昨夜は・・・寒いからと、掛け布団をもう一枚載せたようで重苦しくて恐ろしい夢ばかりを見ていたような気がする・・・。暖房するのがもったいないとばかりに、布団を増やしてもらっても・・・ねぇ・・・。
子供の頃に歌ったような・・・。作詞:杉村楚人冠、作曲:船橋栄吉
♪~ただ一面に 立ちこめた
牧場の朝の 霧の海
ポプラ並木の うっすりと
黒い底から 勇ましく
鐘がなるなる カンカンカンと・・・・
ま、鐘はならんけれど・・・そんな風な真っ白いというかグレーな朝だった・・・。
朝方まで雨が降っていたのじゃろうか・・・。あたりは濡れたまんま・・・。けだるい朝になった。布団が重いもので寝苦しかったし・・・朝の風景がどんよりとしていたし・・・。
これは・・・菜花(なばな)というらしい・・・。ま、言うと言わんと東日本みたいな雪はないし、比較的今年は暖かい・・・。今日のこの書斎は暖房はなしで居られた・・・。現在の気温は10度だし、風がない分、暖かいと思う日曜日。
パソコンの横にはいつも歳時記と、この暦は欠かせない。ま、真宗の坊さんは・・・あんまりお日柄を云々、迷信を云々は言わないのだけれど、世の中は・・・友引の日にはお葬式をしたがらないので、斎場が休み、葬祭会館が休み・・・となると、お坊さんの会議も・・友引の日になるという寸法・・。ま、それに限らず、陰暦暮らし、農作業、魚釣りなんぞにも陰暦が大事で、満潮・干潮というのも重要な要素。
ということで、今日が旧暦の大晦日。で、明日が旧正月の「お朔:ついたち」で、新月らしい。ま、今時、旧正月をお祝いするところも少ないとは思うのだけれど。
で、今日のお昼は久々にここに行った。さぬき市寒川町神前(かんざき)にある「麺処まはろ」は一般店。「まはろ」というのはハワイ語の「感謝」とかっていう意味じゃろうかね。ここに来るたんびに思うのだけれど・・・。それにしてはハワイらしくない店構えだし・・。
で、しっぽくを食べに来たのだけれど、つい、目に付いた・・「まはろうどん」というものをオーダーしてしまった。ま、お店の名前がついたメニューはその店イチ押しの特性メニューだと思うので、エイヤーとばかりに注文した。小のおうどんで700円。二日分のおうどんだ・・・。
素材は・・・「肉うどん」、それに温泉たまごとエビ天が三尾乗ったもの。ここのおうどんは・・・平麺。薄っぺらい麺になっている。
ここは海のお魚の天ぷらがおいしいみたい・・・。次回はしっぽくを食べておかねば・・・。
午後からも「レキ墓研究」の最終段階。ノンブル・・・ページ合わせをやったり、見出しの整理、参考資料の整理、前書き、後書きの修正なんぞ・・・。ほぼ、本の形ができた。予定より二週間も早い仕上がりやね。最終の校正とかもやっとくかな・・・。
今日の掲示板はこれ。まだ、そんなに「老いて・・」という年代ではないだろうけれど、「丁寧に生きる」「ゆっくり生きる」「やわらかく生きる」というのは必要かも・・。最近は日が短いせいか、あっという間に日が暮れる。だから、バタバタと生きる。あわてて生きる。肘張って、肩張って生きているかも知れない・・・。
じゃぁ、また、明日の朝、元気に、会えるといいね。
世人と同じ苦を背負うのだから世人と同じ生活で良いとは聞くが、ま、質素にして暖房無しも良いかもね。
浄土が近くなるちゅうもんかもしんない。
ところで、レキの話だけど、疑問に思う事があるのね。
レキが死んで埋葬してそれを悼む島民がずっと手厚い供養をし続けたのは解るのだけど、レキの死因はなんなの?
死んだとは言え、病死でも色々ある。 下痢をして死んだとか熱を出して死んだとか。
また、怪我して死んだのか。 それは事故だったのか。
あるいは、殺されたのか、自殺したのかと。
その死因に寄っても、背景に依っても悼む気持ちの深さは色々だろうと思うが、なんで死んだかは残されず、ただ死んだとあり、その後の対応のみが残されている。
なんかその辺がしっくり来ない。
ま、伝承とか古い記録なんてのは往々にしてそうした不完全なところが多々あるけど、なんでそんなに悲しむような哀れむような死に方だったんだろうと思う訳ね。
で、病死とかって書いてあったっけ?(^^;
この島の人は、レキさんがなんで死んだかには興味がない。ま、一説には病死なんだが、その病名までには興味が及ばない。
大英帝国の、女王陛下の海軍士官が、故郷遠く離れて・・・縁もゆかりもない海岸にぽつんと埋められていることに同情しとるんやね・・。
本来は・・大英帝国から立派なお墓を作ってもらってもええのにな。それが・・・こんな離島の小さな村にぽつんと・・・。
な、涙が出るやろ・・・。
洋上の場合は水葬なんやろうが、近くに陸地があれば構わず上陸して土葬にしたのかね。
ま、生ものは傷みやすいからね。
弔砲というのは上級士官に対して行われたらしい。最高が21発・・・以下・・・七発までとか・・。
レキ士官には七発の弔砲だったかも。
水葬は・・・士官でもやったんやろうか・・。下級の水兵とかには弔砲が行われず、棺が沈む時に・・・弔銃という銃が3回発砲されたらしい・・。
ま、軍人さんには軍人なりの尊厳があったんだろうしね・・。