まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

花冷えと いつまでも言う 道の駅

2017年04月12日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で昼過ぎまで曇っていたが、その後は高気圧に覆われて、概ね晴れていた。気温は10.7度から16.0度、湿度は82%から62%、風は5mから2mの西の風が少しばかり。明日の13日は、高気圧に覆われて、晴れる見込みらしい。

 

 花散らしの雨だと、あれこれ言うていたが、桜の花も簡単には散らない。自分の役目が終わるまでは散らないのだそうだ。でも、この桜の花の役目ってなんだろう。果実をつける訳でも実をつける訳でもないのに。

 

 迷犬ごんざれすの散歩の途中で、わらびを採った。最近はワラビばかりが食卓に並ぶ。

 

 この、「愛宕山大権現守護所」というお札をカブトの前立てにつけた武将がいたと書いた。

 

 仙台藩の重臣、「片桐小十郎景綱」だった。

 

 これを作ってみた。なかなかに下手だ。どんくさい。

 

 目が見えにくいし、手が震えて、うまくハサミやナイフが使えない。展示用には、作り直す必要がありそうだ。

 

 この「由加大権現」も複雑そう。奈良時代(733年)に行基がこの山に阿弥陀如来と薬師如来の二尊を「瑜伽大権現」(ゆがだいごんげん)として祀り、寺社を建てた。瑜伽大権現は、日本三大権現の一つとして数えられた。元は神仏習合の施設であったが、明治の神仏分離の法難にあい、前述の神社の場所だけを由加神社とし、分離。後に各地に分社が建立されたため、由加神社を由加神社本宮と称するようになった。第二次世界大戦後の国家神道解体に伴って、宗教法人としては形式的に分離したままで神職も配置していたが、事実上蓮台寺により一体的に運営され、僧侶が本殿で祈祷を行うなど明治以前の形態に復していた・・・と複雑。今は、神社とお寺が並んでいて反目し合っているらしい。

 

 これがわからない。「長日護摩供之トク」 本願 成就院」とあるが、高野山のどこからしい。金峯山寺かもしれないが、成就院がわからない。

 

 その袋の中に、こんなお札が入っていた。またしても「祇園社」である。わからん・・。

 

 さて、今日は第二水曜日ということで、民児協の定例会。今月は当番ということで、会場準備とかお茶の準備。終われば片付け・・・。

 

 なにせ、頭がお役所だから、人事異動があったようで、見慣れない人が挨拶にやってきていた。

 

 行事予定やら決算報告やらであたふたと終わった。

 

  今日の掲示板はこれ。「親切が過ぎると怨まれます 親しすぎると疎まれます」という、荒了寛さんのカレンダーから。親切が過ぎるとおせっかいにもなるし、親しすぎるとなれなれしいと思うようにもなってくる。そのかねあいが難しいところ。遠く成らず、近くならず・・・という距離感も必要なのかも。

 

じゅあぁ、また、明日、会えたらいいね。


吹き抜ける 桜吹雪の 宮の庭

2017年04月11日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、前線を伴った低気圧の影響で、終日、雨が降っていた。気温は11.6度から14.2度、湿度は90%から84%、風は7mから2mの東の風が一時は強かった。明日の12日は、高気圧に覆われるが、寒気の影響で、概ね曇る見込みらしい。

 

 ということで、小雨の降る中、さぬき市前山にある「前山地区活性化センター」にやってきた。こんな雨の中でも、歩き遍路の方が一人、二人とやってきていた。

 

 これまで、私が調べたことなどを、展示ケースに並べてみた。祇園社のものや「蘇民将来符」、讃岐の瀧宮にあった「龍燈院」の護符などを並べてみた。

 

 今はまだ、仮置き状態。全体のバランスや空白部分などは後で調整する。

 

 まだ、照明をつけていないので、ぼんやりとしか写らない。

 

 次のお札はこれ。「讃州寒川郡長尾西稲荷庵」というもの。これも明治になって廃寺となり、今は「稲荷神社」になっている。この鳥居の「稲荷大明神」と言う文字。

 

 写真が悪いが、この紺色ののぼりには「奉納 稲荷大明神大前」と、染め抜かれており、「塚原稲荷神社あばれ御輿」として有名な神社になっている。

 

 これは、「石鎚山蔵王大権現」のお札である。江戸時代には、前神寺や横峰寺を別当としていたが、明治維新の時、「権現禁止令」で「石鎚神社」となった。

 

 こんな、恐ろしい人だったらしい。今の石鎚神社は石鎚毘古命(いしづちひこのみこと)をおまつりしているそうだ。

 

 それから、このお札も「大権現」であるから、江戸時代の物。神仏習合の時代には本地仏である勝軍地蔵がまつられていたが、明治初年の神仏分離令で白雲寺は廃絶、愛宕神社となった。

 

 このお札をかぶとの前立につけたのが「片倉 景綱」で、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達氏の家臣。伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉氏の初代で、景綱の通称「小十郎」は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。兜は、神符八日月前立筋兜。

 

 で、またまた、観光ボランティアのお仕事が舞い込んだ。中学生154人を五班に分けて引率、ガイドするらしい。これは大変だ・・・。場所は、長尾寺さんと大窪寺さん。移動はバス三台らしい。

 

 桜は満開状態なのに雨ではかわいそう。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生は単に長さだけでなく 幅もあれば深さもある」という金子大栄先生の言葉から。世間一般的には人生が長いほうがより価値があるように言われたりするし、長生きすることが幸せだと考える人もいるが、いのちというものが単に抽象的な長さだけで考えられてはならないと思う。真に人間のいのちならば、長さのみならず幅もあれば深さもあるはず。年齢を重ねれば、それだけ人生をよりよく見、経験するわけだから、それだけものわかりがいいはずなのに、反対に我が強くなり柔軟心に欠け、思い通りにならないと人生を嘆き、時には怒り出すことも無きにしもあらず・・・・・。やはり人は、いのちを空しく長さだけに生きるのではなく、いのちを深さにおいて生きることが大切なのではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


