春眠暁を覚えず・・・と、昔に習ったことがあるが、先週末だかに風邪を引いて寝込んだことがあって以来・・・、よく眠るようになった。今朝も目が覚めたのは八時前だった・・・。寝ぼけ眼で・・「げげげの女房」をぼんやりと見ていた。若い頃から・・五時前には眼を覚ましていたのに・・これは大きな変化。ますます・・おばかさんになりつつあるなぁと思う今日この頃・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/3c/e599b6cc01c02292833e42e844a99898.jpg)
で、ぽちにせがまれて朝の散歩に出かけてみたら、そこいらじゅうに・・わらびがにょきにょき・・・。子供の頃からの習性かなぁ・・。ぽちをそこいらに置いて、ワラビ採りに夢中・・・。こどもの頃には、学校から戻ると・・一目散に自分の持ち場に駆け込んでワラビ採り・・・。人差し指と親指との円ほどの量のワラビが1円。十束で10円、20束で20円・・・。これはいいお小遣いになった・・・。学生服を脱いで、そこにわらびを包み込んで意気揚々と引き上げたものだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/35/1e5cd9e65f6b8b126ad752fa430d20a5.jpg)
その後も数カ所でワラビを採って・・レジ袋いっぱいになった。おかげでKappaのシューズがずぶぬれになった・・。しまったな・・。靴下までがずぶずぶになった。
仕方がないので、安いシューズを買いに出たついでにおうどんを食べた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/eb/57f62a8655bc8803df2402a735ccb1ba.jpg)
ここもお馴染みになったかも知れないが・・さぬき市津田にある「羽立:はりゅう」という一般店。カウンター席があるばかりで、十人も入ればいっぱいになるような小さなお店。駐車場も十台ほどの小さなお店。でも、入れ替わり立ち替わりお客が集まってくるから、そんなに困ることもないらしい・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/fb/b221a65b0a432b828f6134d1d8039741.jpg)
お店の中はこんな感じ。若い店長とおばちゃんが二人・・・。店長がうどんを打ち、切り、湯がいて洗って盛りつけて出して・・おばちゃんが天ぷらや後かたづけを担当している。で、今日は・・「かきあげ天うどん」おうどんの上にかき揚げ天ぷらが載ったもの・・。これで350円。ま、一般店にすればお安い方かな・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/5c/80b45b954d76ea662595db91e0141e01.jpg)
でも・・かきあげ・・て割にはおイモ・・サツマイモばかりだったような気がする。それはそれでいいのだけれど。
それはそれとして、今日の天気はめまぐるしく変化して・・。晴れたり曇ったり、小雨が降ったり・・暑くなったり寒くなったり・・蒸し暑くなったり・・・おかげで体調がなんか・・変・・・。風邪気味がぶりかえしたみたいで・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/37/d7419557496356ca2c34197ebe94f179.jpg)
で、今日は「決闘の日」なんだそうだ。1612(慶長17)年のこの日、美作の浪人・宮本武蔵と細川家指南役・佐々木小次郎の決闘が、豊前小倉沖の無人島・巌流島(舟島)で行われたという記念日なんだそうだ。でも・・「決闘」なんて言葉も「死語」みたいな世の中になった。「決闘」なんていう言葉は、もはや映画の中の言葉なんやろうね。
そうそう・・、今日は「啄木忌」あの・・歌人の石川啄木の1912(明治45)年の忌日。肺結核により27歳で亡くなったそうだ。あの時代には・・たくさんの惜しい人が肺結核なんぞで亡くなっているなぁと思う・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3a/b63a0cdebeab4a7871a02ea027f5fc17.jpg)
