まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

春風の流れる音や梅の紅

2021年03月03日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.5度から10.5度、湿度は68%から56%、風は3mから1mの西北西の風が少しばかり。明日の4日のさぬき市地方は、はじめ高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼過ぎからは次第に雲が広がる見込みらしい。

 

 110/63/82 36.5c-97% 63.2Kg 19.8c-44%-1030hPa 体調も気分もいい。肩こりは気にならなくなった。

 

 我が家の梅である。昨年の夏に体調がよくなったからと、バサバサと剪定をしたために花が咲くのが遅くなった。先のサンシュユも同じ事。

 

 大窪寺の仕事が一段落したので、今日は86番札所の志度寺さんにやってきた。でも、ここのお寺を調べようとするのではない。

 

 小耳に挟んだのだが、ここは「志度寺植物園」になっているとのニュースだった。もっとも、早くから植物だらけのお寺ではあったのだけれど。

 

 ふむふむ。昨年よりかはすっきりとした感じにはなっている。ここもお遍路さんの姿は一人も居なくて、退屈そうなお兄ちゃんがうろついていて、「掃除ができとらんなぁ」「ここは300年も木材のお寺がよくもっているもんやな」とかと訳の分からんことを言うている。

 

 これは桜の花に似ているが、桜の枝によく似ているが、植物のことは皆目わからない。

 

 沈丁花も何種類か植わっているし、水仙は、もう、おしまい気味。

 

 ボケや紅梅も色合いがにぎやかだ。それにしても人影が見えない。

 

 本堂の屋根に乗っているのは・・、養成講座で習ったけれど、忘れてしまった。弁天様かな。

 

 地元の方のお参りもないというのは不思議なことだ。先のお兄ちゃんが、「なぁなぁ、300年も建替えもせんで、ようもっとるなぁ。建替えしたんかなぁ」としつこい。「さぁ、私、ここのお寺の者と違いますから分かりませんよ」というと、どこかに消えたけど、しつこく、お寺の中を歩き回っていた。

 

 お昼からは高松市塩江町の「椛川」という地区に行って来た。すると道路が行き止まりになっていて、目の前には大きなダムが通せんぼ・・・。「これが、うわさの「かばかわダムか・・・」。昔、樺河という郷があって、その「樺の古木」の香りがよくて、そのあたりを「香川郡」と言うたらしい。その水が流れ出たのが「香東川」だという。

 

 それでは・・というので、工事現場に向かったのだが、くねくねとしている間に過ぎてしまっていたが、あちらこちらで大規模な掘削や土留めやら伐採やらと工事ばかり・・・。

 

 これで、高松砂漠になるのを防ぐらしいが、これは大きなダムだこと。香川最大やろうね。四国一・・というと早明浦ダムにはかなわないか。それにしても道路が迷路のようになっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「往き先がわかれば 生き方がわかる」というもの。いつもの、町内にある善楽寺さんの掲示板にあったもの。

行き先が分かれば 行き方が分かる
 往き先が分かれば 生き方が分かる (仏光寺)

 「いきさきがわかれば、いきかたがわかる」上段、下段、どちらも読み方は同じだが、使われる漢字が違うために表現されていることが少々違う。「行く」という「行」の字は、十字路をかたどった象形文字で、道の事を表現している。「行き先が分かれば、行き方が分かる」という事は、例えれば、体の調子が悪かったら、病院へ行こうと決める。病院という行き先が決まれば、いつ行こうか、どの道を行こうか、歩いて行こうか、車で行こうか等々、日々の生活の中で考えながら決断し、行動に移している。今月の言葉の通り、行き先(目的地)が分かれば、行き方(どの道路を行くか)が分かるというもの。次の往く先の「往」の字は、「むかし」「いにしえ」「いま」「むかう」「のち」「それからあと」という様々な意味がある。これは、過去・未来・現在の三世の歩みを表す言葉である。私達がどこから来て、どこにいて、どこに向かうのかという、人生の往く道を表現しているのだという。

 

じゃぁ、また、明日、会えれば、いいね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。