まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

彼岸花 風に任せて 今日を終え

2014年09月15日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて昼過ぎまでは晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がってきた。気温は18度から26度、湿度は90%から68%、風は2mから3mの北北東の風が少し。明日の16日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすいらしい。

 

 奥方のけいこばぁが「じ(地)をひいて(耕して)よ~」というので、このミニ耕耘機で畑を耕すことになった。朝の間は肌寒いくらいだったが、8時過ぎになると気温もぐんぐんと上昇してきた。

 

 ま、このくらいの畑だから20分もあれば耕して終わる。それでもうっすらと汗が流れた。今日はシャワーなしの着替えだけで済んだ。今度は何を植えるツモリなんだか。

 

 昨日のこの本の中に、「靜御前」が出て来る。四国霊場87番札所の「長尾寺」の境内に「靜御前剃髪塚」というものがあるし、本堂には位牌も残されている。このお寺で、靜御前とお母さんの「イソ」が剃髪し得度したということになっている。靜は「宥心尼」となり、お母さんは「磯野禅尼」になった。

 

 ここで、義経の思い出を断ち切るために宝物である「鼓(つづみ)」を流したとされる「鼓淵」である。ここに川があったのだろう。今は細い水路があるばかり。

 

 これが、お母さんの「磯野禅尼」の碑である。この碑の後ろに小さな石碑がある。

 

 ご近所の方がお水とお花を供え続けているらしい。そこから少し西に進むと木田郡三木町に入る。川沿いに南に進んでしばらく行くと、山の手に大きな池が見えて来る。さらに進むと「鍛冶池」という池がある。

 

 その池の西側の土手にこのような建物が見えて来る。ここが「靜薬師」という庵跡で、ここに「宥心尼」が住んで、義経とその子供の供養のために念仏三昧をしていたという。

 

 その後、侍女の琴路(ことじ)もやってきて世話をしたらしいが、靜は病のために24才の若さで亡くなったという。侍女の琴路も七日後に、この池に入って亡くなったという。

 

 右から静御前のお墓、真ん中が殺された靜の子供のお墓、その左が侍女琴路のお墓ということになっている。自然石の石碑は寄進者の名前が刻まれている。

 

 これが靜薬師のお堂の中の様子。

 

 そこから少し西に進んだ下高岡にある願勝寺は、800年前に源平合戦後に出家した佐々木三郎盛綱が、静御前の菩提を弔うために開基したと伝えられている。佐々木盛綱は源平の戦いなどで活躍し、源頼朝に仕えた武将である。境内に「静の松」があったらしいが、近年になって枯死したという。

 

 ここの梵鐘に、静御前の姿が浮き彫りにされている。

 

 これが静御前のお墓だという。

 

 今日の掲示板はこれ。「大いなる恵みの中に生かされし 我とは知らず 今の今まで」というもの。ある先生のお話で、「ある朝、朝霧の流れる田園の中の道で、東の地平線に赤い太陽の美しさを見掛けたとき、ふっと、これは二千五百年前、ブッダが悟りをひらかれた時、また、八百年前、親鸞聖人が比叡山で修行をされていた時に、仰ぎ見られた太陽と同じ太陽だなと思ったことがあった。そうだ、私はこの太陽に、そして、このかぐわしい空気やこの川を流れる水や、草木の中で 「生かされて」 いたのだと、全身で感じて足を止めたことがあった」という。「そう思ったとき、われ知らず「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」 というお念仏が出ていた。今の今まで私はごくあたりまえのように「わたしが生きている」と考えてきたけれど、しかしそれは間違いで、ほんとうは私は「生かされて」いたと気づいたのだ」という。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


栗の実が はじけて落ちる 朝である

2014年09月14日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18度から28度、湿度は84%から58%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の15日は、はじめは高気圧に覆われて晴れるけれど、昼過ぎからは気圧の谷の影響で次第に雲が広がり、夜には雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日は、集落内にある「山の神神社」の秋の例祭ということで、朝の7時から境内の掃除や準備作業ということで、6時半過ぎに出掛けて行った。もう、ほとんどの方が掃除をやっている。ここの集落は常に30分前に集まる。

 

 私は、このしめ縄飾り係。境内や参道の掃除(落ち葉かき)が終わると、のぼりを立てる。

 

