と言い、福と言う」というもの。本多恵さんの「いのちのことば」から。いつかの掲示板にも関連するのだけれど、自分を閉ざすも開くも、ものごとの善し悪しも、鬼も福も、自分の意識次第だというているのである。私が見ている空も、海も、山も、雲も、雨も、嵐も、自分のこころ次第で良くもなったり、悪くもなったりするのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


豆まきが こんなに悲しい 遊びとは

2017年01月31日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は2.1度から8.3度、湿度は71%から65%、風は1mから4mの北西の風が少しばかり。明日の2月1日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 先週は法務のためにお休みをしたので、二週間ぶりの「前山活性化センター」への出勤である。この二週間の間にはさまざまなことがあったように思えて、なんか、懐かしい・・という気分になった。

 

 だから、何を、どうすればいいのか「浦島太郎」状態・・・。作業は大詰めに入ったようで、どれを展示するかを検討中。

 

 写真撮影が終わったものの中から、どれを展示するかを抜き出していく。

 

 お札、神符、お守り、掛け軸という分類できるものは、もう、片付いた。最後は「その他」という雑多な紙くずが残っている。薬の袋だとか、新聞広告だとか、手紙類、証文、領収書だとか・・・。

 

 これは、高野山・金剛三昧院へ寄進をしたものだろうか。

 

 今頃はお遍路さんのオフ・シーズンになるものか、今日は一人も歩きお遍路さんを見かけなかった。

 

 お昼からは、香川県立図書館へ、借りていた本を返却しに行った。

 

 お昼からだと、それなりに利用者が多い。で、圧倒的に女性が多いなぁと思ったことだった。

 

 で、五冊の本を返却して、また、五冊の本を借りてきた。多く借りても読む時間がないし、たくさんだと読む気がしなくなるのである。

 

  この時期になると、このお話。自由律俳人の「住宅(すみたく)顕信」の「未完成」という句集である。 住宅顕信は、本名・住宅春美(すみたく はるみ)。岡山県岡山市に生まれた。岡山市立石井中学校卒業。1976年4月、岡山市内の下田学園調理師学校に入学。同時に就職し、昼は勤務し夜は通学という生活に入る。4歳年上の女性と知り合い、同棲を始める。この頃より詩、宗教書、哲学書に親しんだ。

 

  1978年3月、下田学園卒業。1980年、父親の勤務先である岡山市役所に臨時職員で採用され、清掃の仕事に従事。仏教にに傾倒し、1982年9月より、中央仏教学院の通信教育を受講。翌1983年4月、教育課程修了。7月、西本願寺にて得度。浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を釋顕信と名告る。10月、同棲相手と結婚。両親の援助により自宅の一部を改造して仏間をつくり、浄土真宗の根本経典「無量寿経」に因み、無量寿庵と名付けた。

 

  1984年2月、急性骨髄性白血病を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てる。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになる。特に尾崎放哉に心酔した。1985年に句集『試作帳』を自費出版。「層雲」の権威主義的な疑念を感じ、「層雲」の元編集者である藤本一幸が主宰する自由律俳句誌「海市」に参加する。翌1986年、「海市」編集同人となる。病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投書できなくなる。1987年2月7日23時23分、還浄。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。(Wikipediaより)

 

  住宅顕信の人生も俳句もまた、「未完成」のままに終わってしまった。南無阿弥陀仏に出会った人生。彼の人生は「むなしくはなかった」のだろうか・・・。

 

  二月が来ると、なぜか、この夭折してしまった自由律俳人、「住宅顕信」のことが思い出されて仕方がない。

 

  今日の掲示板はこれ。「鬼とは私のことか 豆がまかれる」という住宅顕信の俳句から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。もうすぐ節分。冬と春の分かれ目ということで、暦の上では春になるころである。節分といえば豆まきであるが、豆まきを題材にした俳句を取り上げた時期らしいことばである。「鬼とは私のことか豆がまかれる」 ことばと言っても、これは自由律俳句。荻原井泉水、尾崎放哉、種田山頭火などの流れを汲むもので、「住宅顕信」さんは1987年に25歳の若さで急性骨髄性白血病で亡くなった俳人だ。この句にも、作者のそうした悲しい背景が忍び込んでいるように感じられるのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


志ん生さん 思い出しつつ 霜の朝

2017年01月17日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方から雲が広がってきた。気温は3.0度から8.7度、湿度は90%から61%、風は2mから63mの西北西の風が少しばかり。明日の18日は高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の影響で夕方から雲が広がる見込みらしい。(tenki.jpより)

 

 時の流れは速いもので、お正月だと騒いでいたら、早くも1月の17日になっている。速いといえば、神戸淡路大震災から22年の年月が過ぎて行った。

 

