まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

秋晴れて 雑用かかえて 猿が行く

2017年11月10日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷が接近するため夜には曇り、夜遅くには雨や雷雨となる所があるらしい。気温は8.8度から18.6度、湿度は86%から56%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の11日は、寒冷前線が通過するため、未明は雨が降り、明け方まで雷を伴う所がある見込み。その後は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 かねてから案内のあった「日本刀展~もののふの美~」を見ようと、ここ、高松市香南歴史民俗郷土館にやってきた。ここには昔、「由佐城」というお城があった。由佐氏は俵藤太藤原秀郷の末裔で、もとは下野国益子(今の栃木県芳賀郡益子町)に住み「益子」を姓としていた。秀郷の子孫に益子下野守顕助というものがいたが、彼は足利尊氏の部下となり新田義貞と京都東寺で戦い建武3年(1336)討死した。顕助の子弥次郎秀助は父の手柄により、尊氏から讃岐国に井原郷(今の香南町、香川町川東、香川町川内原)を賜り、ときの讃岐守護細川頼春に従ってこの地に移った。秀助は由佐に屋敷を構え、地名をとって姓を由佐と改め、今の鮎滝に鳥屋城を築いて守りの要塞とした。これが讃岐由佐氏となったという。

 

 ここは、毎年、この頃になると刀剣展をやっているが、昨年はどんな展示だったかは、全く記憶にない。で、毎年、「抜刀演舞」や「火縄銃実演」を楽しみにしているが、一度も参加できていないのは記憶している。

 

 こういう日本刀は管理が大変なのだろうなぁと心配するばかり。ここにあるものは、「武器」というよりも文化財とか美術品である。

 

 ガラスケースの中で、うまく撮れないのだが、本当はまばゆいばかりの芸術作品である。

 

 ま、はっきり言って、こういう日本刀はわからないのだ。何がいいのか、どこがいいのか・・・。ただ、きれいだなぁ・・というようなことはわかる。

 

 大窪寺のガイドマニュアルは一応形になったので、それはそれとして、今度は、「へんろ資料展示室」をガイドするマニュアルを作ることになった。

 

 これまた、A4版横置きでA5版のガイドマニュアルにする。一応、下書きはできたようで、これを様式化されたものに流し込んで整形する。

 

 表紙もできた。

 

 その後、年賀状の整理とデータ整理もやっておく。誰から受け取って、誰に出したかをチェックしておくのである。

 

 確認しながら、データの修正もやっておく。ご主人が亡くなって奥様名義に書き換えるとか、その逆だとか。住所が変わった人も修正しておく。」 

 そういう確認作業もやっておく。

 

 今日の掲示板は意味もなくこれ。「見てくればかりを気にしても 人の値打ちは中身で決まる」というもの。原典を探してみたけれどわからない。確かに、若いうちはみてくればかりを気にして 髪型を変えてみたり、服装をいろいろと変えてみたりしたけれど、所詮は中身の問題だなぁと諦めたことがあった。しかしのかかし、中身を変えようとしても変 わることがないのだから、やはり、見てくればかりを気にせざるを得ないというのも事実なのではあるまいか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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