 本殿と摂社のしめ縄も私が作ってきたものを巻き付けておく。農民の間では、春になると山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰があるという。すなわち、1つの神に山の神と田の神という2つの霊格を見ていることになる。農民に限らず日本では死者は山中の常世(とこよ)に行って祖霊となって子孫を見守るという信仰があった。農民にとっての山の神の実体は祖霊であるという説が有力らしい。正月にやって来る年神さんも山の神さんと同一視される。ほかに、山は農業に欠かせない水の源でもあるという。

 

 この集落は11戸だが、今朝は10人が集まってのお掃除になった。

 

 山仕事(植林や伐採など)やたきぎ取り、炭焼きなどの山の衆にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守る神でもあった。農民の田の神のような、やってくる神の観念はなくて、常にその山にいると言われている。

 

 掃除は30分ほどでおしまいになって解散。おまつりは15時から自治会館で行われる。だから、家に戻ってシャワーを浴びて着替えて休憩。

 

 汗が引いたら、いつもの作業の続き。例の「さぬき市の偉人」のパンフレット作成。幾らかの推敲・修正・加筆訂正・校正もやってみた。まだ、完全ではないと思うが、あくまでの「参考作品」で、会長の目を通してからになりそう。

 

 我が家のプリンターは、カラーの両面印刷ができないものだから、こうして、三色のページを印刷して、それをページごとに組み合わせて貼り合わせるという面倒な作業になる。

 

 これは表と裏を貼り合わせて色に変化をつけたページになっている。これを製本すると、こうなる。

 

 左側が「さぬきの偉人たち」という冊子になった。右側は私のブログの抄録。お友達の「櫻谷さん」という権(ごん)大先達さん用に作ったもの。明日、自宅まで持参することになっている。

 

 これが、今日、作り上げた本である。会長さん宛には郵送することにした。

 

 さて、山の神神社のおまつりは15時の案内なのだが、「お頭屋(とうや)」という当番に当たっている我が班は、30分前の14時半に集合して会場の設営をしなければならない。その前に、この神社にお参りしてから集会場に集まる。

 

 こうして、テーブルを並べ、座布団を並べて、簡易の祭壇を作って御神酒や洗米、塩などをお供えする。直来(なおらい)用のお食事は、菓子パンとお茶になっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「けさ 目がさめたらまっさらの命 今日もキラキラ」というもの。時間がまだあると思うからこそ、今じゃなくてもいいと思ったりする。今度、またにすればいいやと思ったりする。でも、私たちには肉体の期限はある。明日、事故で肉体を失うことだって、ありうるのだ。ところが、私たちは永遠の命だと信じ込んでいる。だから、またにすればいいと思うのは、本当は 自然なことなのかもしれない。今朝目覚めたら、空気感がまるで違った。秋らしいさわやかな朝だった。まっさらな命をかかえた朝だった。今日もキラキラとした朝だなぁと実感する秋の朝を迎えていた。

 

じゃぁ、また、明日、まっさらな朝に、会えるといいね。


窓近く こおろぎの来て 二合酒

2014年09月13日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われるため、雲の少ない秋晴れの快晴だった。気温は18度から27度、湿度は80%から51%、風は2mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の14日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は、「おへんろつかさの会」主催の講演会があるので、8時前からお隣の町にある「寒川農村改善センターという施設に出掛けてみた。講演会は9時半からだが、会員は会場準備があるので8時集合になっていた。

 

 まずは会場の準備から。テーブルを並べ、イスを並べる作業から。この会はなんでも自分たちでやらないといけないらしい。ま、このあたりの施設はどこでも会場貸しだけで、準備から運営から片付けから、最後のお掃除やモップ掛けまでやらないといけない。

 

 スライド用のスクリーンから講演会のタイトルから講師の名前を印刷した垂れ看板まで、みんなそれぞれの役目をてきぱきとこなしていく。

 

 こうして、9時前には会場の準備ができた。

 

 ま、どこでもつまずくのがプロジェクターとノートPcの接続。ここの場合、プロジェクターはここの会館のもの。スクリーンはさぬき市のもの。ノートpcは講師の先生のもの。接続がうまくいかない場合が多い。コネクタが合わないとか、接続しても画像が映らないとか・・・。今日も20分ばかりああだ、こうだと一悶着。