 ということで、今日は「防災とボランティアの日」。そして、15日からの「防災とボランティア週間」の最中でもある。我が家も平成16年10月の台風災害で我が家を失い、多くの災害ボランティアさんのお世話になった。できることからコツコツとお返しをしていきたいものだと改めて感じたことだった。

 

 さて、久々の前山活性化センターへの出勤である。さすがに今日は歩き遍路さんの姿は見えなかった。

 

 そろそろと、俵札のまとめとして、遍路札以外の内容物の展示準備に入ってきた。数多い俵に納められた紙くずの中から、「これは・・」と思うようなものを選び出して選別する段階である。

 

 中には、「これは何だろうか・・・」というものが多い。掛け軸には違いないのだが、どこに掛けたものだろうか」とか、「これは何を意味するものだろうか・・」とか・・・。

 

 真言宗のお坊さん、この弘法大師さんの頭上にあるものは何ですか。光明真言ではないか・・という説もあり、空海さんのお母さん、玉依姫ではないかという説もあり。

 

 こういうお姿をしているお方なのですが・・・。

 

 これは、梅の紋所があるお方・・・といえば、菅原道真公だと思うのだが・・・。

 

 「我たのむ 人をむなしくなすなれば てんが下りて名をやながさん」と読むのだろうか。

 

 これも問題になったもの。現在は「由加山蓮台寺」らしくて、「瑜伽大権現」は、「由加山蓮台寺」ということになっているらしい。しかしのかかし、この絵では、鳥居があり、本殿という文字も見える。神仏混淆だったのが、寺院として分離独立したんだろうか。

 

 午後からは、会長の校正を経た原稿を修正して、確認してメールで送信しておいた。

 

 本島・長徳寺の住職さんのご指導で、9時の臨時便に乗るように予定変更したスケジュール表もできた。JR高徳線、讃岐津田駅発が6時57分設定もOKが出た。これらを役員会で承認されたら、実施OKになる。

 

 ふぅ・・。これで宿題の一つが終わった。あとは、「娘遍路」の冊子作成という大きな宿題が残っている。これは資料が少ないので枚数が上がらない。

 

 今日の掲示板はこれ。「物事はうれしい前に決まって 心配事やら悲しいことがあるんです」というもの。町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。

 物事ってえものは、うれしい前にはきまって、
 心配事や悲しいことがあるんです。
 心配事や悲しいことから、
 うれしいことが生まれてくるもんですナ

 という「なめくじ艦隊」からの言葉。「なめくじ艦隊」ー志ん生半生記は古今亭志ん生さんの著作。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


枯れ葉降る 犬の背中に 猫の背に

2016年12月20日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で曇りで、雨の降っている所があった。気温は8.9度から14.9度、湿度は89%から76%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の21日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼前から雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今年最後の交流サロンへの出勤である。この頃は細くて小さな雨がぱらついていた。さすがに今日は歩きのおへんろさんは少ない。

 

 今日は4月からの展示会の準備ということで、男性5人と女性4人の作業になった。

 

 こちらでは、来年の行事予定の計画中。来年は阿波方面への歩き遍路をするらしい。行程の確認などむつかしい話になっている。

 

 私らは来年四月からの展示の準備。あらかじめ選別したものを並べてみた。思ったよりも少なく、展示スペースの半分ほどにしかならない。

 

 まだ、写真撮影の終わっていないものの中から、あと半分、テーブル三つ分くらいが出てくるとありがたいのだが・・・。

 

 俵の中には、納札が多かったのだが、とにかく、紙というものは何でも詰め込んだようで、多種雑多なものが含まれている。それを、どういう方法で展示するかが、問題だ。

 

 お昼からは香川県立図書館へやってきた。借りていた本を返却するためである。年末年始には本を読む時間も余裕もない。一旦、返却しておきたいものだと・・・。

 

 こういうものとか・・・

 

 こういうものとかを借りてきた。あんまり、むつかしいものやカードマジックは広い場所ではむつかしい。

 

 これまでは、水道パイプそのまんまで使ってきたこの仕掛けに「千代紙」を巻いてみた。

 

 こういうかわいい仕掛けが出来上がった。

 

 小学生の頃にやったものも再現した。百円ショップで買ったネクタイに、道端で拾った自転車のチェーンを差し込んだ。

 

 こうなると、硬くてヘビのようになるが、少し傾けるとグニュグニュになる。これで一品が出来上がった。

 