春の雨 草の芽吹きを 祝うよう

2017年04月08日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼前から夕方は雨が降っていた。気温は13.8度から19.4度、脱げば寒いし着れば暑いという微妙な温度、湿度は98%から84%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の9日は、前線や湿った空気の影響で、未明は雨が降る見込み。その後は、寒気の影響で概ね曇るらしい。

 

 木田郡三木町の三木町役場前の桜も満開状態。天気が良ければきれいに見えただろうに。

 

 借りていた本の返却時期が迫っていたため、雨の降らぬ間に香川県立図書館にやってきた。

 

 例年なら、しわく広島での「こんぴらさん」のおまつりの準備のために、島に帰る予定だったのだが、明日の九日に法務が入ったために、今日は待機ということになった。それに、今日は瀬戸内海が濃霧のために「停船勧告」も出ていたし・・・。

 

 で、五冊の本を返却して、新たに五冊の本を借りてきた。

 

 図書館前のアセビの花も真っ盛りというところ。

 

 帰り道、さぬき市長尾東にある「亀鶴(きかく)公園に寄ってみた。八分から九分・・・というところだろうか。でも、天気がよくないからか、人出はさっぱり・・・。

 

  少し前までは貸しゴザとか貸しスワンとかもあったのだが、需要がなくなったのか、はたまた花見客が減ったものか閑散としていた。お客を当て込んで露店も数軒が営業していたが暇そうにしていた。

 

 さて、自宅に戻ると「印刷」の再開である。トナーも交換して用紙も補充して。

 

 A4版両面印刷で製本用に印刷する。

 

 お昼前から雨が降り出してきた。

 

 今日は、おへんろ資料館保存用の「四国遍路の闇と影」という、おへんろさんの闇の部分をまもとめたもの。病気遍路や職業遍路などの「影」の部分とか・・・。

 

 どんどんと製本作業も進んでいる。

 

 どことも桜は咲き揃ってきた模様。

 

  今日はお釈迦様のお生まれになった日。仏教を開かれたお釈迦様は、恵まれた身分を捨て、誰もが救われる道を求めて6年間の修行の後、お悟りを開かれた。体はやせ細り、骨と皮のようになるまでの苦しい修行だったのだが、苦行からは悟りは開けないということに気が付いた。しかし、その6年間が無駄だったのではなく、長い思索の中から尊い教えが導かれたと考えるべきだろう。お念仏の元祖、法然上人も一切経などの膨大な教典や書物を何度も読んで、考え抜いた末に「お念仏」を選び取り、どんな人でも分け隔て無く救われる道を開かれた。お釈迦様も法然上人も「万人救済」という崇高な目標を見失うことなく、強い心を持ち続けることができたからこそ成し遂げることができたのであろう。私たちは、法然上人の御遺訓「一枚起請文」に「ただ一向に念仏すべし」とあるように、他のことに惑わされることなく、阿弥陀仏の大慈悲とお救いを信じ、すべてまかせきる気持ちをもって、お念仏の生活をすることが大切でるなぁと感じいる今日であった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


音もなし 独り花見の 桜かな

2017年04月06日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は11.8度から22.4度、湿度は80%から62%、風は1mから3mの南の風。明日の7日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、朝を中心に雨が降る見込みらしい。

 

 さて、昨日のお昼過ぎのことである。私の所属している「おへんろつかさの会」という観光ボランティア団体の「渡邊会長」から携帯電話に連絡が入った。

 

 昨年に私が作った、「田淵家の俵札(遍路札)に関する調査研究報告」の印刷が決定したので、データーや資料を集めておいて欲しい・・」とのこと。

 

 「お茶の子さいさい・・」と、パソコンの中身を調べて行けば・・・、そのフォルダーがどこにもない。通常は、一つの研究ごと、著作ごと、講演会ごとのフォルダーを開いて、そこに全てを格納している。だのに、そのフォルダーがどこにもない。4台のPCの、全てのHDDを確認したが、どこにもない。Windows10の自動更新時にハングアップしてしまって、ノートPCも交換した。そのときに消えてしまったのか・・・。

 

 こんな膨大なデーターを作り直すなんて、とてもじゃないが不可能に近い・・・。一気に血圧が上昇して、測定不能に陥った。測定エラーで計れない。頭痛がする・・、呼吸困難になる・・・。昨夜は風呂にも入らず、血圧安定剤を飲んで早めに寝た。

 

 85歳のおばあさんの自治会長の件を、市役所のどこに相談すればいいのか、無くなった教育委員会のデータは、どうやって修復するのか・・・、結局、朝方まで寝られずに過ごした。

 

 朝の迷犬ごんの散歩中、犬が足を滑らせて、この水路に落ちた・・。犬は暴れる、しぶきはあがる・・・。私は夢うつつ状態。近くの竹の棒で、リードを引っかけて、水路から引き上げたが、犬も私も全身ずぶぬれ・・。毛布でくるんで、ドライヤーで乾かして・・・

 

 なんとか、時間内に狂犬病の予防注射を受けた。一瞬の注射で、2,850円。

 

 犬を家に戻しておいて、「さぬき市歴史民俗資料館」に直行。渡邊会長がここで作業をやっているらしい。「会長と中島先生に、データを渡してあるはずだから、至急、探し出して欲しい・・・」とお願いをして戻ってきた。

 

 戻って来たらば、また、この子だ。今日はシャツ一枚姿。今日は声を荒げて、帰るように促した。とにかく、事故に遭わないようにはしておかねば・・・。

 

 気持ちを和らげようと、またしても大川ダムにやってきた。もう、五分咲きから七分咲き。しかしのかかし、誰も花見には来ていない。このダムができた頃には大勢の花見客で賑わったのに。

 

 で、今日も「独り花見」になった。血圧は、今朝になると、すっかりと落ち着いていた。

 