 

 9時開場で9時30分開演。今日の講演は、鳴門教育大副学長の「大石雅章」先生の、「弘法大師信仰と四国遍路」という演目の、第一回目ということで、「空海の密教と古代・中世社会」という演題。これは、「おへんろつかさの会」主催の「四国霊場開創1200年祈念連続講座」の第一講座になる。

 

 この方が講師の「大石雅章」先生。専門は「日本中世史」とのこと。

 

 まず、おへんろつかさの渡辺会長の挨拶があって・・・。

 

 大石先生の講義が始まった。用意した90席はいっぱいになって、補助用のイスの20席もいっぱいになった。若い人からお年寄りまで実に幅広い方が来られていた。さすが空海さんだな・・・と思った。

 

 密教と怨霊や病気・伝染病などと加持祈祷という宗教が広まり、僧侶が医師の役目をしていた時代・・・。また、村長(むらおさ)がお寺で医業の勉強をしなければ村が存続できなかったとか。土木にしろ農業にしろ、鍛冶や金属加工などの知識もまた、お寺で学ぶしかなかった時代・・・。

 

 念仏聖や高野聖の活躍や、俊乗房重源の活躍によってもたらされた中国の新技術によって作られた道路や橋、修築された池など、中世の僧侶が弘めた仏教の姿なんぞを興味深く拝聴したことだった。

 

 講演が終われば、即座にイスを畳み、テーブルを片づけ、あっという間に元の大広間に戻してモップ掛け・・。12時前には撤収完了。次回は11月9日の予定。10月には別の講演会で、「空海さんと密教」という講演会が予定されているし、10月の18日からは香川県立ミュージアムで「空海の足音・四国へんろ展」が、11月の24日まで開かれる予定。「四国霊場開創1200年記念」ということで、弘法大師空海さんも大忙しになる様子。

 

 今日の掲示板はこれ。「失敗はありがたい 失敗して自分を知る 他人を知る 人生を知る」というもの。今日も大きな失敗をしてしまったけれど、自分を知ったし、他人も知ったし、確かに確かに人生も知った。でも、あんまり・・・失敗をありがたいなぁ・・とは思えない私がいる・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


彼岸花 ねぼけまなこを 覚まされる

2014年09月12日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で薄雲の広がっている所があったが、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18度から26度、湿度は74%から48%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の13日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 少し前から気になる、この玄関脇のこの草・・・。

 

 反対側もこの通り。本来は我が家のものではないが、誰も草刈りはやってくれない。この水路を利用する水利組合の連中が年に一度か二度は草刈りをするのだが、それはこの水路に水を通すときだけ。仕方がないから私が年に三度か四度ほどは草刈りをする羽目になる。

 

 で、刈り取った後はこうなる。

 

 時期的に、こうした彼岸花が咲いていたり、つぼみがニョキニョキと伸びているが、こういう場合には仕方がない。思い切って刈り払ってしまう。その瞬間に樹液が飛び散るのだが、そんなものには構ってもいられない。

 

 こういう具合にさっぱりとなった。これで、丁度、一時間。シャワーを浴びて着替えて一休み。

 

 例の「さぬき市の先人を巡る」という観光協会用パンフレットの試作版がほぼできあがった。あくまで「試作版」。校正も推敲もしていない。

 

 一応、16人を掲載しているが、もっと減らしてもいいかなぁとは思っている。

 

 表紙はこんな風にしてみたが、インパクトが弱いような・・・。この中に、種田山頭火のページもあるのだが、その写真があんまりはっきりとしないものだから・・・。

 

 大窪寺の境内まで行って写真を撮り直してきた。「ここが打ち止めの水があふれている 山頭火」と刻んである。

 

 ついで・・というと失礼だが、この「秘仏・薬師如来」を拝観することにした。今月は今日が最後ということなので、若い娘さん二人がお参りにきたので、お誘いしてご開帳を拝観させていただくことにした。どうにも、私一人というのも寂しいものだから。

 

 ということで、私は三回目なのだが、何度拝ませていただいても、薬師如来さまがよく見えていない。ま、左目がほぼ見えなくなっているので余計に内陣がよく見えない。ミサンガのようなものは「金剛線」というものらしい。仏様を拝観するときのお念珠みたいなものだろうか。これを左手に入れていただいて、塗香(ずこう)を左手に受けてすりあわせ、口に当て、胸にも当てる。

