まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

野良犬が 尾を振っている 水仙峡

2012年02月15日 | ふるさと散歩

 今日も一日中、雨が降ったり止んだりであった・・・。ま、雪にならずに済んだのは良かった。

 

 今日は年金支給日だという案内状が来ていたので、「年金って、いくらくらい呉れるんだろうか・・」ということで、銀行へ行って、通帳に記載してもらった・・・。企業年金は65歳から・・・ということは聞いているので期待もしていなかったが、ほんのお小遣い程度のもの。そんなに早くからは呉れないものだ・・・。

 で、今日は・・屋島中町にある「民家園・四国村」のひな祭りをのぞいてみようと思った。天気はよくないが、大ぶりにはなるまいと考えてのことだった・・・。

 

 で、その途中の「高松市牟礼町大町にある、「うどん商人・つゞみ屋」に寄った。「つづみや」と読むらしい・・・。昔・・・小学生の頃・・・、トラックの後ろに「いすゞ」と書いてあったが、何と読むのかわからずに大きくなった。ああいう字は、小学校でも中学校でも習わなかったように思う。

 

 で、久々の「しっぽくうどん小」になった。もう、十日以上はしっぽくうどんを食べていなかったように思う・・・。

 ここの麺も野菜の具材もやわらかい・・・と思った。最近は硬いものを食べなくなったから、余計に硬いものが食べたくなくなって。だから、一口食べて・・・「やわらかい・・・」と思った。お出汁もおいしくて、最後の最後まで飲んでしまった。これで500円だった。

 

 11時少し前だったから・・・お店は静かなもので、貸し切り状態でおいしく頂いた。

 

 四国村の入村料のおとな800円は少し高いなぁといつも思う・・・。初回はそれでもいいが、一年に何度も入る人には半額でもいいように思うのだが・・・。このかずら橋も初回は面白いが、二回目以降は・・・この脇の迂回路を通るから橋も傷まないし・・・。

 

 うまく撮れていないが、小豆島の農村歌舞伎の舞台を復元した芝居小屋に展示してある雛飾り・・・。これがメインになるもので、あとは小さな物ばかり・・・。

 

 四国の古民家に・・新しくて豪華な雛飾りは似合わない。だから、古風でしっとりとしたひなかざりをさりげなく置いてある。

 

 これでも立派すぎるほどの赤さだ。こういう雛飾りが全ての建物置かれている訳ではない。まるで・・・たから・・宝探しみたいなもんだ・・・。「あ、あそこにある・・」、「あ、あそこに隠れてる・・・」みたいなことで。

 

 でも、古くても新しくても・・・お値段が高くても安くても・・・ひな壇というのは・・・「七段飾り」・・・。これは、女の子は生まれてから七つの節目を乗り越えて、頂点に上り詰めるということかららしい・・・。

 

 これでもまだまだ赤すぎるか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ・・・。「あそこの神さんに頼めば病気がなおる」「あそこのお寺にお参りすれば・・・旦那の病気が治る・・」とかと言われてお参りするが、お寺や神社が病気を治したりはしないのだ。いくら、お金を積み上げても・・そんなことで病気やけがが治ったりはしない。

 

 本物の宗教は、病に苦しみ、心に苦しむ、その人間の本質をこそ救うのだと言うとるわけやろうね。世の中の苦楽というものは、この私の心の中の「争乱」にしか過ぎない。この私の心がやすらかに安穏になれば、この私そのものが救われるということなんだろうと思ったりする。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


雨であれ 嵐であっても やぶつばき

2012年02月14日 | ふるさと散歩

 今日は一日中・・・、雨になった。降ったり止んだりを繰り返しながら・・朝から晩まで雨になった。去年の今頃は雪が積もったような記憶がある。このあたりのビニールハウスなどが押しつぶされたと大騒ぎをしていたもの。そうすると、今年は少しばかり暖かいのかな・・・。

 

 さて・・・昨日の帰りに・・・通りかかったスーパーに寄ってみたら、節分の豆やら鬼の面を置いてあった場所に・・・ひなあられが山積みになっていた・・・。もう、そういう時期なのかと知らされた。

 

 だから・・・今日は、ひな人形展でも見てみようかと出かけてみた。

 

 その途中で、いつもの朝昼兼用のおうどんを食べた・・・。

 

 東かがわ市引田、国道11号線沿いにある半セルフの一般店というのだが、ほとんどセルフ店と同じようなもので、「手打ちうどん宮川」という。

 

 で、今日は豪勢に(ということでもないが)、「肉ぶかっけ小のぬくいん」を注文した。ネギやおろしショウガ、ゴマなんぞはフリートッピングなのに、さすが一般店だけあって、これで600円だった・・・。出汁もしっかりと辛かった・・・。

 

 これが讃岐人のこだわり・・・。「一日一麺」。それでいて、「うどんは別腹」。当時の先輩たちは、お茶代わりに、うどん屋に入るので閉口した思い出がある。いくらなんでも、朝から・・モーニングうどん、十時にうどん、昼にもうどん、三時にもうどん・・・は、「もう、勘弁して・・・」と思った・・・。

 

 その後、引田(ひけた)町内にある「讃州井筒屋敷:さんしゅういづつやしき」に行った。ここは、昔のお醤油屋さんであった「井筒屋」というお屋敷を、市が買い取って、イベント施設として改修して使っている。

 

 この母屋(おもや)で、毎年、恒例の・・・「雛人形展」が開かれている。で、今月末の2月29日からは、この町内一帯の通りでの「引田ひなまつり」が行われるが、その前哨戦的なイベントになっている。

  

 これが・・・「引田雛飾り」と言われるもので、十畳間一室を・・雛人形で飾る。三十年ほど昔には、初めての女の子が生まれると、こういうものを飾ったもの。だから、電話もテレビもみんな・・・別室に移して、家族は狭い台所なんぞで寝たもの・・・。

 

 近所の子供達は・・段ボール箱を抱えて・・「おひなさん、見せていたぁ~」と、家々を回って歩いて、みかんやひなあられを箱一杯にしてもらった・・・。親戚友人たちには宴席を設けて酒宴もやった・・・。だから、女の子が生まれたら、一財産が吹っ飛ぶ・・・とも言われたらしい・・。

 