 このように、先っぽには緑の若葉が見えている。花は花、葉っぱは葉っぱの桜らしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「まっさらな ランドセル 背負う その身に かけられた願いは 今も私に」という「佛光寺八行標語」。いつもお世話になっている町内の「善楽寺」さんの掲示板から。いよいよ新学期も始まって、新入学生も新しいランドセルを背負って歩き出すことだろう。「元気に行ってらっしゃい」、「気をつけて行くんですよ」、「元気に帰ってきてね」、お母さんの願いは暖かくやさしい。それと同じ願いが、今も私にかけられている。気づかなかったけれど、そんな母の願いが、私たちにもかけられている。そのことを、新しいランドセルから感じ取る、今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ワラビ採り 今日もあたふた 日が過ぎる

2017年04月02日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は6.8度から8.9度、湿度は90%から50%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の3日は、高気圧に覆われるため晴れる見込みらしい。

 

 昨日の花見の宴の片付けが終わったら、いつもの香川県営大川ダムまで歩いてやってきた。天気がいいから、どなたか、花見でもやってるかいな・・・とやってきたのだが誰もいない。

 

 ここの桜はちらほらと数輪が咲いている程度。

 

 これでは花見をしても雰囲気は盛り上がらない。来週あたりがいいのかも。

 

 集落内一周散歩をやっていると、あちらこちらで野サルが遊んでいる。休耕田でひなたぼっこを楽しんでいる様子。

 

 散歩の途中でワラビを見つけた。今年はまだ、ワラビもツクシも見ていなかったのだ。

 

 ようやくにして、これだけのワラビを見つけられたことだった。

 

 お昼からは宿題のお勉強。祇園牛頭天王社の展示用資料の整理。うちの会長は「古い物」がお好き。だから江戸時代の年号が入っていると大喜びするが、こういう年号の入っていない紙くずには目もくれない。

 

 これは上部に薬師三尊の印が押され、下には「牛頭天王社」の文字印が押してある。これを調べてみたら、釈尊の住んでいた「祇園精舎」の守り仏が「薬師三尊」であるという。それが垂迹したのが牛頭天王(スサノオ)であり、「祇園牛頭天王社」になったという。

 

 これは先日に訪ねた、「瀧宮龍燈院」の説明版。プリンターで印刷した用紙をパネルに貼ってみた。

 

 このお札を発行したお寺が「瀧宮龍燈院」であった。田舎では、牛馬は大切な物だったので、遠く京都や滝宮へもお参りをしていた証拠である。

 

 これは「蘇民将来子孫也」という紙こよりであるが、どうするものだろうかと思っていたら、

 

 こうして使うものらしい。これも京都の祇園社から請けたものらしい。

 

  今日の掲示板はこれ。「心の中に降る雨に 人の情けが傘をさす」というもの。私たちは誰もが一人で生きることはできない。誰だかの支え、願い、支援によって辛うじて私たちは生きているように思う。それらの支援が自分の目に見える場合もあれば、見えないところで支えていただいている場合もあって・・・。他人様の親切の暖かさに触れて、元気をいただき、落ち込んだときも起き上がることができるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


木瓜の花 歴史の扉 押し開ける

2017年03月29日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇りとなっており、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は6.2度から14.3度、湿度は94%から48%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の30日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、明け方まで雨の降る所がある見込みなのだとか。(tenki.jp)

 

 水曜日になったので、香川県立図書館にやってきた。この前に借りた「自分史」に関する本を斜め読みしたが、あんまり参考になるものはなかった。

 

 そこで、五冊の本を返却して、またも五冊の本を借りた。

 

 ここの図書館に仏教書はたくさんあるのに、「神道」に関する本は多くない。八坂神社や祇園社の本を探したが二冊しかなかった。そこで、ついでに狛犬の本を三冊借りてきた。

 

 祇園神社は、牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社であった。他に祇園信仰に基づく神社名称としては、八坂神社(八阪神社・弥栄神社)、広峯神社、天王神社、八雲神社、須賀神社、素盞嗚神社などがあり、時代や資料によって通用される。名称は、神仏分離以前に現在主祭神とされているスサノオが祇園精舎の守護神である牛頭天王と同一視され祀られていたことから来ている。同様の信仰を持ち、「牛頭天王社」と称する神社も多かった。

 

 明治に神仏分離が行われた際、仏教の神である牛頭天王は祭神から外され、神道の神であるスサノオが残ったが、同時に多くの神社名から仏教用語の「祇園」や「牛頭天王」が外され、総本社である京都の祇園社も八坂神社と改名された。しかし神社の名前が変更されても、地名としての「祇園」「天王」や、奉納される祭の「祇園祭」「祇園御霊会」といった呼称、また神社の愛称としての「祇園さん」「(お)天王さん」等が残っている地域は多い。

 

 昨日の「牛の絵」である。ここに「讃州龍燈院」とあり、「滝宮」と書いてある。調べてみると、和銅二年(709)、行基菩薩が滝宮の綾川に霊を感じて祠を作ったのが始まりとの伝承がある、龍燈院綾川寺(明治元年から滝宮神社となる)があったらしい。

 

 そこで、綾川町にある「滝宮天満宮」に行ってみた。菅原道真は国司として在任中は善政を施していたので4年間の任期を終えて京に帰るとき、人々は川西で見送りをし、頭を伏せて拝んで別れを惜しんだ。道真は京に帰ってから出世し右大臣までなったのだが、藤原家の画策により冤罪を負って、九州大宰府に流されることになり、海路で向かっていた途中、強風で高松市香西の神在浦に三日間泊まっていた。これを知った龍燈院綾川寺の住職空澄は会いに行き、許されて船上で会うことが出来、少しの時間別れを惜しんだという。別れ際に道真から記念として御装束と自画像を賜った。その2年後に道真が大宰府で亡くなったのを知った空澄は道真が官舎としていたところに小さな祠をつくり、道真から賜った二品を奉納して道真の冥福を祈ったのが「滝宮天満宮」の起源と言われている。

 