 

 今月のご開帳は今日でおしまい。また、来月の八日からであるという。

 

 良い時候になって、秋遍路さんがゆったりとお参りをしていた。

 

 途中でみかけたウリボウの一団。家族だろうか。五~六匹はいたなぁ。

 

 今日の掲示板はこれ。「追えば逃げるぞ赤とんぼ 待てばとまるよ 竿の先」というもの。幸せもお金も地位や名誉も健康も、追っているうちは逃げられてしまうけれど、無我夢中で探し求めている間には手に入らないが、ふっと、無心になったときに、「あ、ここにあったのか・・・」みたいな・・・。そんなものかも知れないなぁと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


露草は きらめく露の そのままに

2014年09月11日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、雨の降っている所もあったが、夕方からは晴れてきた模様。お昼前にはスコールのような猛烈な雨とアラレだかヒョウだかや雷雨には驚いた。気温は20度から26度、湿度は96%から65%と少し蒸し暑いなぁと感じた時間帯もあった。明日の12日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方は、山の神さんの本社用の注連縄を作ったり、「さぬき市の先人たち」というパンフレット作成をやっていた。やっぱり、左綯い(ない)というのは難しい。縄を左巻になうのは、お葬式だけのことかと思ったら、神社や仏式用も「左ない」にするんだと初めて知った。ま、仏式に縄を使うことはまずないのだけれど。

 

 で、今日は松興正寺別院での「定例法座(法話会)」の日。法座は13時半からなのだが、スクリーンやプロジェクターの設置なんぞの準備があるので、11時過ぎに我が家を出て、12時過ぎに別院に着いた。昼食はコンビニのお弁当とお茶で済ませた。

 

 いつもは、13時半から輪番さんのおつとめがあってから、法話会が始まるのだが、今日は輪番さんが諸用のため、法座が先になって、おつとめは、法座が終わってからということになった。

 

 ま、ここの本堂も広いせいか、エアコンを入れていてもなかなかに涼しくならない。それだし、今日はなぜだか異常に蒸し暑い。汗を流しながらのパソコン関係の設営になった。

 

 13時前には設営も調整も終わって、このようになった。今日の一席目は「法然上人物語・念仏への道」。まさに「電子紙芝居」である。うむ、画面が微妙に右にずれているな。

 

 休憩後の二席目は「妙好人シリーズ1・良寛さま」という演し物。これも「電子紙芝居形式」。私が比較的若い頃、30才代から40才代の頃、「安本一正」さんという布教使さんが居られて、法然上人や良寛さんのお話をしてくれた。そういう思い出を、パワーポイントを使っての「プレゼンテーション」という形式に焼き直しての法話に仕上げてみた。

 

 あの時に聞いた、法然上人や良寛の和歌を朗々と読み上げる安本先生のマネをしてみたが、なかなかに和歌の朗詠は難しい。

 「露の身は ここかしこにて 消えぬとも 心は同じ 花のうてなぞ」・・・・・

 当時は、この「花のうてな」という言葉がわからなかった。 

 

 「花の台(うてな)」というのは、この「蓮の花の台座の上で」という意味らしい。

 

 つまり、こういうイメージらしい。なかなかに、これまた、窮屈そうではないか。

 

 結局の薬局、法座が終わり、おつとめが終わったのは15時半。それから片付けをして、自宅に戻ったのは17時前になった。

 

 これで、公的な行事は今年はおしまい。あ、所属寺院の秋の永代経が残って居るのか。これは今月の23日の祝祭日。とりあえず、今週末の土曜日には「おへんろつかさの会」の講演会もある。これは、駐車場係とかのサポート役と、時間が許せば講演会も聞きたいなぁと。

 

 雨だ、雨だと言いながら、暑いの、蒸し暑いだのと言いながら、それでも季節は確かに秋になってきた。あれほどうるさかったセミの声も絶えたし、カラスの声も聞こえなくなった。今は虫の声がやかましいほどに聞こえて来る。奥方のけいこばぁは、「虫の声がうるさくて眠られない・・」と苦情を言うけれど、これほどの贅沢があるものか。

 