 日暮れ前に、集落内の会員さんちに、このさぬき市の広報などを配達してきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「この出来事は 自分に何を教えに来ているのか、そう思うと時間は味方になる」という舩井幸雄さんのことばから。舩井さんは1933年、大阪府生まれ。1956年、京都大学農学部農林経済学科卒業。日本マネジメント協会の経営コンサルタント、理事を経て、1970年に(株)日 本マーケティングセンター設立。1985年、同社を(株)船井総合研究所に社名変更。1988年、経営コンサルタント会社として世界ではじめて株式を上場 (現在、同社は東証、大証の一部上場会社)。同社の社長、会長を経て、2003年に役員を退任。(株)船井本社の会長、(株)船井総合研究所、(株)船井 財産コンサルタンツ、(株)本物研究所、(株)船井メディアなどの最高顧問を歴任し、グループ会社の象徴的存在だった。著書が、約400冊ある。2014年1月19日、肺炎のため逝去。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


さざんかの 花をぬらして 雨しきり

2016年12月13日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で、雨が降っている。気温は9.9度から12.9度、降雨量は0mm/hから4mm/h、湿度は96%から92%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の14日は、低気圧や寒気の影響で曇りで、未明は雨が降る見込みなのだとか。

 

 だんだんと、右目の白内障が進んできた。でもまだ、見えることは見えて居る。さて、そろそろ、眼科に行ってみなければならない時期かな。調べてみたら、左目の白内障の手術は二年前の12月11日、今頃の時期だった。

 

 と、言いつつ、今日も前山の活性化センターへご出勤。こんな雨の日でも、ボランティアの方々が草刈り作業に出かけて行った。ご苦労なことだと頭が下がる。

 

 師走に入ると、忙しくなるのか、今日は男性4人、女性一人の出勤になった。ま、やるべきお仕事も減ってきている。つまりは、作業が大詰めに来ているということでもある。

 

 で、来週の20日で作業は一応終えることになる。で、来年の中旬からは、いよいよ展示の準備に入り、目玉の「遍路札」の展示を終えて、今度は、その他の「俵札」の展示に入れ替える。

 

 これはまた、少し変わった「弘法大師修行御影」である。これも展示できるかな。

 

 昨日に収穫した金柑だが、このままじゃあかん・・と言われた。料理のつまものじゃないのだから、葉っぱは外してちょうだいと言われた。

 

 今日は一日中、雨だから、これをこつこつと切っていこうか。ハサミも用意して、段ボール箱も用意して・・・。

 

 一個ずつ、ハサミで枝から切り離していく。

 

 大きな段ボール箱を用意して・・・。

 

 ほぼ2時間あまり。ようやくに作業は完了した。でも、こんなにたくさんの金柑をどうするつもりなのか・・。

 

 「甘露煮にするから、ネットでレシピを調べといて・・・」というけれど、レシピでは15個とか20個のもの。この何百個もの甘露煮はきついでしょ。中の種を出すので疲れてしまいそう。

 

 雨はだんだんと強くなってきている。

 

 今日の掲示板はこれ。「ただいたずらにあかし いたずらにくらして 年月をおくるばかりなり これまことになげきてもなお 悲しむべし」という蓮如上人のお言葉から。これまた、いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。別に、いたずらにあかし、いたずらに暮らしているつもりはないのだが、蓮如上人さんから見れば、私らの暮らしぶりは、いたずらにあかし、いたずらにくらしているのかもしれない・・・。それでも、「すくいとるぞ」の本願であるのだから、ありがたいことだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


冬日和 苦渋をしのぶ 遍路道

2016年12月06日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、概ね曇っていたが、午後からは晴れてきたが、夕方からはまた曇りとなっていた。気温は朝方は14.0度だったが、昼過ぎには12.9度となり、夜には7.6度まで下がるらしい。湿度は80%から60%、風は8mから3mの北西の風が冷たかった。明日の7日は、寒気や湿った空気の影響で、概ね曇る見込みらしい。

 

 朝方は雨が降っていたし、激しい雷の光と音で起こされた。朝の6時過ぎって真っ暗だった。

 

 これでも9時前だが、まだ、薄暗かった。雨はすっかりと上がっている。今日は全国的に火曜日だということで、前山地区活性化センターに出勤である。

 

 ここは、元は産直市場などで前山地区を元気にしようと発足したらしいが、初代館長さんがお遍路に興味があって、ここを「おへんろ交流サロン」にし、「おへんろ資料展示室」にしたそうである。

 

 しかしのかかし、よくもこれだけの資料を集めたものだし、うまく展示をしてあるなぁと関心させられる。

 

 今日も男性4人と女性4人の8人での作業になった。

 

 昨日に作成した研究論文集も納本した。用紙代やインク代、トナー代金の領収書を提出せよ・・・とのこと。先に言っておいてもらわないと、みんな、捨ててしまったのに・・。

 