 これが「龍燈院跡」の石碑である。道真が讃岐に赴任した当時、綾南町の滝宮神社の境内になっている辺りには行基が開創といわれる龍燈院という寺があった。道真は、龍燈院の一角にあった官舎に住んだと伝えられている。道真が赴任した当時、龍燈院の一角には讃岐一国の氏神を祀る祠があり、寛平元年(889年)、その祠に道真と龍燈院主とが祇園から牛頭天王を勧請して社殿を創建し、それが後の滝宮神社になったと言われている。しかし、明治維新の神仏分離策により滝宮神社は残り、龍燈院は廃寺となってしまった。その後龍燈院の建物は焼失して今は神社境内に跡地の記念碑が残されているのみである。

 

 NHK-TVでやっていたが、「ブラタモリ」で讃岐うどんの発祥地と言うていたが、空海さんが唐で習ってきた「うどん」を甥の「智泉」に教え、それを一族に食べさせたのが「うどんの発祥地」となったそうだ。

 

  滝宮神社は、明治初年の神仏分離令までは、巖松山綾川寺龍燈院の牛頭天王社と称していた。寛平元年(889年)讃岐国司菅原道真と龍燈院主空澄が、祇園牛頭天王社を勧請したのが由来。堂宇は、明治6年の西讃竹槍騒動により焼失。以後再建されたもの。

 

 午後からは「集落内散歩」で大川ダムまで歩いてきた。

 

 暖かくなったので一気に開花するかと思えば、わずかに、この一輪だけの開花だった。この調子だと、31日の「塩飽本島お大師まいり」でも桜の花は見られないかも知れない。

 

  今日の掲示板は、今日のお話とはまるきり関係ないが、「気分ひとつで大違い まだ半分 もう半分」というもの。冗談半分で引き受けた「俵札」研究。たいしたことあるまいと、たかをくくっていたが、開けてびっくり、「パンドラの箱」。昔の筆文字は読めない。古文書には触れたくない。でも、どうにか・・・大きな峠は越えられた。これは、「もう、半分?」「まだ、半分?」・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


花冷えの 陽だまりにいる 猫二匹

2017年03月28日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは曇ってきた。気温は5.7度から13.8度、湿度は90%から66%、風は2mから4mの西の風が一時は強かった。明日の29日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨の降る所があるらしい。

 

 毎週、火曜日はここに出勤である。さぬき市前山にある「前山地区活性化センター」である。通称は「おへんろ交流サロン」というお遍路さんの休憩場所になっている施設。

 

 今日は、5月のウォーキングのチラシの文面の推敲・校正作業を、ああだ、こうだ・・とやっている。

 

 私と中島先生は、次の展示の準備中。まずは、「飯田家の納め札」の撤収と元のファイルに戻す作業。

 

 整理が終わると、次は展示の準備。今回は「六十六部日本廻国」の納札である。六十六部廻国聖とは、法華経を66部書写して、一部ずつを66か所の神社仏閣の霊場に納めて歩いた巡礼者。室町時代に始まるという。また、江戸時代には、仏像を入れた厨子(ずし)を背負って鉦(かね)や鈴を鳴らして米銭を請い歩いた者たちを言う。略して六部(ろくぶ)とも言った。

 

 今回は、仮置きをしてみて、枚数とかの調整をすることになった。日本廻国の納札でもずいぶんと残っていたものだ。

 

 春になると、ぽつりぽつりと歩き遍路の方がやってきて、しばらく休んだり、係員に説明を聞いたりする。私どもはノータッチ。質問されたらお話くらいはするのだけれど。

 

 ひょんなことから、大阪の神職さんからメールを頂いて、この変哲もない紙切れが、とても大事なものだとお知らせを頂いた。

 

 それに関連して、「感神院」というお札も見つかった。

 

 こんな「牛」の絵も数枚、見つかった。「当社は慶応4年(1868)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。」と、八坂神社の由緒にはある。

 

 これは、「蘇民将来子孫也」と書かれた紙符。「我蘇民将来之子孫也」という 八坂神社などののお札は、「私は蘇民将来の子孫です。だから、ご先祖さまと同様、あなたさま(疫病神)を手厚くもてなします」という意味が込められているというのである。京都の八坂神社の祭神のスサノオは疫病神(疫病の神様)で、スサノオを鎮めるために行われるのが祇園祭であるという。スサノオが疫病神になったのは、中国の伝承と結びついたためであるらしい。

 

 ということで、このコーナーは私が担当することになった。そういえば、しわく広島には、「祇園牛頭天王社(八坂さん)」という神社があったことを思い出した。

 

 午後から、県営大川ダムまで散歩してきたが・・・

 

 桜の開花はまだ、なかった。でも、だいぶ、つぼみがふくらんできている。

 

 今日の掲示板はこれ。「別れがあるから 毎日が貴重である」というもの。朝ドラもいよいよ最終の週になるらしい。「いくらお金があっても買えないものがある。それは寿命だ」とか言うセリフがあったような・・・。必ずやってくるお別れの時、それまでの時間をいかに明るく楽しく元気よく過ごせるのか・・・。そのことを考えてみれば、今日という日、今という時間が貴重だということは納得できることではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雪柳 彼岸の墓の 髪飾り

2017年03月21日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は低気圧の影響で昼過ぎまで雨が降っていたが、その後は冬型の気圧配置となるため晴れ間も見えたが、夕方からはまたしても曇ってきた。気温は6.2度から13.0度、湿度は92%から74%、風は2mから5mの北西の風が少しばかり。明日の22日は高気圧に覆われるため、概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨日は暑いほどだったが、一転して今日は肌寒い一日になった。

 

 毎週火曜日は、ここ、さぬき市前山地区にある「おへんろ交流サロン」に出勤する。

 

 一年間、展示を続けていた納め札の展示を終えることになった。その後へ、これまで調べてきた護符や神符、お守りなどの「俵札」を展示することになった。

 

 とりあえず、私の担当だった「田淵家」の納め札を全て引き上げた。

 

 引き上げた納め札を、間違えないように、元のファイル、元のホルダーに戻していく。まるで神経衰弱ゲームみたいなものだった。

 

 その後、次の作業についての打ち合わせ。今月31日に塩飽本島で行われる「お大師まいり」の実地研修である。でも、本音は勤番所や専称寺や人名の墓見学、東光寺の仏像拝観や両墓制の見学らしい。