 だから・・・そういう風習はやめようという自粛モードになって久しいが、10年ほど前から、町おこしの一環として、通りに面した家々で、思い思いの雛人形を飾るイベントを行うようになった。これが・・・「引田ひなまつり」で、今年が、その記念大会になるらしい・・・。

 

 例年は・・・2月の27日ごろから3月3日までであったが、今年は少し短くて、29日から3月4日までだとか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ・・・。こんな田舎には占い屋はいないが、易者や水晶玉占いなんぞに診てもらったのはいいが、それでは気分が悪いと・・次から次へと占い屋を回って・・・お金を使い、神経を使って・・・結局、泥沼に入ってしまう。

 

 ま、田舎でも、雑誌やテレビなんぞの・・「今日の運勢」「今日の星占い」に一喜一憂して・・・自分で自分を壊してしまう人がいる・・・。所詮、他人様にどうのこうのと言われるような私の人生ではないではないか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春浅し 今日のうどんの ネギの色

2012年02月13日 | 自然ありのままに

 一週間も島の家にいたのは初めてではないだろうか。なかなかに七日間も島にいる余裕、時間がなかったように思う。今回は、百々手まつりがあったもので、ついついと長居をしてしまった。

 

 いや、もうしばらくいても大丈夫なのだが、迷犬ごんが待っているだろうからと重い腰を上げて帰宅することにした。生ゴミや空き缶などの片付けを済ませて、八時に家を出て、ゴミ集積場へゴミを運び、フェリー乗り場に向かった・・・。

 

 この頃になると雨が降り始めた・・・。小さな雨粒がぽつりぽつりと落ち始めた。なにせ、ノートPCとデジイチがあるもので雨は困るのだが、傘を持って出るのを忘れてしまった。ま、そんなにも降りはしないだろうとそのままにした・・・。

 

 今日は月曜日・・・。図書館も資料館も博物館も休館日だ。丸亀港に着いたのは9時過ぎ。これから・・・どこに行こうかと考えた。雨がひどくならない間に車までたどり着きたい一心で、とにかく早めに島を出たのだけれど・・・。

 

 結局・・・丸亀市からまんのう町を経由して・・・綾川町に出ることにした。そろそろ・・ふきのとうが出ているかも知れないと思って・・・。

 

 で、昨年末に移転してきた・・「木の崎うどん」新店に寄った。時間的に・・・朝昼兼用のおうどんになった。旧店は少し先の旧道沿いにあったのだが、国道沿いの広い場所に出てきたという感じ・・・。

 

 この・・「まんのう町」というのはうどんのメッカ。長田うどんとか小懸屋とか太郎うどんとか・・・ま、多くのうどん屋がしのぎを削っている激戦区。近くには「兼平屋」、「川中うどん」「よしのや」などがすぐそばにある・・・。

 

 朝から・・・油っ濃いものは欲しくないので、あっさりと・・「おんたまぶっかけ小」を注文した。330円だった。麺はこだわりのある麺のようで、柔らかいが柔らかくなく、硬いけれど、硬くもなくておいしかった(どういう意味じゃ・・)。

 

 ちなみに、定休日は「木曜日」らしい・・・。そこから・・・仲南町に向かっていたら・・・「凍結注意」の点滅ランプが・・・・。「こりゃ、あかん・・」と、方向変換して・・・綾川町に向かった。

 で、旧の綾上町の山手に入ってみたが、ふきのとうの姿は全くない・・・。この寒さではまだ無理か・・・。

 

  

 今日の掲示板は少し長い・・・。ま、興味のある方は読んで味わって下さい・・・。人にしろ、鳥にしろ、動物にしろ、植物にしろ・・・みんな、そうして、生まれかわり、死にかわり・・・命を引き受け、預かって、受け継いで・・・今の私がある・・・。

 この命に感謝、あなたの命に感謝ですね・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


いやさかに 百々手まつりの 弦の音

2012年02月12日 | 時には日々是日

 今日は風もなくて暖かい一日になった。だから、洗濯物を干したり、お布団も干したりしてから、島の北側にあたる「茂浦:もうら」という集落に出かけた。

 

 朝にはフロントガラスが霜で真っ白になっていたが、9時前になると霜も溶けて問題なく出かけられた。茂浦という集落へは車で行くと10分ほど。でも、歩いて行けば30分から40分はかかる。何年か前には車が動かなくなって、歩いて行ったことがあったが、歩いてもそう、しんどい行程ではなかった。

 

 しわく広島には七つの集落があるが、ここだけは旧来通りに旧正月に百々手まつりが行われる。今年はうるう年にあたるもので、いつもの二月中旬に行われた。

 集会場で準備を整え、朝食をいただいてから、みんなで「塩竃神社」にお参りする。

 

 氏神さんにお参りをすませたら、集会場の裏庭での「ももてまつり」が始まる。この「ももて」という神事は、本来は宮廷などでの新年の儀式で、弓の弦の音で魔除けをしたものと聞く。みんなは自作の捨て矢を数本ずつと、正式の弓矢をまとめて持って行列をする。

 

 この地区担当の、本島正覚院の住職さんの読経が流れる中、弓矢を放って悪魔降伏悪鬼退散を祈願する。

 

 百々手式(ももてしき)は10人の射手が10手(1手は甲矢乙矢の2筋を言う)を射ることから合計百手となるもので、この儀式は祈願等の場合に行なわれることから祭壇を飾り、神通の鏑矢を錦の袋に入れて本尊に安置する。本尊の前には三具足を、盛りものとしては山の芋、麹、餅を置く。親射手2名による奉射に続き、百々手射手が前弓・後弓各々揃って奉射を行う。

 

 弓道の場合には、甲矢(はや)、乙矢(とや)という二本で一組となっていて、この二本だけで最後まで打ち通す。はやととやは、矢羽根の向きが少し違っているし、付け根も反対側についている。

 

  だから、弓道具店では、この「甲矢・乙矢」をセットで売っているが、最近では10本セットというものもあって、案外と簡易なものあるようだ。

 

  で、これが大的で、最初はこれで家内安全とか交通安全などを祈願する。的までの距離は普通は28mだが、ここは、その半分ほどの距離になっている。

 

 これが「ささ」と呼ばれるもので、賞品である。午後からの「金的」に命中すれば、こういう賞品が渡される。これを狙い出すと、みんな眼が真剣になる。

 

