まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

父偲び 思い出話の 蝉の声

2019年07月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雨や雷雨となる所があるらしい。気温は26.5度から33.7度、湿度は98%から67%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の28日の香川県は、湿った空気の影響で概ね曇り、午後は雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 118/66/79 36.4c-94% 64.2Kg 1005hPa,26c,43% 体調に変化は無い。ただ、やたらと眠たいばかりだ。

 

 さて、今日は親父の50回忌法要の日。親父は、昭和45年7月31日に46歳で亡くなった。急性肝不全とのことだった。仕事が忙しくて、ついつい飲み過ぎて亡くなった・・・ということだった。1日に一升瓶が空っぽになったとの噂も聞いたことがある。

 

 これが、我が家のお仏壇である。

 

 この写真を、次男のよっくんが見つけ出してくれた。日本酒が大好きな親父さんのために、一升瓶がお供えされているところがおかしい。

 

 この頃は自宅葬があたりまえだった時代。左端のお仏壇は開扉されたまんまである。祖母が焼香を終えた時のものらしい。

 

 さて、暑中見舞いの時期ではあるが、私のマシン室の、どの端末にも年賀状ソフトというか、住所録アプリが見つけられない。今年の年賀状は、確かにここから印刷して発送した筈なのに、8台のどの端末にも住所録アプリがみつからないし、見つかってもデータのないものばかり。そういうことで、今年の「暑中見舞い」はお休みさせていただくことになった。頂いた方、ごめんなさい。

 

 さて、お昼前に宅配便が届いた。FaceBookのお友達からのお荷物だった。

 

 中には、このようなフォルダーが七個も入っていた。おおきにです。

 

 お昼の「おとき」は、このようなものである。最初は「お弁当」と言うてたのだが、お参りの方が3名と、我が家の2名だけの5名になったので、奥方自作の巻き寿司とかという簡単なものになった。50年という年月の長さを思い知らされた。お葬式の時には、あれだけたくさんの方がおいでになったのに、あの写真の中の人のほとんどがお浄土にお帰りになった。残ったのは、私ら兄弟3人と叔父さんの4人だけ。

 

 これが、当時の我が家である。

 

 その後、こういうおうちになったけれど、平成16年の台風で流失してしまった。波瀾万丈の人生であったなぁと話し合ったことだった。祖母も父も母も、働きづくめに働いて、お浄土にすくい取られてしまったのだった。

 

 祖母のこと、親父のこと、母のことなんぞの思い出を語りながら飲んで、食べて、バターンQになったことだった。しかしのかかし、夕食後には、またもやカラオケ大会が始まるのである。

 

 それまでの休憩中・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「善し悪しの 写る姿の影法師 よくよく見れば 我が姿なりけり」というもの。自分の鏡に写る姿というのは、よくよく考えてみれば、自分の心の善悪を映しだしているようなものだということだと思う。影は実際の姿が地上に映ったもの だが、それは、かならずしも本当の姿ではないし、自分の心の姿が投影されたものとし、その影を、よくよく反省の材料として、見つめるべきであると教えてく れているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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2 コメント

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Unknown (無邪鬼)
2019-07-27 18:03:41
お父様の祭壇の献酒は剣菱のような気もするのですが。 当時は酒通の酒として珍重されていた気がします。
              南無阿弥陀仏
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re:献酒剣菱 (まほろば)
2019-07-28 07:39:42
あんな小さな画像から、よくぞ、剣菱だと読み取れたものです。私には全くわからんです。そうかと言われたら、そうかも・・みたいなところです。
 私が四国転勤になったのは、親父が亡くなった翌年。その後、数年してから松山出張。そこで初めて、「剣菱」を知った。でも、あんまり、剣菱には知らない。
 酒飲みで有名だった親父。誰かがお供えしたんだろうかねぇ。そういう思い出は全くない。50年は永すぎる。
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