 

 作業は午前中で終わって、また、来週。

 

 お昼からは、集落内の地神さん、山の神さん、お地蔵さんで日曜日に集めたお賽銭をJAさんに入金して、今年度の私のお仕事はおしまい。

 

 JAさんで、三ヶ所から集めた377円のお賽銭を入金。ここもしばらく来ることはないと思う。

 

 で、会計処理をすませておいて、

 

 総会用の会計報告書も作成しておいた。自治会総会は、今週の土曜日の25日。

 

 ついでに、我が家の会計帳簿も処理しておいた。

 

 東京では桜が開花したというニュースが流れたが、我が家のハクモクレンもようやくに開花してきた。

 

  今日の掲示板はこれ。「できない理由をいくら挙げてもしようがない。逆にどうしたら前へ進めるかを考え、一つひとつ手を打っていく。そういうふうに思考回路を転換することで、道はひらけていく」という荻田伍さんの言葉から。荻田 伍(おぎた ひとし、1942年1月1日生 )は、福岡県出身の日本の実業家。アサヒグループホールディングス相談役。失敗したこと、うまくいかなかった理由や言い訳を幾ら並べても済んだことは仕方がない。今度は、どうしたらうまく行くだろうかと前向きに考えて一つ一つを積み上げていくしかない。そうでなければ、あんな大きなピラミッドなんぞ積み上げられる訳がない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


肩の荷を 一つ下ろして やぶ椿

2017年03月18日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは雲が広がってきている。気温は2.0度から12.8度、湿度は96%から56%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の19日は引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日も前山へ出勤だが、今日の会場は交流サロンではなくて、この前山公民館、正式には長尾公民館前山分館・・という。

 

 今日は、長年の「俵札」調査の総まとめ、「こんなことやりました」という報告会だった。

 

 今日は、報告者側だから会場設営も担当する。プロジェクターの設置からスクリーン用意、マイク設備の確認、テーブルやイスの準備などをやっておいてから、駐車場係も務める。

 

 9時半から、まず、「俵札」講演会が行われる。

 

 講師は県教委・生涯学習課の片桐孝浩先生で、「四国遍路と俵札」というお話だった。四国遍路と遍路道を世界遺産登録にするためには、こうした地道な調査研究の積み重ねが大事だと力説されていた。

 

 参加者は、会員さんが40名、一般から20名ほどが熱心にメモを取りながら耳を傾けていた。

 

 1時間の講演が終わると、今度は、俵札を調査した過程などの苦労話などを私たち担当者が報告する。

 

 くしゃくしゃに俵に押し込まれていた紙くずを、丁寧に伸ばし、整理をした苦労や課程を報告したのは佐々木女史。

 

 その伸ばした納め札を解析し、読み取り、パソコンに投入した苦労などを実物写真や資料を示して報告したのは中島先生。

 

 その整理した納め札などをカメラで画像に収録した苦労話をしたのが多田先生。大きい物や断片などをいかにカメラに収めるかというお話をされていた。

 

 私は資料保存というテーマで、私が書きためた、これまでの作業の流れや動きについてのドキュメントや田淵家の俵札についての調査研究報告書とか、市教委発行予定の資料集の見本とか、この前にまとめた「娘遍路」に関するお話を担当した。

 

 「俵札」という、マイナーで普段には耳にしない言葉なのだが、皆さん、静かに耳を傾けてくれていた。

 

 11時半には、会場の片付けや整理も終わって解散となった。これからは、護符やお札などの展示に切り替えていくことになる。

 

  今日の掲示板はこれ。「努力した人ほど運が良かったと言い、努力が足りなかった人ほど運が悪かったという」というもの。誰の言葉かはわからないが、あちらこちらで見かける言葉である。努力と運とが関係するのかどうかもわからないが、要は自分の気持ち次第だと言うてるのだと思う。若い頃には「運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど、そういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思う・・・」という歌が好きだった。今は、運だ、天だと考えることもなくなった。加齢なんだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


深呼吸 して木蓮の ただ白さ

2017年03月15日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で概ね曇っていたが、午後からは晴れ間が見えてきた。気温は4.5度から11.5度、湿度は79%から62%、風は3mから7mの西北西の風が強かった。明日の16日は冬型の気圧配置が緩み、高気圧に覆われてくるため、概ね晴れる見込みらしい。

 

 ふと、気がついたのだが、我が家のそばを流れる水路に水が流れている。昨年は一度も水が流れることはなかったのだが、ようやくに、「みろく奥池」の改修工事が終わったのだろうか。

 

 さて、新規会員さん用の「名札」を作ることになったので、名札用紙に添付されていた「ラベル屋さん9」というアプリをインストールした。ところが内蔵されている「テンプレート」は二つだけ。こんなんでは役に立たないので・・・、

 

 ジャストシステムの「ラベルマイティ9」でやってみたのだけれど、「名札」そのものを作る機能がない。仕方がないので、バージョンアップ(有料)して、「ラベルマイティ17」にした。それでも、「名札」とか「IDカード」という項目はない。今時、「つり下げ名札」が作れないなんて、どうしたことだ。でも、印刷用紙には「ラベルマイティ適用」と印刷されているのに・・・。

 

 気分転換に「香川県立図書館」に行って来た。借りていた本を返却するためである。5冊の本を借りていたが、2冊ほどしか読めなかった。やはり、専門書は難しい。

 

 今日は寒いからか、駐車場はガラガラ・・・。館内にも人影は少ない。アセビの花が膨らんできている。

 

 専門書はあきらめて、今回は写真集にした。

 

 こういう本も借りた。

 

 中身は、こんな感じ。私らも神社の境内で、先輩たちにやらされたものだった。先輩が鞍馬天狗だったり正義の味方で、私らは下っ端のさむらい役だった。

 

 広い道はおそろしいから、車の通らない山道をトロトロと走っていたら・・・、

 

 上空にヘリコプターが飛んでいる。山火事消火の訓練らしい。

 