 こうして中島先生が整理したものを・・・

 

 こちらでは多田先生が写真撮影してデジタル化する。それをパソコンに投入して整理する。

 

 私が興味深いと思ったのは、この「帰命盡十方無碍光如来」という十字名号である。これは真宗でしか見ないと思って居たのに、こんな俵札から現れたのである。そして右横には「諸厄難除」とあり、左横には梵字が書いてある。もう一枚には、スペースの問題か、書き忘れたのか、「十方」の字を右横、左横に書き加えてある。ということは、真言宗でも「十字名号」や「九字名号」を使うんだ・・・と知った。

 

 お昼前にはすっきりと晴れてきたが気温はどんどんと下がってきている。

 

 今日の作業が終わって外に出たら、こんなものが停まっていた。「うどんタクシー」である。

 

 映画やニュースでは見たことがあるが、本物は初めて。

 

 ナンバープレートには「88」の数字が・・。おうどんを食べながら「お四国参り」も案内するんだろうか。そういえば、資料室でガイドをしていたのは、この車の運転手さんだったのか・・・。

 

 今日の掲示板は、本文に関係なくこれ。「人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ でも その考えを無理やり 他の人に押しつけてはいけないな」というスナフキンの言葉から。トーヴェ・ヤンソン原作の「ムーミンシリーズ」に登場するキャラクター『スナフキン』は、自由と孤独を愛し、束縛されるのを嫌う。その一方で、他人にとても優しい。でも決して他に媚びることなく、自分の色を持ち続けるスナフキンだからこその言葉。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


陽だまりで お猿二匹が 丸くなる

2016年12月05日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は10.7度から16.8度、湿度は86%から68%、風は5mから2mの西の風が少しばかり。明日の6日は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇る見込みらしい。

 

 12月に入って、なんだかんだとあったけれど、今日は全く予定のない日。それでは・・ということでつかさの会の会長からのオーダーされていた「俵札調査」の印刷見本の印刷にかかった。

 

 県の担当者やさぬき市教育委員会などに提出して見てもらうのだという。オーダーは三冊だったけれど、ついでだからと五冊の印刷にした。

 

 前回は紙詰まりで中止。修理に出したらユニット交換で28,000円だというので、あきらめて、amazonで、12,000円の同型機を買った。ところが・・・印刷を始めたら、トナーがなくなりました・・・というエラーメッセージが。

 

 仕方がないから、またしても量販店に走って、トナーを買うことになった。

 

 ついでに、修理に出したプリンターを廃棄処分にしてもらった。リサイクル料金は540円だった。壊れたプリンターを返して貰っても意味がない。

 

 帰って来ると道の真ん中で悠々としているサルが・・・。見ると、頭上には十数匹のサル軍団。クラクションを鳴らして追い払った。奥方の野菜畑にはダイコンや白菜なんぞが植わっている。食べられたらおおごとだ。

 

 で、トナー交換後、印刷再開。正直なもんだ。

 

 で、製本して、五冊の研究発表論文ができあがった。

 

 昼からは、住宅確認のために散歩に出た。民児委員で担当する地区は6自治会。今日は、そのうちの4集落を歩いて見て回った。ここは空き家、ここは廃屋・・、ここはAさんち、ここがBさんち・・みたいに確認しながら歩いてきた。

 

 その後、自治会長のお役目を一件すませてからPC作業。

 

 おへんろつかさの会公式ホームページの更新作業。3日の仏教講演会とかの更新作業。終わりました・・・という修正とか。

 

 私のホームページも、行事予定欄の修正作業。できることからコツコツと。

 

 今日の掲示板はこれ。「いいこと悪いこと 一切をひっくるめておかげさま」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。雨が降るのも晴れるのも雪が降るのも風が吹くのも単なる自然現象。雨はイヤだ、風は寒いの・・というのは人間様の都合の話。いいことも悪いこともみんながあって私が作られる。いっさいがっさいをひとくくりにして「おかげさま」なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


枯れ落ち葉 踏みしめて来る 冬遍路

2016年11月29日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは寒気の影響で曇ってきた。気温は9.1度から15.1度、湿度は86%から62%、風は3mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の30日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夜遅くには雨が降る見込みらしい。

  

 恒例の火曜日の出勤はここ。なんだかんだのがあって、ここもお久しぶり・・という感じ。相変わらず、「歩き」のお遍路さんが多い。

 

 作業も大詰めになってきて、メンバーは女性陣5名と男性陣4人になった。渡邊会長は依然として古文書の解読、中島先生は分別、多田先生は写真撮影、私は展示用の分別作業・・・。

  