 これが金的らしいが、金色ではない・・・。本当は、真ん中の黒的くらいなもの。それを金色で塗るものだけれど・・。

 

  でも、こういうものは見るものではないなぁと思った。なんか、弓を打ちたくなって腕がうずうずしてしまった。でも、一人でやってもおもしろくはないしなぁ・・。

 ということで、明日には山の家に戻らねば・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


春の山 朝風呂の窓 開け放ち

2012年02月11日 | 自然ありのままに

 今日はいい天気で晴れ上がったのだけれど、気温は上がらず・・・数度から8度どまりでやや風も冷たかった。

 

 朝の間は・・・掃除をしたり、ゴミ出しをしたりしながら朝の散歩にも出た。しっかりと動かないと・・おなかもすかないし、食欲も出ないというもの。島を歩いても、目新しいものがあるわけではないが、とりあえず1時間程度は歩いてみた。

 

 これは・・・広島神社の境内にある「灯油倉庫」で、沖にある「羽節:はぶし灯台」の点灯用の灯油を入れていた倉庫で、英国人技師の指導によるものだそうで、初期灯台や待息所などと同じような建て方になっている。

 

 今までは気にもならなかったのだが、実はこの倉庫、海からは100mほど入った高台に立っている。よく考えてみたら、この倉庫から灯油を容器に入れて、伝馬船(手こぎの小型木造船)で沖まで油を届けるのには奇妙な位置にある。ということは、昔には、このあたりまでが海であったのではないか・・と考えた。当然・・すぐ東の墓地は海岸沿いの砂浜であっただろうし、レキの墓も海岸近くにあったに違いない。

 

 そう考えると・・・明治から150年ほどで、100mも海が遠くなったことになる。そんなことを考えながらの散歩になった。

 その後は朝風呂に入り、缶ビールを飲みながら・・・「下関戦争」とか「四境戦争」についての資料整理をやっていた。イギリスやフランス、オランダ、アメリカなどの列強は薩摩や長州などとこぜりあいを繰り返していたみたい。尊皇だ攘夷だという混乱の時代やったんやねぇ。

 

 こうした列強と戦をやっても勝ち目はない。日本という国は開国から明治という時代に突き進んで行くんやね。だから・・・示威行動、威嚇行動をしながら瀬戸内海を航行して、大砲から実弾を島や山めがけて発射したんやろうね。

 

 今日のお昼はカレーうどんになった。もちろん・・・という訳でもないが、大塚の「ボンカレー」だった。麺さえしっかりとしてれば、こういうものが手軽でいい。

 

 午後からも・・・お墓探しやら、見残しはないかとか、レキ墓観光コースはどう歩けばいいのか・・みたいなことを考えながらの散歩になった。時期が良くなれば、メンバーで現地を歩きながらの勉強会もいいかも知れないと考えてのことだった。

 

 そうそう、昨夜、この近くの岡さんという方が、島四国の86番札所の志度寺の石仏を見つけたよ・・・という連絡があった。少し暖かくなったら歩いて現物を見たいものだ・・。でも、一人で山に入るのは怖いので、誰かと行かないとね。広島支所に写真を預けたというので、月曜日にでも見せていただきたいもの。

 

 これは・・・瀬戸内に残る風習で、「七郎為朝御宿」と書いてあって、「我が家には、強いお客様がお泊まりだから、悪い人は入ってこないで・・」という合図らしい。

 

 で、今日の掲示板はこれ・・・。わかってはいるのだけれど、ついつい、あんな人はいなくなればいい。とか、あんな人は消えてしまえばいい・・と、つぶやいてみたくなるもの。私の命が惜しいように、すべての人の命もまた尊ばれなければならいというもの。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


無知という 愚かさを裂く 蕗の薹

2012年02月10日 | 時にはぼぉっ~とする時

 当初は二・三日の積もりで島にやって来た。記念法要の打ち合わせと、レキ墓レポートの提出が済めば、それで戻るつもりであった。だが、この日曜日、12日の日に、茂浦という集落で「百々手祈祷:ももてきとう」の神事が行われると聞いた。

 

 だから、それを取材してから戻ることにした。この神事も毎年のことだから珍しくもないのだが、少しずつ人が入れ替わり、本来の姿が失われつつある。そういうものを記録しておきたいと考えたからだ。無くなってから記録しようとしても遅いのだ。

 

 今日は昨日とは打って変わって暖かい日になった。だから、昨日の続きで墓地の探索をやってから、高速艇で丸亀に向かった。冷蔵庫の中の缶ビールやら食材も少なくなった。余るのも困るが、食材がないというのは不安なもの・・・。とくに缶ビールはなくてはならないもので、これがないと無性に不安になってしまう・・・。

 

 正面が「しわく富士・王頭山」で、左手の船が高速艇の「ニュー・ビサン」。10時45分発で、丸亀港には11時過ぎに着く。海上約15分。

 

 未だにここは、硬券を使っている。丸亀からは端末機による軟券になっている。

 

 この時間帯だからか、乗客は数人だけだった。でも、これの折り返し便には20数人が待っていたのには驚いた。11時15分発というと、中途半端なようだけれど。それぞれの都合っていうものがあるんやろうね。

 

 で、今日のお昼はここになった。丸亀市新浜町にある「うどん・浜っこ」。丸亀港の近く、西汐入川沿いにある一般店である。駐車場はないに等しくわずかに2台分。客席は24席と小さなお店だ。

 

 で、珍しいおうどんの「みそぶっかけ小」をお願いした。これは冷たいものしかない。ここまで歩いてきたら汗まみれになったので、それをお願いしたというわけ。だから・・麺はゴム紐みただし、お味噌は冷たいし・・・。でも、汗まみれの私にはこれがちょうど良かった。これで280円だった。ついでにおひやというお水を四杯もいただいてしまった。

 

 で、缶ビールやら日本酒やら食材やらを買って、13時30分のフェリーに乗った。このほんじま丸はフェリーボート、「びさん2」から見えた風景。お隣の塩飽本島に向かうフェリー。

 

 あと、本屋さんに寄って、幕末に関する本を何冊か買った。いわゆる「幕末」というのは、嘉永六年(1853)のペリー来航から、明治二年(1869)の榎本武揚が降伏して戊辰戦争が終結したときまでを言う。いや、幕末の歴史をどうこう言うつもりはない。

 

