まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

早い秋 遅い秋あり 風の道

2015年10月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、寒気を伴った気圧の谷や東からの湿った空気の影響で、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。気温は12度から22度、湿度は96%から61%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。明日の18日は高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 今日は奥方がお休みなもので外出はできない。どこかに行こうとすると、一緒に行くと言うのだから面倒だ。そこで何をしようかと考えたが、無難なところで、わが家の草刈りをすることにした。

 

 わが家の西側の水路部分や北側は少し前に刈り払ったのだけれど、東側部分がすっかりとそのまんまになっていた。ここは、戦後の昭和30年代40年代あたりまでは旧道であった所。

 

 それがいつの頃からか、赤字のように町道になって、ここは廃道になった。で、わが家の物だと仰るので、仕方なく、わが家が草刈りをすることになっている。赤の太字の区間である。

 

 8時半から1時間、9時半までは、ここの草刈りをした。

 

 こうしてみると、旧道部分がよくわかる。ここを自転車を押して通ったものだった。まさか、ここがわが家のものになるなんて、小学生の頃には想像だにしなかった。

 

 県道からみれば、こういう感じ。朝方は肌寒いくらいだったが、9時半あたりではうっすらと汗がにじんでいた。これで来年の春までは大丈夫だ。

 

 明日用の草刈り機の燃料を仕入れに出たついでに、東かがわ市小砂(こざれ)にある「小砂説教所跡」に寄ってみた。庄松同行は寛政11年(1799年)に讃岐国大内郡丹生村土居に生まれて、真宗興正派の海暁山勝覚寺の門徒であった。世にも稀な信者で、頑愚無欲で一生涯を独身で暮らし通した。

 

 これが庄松同行のお墓で、「釋正真信士墓」と刻まれている。「正真」という法名は「庄松(しょうま)」という俗名と音は同じであるが、法名の場合は「しょうしん」と読むのだろうか。没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。と言うことは、今年が144周年ということになるのか・・・。

 

 ここが「小砂(こざれ)説教所跡」で、この地区の真宗の道場であり、少し前まではこの集落の集会所でもあった。ここが、今では「正真講本部」となっていて、庄松同行の情報発信源ともなっている。

 

  これが、小砂説教所の内部。やはり、中央にあるのは「阿弥陀さま」。戸帖の奥には正面に阿弥陀立像や庄松同行の絵像や人形、掛け軸などが安置されている。

 

 時々、「これは何歳の時の肖像か」と尋ねられるのだが、はてさて、何歳くらいのものだろうか。ま、晩年の物ではあろうかと思うのだが。

 

 少しばかり、庭木の剪定をやってみたが、日中は暑くなっていてだめだ。明日の朝の涼しい間あたりにでもやらなくては・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「亀は亀のままでいい 兎にならなくていいのだよ」というもの。亀は亀のままでいるしかないし、うさぎはウサギでいるしかない。私は私でしかないし、キムタクは私にはなれない。だから、「私は私のまま」でいいのだし、「あなたはあなたのままでいい」のだし。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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