 多田先生は、こうして古文書の撮影。とにかく、画像データとして残さなければ、次の作業に入れない。

 

 現在、作業している寒川家の俵からは、とにかく雑多な紙くずが出てきた。その中の主要な「納め札」は整理が終わって展示中。だが、その他の多様な紙くずを整理中。これは、大正11年の「香川新報」。現在の「四国新聞」の前身である。

 

 これは高野山で回向してもらった書類である。こういうものは大切に仏壇なんぞにしまっておくものだと思うのだが、他の紙くずと一緒くた。

 

 これは大きすぎて見逃したようだが、これでも「納め札」である。こういう大きさの物ははじめて。これも展示しておきたいもの。

 

 これはこよみである。こうしたものを薬屋さんなんぞが配って歩いたものらしい。

 

 その合間に資料室から、衛門三郎のお話の載っている、この「伊予の伝説」と、

 

 「愛媛の伝説」とを借りて来てスキャニングしたけれど、この「愛媛の・・・」は小学生向きで少しも参考にはなりそうもなかった。

 

 この挿絵も・・・少しゆるいなぁ・・・。

 

 来年度の行事予定の中に、「島四国探訪」を予定するので、どこがいいか・・という会長の宿題は、塩飽本島(ほんじま)の「お大師まいり」ということになった。お大師まいり、「おせったい」もいいが、本島には見るところがたくさんあるから・・というのが理由だった。

 

 そう言われれば、しわく広島は石切り丁場ばかり。これという「見せ場」がないなぁ・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「ゴミ箱とお仏壇を見ると その家がわかる」というもの。いつもの赤松先生の文字らしい。最近のおうちではゴミ箱を家の外に置いてあるのは見なくなったが、お坊さんはおうちの中にまで入っていくし、お仏壇にもお参りするからよくわかる。まさか、今の時期に、お正月の松がそのまま・・・というおうちはないだろうが、茶色になったお花は、わが家ではしょっちゅうある。特に母がいなくなってからは、そのまんまのことが多い。案外と、紺屋の白袴、医者の不養生、坊主の不信心、医者の若死に、出家の地獄、易者身の上知らず、学者の不身持ち、駕籠かき駕籠に乗らず、鍛冶屋の竹火箸、紙漉きの手鼻、髪結いの乱れ髪、紺屋の白足袋、左官の荒壁、儒者の不身持ち、大工の掘っ立て、椀作りの欠け椀 ・・・などというのは有名なことば。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


良いことも みんな忘れて散るもみじ

2016年11月15日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、雨が降っている時間帯があった。気温は16.0度から19.9度、湿度は96%から78%。風は1mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の16日は高気圧に覆われるため概ね晴れる見込みらしい。

 

 小雨のぱらつく中、毎週火曜日はここに出勤する。前山地区活性化センターである。この中に、「おへんろ交流サロン」がある。その中の研修室をお借りしての俵札調査が、まだ、続いている。

 

 今度の日曜日、11月20日には、ここや、道の駅「ながお」で「もみじまつり」が行われるらしい。産直、即売所大売出し、黒豚夢豚特売、天ぷら、餅つき実演販売、各種バザー、宝探し、クイズゲーム、獅子舞、よさこい踊りなど様々なイベントが開催されるらしい。

 

 だから、研修室にもこんなものがつり下げられている。少し前のお店ののぼりみたい。ここで何をするのかは知らない。で、室内には、宝探し用の景品やらお茶やらがてんこ盛りになっている。そんな中での作業になった。

 

 最近、本を読むのが面倒になってきた。文字が小さく見えるようになった。これが老眼というものだろうか。で、テレビで宣伝している「ハズキ・ルーペ」というものをアマゾンで買った。確かに手元がよく見える。本を読んでも楽に読める。でも、ディスプレーや少し先を見ようとするとぼやけてしまってルーペを外さないとあかん。これがまた面倒だ。

 

 で、「グラス・ストラップ」というか、「メガネの紐」を百均ショップで買ってきた。こんなもの、すぐに飽きてしまうに違いないから108円でももったいないくらいだが仕方がない。

 

 で、またまた、宿題をもらってしまった。その①として、来年度の事業として、「島四国探訪」ということで、瀬戸内海の島々にある「お大師まいり」を歩くことにして、どこの島がいいかを検討すること。②は、現在、作業している寒川家の納め札以外の内容物の中から、展示できるものを選び出して、来春からの展示方法を検討すること・・・。③は、現在やっている「娘遍路」を本にする作業・・・。

 

 さらに、④として、明日の長尾中学校の出前授業に参加してお話をすること。⑤として、この20日に行われる「ルンルン♪なりきり「歩き」秋遍路」に参加される人の名札を用意すること。宿題ばっかり・・・(笑)。