 ということで、すっかりと遅くなったブログを書き終えることにする。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去は追ってはならない 未来は待ってはならない ただ現在の一瞬だけを 強く生きねばならない」というもの。

前を捨てよ。後を捨てよ。中間を棄てよ。生存の彼岸に達した人は、あらゆることがらについて心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。

 という「仏陀」の言葉からである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


萩咲いて 晴れのち曇り 五合庵

2014年09月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、上空の寒気の影響で夕方から雨や雷雨の所があるらしい。気温は20度から28度、湿度は88%から61%。風は2mから3mの南南西の風が少し。明日の11日は、上空の寒気の影響で雲が広がりやすく、朝まで雨や雷雨の所がある見込みなのだとか。

 

 朝の間は寒いほどだったが、陽が昇ると気温はぐんぐんと上昇してきた。

 

 昨夜は「十六夜(いざよい)の月」。今年最後の「スーパームーン」でもあったようで、今日のfacebookには、このお月様の写真があちらでもこちらでも・・。スーパームーンというのは、月の軌道が楕円形になっていて、最も地球に接近する時の満月ということで、今度は一年後でないと見られないのだと言うてはった。詳しいことはうろおぼえだからわからない。とにかくでっかいお月様が見られたのだとか。

 

 さて、今週末の集落内での「山の神神社の秋の例祭」の準備ということで、注連縄(しめなわ)作りを任された。この集落は11軒。今度の「お頭屋」つまり、当番がうちの班で、5軒。そのうち、男性がいるのが4軒。でも、2人はお身体不調なので実質2人。だから、注連縄作りは私に回ってきた。回って来たというより、ほぼ、これからはずっとになりそう。まずは、稲ワラの調達から。それを木の棒で叩いてワラを柔らかくする。硬いままでは「縄:なわ」にはならない。これを「わら打ち」という。子供の頃はこればっかりやらされた。でも、その割には上手には打てなかった。

 

 その後、ワラしぶ・・という葉っぱの部分を取り除いて、稲わらの茎だけに掃除する。これを「わらすぐり」とか「しぶ取り」とか言った。で、さっぱりとしたわらを使って「なう:綯う」のだが、手のひらでわらの束を回転させながら、双方を絡み合わせていく。ここが難しい。それと、新しい「穂」を継ぐ作業。新しいわらを追加しないと細くなってしまってなわにはならない。

 

 なかなかに均一の太さの縄(ロープ)にはならない。ま、今日は練習みたいなものだ。へびが玉子を呑み込んだように太くなったり細くなったりでなかなかに人様に見せるようなものにはならない。こどもの頃にはいくらでも長いなわになったような記憶があるんだが、どうしてか身体が思い出してくれない。

 

 とりあえず、鳥居さん用の長いものはできた。本社用のほこらに掛けるものは、もっと、カッコ良く仕上げたいもので明日にでも。

 

 次に、注連縄に挟む「紙垂:しで」作り。これは何度もやっているので得意技。本当は奉書とか半紙を使うのだが、私はA4版の印刷用紙を使うことにしている。これだと少々の雨でも切れて流れないから。A4用紙を半分に切る。それを二つ折りにすると、このサイズになる。本当は、この左側が二つ折りになっている。これは型紙だから、この大きさ。上下に三等分、横に四等分して、このように切れ目を入れる。これを二つ折りした用紙の上に当ててカッターでこの切れ目通りに切る。

 

 で、できあがったものがこれ。今回は二枚を重ねて切ったから二枚になっている。左側が折り目付き。

 

 で、折り目を左にして、手前へ折り返し、手前へ折り返し、手前へ折り返したら、こんなものができあがる。これが「紙垂:しで」である。

 

 で、注連縄の「〆の子:しめのこ」というわらを、七本、五本、三本と編み込んで、その間に「紙垂」を挟み込む。これで注連縄ができあがるという寸法。「これから先は鬼は入ってはいけませんよ」という縄張りである。つまりは「結界」である。神域と俗界を区分するしるし。これに似たものがお相撲さんのまわし。

 

 午後からは、法話用の資料作り。これは岡山県倉敷市にある「円通寺」にある「良寛堂」と、手前にあるのが「良寛像」である。明日の法話は「良寛さま」。どんなお話になりますことやら。

 