石川啄木の本名は「一(はじめ)」。岩手県生まれ。1歳の時に父が渋民村・宝徳寺の住職となり同村が啄木の「ふるさと」になる。小学校を首席で卒業し、地元では神童と呼ばれる。盛岡の中学では4歳年上の金田一京助(後の言語学者)から文学の面白さを教えられ、文芸雑誌『明星』を熟読して与謝野晶子に影響を受け、また初恋にも夢中になった。高まる文学熱と情熱的な恋!反面、学業がおろそかになり、カンニングが2回連続でバレ、落第が決定となったため16歳の啄木は自主退学して上京する。『明星』に投稿した短歌が掲載されたこともあって文学で身を立てるつもりだったが、与謝野鉄幹・晶子夫妻の知遇を得たものの仕事は何も見つからず、家賃を滞納して下宿を追い出され半年も経たずに帰郷する。17歳の時に初めて“啄木”の号を名乗り『明星』に長詩を発表、注目された・・・。
代表的な《一握の砂》という歌集にはこんな歌が連ねてあった。
1.東海(とうかい)の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
2.たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず
3.草に臥(ね)て おもふことなし わが額(ぬか)に糞して鳥は空に遊べり
4.やはらかに積れる雪に 熱(ほ)てる頬を埋むるごとき 恋してみたし
5.路傍(みちばた)に犬ながながと呻(あくび)しぬ われも真似しぬ うらやましさに
・・・ま、はるか昔に習ったことのあるようないようなお話・・・。明治は遠くなりにけり・・・やね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/f2/8285c1ad99ee1a591c7317c4351dd216.jpg)
そうそう・・・若い頃に・・新システム構築の研修で仙台に行ったことがあって、そのついでに休暇を利用して雪の盛岡に遊びに行ったことがあった。その時に・・盛岡城址だかに、この啄木の記念碑だかがあったように記憶している。
でも・・俳句と短歌というのは似ているようだけれど、こうして読み返してみると・・大きな違いがあるなぁと思う・・・。五・七・五・七・七・・と、五・七・五・・・の違いなんだけれどもね。七・七の十四文字の重さっていうものが胸に迫って来るものね・・。
この上の二人で写っている写真の左側が・・あの、金田一京助(後の言語学者)さんらしい・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/0a/4a78875021953e777497dc5b70c8ceeb.jpg)
さわらびを 摘みつつ偲ぶ 啄木忌 森にうぐいすの 声高く啼く 暁光
じゃぁ、また、明日、会えるといね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/3c/e599b6cc01c02292833e42e844a99898.jpg)
で、ぽちにせがまれて朝の散歩に出かけてみたら、そこいらじゅうに・・わらびがにょきにょき・・・。子供の頃からの習性かなぁ・・。ぽちをそこいらに置いて、ワラビ採りに夢中・・・。こどもの頃には、学校から戻ると・・一目散に自分の持ち場に駆け込んでワラビ採り・・・。人差し指と親指との円ほどの量のワラビが1円。十束で10円、20束で20円・・・。これはいいお小遣いになった・・・。学生服を脱いで、そこにわらびを包み込んで意気揚々と引き上げたものだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/35/1e5cd9e65f6b8b126ad752fa430d20a5.jpg)
その後も数カ所でワラビを採って・・レジ袋いっぱいになった。おかげでKappaのシューズがずぶぬれになった・・。しまったな・・。靴下までがずぶずぶになった。
仕方がないので、安いシューズを買いに出たついでにおうどんを食べた。
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ここもお馴染みになったかも知れないが・・さぬき市津田にある「羽立:はりゅう」という一般店。カウンター席があるばかりで、十人も入ればいっぱいになるような小さなお店。駐車場も十台ほどの小さなお店。でも、入れ替わり立ち替わりお客が集まってくるから、そんなに困ることもないらしい・・・。
