まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

年の暮れ 年の暮れこそ さりながら

2019年12月31日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響ではじめは曇っていたが、午後からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は2.5度から8.8度、湿度は76%から58%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の1月1日は、はじめは高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気や寒気の影響で、昼前からは雲の広がる時がある見込みらしい。

  

 129/59-59 36.6c-91% 76.3Kg 1031hPa,4c,55% 今朝は冷え込んだせいか血圧がやや高めで頭が重い感じ。体重は大きな変化はないが、尿も便も少ないのが気にかかる。気にかかっても、病院にいるのだからドクターや看護師に任せておくほかない。

 

 さて、巷では年末だし、お正月なのだが、まわりはそういう雰囲気にはない。ごく、当たり前の日々と時間が流れるばかり。私は013号ベッドで寝たきりのまんま。周りに展開される風景は映画のようで魔訶不可思議の世界。

 

 救急車しか通れない「サイレン道」、春の桜のころ、ここを数台の救急車が進んでいき場面は圧巻で、インスタ映えするし、秋の夕焼けの中を連続して進んでゆくさまも見事である。そうしたイベントを病院がやっていたり、歳末の感謝デーで観劇があたり、映画会があったりする。むろん、病院がそんなことをするはずがない。

 

 そういう夢想の世界を漂流しながら、まったくのおばかさん化していったと、奥方は言う。「これで、この人とはお別れするのかも・・・」と思うと悲しくなったという。

 

 ともかく、年末年始のころはそういう状態・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。この句は亡くなったわが子の傍らで悲嘆に暮れる妻の姿を見てなんとも苦しく悲しい心境を一茶が読んだもの。酷い喪失感を感じながらも必死でうなだれた顔を上げようと頑張っている。傷ついた人たちの切ない気持ちにも同調し訴えかけているように感じる。この世は霧のように儚いもの。いつ何が起きるか分からない。それは充分、承知の上ではあるが、分かってはいたのだが、それでもやはり・・・・・・と書いて一茶は筆を置く。心の中ではどうにも諦めきれないという悲痛な叫びを痛いほどに感じてしまう。底から先の言葉はもうでなかったのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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