 香川県防災航空隊所属の「オリーブⅡ」である。時々、この「門入ダム」で消火訓練を行っている。

 

  緊急運航として、離島や交通の不便な地域からの救急患者の搬送や遭難者などの救助、林野火災における消火活動、災害時の緊急物資や人員などの輸送、他県の災害時の応援などをやっている。通常は災害訓練や広報活動などに使われている。

 

 今日は風が冷たかったが、若者が数人、キャンプをやっていた。

 

  今日の掲示板はこれ。「生きるうえで「悩み」はつきものです。 まったく悩みのない人生などあり得ません。生きるということは、すなわち悩みと共に歩くことなのです。という枡野俊明さんのことばから。枡野俊明(ますの しゅんみょう/1953年2月28日-/男性)さんは、神奈川県横浜市出身の曹洞宗の僧侶で作庭家。神奈川県にある建功寺の住職を務める人物であり、禅の 思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動で国内外から高い評価を獲得。日本造園設計の代表を務めるほか、多摩美術大学環境デザイン学科教授や ブリティッシュコロンビア大学特別教授も兼任している。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


沈丁花 うかぬ顔する 郵便夫

2017年03月14日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇り、雨の降っている所があった。気温は6.6度から12.5度、湿度は89%から55%、風は2mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の15日は、冬型の気圧配置となり、概ね曇る見込みらしい。

 

 今日も「前山おへんろ交流サロン」にご出勤。小雨でワイパーを動かしながらの移動になった。

 

 すると、いきなり、「こっち、こっち」と、長尾公民館前山分館に向かった。この土曜日に、「俵札調査報告会」が行われるので、会場の確認。マイクを操作しているのが、和田館長さん。

 

 会場の確認が終われば、こちらの、「前山地区活性化センター」の研修室に移動。慌ただしいことだ。

 

 で、今度は、報告会の打ち合わせ。何時に集合して、会場設営して、あれして、何して、お茶は何本、何箱用意して・・・と。私も一応、発表者。

 

 私は「資料整理」ということで、私がまとめた記録集について10分程度、お話をする。

 

 

 外ではおじさんが何かの木を植えている。もう、雨はあがったみたい。

 

 三月になれば、ぼつぼつと歩き遍路さんがやってきている。今日も若者が二人、ここで休んでおられた。

 

 平成25年の春、総会の時に、「誰か、パソコンできる人いませんか・・」というので、手を上げたばかりに、ずるずると、間もなく4年。毎週、火曜日ごとにやってきて、もう、四年・・・。

 

 今日も、10期生の名札を作れ・・というので、電気屋さんに来たのだけれど・・・

 

 こういう名札用の印刷用紙が見当たらない。仕方がないから、amazon.com ででも探すとしようか。これもまた、全くのボランティア。

 

 そうそう、昨日のこの本、皆さんに渡したのだけれど、「うぁ・・文字ばかり・・」ということで、話題にものぼらなかった。ま、当面の報告会のことが頭いっぱいなのかも。

 

 先だ、先だと思っていた報告会も、もう、すぐそこ。それが終われば自治会総会。

 

 今日の掲示板はこれ。「思い通りにしようとする心が苦しみを生む」というもので、町内の善楽寺さんにあったものから。私たちは自我があるので皆、思い通りにしたいという心を抱いている。この思いが強ければ強いほど、思い通りにいかなかったとき、腹が立ち、怒りがわき起こる。苦しみもわき起こる。苦しみの原因は、自分の思い通りにならない自我が起こしているのである。そのことに気づいていたら、苦しみの原因がわかれば対応できるのである。自分が正しい、お前は間違っていると強 く言えば、相手は傷つく。そういうときは控えめに話した方がいい。少しでも相手を思いやる心があった方がいい。「正しいことをいうときは少しひかえめにするほうがいい、正しいことをいうときは相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい。」吉野弘「祝婚歌」より

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雨垂れに そっぽ向いてる 沈丁花

2017年03月13日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎにかけて雨の降る所があった。気温は6.0度から13.7度、湿度は92%から66%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の14日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 天気予報では午前中は曇り・・ということだったが、我が家では細い雨が降り続いていた。だから、犬の散歩もなし。

 

 で、小雨の中をさぬき市役所まで走ってきた。この頃には小雨も上がってきたようだった。

 

 例の義姉の個人番号カードの再設定である。暗証番号を忘れたので、一旦、リセットしてしまってから、再度、暗証番号を設定するそうだ。本人じゃないから、二週間もかかってしまった。

 

 これで、義兄夫婦は「さぬき市民」になった訳だ。市民を二人も移住させたのだから、市長さんから感謝状でも貰いたいものだ。

 

 それが終わると、奥方の口座から現金を引き出して・・・

 

 この機械の操作にもすっかりと慣れた。

 

 現金封筒を買って、親戚へお祝い金を送って欲しいとの奥方からの伝言である。ま、これも先日にやったばかりだから、難なく完了。でも、昔は「封緘紙」という切手みたいなものを張ったように思うが、あれは、もう、なくなったのか。

 

 さて、昨日の作業の続き。「島の乙女たちと娘遍路」という冊子の試作版ができた。それを元に校正し、修正し、印刷することにした。前山の俵札のメンバー用である。

 

 表紙だけは、少し厚めの紙でカラー印刷にした。これを五部作成。

 

 製本もできあがった。これでバッチリ。明日、みんなに見て頂く予定。

 

 裏表紙の印刷段階で、カラーインクが切れてきた。が、まだ、交換しろというアラームは出ない。

 

 お昼からも雨になった。だから、今日のウォーキングも、担当地区内パトロールもやめにした。今日もなんだかおなかが張るようで息苦しい。ちゃんと、利尿剤も飲んでいるのに、トイレの回数が少ない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は楽ではない そこが面白いとしておく」という武者小路実篤さんの言葉らしい。いつもお世話になっている、町内の善楽寺さんの掲示板から。

 