 

 まぁ、作業はなんでもないことなんだが、いかんせん、プリンターが10年以上ともなると、紙詰まりだのインク切れだのと前には進まない。急ぐときには、こうしたものだ。

 

 まぁ、こういうもので良かろう・・・。おばちゃんたちの手書きよりかはカッコいいと思う。

 

 ホルダーに入れてみたら、それらしく見えるじゃないか。

 

 天気がよくない中、歩きへんろの人たちが大窪寺を目指して歩いていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日もまた 人の死したること聞くも 驚きもせで 生きておる我」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。だんだんと喪中欠礼のはがきが届くようになってきた。そんなハガキが届いても、「あ・・・」と思う程度でさほど驚きもしなくなってくる。「今日もまた、人の死したること聞くも、驚きもせで 生きておる我」。最近、芸能人や歌手やら俳優さんあたりが相次いで無くなっているが・・・さほど驚きもしないし、涙なんぞも出てこない。ましてや、この私が死ぬなんてことは考えてもみない現実・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


さざんかに 切れぬはさみを わらわれる

2016年11月08日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は湿った空気や前線の影響で雨が一日中降ったり止んだりを繰り返していた。気温は12.5度から17.8度、湿度は94%から74%。風は2mから9mの西風が一時は強かった。明日の9日は、冬型の気圧配置となるため概ね曇る見込みらしい。

 

 毎週火曜日の午前中はここに出勤する。さぬき市前山にある「前山地区活性化センター」、いわゆる「おへんろ交流サロン」である。ここで、私たちは毎週、「俵札調査」をやっている。今日も歩き遍路の方が数十名、休まれていた。

 

 11月は行事が多いためか、今日の参加者は5名。

 

 私は島の文化祭が終わったので、借りていた遍路札13枚を返納処理。

 

 この市井浦の「上(かみ)リヱ」さんはすぐに分かると思ったが、市井浦には「中谷」とか「上」さんは多くて分からないと言われてしまった。

 

 二千枚余りの遍路札の中に、順番を間違わずに挟み込んで返却するのだから神経を使う仕事だった。

 

 しわく広島は江戸時代から明治あたりは五浦から七浦になっていた。甲路という集落は青木浦から移り住んで「小浦」と呼んでいた地区が「甲路」になったし、江の浦から移住したのが「釜の越」という集落になった。どの集落にも500から700軒の家があったというが、今は40軒とか20軒ほどになってしまった。だから子孫を探しても分からなくなってしまった。

 

 その後は、中島先生と二人で「祈祷札」の整理をやっていた。お寺から授与された祈祷札を開くと、中に本当のお札が入っている。それを丁寧に取り出す作業をやっていた。画像として残すためには外に出さないと写真には写らない。

 

 一方で、私は島の「娘遍路」が持っていたであろう道具を「へんろ資料室」で写真撮影。

 

 今、調べている娘遍路に関する論文に資料として使う画像用である。こんなコンパクトなものに荷物を詰めて、お四国を歩いて回ったのである。

 

 外では雨が降ったり止んだりを繰り返している。

 

 午後からは香川県立図書館に行ってきた。借りていた本の返却日が近づいたためだった。

 

 で、娘遍路の資料になりそうな本を五冊借りて来た。江戸時代から昭和の初めごろは、「成人儀礼」ということで、若者遍路や娘遍路というものが行われたらしい。ところが太平洋戦争で中断し、戦後は意識改革が行われて、そうした若者による遍路はやまってしまった。

 

 だから、娘遍路の痕跡などすっかりと消えてしまった。それを調べ直して、後世に残す必要があるのだと、うちの会長は言うのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きているということは 死ぬいのちをかかえているということ」というもので、赤松円心先生の書かれた言葉である。これも「東井義雄」先生のことばである。いつ訪れるかわからない「死ぬいのち」をかかえて生きているということは、「生」そのものが当たり前でない、ただごとではないということを知ること で、初めてうなずくことが出来る言葉である。そしてそれは、「死ぬいのち」があるからこそうなずくことが出来るのではないだろうか。3月11日の東日本大震災では、一瞬にして多くの方々のいのちが失われた。そして、今でも厳しい現実に身を置かれている方々が沢山いらっしゃる。しか し、さまざまな情報が流れ、さまざまな問題が浮上してきている中で、情報だけに振り回されている私がいるように思う。今回の掲示板の言葉は、では、私は今何をすべきなのか、何を考えるべきなのかを問われているような気がするのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


