まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

伸びてきた ススキに明日の 夢をみる

2017年10月14日 | 観光ガイド的日常

 徳島県美波町は、前線や湿った空気の影響で曇り、南部を中心に雨が降っていた。気温は20.0度から22.7度、湿度は90%から77%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の15日は、引き続き前線や湿った空気の影響で、雨が降る見込みらしい。

 

 今日は29年度特別研修の最終回で、さぬき市役所を5時50分集合、この津田の松原SAが6時10分。阿波一国歩き遍路22番から23番の研修である。もちろん、私は歩かない。

 

 こういうバスでのツアーである。今日の参加者は16人。初回の11番からのメンバーばかりらしい。

 

 阿南市阿瀬比町の「道の駅わじき」から歩き遍路は歩き出したが、私たち4名はそのままバスで平等寺に向かった。一行は、およそ、4Kmの山道を歩いて平等寺に向かう。

 

 弘法大師がこの地でご修行のみぎり空中に5色の霊雲がたなびき、その中に黄金の梵字が現れた。大師が歓喜して加持されると薬師如来の尊像が現れて光明が四方に輝いたので、大師がさっそく加持水を求め杖で井戸を掘られたところ、乳のごとき白い水が湧き溢れた。その霊水で身を清められた大師は100日の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として安置し、人々が平等に救済されるようにとの願いをこめて山号を白水山、寺号を平等寺と定められたのだという。

 

 山門前には十月櫻が咲いていた。

 

 私が、ここに来たわけはこれである。犬小屋やネコの小屋ではない。私の研究テーマの「箱車」である。これは徳島の男性のくるまである。四輪式だった。

 

 こちらも徳島県の男性の物で荷車式になっていたらしい。ここには三台の箱車があった筈だがもう一つが見つからない。あ、ちなみに、この箱に足の悪い男性が乗ってお遍路した物である。布団を敷いて寝られる長さである。

 

 ここの手水場(ちょうずば)である。蘭の花ともみじの若葉が浮かべられていた。

 

 ここの住職さんにお尋ねしたところ、大師堂にあるということで、ようやくに、これを見つけた。刀鍛冶の息子さんのためにお父さんが作ったものだという。このお寺の近くで地震に遭った。慌てて立ち上がったら歩けるようになっていたので、ここに奉納したのだという。

 

 中務茂兵衛は22歳の時に出奔、四国巡礼を続けて、東かがわ市に279度目の道しるべを建てたのが最後。大正11年に高松市内で逝去、78歳だった。その間、生家には戻っていないという。その人の建てた160回目の道しるべである。

 

 一行が10時過ぎに23番薬王寺に向かったが、私たちはそのまま11時50分まで平等寺にいて、その後、昼食のため。鉦打休憩所で合流して昼食。13時前に出発。しばらくはバスで移動し、由岐で分かれた。一行はさらに7Kmあまりを歩いて薬王寺に向かった。

 

 バス班は足の悪い4人が先行して13時半には薬王寺に着いた。待つこと2時間。雨は降るし、気温も下がってきた。

 

 この観光ガイドの様子を観察して参考になるものはないかと考えていた。歩き部隊が到着したのが15時半。参拝をすませてバスに乗り込んだのが16時。そのままさぬき市目指して戻って来た。我が家に着いたのは18時過ぎだった。

 

 

 今日の掲示板はこれ。「いくら長生きしても幸せのド真ん中に居ても おかげさまが見えなけりゃ一生不幸」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。

夏がきたら 冬がええといい
冬になりゃ 夏がええという
太りゃ やせたいといい
やせりゃ 太りたいという
忙しけりゃ 暇になりたいといい
暇になりゃ 忙しい方がええという
かりた傘も 雨があがればじゃま
金を持ったら 古びた女房もじゃま
所帯もったら 親さえじゃま
義理も 人情も 愛情も 両親も
肉親の情も あればこその 世の中となる
誰も彼も どこもかしこも
かさかさ かわききった あじけない このころ
衣食住は昔に比べりゃ 天国やが
上を見ては 不平不満のあけくれ
隣を眺めては グチばっかり
なんで 自分を 見つめないのか
静かに 考えてみるがええ
一体 自分てなんやろうか
親のおかげ 先生のおかげ 世間のおかげ
おかげの固まりが 自分やないか
いくら長ごう生きても
幸せのド真ん中に居ても
おかげさまが 見えなけりゃ
一生 不幸

 「おかげさま」
         (かみどころ・じゅうすけ)

 

 じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。



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