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お店の中はこんな感じ。若い店長とおばちゃんが二人・・・。店長がうどんを打ち、切り、湯がいて洗って盛りつけて出して・・おばちゃんが天ぷらや後かたづけを担当している。で、今日は・・「かきあげ天うどん」おうどんの上にかき揚げ天ぷらが載ったもの・・。これで350円。ま、一般店にすればお安い方かな・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/5c/80b45b954d76ea662595db91e0141e01.jpg)
でも・・かきあげ・・て割にはおイモ・・サツマイモばかりだったような気がする。それはそれでいいのだけれど。
それはそれとして、今日の天気はめまぐるしく変化して・・。晴れたり曇ったり、小雨が降ったり・・暑くなったり寒くなったり・・蒸し暑くなったり・・・おかげで体調がなんか・・変・・・。風邪気味がぶりかえしたみたいで・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/37/d7419557496356ca2c34197ebe94f179.jpg)
で、今日は「決闘の日」なんだそうだ。1612(慶長17)年のこの日、美作の浪人・宮本武蔵と細川家指南役・佐々木小次郎の決闘が、豊前小倉沖の無人島・巌流島(舟島)で行われたという記念日なんだそうだ。でも・・「決闘」なんて言葉も「死語」みたいな世の中になった。「決闘」なんていう言葉は、もはや映画の中の言葉なんやろうね。
そうそう・・、今日は「啄木忌」あの・・歌人の石川啄木の1912(明治45)年の忌日。肺結核により27歳で亡くなったそうだ。あの時代には・・たくさんの惜しい人が肺結核なんぞで亡くなっているなぁと思う・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/3a/b63a0cdebeab4a7871a02ea027f5fc17.jpg)
石川啄木の本名は「一(はじめ)」。岩手県生まれ。1歳の時に父が渋民村・宝徳寺の住職となり同村が啄木の「ふるさと」になる。小学校を首席で卒業し、地元では神童と呼ばれる。盛岡の中学では4歳年上の金田一京助(後の言語学者)から文学の面白さを教えられ、文芸雑誌『明星』を熟読して与謝野晶子に影響を受け、また初恋にも夢中になった。高まる文学熱と情熱的な恋!反面、学業がおろそかになり、カンニングが2回連続でバレ、落第が決定となったため16歳の啄木は自主退学して上京する。『明星』に投稿した短歌が掲載されたこともあって文学で身を立てるつもりだったが、与謝野鉄幹・晶子夫妻の知遇を得たものの仕事は何も見つからず、家賃を滞納して下宿を追い出され半年も経たずに帰郷する。17歳の時に初めて“啄木”の号を名乗り『明星』に長詩を発表、注目された・・・。
代表的な《一握の砂》という歌集にはこんな歌が連ねてあった。
1.東海(とうかい)の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
2.たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず
3.草に臥(ね)て おもふことなし わが額(ぬか)に糞して鳥は空に遊べり
4.やはらかに積れる雪に 熱(ほ)てる頬を埋むるごとき 恋してみたし
5.路傍(みちばた)に犬ながながと呻(あくび)しぬ われも真似しぬ うらやましさに
・・・ま、はるか昔に習ったことのあるようないようなお話・・・。明治は遠くなりにけり・・・やね。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/f2/8285c1ad99ee1a591c7317c4351dd216.jpg)
そうそう・・・若い頃に・・新システム構築の研修で仙台に行ったことがあって、そのついでに休暇を利用して雪の盛岡に遊びに行ったことがあった。その時に・・盛岡城址だかに、この啄木の記念碑だかがあったように記憶している。
でも・・俳句と短歌というのは似ているようだけれど、こうして読み返してみると・・大きな違いがあるなぁと思う・・・。五・七・五・七・七・・と、五・七・五・・・の違いなんだけれどもね。七・七の十四文字の重さっていうものが胸に迫って来るものね・・。
この上の二人で写っている写真の左側が・・あの、金田一京助(後の言語学者)さんらしい・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/0a/4a78875021953e777497dc5b70c8ceeb.jpg)
さわらびを 摘みつつ偲ぶ 啄木忌 森にうぐいすの 声高く啼く 暁光
じゃぁ、また、明日、会えるといね。