 ただ・・下関戦争、第一次長州征伐から第二次長征伐が終わった・・・慶応二年から、例の・・・「レキ墓問題」は始まってくる。長州藩と仲良くなった英国海軍の軍艦は瀬戸内海を通る時、何発かの砲弾を撃ち込んだ。それが・・・物語りの始まりだった・・・。

 

  その薩長同盟とか長州征伐だとか、下関戦争だとかいうものを、少しばかり調べておかねば・・・みたいなことだった。英国軍艦の放った砲弾と、英国士官レキとはどこで、どう、つながっていくのだろうか・・・みたいなことを調べてみたくなったのだ。

 

 ま、学校では習ったのか習わなかったのかは知らないけれど、そんなことは、私たちの暮らしにとって、何の必要もないし、何の役にも立つことでもないし・・・。そういう「無知」という壁が、いきなり・・・私の前に立ちふさがったという感じだろうか・・・。

 

 これが、その・・・「レキの砲弾」と言われているもの。英国軍艦から発射された弾丸である。これがいかなる砲弾なのであろうか・・・。そういうことを考えた一日になった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


むら長の 墓を訪ねて 黄水仙

2012年02月09日 | ふるさと散歩

 今日も冷たい一日になって、昼間でも3度とか4度にしかならなかった・・・。ま、たまにはこうした涼しい時があればこそ、暖かい春の日が嬉しくもなるというもの。

 

 朝ドラが終わると、テレビもラジオも国会中継になったので、仕方なく朝の散歩に出た。国会も大事なのだろうけれど、どうにもこうにも聞いていて楽しくはない議論ばかりだ。

 

 で、今日もお墓探しに出た。イギリスの「タイムス」という新聞に出ていた「Terawaki kaemon」という人を探すのだが、そんな明治の人を今の島の人は知らない。だから、墓場で調べてみようとしている。「Oka Ryohaku」=岡良伯のことは有名だからすぐにわかったのだけれど、「寺脇」という人が村長なのかどうかもわからない。

 

 これが、岡良伯のお墓だ。庄屋で医者だったそうだから立派なお墓だ。だとしたら、村長の「寺脇」はもっとでかいはずだと考えたが、そんなものは見つからない。

 このあたりの島は・・「両墓制」というお墓になっている。ここは少し前まで・・・砂浜だった。その砂浜に棺を埋葬した。これを「埋め墓」という。そして、こうした立派な石碑は「参り墓」という。二つのお墓を作るから「両墓制」というのだ。

 

 そして、集落ごとにこうした共同墓地になっている。だから、ここ以外にお墓を作ることはない。ここにあるのが、この江の浦地区の全てのお墓だ。だから、ここに必ずお墓はあるはず・・・。

 

 先日の蕗の薹も寒いものか少しも大きくならない・・・。来週になればぐんと大きくなるのだろうか。

 

 で、訪ね着いたのがここ。新しいお墓だが、ここにある「法名碑」には、「寺脇儀右衛門」「明治26年3月9日 56歳」と刻んであった。確かではないが、この人のような気がする。後日、確認するが、「カエモン」と「ギエモン」の音は似通っている。英国人が記録し間違えたこともあるかも知れないし・・。年代的には無理がない。

 

 1時間ほどの散歩が終われば、朝風呂に入って朝酒を飲んで、資料の整理をやっておく。やはり、「現地に行こう」「現物に触ろう」だ。刑事ドラマの「現場百遍」ということもあるし・・・。

 

 今日の昼食の「かまたま」を食べてから、午後の散歩になった。山の家にいてる時と同じように生活をしていると思うのに、なぜか食べ過ぎてしまう・・・。だから・・・ついつい・・散歩ばかりで出てしまう。

 

 ここはこうして大根を長く切って干してあるけれど、短く切って、ザルや網戸を外してその上に並べて置いても早く乾燥するらしい・・。

 

 これもときおり見かけるけれど、厄除けの神事らしい。お宮さんに厄除けのお参りをして、その帰りに、端緒を切って、辻に置いて後ろを振り向かずに家に戻るのだとか・・・。香川県の西部あたりでたまに見かける光景・・・。

 

 昨日も今日も、雪がちらついたけれど、言うと言わんと少しずつ春が近づいているという気配は感じられる。

 

 島は暖かいものだから、雪なんぞ降ったことがない・・と、島のおじいちゃんは言うとったけれど、何年に何度かは雪も降ってそのあたりが真っ白くなったことは記憶に新しい・・・。でも、積もって困ると言うほどには積もらない。

 

 今日の掲示板は今の時期にはぴったりかも知れない・・・。私も・・・この「レキ墓研究」がやがて大きな花を咲かせてくれることを念じている・・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


白梅を 払い落として 走る風

2012年02月08日 | ふるさと散歩

 今日は真冬の天候が戻ってきた。日中でも二度とか三度とかで気温は上がらず、強い風が吹き荒れていた・・・。さぬき市の実家では吹雪になって数センチの積雪になっているとかとメールが届いた。

 

 で、前にも掲載したが、明治33年7月七日付の「タイムズ」の新聞記事に何人かの名前が登場している。その中にある、「Awaburi Tokwan」という医光寺の関係者と思われる人を探してみようと思った。最初は、「泡振徳庵」かなぁと思ったのだけれど・・。

 

 医光寺というのは、現在の「地福寺」の隠居寺で、「西の寺」と呼ばれていたお寺で、一時期には小学校としても使われたことがあるらしい・・・。

  

 庫裏は早くに竹藪に呑み込まれ、本堂は数年前までは残っていたが、危険防止のために解体された。

 

 今は、こうした石塔が残るばかりだ。正面に残る木材が本堂跡のもの。で、その周囲を探し回って、結局・・・、左手奥の石塔を見つけた。

 

 ここに刻まれているのが、「阿闍梨等観(あじゃり・とうかん)」・・・。「Awaburi Tokwan」の音に似ていないだろうか。さらに、この左面には、「備中国小田郡用之江村:びっちゅうのくに・おだぐん・もちのえむら」現笠岡市、粟根氏産。右面には、明治21年4月18日と刻んである。レキの墓に関連するにはちょうどいい時期である。「粟根等観」も「Awaburi Tokwan」に似ている。