 そろそろと、我が家の周囲の草刈りをしなければならない時期になったが、これまた、なかなかにスイッチが入らない。我が家を刈れば、今度は山の旧宅の草刈りだし、お墓の草刈りもそろそろだなぁと思うと、なんだか気が重たくなってしまうのだから・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「明日の人生はきっと何かあるものです。きょうの苦しみはきょうで終わり。明日の苦しさは明日の話」という吉田潤喜さんの言葉から。まさに、注連縄作りは今日の苦しみ。ま、あ苦しみというほどのものでもないが。今日のお仕事は今日でおしまい。明日の苦しさは明日の話。今日はお風呂に入ってビールを飲んで、ぐっすりと寝たら極楽浄土へまっしぐら。明日の朝に目覚められたらいいのだけれど。明日の人生に、何かきっといいことがあれば、さらにさらにいいのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


虫群れて 満月の夜の 夜会服

2014年09月09日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は20度から30度、湿度は84%から51%、風は2mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の10日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、上空の寒気の影響で午後は雨や雷雨となる所がある見込みとか。

 

 昨夜は十五夜で仲秋の名月だとか。本当の満月は今夜なのだが、三脚を立てて山陰から登って来るお月様を待っていた。20時前だっただろうか、この月は。

 

 今朝はすっきりとした秋の朝になった。つまり、今年の夏はなかったみたいで、とうとう、海に入ることも魚釣りに行くことも、島の家に泊まりに行くこともなかった夏になった。

 

 さて、今日は「火曜日」ということで、香川県立図書館に出掛けてみた。毎週月曜日が図書館や博物館・資料館はお休みになる。だから、火曜日になるのを待ちかねて図書館に向かうのである。今日は借りていた「讃岐の先覚者」とか「さぬきの人々」とかいう本を返却するためだった。

 

 9時開館を待っていたかのように大勢の人が集まってきて、ここに吸い込まれて行く。各種新聞を楽しみにやってくるお年寄りも多い。

 

 返却した足で、思いつくままに「さぬき市の文化財」とか「香川県の文化財」とかの本を五冊借りた。全くの思いつくまま。ま、ここには、志度寺・長尾寺・大窪寺などの文化財の仏像や錫杖や掛け軸・絵画などが掲載されているので、ま、見ておこうか・・・みたいなことである。だが、しかし、真宗寺院にはなぜかこうした文化財というものがない。讃岐への真宗伝搬が遅かったせいもあるのかもしれない。

 

 次に向かったのは「坂出市役所」。この自転車の先にあるのが、「来訪者受付」で、「どちらにご用ですか?」と尋ねられる。「市民課です」というと、「右に曲がって案内人の指示に従ってください」というので、大きな顔をして市民課に向かった。もちろん、私は「坂出市民」ではないのであるが・・・。

 

 例のこのパンフレットを頂きにきたのである。私の持っている資料は「pdf」という画像ファイルで、それをプリントアウトしたものだから、ぜひとも本物を・・・ということで、二部、頂いてきた。

 

 「あ、なるほど、こうなっているのか・・」ということで、これを参考にして、「さぬき市」用の「先人巡りのパンフレットを見直してみたいと思ったわけ。

 

 ついでに、JR坂出駅の観光案内所にも寄ってきた。そこでもそのほかの観光パンフレットを何種類か頂いてきた。

 

 頂いてくるのはいいのだけれど、これらをファイルにして、どこかに保存するのだが、その保存先が分からなくなって、またも、資料集めに走り回ってしまうのだ。

 

 坂出駅から南に進んで、丸亀市綾歌町に抜けて、レオマワールド下から東に進むと、綾歌郡綾川町に入る。旧の綾上町羽床にある「本格手打ち・セルフうどん・はゆか」というプチ・セルフのお店である。

 

 ここは「ぶっかけうどん」がおいしいらしいので、「肉ぶっかけうどん小の冷や」+濃い出汁をお願いした。これで450円だった。普通のぶっかけうどんは260円だと書いてあったが、お肉が乗ると、うんとお値段が跳ね上がるようだ。

 

 ここの麺はしっかりとした、ごっつい麺だ。冷やだとしっかりとした固さ、重さがあって、おなかにはずしりとこたえる。ここも案外と有名店らしく、県外ナンバーが並んだりする。今日も神戸ナンバーの車が止まっていた。