 こういう、画文集のタイトルである。器の中で寄り添うカボチャ、トマト、タマネギ、ニンジン、ピーマンの絵に「仲よき事は美しき哉」と書いてあった記憶が残る。カボチャとトウガンを並べて書いて、「君は君 我は我也 されど仲よき」なんていう言葉もあった。変な画家だなぁと思ったものだが、武者小路 実篤(1885~1976)が高齢になって描いた絵と文には何だかホッとさせられたもの。80を過ぎてからは作品に年齢も記載するようになった。「もっと働きたい」(88歳)、「桃栗三年 柿八年 達磨は九年 俺は一生」(89歳誕生日)・・・。「桃栗三年 柿八年 暁光大馬鹿六九」う~む。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


晴れてよし 曇ってもよし 梅の花

2017年03月07日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、概ね曇っていた。寒気の影響で、夜は雨や雪の降る所がある見込みだとか。気温は6.8度から10.6度、湿度は82%から51%、風は5mから8mの西の風が強くて寒かった。明日の8日は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇るらしいし、明け方まで雪や雨の降る所がある見込みなのだとか。

 

 あっという間の一週間が過ぎて、今日も律儀に「火曜日」になった。歳をとると、「教養」と「教育」が大事やで・・と、どなたかが言うていたが、それは、「今日、用」と、「今日、行く」ということで、「今日も用事があるでぇ・・」と、「今日、行く場所があるでぇ・・」ということらしい。

 

 ま、そういう暇つぶしという意味合いもあるのかも知れないが、こうしたお年寄りが集まって、「ああだ」「こうだ」と、他愛もない勉強をしている訳だ。

 

 たくさんの「紙くず」の中から「厳選」された紙切れである。これらを、どうやって展示をするのかを考える段階になってきた。

 

 「これはお寺の護符やな・・」とか、「これは神社の神符やな・・」と、並べ替えたり、置き換えたりしている。

 

 女性陣は、先日の遍路道ウォーキングのアンケート調査の集計や会計処理をやっている。この左端にいる方が中島先生というのだが、唐突に、「牛飼いさんの碑は、どこにあったんかなぁ」と言い出した。「牛飼いさんの碑なんかがありますのか・・・」と、突っ込みとボケとの漫才みたいな会話になった。

 

 聞いてみれば、空海さんの大学の先生が「岡田の牛養(うしかい)」という人で、さぬき市末(すえ)という所に永住したんだそうだ。

 

 延暦10年(791)12月、寒川郡岡田村の人岡田臣牛養ら二十烟(戸)の人々に、岡田臣の姓を賜り、牛養は大学の博士に任ぜられた。 今寒川郡の地に岡田村の地名が残ってはいないが、志度の東末に、岡田神社があり、岡田氏一族の氏神であったが、後旧末村の鎮守となったと伝えている。今は神社境内326.7平方㍍であるが、明治5年の「各村道路神社書出帳」に依ると、字岡田352番地、岡田神社境内20㌃(社建反別一畝歩、林反別一反九畝歩、此木数松百十本、但し尺周りより二尺周りまで)とある。

 

 末地区は往古「岡田村」と呼び、今なお岡田の免名、岡田屋敷跡、岡田明神、大岡田寺(霊芝寺の前身)など、岡田の名残を留めている。

 

 平成3年圃場整備事業が行われ、岡田屋敷跡が消滅し、圃地となったので平成10年ここに碑が建てられた。

 

 霊芝寺(れいしじ)は、真言宗高野山派、もと高野山金剛峰寺の末寺で、本尊は、十一面観世音菩薩である。開基は、いろいろと説があり詳らかではないが、弘仁年間(810~823)弘法大師が師である大学博士岡田牛養の追福のため創建せられたと伝えられる。東林山遍昭光院または、日内山大岡田寺と呼ばれていたが、天正11年(1583)4月、讃岐進攻の土佐・長宗我部勢の兵火に焼けたが、明暦3年、志度の僧宥春が釈迦堂を再興し、続いて山城の僧恵忍が来錫して、高松藩祖松平頼重公の助けを受け、寛文年間に堂宇を再建し、延宝4年(1676)、二代藩主頼常公が、東林山霊芝寺とあらため、翌年本堂を建立し、同8年には寺領百石を寄進した。

 

 江戸時代前期の1662年(寛文2年)、山城国西明寺の僧・恵忍が来錫し、寺院再興を発願した。高松藩初代藩主松平頼重が寺院の復興を命じ、山門が復興された。水戸藩主徳川光圀の子で頼重の養子となった2代藩主頼常は1676年(延宝4年)、寺号を東林山霊芝寺と改め本堂を建立した。

 

 しかしのかかし、「岡田牛養の碑」なるものは、どこにもなかった。碑といえば、「屋敷跡」の碑くらいなもの。中島先生、何を言うとったんじゃろうか。

 

  今日の掲示板はこれ。「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は変わらざりけり」というもの。これは、幕末の政治家・山岡鉄舟が剣の悟りを得た時に詠んだ歌だといわれている(東京都神社庁『生命の言葉』三月)。鉄舟は号。通称は鉄太郎。いわゆる「幕末の三舟」のひとり。(ほか、勝海舟、高橋泥舟)。一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。官僚であるが、同時に剣や書の 達人として知られる。弱冠15歳の時に「修身二十則」という自らへの誓いを立て、生涯守り通した。肝が太く無私無欲。駿府での西郷との単身会談はあまりに 有名。「人はとかく自分の不幸を周囲の環境のせいにしがち」と指摘し、「本来あるべき自分をただそのままに生きていけばいい」と説いているのだという。天候に関わらず常に富士の山であり続ける故郷・静岡の富士山のように、逆境にあっても自分を失わずに生きていたい。またそれこそが人の器の証明なのだが、しかしそれにしても、迷ってばかりの我が人生。晴れても曇っても泰然自若の日々が早く訪れることを願いたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


梅咲いて はやカレンダーを 差し替える

2017年02月28日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は1.9度から10.0度、湿度は92%から56%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の3月1日は、はじめ高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前からは時々曇る見込みらしい。

 

 あっという間の一週間が過ぎて、恒例の火曜日は「俵札調査」の日。いつもの「おへんろ交流サロン」への出勤。

 