 もう一人の「寺脇嘉右衛門」の墓は見つけられなかった。とにかく冷たくて落ち着いて探す気力も出ないし、光線が弱いもので刻まれている文字が読めない・・・。

 急いで帰って・・・朝風呂に入り・・・肉まんと缶ビールを飲んで朝食にした。

 

 そうそう・・「しわく丸」の件だけれど、丸亀市では、今月の大安の日あたりを就航日としたいらしいのだけれど、肝心のクルーがいないのだという。この船を動かせる乗組員がいないので、運行ができないらしい・・。

 

  船体検査も終わっており、設計図通りに改良は終わっているのに、稼働不足でフェリーが動かせないというのらしい・・・。

  

 で、今日もお昼は・・・ハヤシうどんになった。これがご飯だったら「ハヤシライス」になるだけのこと。やはり、お昼はおうどんでないと落ち着かない。

 

 午後からは室内の掃除や片付けで終わった。ときおり、この島には粉雪が舞うこともあったが、強い風が吹き荒れるので瞬く間に消えてしまった・・・。

 で、14時、16時にもお風呂に入った。今度は寝る直前に入っておしまいかな・・。ま、肩こりを早く治しておきたいものだし・・。

 今夜はお客さんがこないらしいので、早くに寝ることにしようか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


重圧を 耐えて芽吹くぞ 蕗の薹

2012年02月07日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 昨夜は台風のような風雨であったようで、この島の家が壊れるのではないかというような強風と雨とでにぎやかだった。

 それでも・・・旅につかれと酒の酔いとで深い眠りについたものだった・・・。

 

 島の家に来ても、起床は午前六時で、七時には朝食を食べて、八時には散歩に出るという生活パターンは変わらない。これをひとたびでも変えてしまうと・・・ぐうたらになってしまうんだろうね。ま、ぐうたらになるために、この島に来るのだけれど、朝寝・朝酒・朝湯というところまでには届かない。

 

 これが・・・最近、よく出てくる・・「英国士官レキの墓」だ。島の川本さんというおばちゃまがお花などの世話をしている。午前中は集落内の散歩ばかりで終わった感じ・・・。

 

 でも、江の浦という集落を歩いても、隣の「釜の越」という集落を歩いても、人っ子一人に出会わないし、車の一台にも出会わない。島にはありがちな犬や猫にも出会わない・・・。まるで、時間が止まってしまったかのような・・・・不思議な空間。

 

 で、島の民家脇で見つけた・・・「ふきのとう」・・・。見えるかな。真ん中の丸いもの。数日しないと・・・ふきのとうらしくはならないのかな・・・。わずかに・・・固い殻から緑の若葉が吹き出そうと準備している。

 

 とにかく、今日は・・・比較的暖かかったもので、集落周辺を歩く・歩く・歩く・・・。歩かないと食欲も湧かないし、おなかが張って動作が緩慢になるし・・・。

 そうそう・・。島の冷凍庫がおかしい。電気を異常に使っているみたい。島の家には冷蔵庫と冷凍庫の二台があって、冷凍食品だのは冷凍庫で保存してある。そこで、冷凍庫を調べてみたら、冷凍庫全体が凍り付いている。「霜が付いている」という状態ではない・・・。その霜があふれて、ドアが半開きになって・・・電力を異常に消費しているみたい・・。

 

 だから・・・中身を・・・冷蔵庫に移して、電源を切って・・・霜取り状態にしておいて・・・。午後から、自治会長会議だというのだが、人っ子一人見えない島で、本当に・・そんな会議があるのだろうかというような雰囲気。

 

 で、我が家から歩いて行ったら、約束の14時前に会場に着いた。広島コミュニティセンターという、丸亀市広島支所みたいなところ。

 

 ここに・・・各自治会の自治会長さんと、センター長さん、生活環境部長さんらが集まっていた。広島の七自治会長さん+手島+小手島の九自治会長さんと、丸亀市の二人やね。

 

 それに、茂浦の正福寺さん、広島の長福寺さん、市井の玉瀧寺さんと、私の四人のお坊さんから、記念法要のお願いと協力依頼をした。ま、昨年秋から・・・口コミとかPRほかで記念法要のことは知れ渡っているので、その方面に筋を通す・・・ということ。中には・・・「しらなんだ・・」とか、「聞いとらん・・」とか・・「相談がなかった・・」という人もいるもので・・・。そのあたりが難しい・・・。

 

 会が終わると、連合自治会長さんと、笠井部長さんに、「英国士官レキの墓」の研究レポートを手渡して、本日のご用はおしまい・・・。この資料を基にして、今年度の「レキ墓研究会」の進むべき道を考えて欲しいもの。イギリス海軍省とか、伊勢湾御木本幸吉記念館とか山下公園氷川丸見学なんぞという無謀な計画は止めて欲しいものだ・・・。

 その後、地福寺さんで今後の活動について話し合って、我が家に戻ったら・・・・。

 

 冷凍庫はきれいに霜取りができているのだが、リビングの床は大洪水・・・。溶けた霜が、溶けた氷がそのあたりに流れ出して・・・。いや、その防止用に・・・バスタオルやぞうきんやらを山積みにしてあったのに・・・、その許容範囲を超えて・・・・。

 ま、おかげで、冷凍庫周辺はきれいにはなったのだけれど・・・。

 

 今日の掲示板である。記念法要という大きな目的には近づいた。これもひとえに連合自治会長さんという方に出会えたおかげだし、そのパイプでセンター長さんや部長さんのお力も得られたし、ま、なんだのかんだのいいながら、島のお坊さんたちとも仲良く慣れたこともあって、「お大師参り百周年記念法要」というビッグイベントが可能になった。

 だが・・・我が家に戻ってみたらば・・・我が家は水浸しだ・・・。ま、幾分かの「つらさ」だったが、「うん、いけるぞ!」という実感の方が強かった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


早春の 海輝いて 剥落す

2012年02月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 川崎から遊びに来ていた「けいご君」が、今朝の9時過ぎの高速バスで帰るというのでバタバタとした。迷犬ごんの散歩もそこそこに「朝うどん」に出かけた。久々に讃岐に戻ったのに、まだ、うどんを食べていないというのだ。

 

 で、町内の「手打ちうどん・まるたけ」に走り込んだ。で、慌ただしくおうどんを食べた。

 