霜月と なってエアコンを 頼りだし

2016年11月01日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、お昼前からは寒気の影響で曇ってきた。気温は14.0度から19.9度、湿度は84%から62%。風は2mから4mの北西の風が吹いて肌寒く感じた一日になった。明日の2日は、引き続き寒気の影響で概ね曇るらしい。

 

 恒例の火曜日はさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」に出勤。ちゃんとここには出勤簿が用意されていて、セルフサービスで出勤印を押すようになっている。

 

 昨年のことは覚えていないが、今年は「歩き遍路」さんが多いように思う。若い人も多いが中高年の男性も多いと思う。

 

 それに外国人が多くなったように思う。フランス人にオーストラリア人、ドイツ人・・・。ご夫婦連れの外国人も増えたと思う。

 

 だから、外国人用の般若心経も販売されている。

 

 今日から11月ということで、今日は男性3人、女性2人の出社になった。もう、あらかた作業は片付いてしまった。

 

 ということで、私は渡邊会長が担当している「寒川家」のデータをお借りして、瀬戸内海の島からのお遍路さんを調べてみた。これだけの22人だった。案外と少ないと思ったが、島からのおへんろさんということに注目していなかったから注意して読まなかった可能性があるとのこと。

 

 結局の薬局で、私が担当した田淵家のデータが目立っている。案外と少ないなぁという印象。

 

 肝心の観音寺市伊吹島の娘遍路の納め札は発見できなかった。はてさて、どういう論法でまとめようかと思案するばかり。

 

 ふと見ると、こんなものが。「納め札」と分類されている中にあったものだが、これも「納め札」なんだろうか。中央に「南無阿弥陀仏」という文字と、右側に「天下和順 国土安全」、左側に「日月清明 五穀成就」の文字・・・。はてさて。

 

 これは「納め札」らしいが、マンガ付きのものは初めて見た・・・。これらこそ、展示しておかならぬもの。どうして、こんな紙くずの中に埋もれていたのだろうか。

 

 これが、今月上旬の画像ファイル。今日は、28y11m01のフォルダーにある画像と、今日、撮影した画像ファイルとで、今日のブログを更新している。

 

 今日、会長さんは保険屋さんと交渉していたが、団体でボランティア保険を掛けるらしい。この「おへんろつかさの会」の会員は180名弱らしい。私らがここに出勤して帰るまでの間とか、養成講座のサポートをしている間の事故なんぞを考えてのことらしい。はてさて、どうなったもんだろうか。

 

 今日の掲示板はあっさりとこれ。「反省することは反省する。でも一度寝たら忘れる」という、ヤクルトの生んだスーパーキャッチャーであり名監督であった古田敦也さんの言葉から。反省は大事だけど、それをいつまでも引きずっていると「暗くなる」。一度反省したなら、それを次回に活かせばいい。明日は明日の風が吹くものだ。もっとも、私は加齢のためか寝なくてもすっかりと忘れてしまうのだが・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


つわぶきの 元気に踊る 虫がいる

2016年10月25日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で、概ね曇りで、夕方からは雨が降ってきた。気温は14.8度から23.3度。風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の26日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、概ね曇りで昼前にかけて雨の降る所がある見込みらしい。

 

 さぬき市の朝方は快晴で肌寒くて何を着ればいいのと迷ったほど。で、恒例の火曜日はさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」へ出勤。主な「納め札」のお仕事が終わって、その他のわけのわからない紙くずの整理になるとメンバーもぐんと減ってきたし、秋はそれぞれに多忙な様子。

 

 今日は男性3名、女性4名の7名になった。私は、バックにある膨大な遍路資料の中から、「娘遍路」の資料を探していたが、まったく、手がかりはない。

 

 これは、文化二年の「こよみ」である。こういうものを各家庭に配る風習があったのだとか。今とは違って、「大」の月は30日、「小」の月は29日であったとか。

 

 作業は大詰めにきたらしいが、なかなかに分類が難しいらしい。「お守り」と「護符」の違い、祈祷札とお守りはどう違うのか・・。そこで並べ替えたり入れ替えたり・・。

 

 私はお先に失礼して丸亀港に向かった。12時少し前に前山を出て、丸亀港に着いたのが13時10分。高速艇は14時10分初。コンビニで買った缶ビールとおにぎりで軽い昼食。

 

 高速艇「ニュービサン」に乗り込んだのは14時ちょうど。乗客は10名ほど。みんな街で食材とかを買い込んで大きな荷物を引きずっている。

 

 高速艇は海上10数分。今日は丸亀沖の海上にはイイダコ釣りの船は2隻だけだった。もう、潮が大きくなるころだろうか。港からは食材を入れたバッグとバッテリーを手押し車に乗せて引きずるのだが、今日は暑くて汗まみれになってしまった。