 今年は雪を見ることなしに春を迎えてしまうんだろうか。二月末日だというのに春のような暖かさ。

 

 今日は二人ほどの歩き遍路の方がお休みだった。

 

 先週に引き続いて「ぱちぱちプロジェクト」のお話。高校生が考えた若いお遍路グッズの各種。高松工芸高校だから、いいプリンターがあるんだろうなぁと思うような作品が並んでいる。

 

 私らは、「輪袈裟」はお店で買うもの・・と思い込んでいるし、ここで作業している女性会員さんらも、「えっ、お袈裟って、自分で作ってもいいの??」みたいな感覚だった。若い高校生は、白衣でもお袈裟でも朱印帳でも、なんでも自分たちで作ってしまう。

 

 これは子供さん用の白衣と輪袈裟。これは安上がりだな・・と眺めていたら、これは高松の「保多織り」という織物で、子供用でも3,500円もかかっている。お店で買うと半分くらいで買えてしまう。手間や時間を考えれば、買う方が安いのか・・・。

 

 さて、こちらでは「役員会」をやっていて、3月4日のイベント、「ルンルン♪春へんろ」の打ち合わせやら参加者名簿の確認やら集計やら、なんやら・・・。

 

 私らは画像取り込みの最終段階。今日で全ての撮影が終わり、来月からの展示会に向けての資料整理。

 

 私の作った「おへんろつかさの会公式ホームページ」を会長に見て貰って「OK」を頂いた。

 

 バス会社の担当者さんにも来て頂いて、どのようなバスで、どういうコースで、どこにバスを駐めるかなどの打ち合わせもやっていた。

 

 私は早めに帰宅して、参加者用の名札作りを担当する。ウォークはこの週末の土曜日。忘れないうちに名札作成。

 

 頂いた名簿を確認しながら名札の作成。

 

 ま、難なく作業は終了。

 

 今月もバタバタとした一ヶ月になった。明日からの3月も予定がいっぱい・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生が行き詰まるのではない 自分の思いが行き詰まるのだ」という安田理深先生の言葉から。昔々一匹のウサギがいた。ウサギは秋の間中、ずっと木の実を集めては山の中に隠しておき、隠し場所を忘れないように何か目印はないかと探した。ふと見上げると雲が見える、この雲を目印にしようと考えた。そして冬、雲が動くことを知らなかったウサギは目印を見失い、そして蓄えを全て失った。ウサギは我々の鏡である。変わりやすく不確かなものを人生の目印にしてしか生きられないのが我々ではないか。家族、お金、健康、仕事…。自分を輝かせるために、それにしがみつき、生きがいを見出そうとする。人生が上手くいっているときは、自分が目印にしているものが不確かなどと思いもしない。しかし、どうすることもできない状況に出会ったとき、自分が人生の目印にしていたものは、何とはかないものだったかを思い知らされ、絶望と空しさで、どう生きていいか分からず迷う。そして、人間はそれを繰り返すのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


悔いもあり 未練も残し やぶつばき

2017年02月21日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が緩んで、概ね晴れていた。気温は4.6度から8.9度、湿度は68%から57%、風は4mから6mの西北西の風が冷たかった。明日の22日は、湿った空気や前線の影響で次第に曇り、夜のはじめ頃から雨が降る見込みらしい。

 

 なんか久しぶりのような気がするが、今日は確かに全国的にも火曜日の筈。いつもの前山活性化センターに出勤した。

 

 いつもの研修室に入ると見慣れないものがずらりと・・・。これはお遍路さん用の「お数珠休憩所」の模型。

 

 これは「ぱちぱちまんじゅう」・・・というお菓子の模型。香川県立高松工芸高校の三年生40人が一年をかけておへんろのお勉強をした結果の作品集らしい。ガイドブックもあれば納経帳やお遍路日記などもかわいく仕上げてある。「ぱちぱち」というのは「88」を、そう、読み替えたもの。

 

 中はお寺の案内などの情報も満載・・・。

 

 おへんろはファッションからと、白衣や輪袈裟もかわいく作ってある。おへんろポストカードやおへんろカレンダーもあった。さすが、工芸高校の作品だなぁと圧倒された。

 

 こういう作品展示をやっている。前山の「おへんろ交流サロン」にお立ち寄りの際には、ぜひとも研修室ものぞいて欲しい。

 

 さて、俵札の整理も大詰めに入ってきたが、女性陣は春のイベントのチラシを送付するお仕事をやっている。

 

 多田先生は護符などの資料を画像に取り込んでいる。中島先生は、その資料の確認と整理。これが終われば、四月からの展示の準備に入ることになる。

 

 私は、こういうチラシをホームページに添付せよと言われたのだが、SP版では、そのようなことができるだろうか。そろそろ、クラシック版に移行する時期かも知れない。

 

 現在の「おへんろつかさの会公式ホームページ」は、このようなSP版というもので作成され、更新されているが、更新データは特殊な場所に保管されていて、取り出したり、コピーしたり、共有することができない。

 

 確かに初心者には簡単で便利で、何も知らなくてもホームページが更新できる。しかし、このようなグループや団体などでは特定の個人だけに負担がかかってしまう。

 

 そこで、SP版のものを、クラシック版で使おうとすると、同じ会社の同じHPビルダー21なのに共有はできそうにない。つまり、最初から作り直さないといけないみたい・・・。困った困ったこまどり姉妹・・・。

 

 なんとかならないかと、分厚いマニュアルを開いてみたけれど、大きな池の中でメダカを捕まえるようなものだ。参った参った、マイケルジャクソン。

 

  今日の掲示板はこれ。「いがみ合うとおがみ合う 一字違いの大違い」というもの。いつもの「赤松先生」のお寺にあった掲示板。「いがみ合うとおがみ合う 一字違いの大違い」というもの。確かに・・・いがみ合うと拝み合うでは大きな違い。いがみ合うのは簡単だけれど、拝み合うのは難しい・・・。心して、拝み合うことができればいいのだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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