 「かけうどん小」で200円。私は食べやすいおうどんだなぁと思う。ところが朝の8時前ということで、麺が4人分しかない。うちのメンバーは5人。結局、客人のけいご君だけが外れて、次のゆがきまで待つことになった。私も早くに家を出たいしなぁということで、少しばかり計算ミスだったかな。

 

 青いジャンパーがはやて、女の子がなぎちゃん。向こうの背の高いのがけいご君とかねちん。私はカメラマンという五人組。けいこばぁはさっちゃんの朝ご飯の用意で自宅での食事。

 朝うどんが終われば・・・みなさんとお別れ。私は丸亀へと向かうし、かねちん家族は屋島に。けいご君は川崎に戻る・・・。

 

 私は途中で食材を調達しながら丸亀港に・・・。まだ、新造船「しわく丸」の姿は見えない・・・。どうしたもんだろうかね。私は11時15分発の高速艇「ニュービサン」に乗ってしわく広島の江ノ浦港に着く。今朝は霧が心配されたが、船は定時に出航した。高松空港では欠航が相次いだとか・・・。

 

 島の家に着いたのが11時半過ぎ・・・。それから・・・お風呂を沸かして早速にお風呂から・・・。最近は・・・寒いからと連日、パソコンばかりたたいていたので、肩こりと疲れとで眼が真っ赤になっている。だから、今週は少し骨休めと休憩をしようと思って・・・。

 

 お昼は自作のかまたまうどんにした。ま、ていのいい、「たまごかけうどん」の簡略化バージョン。

 

 明日の7日が、広島町の「連合自治会長会議」。この広島に7つの自治会があり、それに手島、小手島(おてしま)の自治会長さんもやってきての連合自治会長会議があるらしい。そこに、「広島島内仏教会」から、三月末の「お大師参り100周年記念法要」についての協力依頼というか、お願いをするのが目的というわけ。こういう行事は坊さんだけが法要を計画しても、地元の協力がなくてはなんにもならない。だから、そのお願いにやってきたというわけだ。

 

 で、お昼からは散歩に出た。ここんところ寒かったもので、犬の散歩ぐらいだったから、全くの運動不足。昨日、孫たちが歩くのについていけないくらいに足腰が弱っている。少しは歩かなければ・・・ということで、集落内を歩いてみた。

 

 今日は気温もあって、風もなくて・・・暖かくはないが寒くもないという天気。ぶらぶら散歩にはもってこいの天候になった。

 

 今日の掲示板はこれ・・・。

 

 寒いけれど、梅も桜も桃も・・・芽が出てきている。寒い中、冷たい中でも、けんめいに生きようと努力をしている。もうすぐ春が来ることを知っているから、みんな芽を出してきているのだ。私たちは寒さの中で怠けてはいないだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


お遍路の 列に梅の香 降り注ぐ

2012年02月05日 | たまには旅など・・。

 さて、今日は何をするんだろうかねぇと眺めていたら、「高知へキャンプを見に行こう」と言い出して、それじゃぁ、高知でも繰り出そうかということになった。

 

 で、高松自動車道から高知自動車道へと入って・・・高知市内を目指した。だが、高知でのキャンプ情報なんぞまるで知らないで、調べもせずに行くのだからあやしいことだ。

 案の定・・・高知市総合運動野球場では韓国の独立リーグプロ野球、高陽ワンダーズというチームがキャンプインしていた。こりゃぁ、だめだと、今度は安芸に向かった。

 

 ここも主力組は沖縄の宮古島だかでキャンプイン。だから、B班がキャンプ中。でも、時間帯が悪かった・・・。ちょうど、お昼時とかで休憩中。

 

 仕方が無いし、おなかも空いてきたので・・・高知市内へと戻った。芝生のグランドばかりを見ていても仕方がないというもの。

 

 で、一昨年のお正月だかに寄って好評だった、このお店に入った。「レストラン・グドラック」という変な名前のお店。「グドラック」って、なんじゃらほい。

 

 で、こういう「土佐黒潮定食」を注文した。1500円だった。お昼にご飯物を食べる習慣がないのだけれど、ま、たまにはいいか・・と、おいしくいただいたが、これが夕食に大きく響いてしまった・・・。

 

 その後は、高知市内の「ひろめ市場」に寄り、高知名物の「日曜市」をのぞいてみた・・・。

 

 こういうものとか・・・。

 

 もちろん、みかん、ぽんかん、文旦なんぞの柑橘類からお魚の干物・乾物・・・・野菜にお花、高知の刃物なんぞがズラズラズラ・・・っと。

 

 ま、高知というても、高速を使えば、往復2時間ずつの4時間ほどの旅。便利になったものだ・・・。

 

 ということで、プロ野球選手には会えなかったけれど、ま、楽しい冬の日の一日になったことだった・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


霜柱 犬の鎖を 支えきる

2012年02月04日 | 時にはぼぉっ~とする時

 今日はすこしましな寒さかなぁと思ったけれど、なかなかに氷が厚くなっていた。日中には少し暖かくなったかなぁと思ったけれど、十度にまでは上がらなかった・・・。

 

 珍しく・・・雪が降ったせいか、雨のせいか「霜柱」が見られた。それも数センチは伸びていた。

 そうそう、今日は二十四節気のうちの「立春」にあたるそうだ。

 

 時計で言えば、10時30分に当たるところが「立春」で、時計回りと反対に、雨水、啓蟄、春分と進んでいくのが暦の上の二十四節気らしい。 

 立春とは、冬至と春分の間の2月4日頃に当たる。また、この日から雨水(2月19日頃)までの期間を立春と呼ぶこともあるらしい。立春は冬と春の分かれる節目の日である「節分」の翌日で「寒さがあけて春に入る日」いわば春の初日である。

 

 ま、言うといわんと、寒気団が去って、ほっとするような日中になった。午前中は、相変わらずのホームページのリンク切れとかアドレス修正をやっていた・・・。

 

 うちのホームページはリンクだらけの「ポータル(玄関)サイト」だから、まるで蜘蛛の巣だらけだから、更新作業をやってると目が真っ赤になる。

 

 で、今日のお昼はさぬき市志度の「亀城庵・志度店」になった。ここは店内も広いお店で、駐車場も拡大して広くなったので、大勢の人が集まってくる。

 

 で、いつものしっぽくうどんになった。少しばかり、すりごまを入れすぎたか。小で350円だった。良心的なお店だなぁと感心する。いまどき、しっぽくうどんが350円だなんてね。