 

 荷物を玄関に入れようとドアを開けると、やっぱり、靴箱の上に財布と車のキーを置いたまんまになっている。誰も来なかったようで中身はそのまんま。この週末に孫たちが来るというので、玄関のキーは施錠していなかったのである。

 

 で、本日のミッションのバッテリーの交換である。交換前に、ためしにキーを回してみるが物音ひとつしない。完全にバッテリーは空っぽ。で、新しいのを乗せかえると、一発でエンジンは起動した。やれやれである。

 

 ミッション2は、この雑草の刈り払い。先日は雨が降ってきて、これだけが残ってしまったのだった。

 

 30分ほどで刈り払いは終わって、お風呂を沸かしてお風呂に入ってお洗濯。汗まみれになった作業服などを洗濯して部屋干しにして・・・。

 

 ミッション3は、家中のリモコンの電池交換。単四乾電池を入れ替えて、テレビが映ること、エアコンが動作することを確認して夕食・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「性格は顔に出る 生活は体型に出る 本音は仕草に出る 感情は声に出る センスは服に出る 美意識は爪に出る 清潔感は髪に出る 落ち着きのなさは脚に出る」というもの。どこの誰の言葉かは不詳だが、なるほど、もっともと思うことばかり。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋晴れは お寺の屋根を 軽くする

2016年10月18日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇りとなっていた。気温は20.4度から23.8度、湿度は98%から82%と蒸し暑かった。風は1mから2mの北東の風が一時は強かった。明日の19日は、引き続き湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 いつものように火曜日になったから、さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」にやってきたが、渡邊会長も副会長の柿木さんもやってこないし、中島先生も見えない。けれど、お休みになる・・・とは聞いていないし、メールも入っていない。

 

 最近、歩きのお遍路さんが多くなった。今日も外国人のおへんろさんが何人もやってきていた。で、「ワォ~!」とか「ヘェイ~」とかと賑やかだった。

 

 あんまりにも皆さんが遅いから、すぐ近くにある「前山ダム管理事務所」まで歩いて行ってきた。

 

 ダムの管理事務所は同じ県営ダムでも対応はバラバラ。玄関が開けっ放しの所もあれば、「ご自由にどうぞ」みたいな事務所もある。ここは関係者以外は立ち入り禁止だそうだ。

 

 このインターホンの丸いボタンを押して、「ダムカードを1枚ください」というと、「はい、持って参ります」というお返事。ここは内部からドアを開けてもアラームが鳴り渡る。

 

 これが、前山ダムのダムカード。昨日の門入ダムと同じように、「FNW」と、右下に「G」の文字が・・・。

 

 裏面は、これ、この通り。

 

 前山ダムは、讃岐山脈を水源とする二級河川である鴨部川水系鴨部川の総合開発事業の一環として、洪水調節、流水の正常な機能の維持および上水道用水確保を目的として建設された、香川県が管理する多目的ダムであり、高さ38.8mの重力式コンクリートダムである。たびたび洪水を起こす鴨部川の治水と、長尾町および志度町の上水道用水確保が求められていた昭和41年(1966)に鴨部川総合開発事業が構想された。1968年(昭和43年)から調査、設計、用地買収等が行われ、1972年(昭和47年)にダム本体工事を着工。1975年(昭和50年)3月に試験湛水が開始された。(Wikipediaより)

 

 9時半ごろになって、ようやく5人が集まってきた。で、先週の続きで俵の中に詰められていた紙くずの整理作業。女性陣は紙くずのしわ伸ばし。男性陣は、伸ばしてくれた紙くずを分類して整理をする。

 

 もう、これくらいになると、何がなんだか分からないものが多くなる。この絵は何をしたものか、何を意味するものかわからない・・・。

 

 午後からは香川県立図書館へやって来た。ほんのりとアキニレの葉っぱが紅葉している。

 

 今回、借りてきた本は民俗誌3冊である。渡邊会長からのオーダーは「娘遍路」についての研究であるが、一向に筆は進まないし、まだ、構成も組み立てられていない。

 

 伊吹島の娘遍路のことを調べたいと借りて来たのだが、娘遍路の事などどこにも記述がなかった。あれあれ、違う本であったのか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「吐いた言葉を呑みこめば 辛さ苦さが 喉を刺す」というもの。山田の法泉寺さんにあったものを利活用。「吐いた言葉を呑みこめば 辛(から)さ苦(にが)さが喉を刺す」。自分の言葉を呑み込んでみれば、辛さや苦さが喉を刺すようにきつい・・・。よくもこんな言葉を吐けるものだと驚かされる。よくよく言葉を吟味して話さねば・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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