 

 ま、人気店ではあるけれど、私のように11時前に行くとほとんどお客はいない。だから、ゆっくりと静かにおうどんが食べられる。ここは・・10時から開店している。で、夕方の17時まで。定休日は金曜日。

 

 今日はケイゴ君がやってきて、娘家族らもやってきて・・・宴会の夜になるらしい。お正月も過ぎて、いよいよ春本番へのスタート。早くも就職の準備だね、ケイゴ君。夕方には弟もやってくるらしい。

 

 そう言えば、子供の頃には、お盆の上に「雪ウサギ」を南天の葉っぱや赤い実で作った記憶がある。

 昔には讃岐でもどっさりと雪が降ったこともあったなぁと思い出した。

 

 今日の掲示板。ごく当たり前の言葉だけれど、一日一日が宝物。ありふれた一日だけれど、こころして過ごして行きたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


白という 景色の中に うずくまる

2012年02月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 今朝も冷たい朝になって、結露した窓やドアが凍り付いて動かなくなった・・・。だから、ごんの水飲み場の氷は二センチを越えて、ひっくり返しても落ちなかったり、不動堂の手洗い場も凍り付いて手が洗えなかったりした。

 

 朝の散歩から戻ってきて、お布団でも干そうかと準備をしていたらば、またもや・・雪。青空なのに雪が降り出して来て・・・。

 

 昼間の雪はたいしたことにもならないだろうと、朝の間は・・・レキ墓研究の資料の製本作業をやっていた・・・。来週の月曜日からしわく広島に行くもので、その準備の一環。

 

 ま、今年の「英国士官レキの墓研究会」が始まるまでの暫定版を、幹事さんと会長さんに見て頂いて、その方向付けをやってもらうための資料だ。雪は・・・さっと降って、さっと、積んで、さっと溶けた・・・。

 

 そんなことをやっていたら・・・十一時を過ぎてしまった。これはしまった、しくじった・・・。「急がなきゃ遅れるわ、お店が混んじゃうわぁ~・・」ということで、町内の・・・「手打ちうどん・杉本」に滑り込んだ・・・。幸いに・・・先客が一人いただけだったのでほっとしたが、前の会社の先輩だったもので、声を出さぬように・・静かに注文して、静かに席に着いた。

 

 狭い田舎のことだから、あれこれと聞かれたり話したりするのは好きじゃない。そういえば、やめた会社にも一度も行ったことはないし、会社の誰かが訪ねてきたこともない・・・。

 

 出てきたのは・・・昨日とは打って変わって素朴なしっぽくうどん。しいたけが大きいな。でも、野菜などの具材はしっかりと煮込んであってまろやかだった・・・。これで400円だった。

 

 次に入ってきたのは・・・ご近所のCATV業者さん。お不動さんの横に事務所があるもので、毎朝、顔を合わす人・・・。さりげなく・・容器を返却してお店を出た・・・。話し出すと長くなるんだ・・・。やはり・・・地元のお店は気を遣うねぇ・・・。

 

 午後からは・・・私のHPが、近く・・・新聞で紹介されるのだとか・・・。そういう言う意味もあって、各部分のチェック中・・・。リンク切れとか、アドレス変更とか・・・。これがなかなかに大変なのだ・・・。

 

 ノートPCで・・・メニューをチェックして・・・、リンク切れがあると、デスクトップのほうで、ホームページソフトで確認しながら、別ウインドウで、新しいアドレスを検索して修正していく・・・みたいな。だから、画面を6面とか5面を切り替えながら作業をしていく・・・。

 

 それが一段落したら・・・今度は、自治会の会計帳簿のチェックとか確認とか。そろそろ・・自治会長交代の準備作業も始めなければ・・・。

 

 明日にはお客さんが来られるというので、明日は宴会になりそう・・・。明後日もにたようなもの・・。で、月曜の朝にはしわく広島に向かうのだから・・・今日は少しばかり・・・バタバタとした。

 

 ま、明日には明日の風が吹くのだから、少しも心配はしていないのだけれど、こころの準備くらいはやっておかねばと・・・。

 

 これも・・・何度も使った掲示板だけれど、今晩の節分用に・・・。形として・・・鬼やらいの豆まきをしても、豆まきをするこの私のこころの中の鬼をどうするのか・・・という問いだ。豆をまいたくらいでは、この私の心の鬼は出て行かない。こころの裏に潜んだ鬼のようなこころは、どうやって追い出せばいいのだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


冴え返る 墓地という名の 椿摘む

2012年02月02日 | 自然ありのままに

 暦の上では春がそこまで・・・という時期なんだけれど、世の中は真冬。豪雪だ、渋滞だ、雪崩だと異常気象じみてきている。こんな暖かいはずの四国でも氷点下になって、氷も1センチ越えの厳寒モード・・・。

 

 だから・・・朝の間は、おこたで調べ物をしたり、資料を整理したりで過ごしてしまった。で、9時半過ぎに家を出て・・・県立病院へ向かった・・・。今日はお薬を処方してもらう日・・・。二週間に一回の病院がよい。

 

 血液をさらさらにする・・・「プラザキサ」だけをもらいに行く。少し前までは・・「ワーファリン」というものを飲んでいたのだが、新薬の「プラザキサ」になったもので、二週間分しか処方してもらえない。身体に合うかどうかを調べるためだそうだ・・・。

 

 これが一週間分。これを二セットで二週間分。邪魔くさいったらありゃしないが、それも仕方がないのでまじめに病院に行っている。これを飲んでいないと、脳血栓とか脳溢血とかになる恐れがあるとかで・・・。

 

 ま、お薬だけだから早い物で、10分もあれば会計を済ませて、薬局へFAXを送っておしまいだ。

 さて、今日のお昼は・・・ああだ、こうだといいながら・・・ここになった。

 

 高松市香川町川東上・・にある、「はな庄うどん」。高松空港が見えるような場所にあるお店だ。「本格手打ち・もりや」に行く途中にある。

 

 で、ここでも・・・いつもの「しっぽくうどん小」を頼んだら・・・こんなものが出てきた。これでもか・・・というように具材が盛り上がった・・・ものすごいおうどんが・・・。ま、とにかく・・ダイコンだらけだ。これをどうやって食べろというのか・・・。

 下手したら・・・積み木崩しみたいに、ダイコンがテーブルに滑り落ちるし、ニンジンがズボンの上になだれ状に滑ってくる・・・。かきわけ、かきわけ・・・おうどんを引きずり出して食べたが、今度はダイコンの山が残ってしまう・・・。

 

 悪戦苦闘の・・・十数分間だった・・・。無事に完食してお店を出たが、おうどんを食べるのに、こんなに苦労するとは思いもしなかった・・・。ダイナミックなおうどんやったでぇ~。

  

 さすがに・・おなかをさすりながらのご帰還だった・・・。讃岐うどんは奥が深いのぉ~。

 途中で灯油を買ったりしながら戻ってみると・・・。

 

 ここは・・・「猿の惑星」か・・・。十数匹の猿が我が物顔で運動会をやっている・・・。

 

 「おっさん・・・、なんか、文句あるんか・・・」と、にらまれた。文句をつけたいことは山ほどあるが、こんなんとケンカしてもしゃーないので無視したが、野菜もお花も犬のエサも・・・お猿のために用意してるんやないのやで・・・。

 

 午後からは・・・早くも島へ行く準備・・・。この週末には来客があるもので、早めに資料外の確認とその準備。月曜日からしわく広島に出向いて、七日の「自治会長会議」での「お大師まいり百周年記念法要」の説明と協力依頼。その後、レキ墓研究会の資料を事務局長さんに手渡しほか。そのまま・・・滞在するか、こちらに戻るかは、まだ、未定。

 

 でも、準備だけはしっかりとやっておかないと・・。二月・三月は・・・少しばかり多忙・・・。

 

 今日の掲示はこれ・・・。節分を前に・・・鬼のシリーズ。いくら、偉そうに言っても、所詮私たちは・・・「鬼の顔」「鬼のこころ」なんだ・・・。その、鬼の顔を、どうやって豆まきで仏の顔にできるだろうかね。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


新しき 俳句手帳に 梅を詠む

2012年02月01日 | 自然ありのままに

 今日は朝から曇っていて・・・やがてには雨になった。気温は数度・・・というところだが、なぜか空気が冷たい・・・。

 

 さて、今日から二月。手元の俳句手帳も「春」号になった。三日が節分、四日が立春、八日が満月、11日が建国記念の日、15日が下弦、18日が西大寺の裸会陽、19日が雨水、20日が水戸の梅祭り、22日が新月で旧暦の二月一日。暦的には春になったんだなぁということだが、体感的には寒くて寒くて、着ている上から更に着重ねるということで、「如月:着更衣」というらしい。

 

 確定申告用の資料はできた・・。ためしに・・「e-Tax」にアクセスしてみたが、用語がわからん、言葉がわからん・・。どの用紙のどこに何を記入すればいいのかさえ理解できん・・・。どの様式をダウンロードすればいいのかさえわからん・・・。

 これかなぁ・・と様式Bをダウンロードしたが、そのどの欄に何を入力するのかがわからん・・・。だめだ、こりゃ・・・。あとは、けいこばぁに税務署に出向いてもらうほかない。

 

  例によって例の如くの「レキ墓研究」。ようやくに資料の印刷ができた。これを、二月七日の日に笠井事務局長に手渡して見てもらう・・・。それで、イギリスへ行くか、神戸に行くか、横浜に行くかを検討してもらう・・・。

 とりあえず、外務省には行く必要があるが、どうやって、外務省に入れてもらうか・・・だな。突然に田舎のおじさんおばさんが行っても門前払いだろうしね。

 

 で、雨の中、ま、比較的近い、東かがわ市土居にできた・・・「純手打ちうどん・麺道」に寄ってみた。ここは二回目。まだ、メニューが少ないし、時期的の「しっぽくうどん」がないもので、なかなかに寄る機会がなかった。

 

 今日は急ぐ用事もないし、雨だし・・・ということで、ここに入ってみたというわけだ。はちまきのお兄さんが店長の井上さん。まだ、若いお兄さんだ。赤い頭巾のお姉さんがアシスタントみたい・・。天ぷらを揚げている。

 

 ここのゲソ天がおいしいらしいのだが、今日は「エビ天うどん小」を注文してみた。イカとかタコというのはどうにも相性がよくないのだ・・・。これで・・600円だから、安くはない。

 少しばかり、麺もエビ天も硬いような気がした。芯があるような・・・。気分的なことかも知れないけれど・・・。

 

  パソコンの前のカレンダーには、早くも二月いっぱいの予定表が書き込まれている。病院に行く日、お客さんが来る日、島に行く日、戻る日・・・。ま、予定があるというのもいいことやね。明日、明後日をどうやって過ごそうか・・・というのも苦しいものだから・・・。

 月末にはまたも神戸でのご法事がある・・・。ありがたいことやね。

 さて、午後からは雨が激しくなってきた・・・。

 

 その雨の中、けいこばぁがお友達を連れてきて、ひとしきり・・・お話に夢中になっていた。私は相変わらす・・・「レキ墓研究」の資料の確認ほか・・・。他人様に見せる資料ともなると、なかなかにチェックも厳しくしておかないと・・・。

 それに連動して、ホームページの更新もやっておかねば・・・。たまには、私のHPものぞいてみておいてくださいましな・・・。あんまり、代わり映えはしないのだけれど・・・。

 

 さて、今年は「閏年」だから、二月に「29日」という一日が挿入される。四年に一度、二月に幻の「29日」という日が設定されるのはご存じの通り。この年には・・・「オリンピック」が開催されることでも知られている。

 

 さらに、7月1日に「うるう秒」というものを、1日を1秒長くする「うるう秒」を挿入すると、総務省が発表したらしい・・・。 うるう秒の挿入は2009年1月1日以来3年半ぶり。日本標準時で7月1日午前8時59分59秒と午前9時0分0秒の間に、「8時59分60秒」が入るのだとか・・・。

 

 うるう秒は、地球の自転を基にした時間と、原子時計の時間のずれを合わせるためのもので、必要性を巡っては世界的な論議が起きており、日本や米国などは「挿入により、コンピューターシステムや電子商取引などに悪影響を与える恐れがある」などと廃止を主張。英国、カナダ、中国などは「天文観測システムへの悪影響がある」などと廃止に反対しているのだそうだ・・・。ま、私らにすれば、たいした問題ではないと思うのだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、元気に、会えるといいね。


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