 

 お店の中はこんな風・・・。手前にあるものは「おみやげ用」のおうどん。県外から来られた方はしっかりとおみやげを提げて帰るようだが、近所のおばさんたちは玉売りで10玉とかの入ったビニール袋を提げて帰っている。

 

 今日は9月9日で、「救急の日」だとか「重陽の節句」だとか言われているが、田舎のおじさんには全くの関係がない。今晩は奥方がお泊まり勤務だから、ゆったりと、満月の写真でも撮るとしようか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「病気を治すのがお念仏の御利益ではない どんな病気をもむだにしない心がお念仏の御利益である」という太田祖電のことばから。お念仏とは「おまじない」や「呪文」ではない。お念仏を称えても病気を治したりお金持ちになったりはしない。どんな病気になっても、生かされているこの私の生き方を、無駄にしないことこそがお念仏のありがたいこころなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


秋めいて まつり支度に とりかかる

2014年09月08日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れている。気温は20度から27度、湿度は80%から60%。風は3mから1mの北北東の風が少しばかり。明日の9日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 朝方の雲はすっかり秋めいてきて、FaceBookでも多くの方が、この秋空をアップしていた。今朝は多くの人が空を見上げたに違いない。そして、今夜はスーパームーンが見られるのだとか。

 

 こういういわし雲みたいな雲も空に漂っていた。

 

 今日も昨日の続きで、さぬき市の先人達の資料作りに励んでいた。予定通り、静御前/長尾町、平賀源内/志度、竹林上人/志度、生駒親正/志度、藤原不比等・房前/志度の6人。

 

 行基菩薩・弘法大師空海・種田山頭火・松平常らが残ってしまった。これは明日にでも。

 

 表紙も一応はできたけれど。目次と、最後のページの地図ページが少しやっかいなところ。さぬき市のマップに、これら十六人の関連場所をプロットする作業が少し手間だなぁと思ったりする。

 

 ということで、今日は手軽にカレーライスのお昼ご飯。いつかの残り物を温めただけ。

 

 相変わらず、お行儀の悪いオサルさんの食べ散らかし・・・。しかしのかかし、こんな若くてイガだらけの栗をどうやって剥くのかしらん・・・。やっぱり、手で痛いのを我慢して剥くんだろうか。道具も使わずに器用なことだ。

 

 人間はどうやって栗を収穫するかというと、栗の実がはじけて、落ちた栗の実を拾うという簡単な方法で収穫する。たまに、木をゆすって落とそうとする人がいるが、確かに栗の実が落ちることもあるが、イガ自体が落ちて来て、頭に当たったりすると痛いのなんのって・・・。だから、木を揺すってはだめなのだ。

 

 それから、よく町の人は、「落ちていたから拾った」というのだけれど、栗は落として収穫するのだから、いかに落ちていても拾ってはいけないのだ。でも、公道上に落ちていたら仕方ないわな・・・。でも、厳密にいうと、あなたの栗の木から落ちたものではないので、拾うと「窃盗罪」になりかねない。「李下に冠を正さず」「瓜田に履を入れず」である。

 

 それはさておき。今週末の日曜日に、集落の「山の神さん」の例祭があるんだと。その神さん用の「しめ縄」を用意しないといけないらしい。掃除は全員でするようになったのだが、「お頭屋(当屋)さん」は、今回はうちの班が当番らしい。ところが、そのしめ縄をなえる人がいなくなった。それで、私に順番が回って来るらしい。

 

 前回は山の頂上だから、人目につかないぞと、適当に作ったのだけれど、今度はみんなの目に見える場所に張る「注連縄」だから、手抜きはできないし、練習をしなければこんなに長い注連縄は難しい。おまけに、向こうの祠(ほこら)用に二本も必要らしい。都合、三本の注連縄になる。

 

 これも太くて、しっかりとした注連縄で、長さは1mほどもある。これを今週中に作らないといけないらしい・・・。子供の頃には遊び半分でいくらでも作ったのだけれど、50年も昔のことだから全くの自信はない。前回、練習をかねてやってみたが、締め方が甘くて注連縄には似て非なるものになってしまった。だから、この注連縄を外して、持って帰って来て、マネしながらやってみなくては・・・。

 

 この、両手の手のひねり具合と力の入れようがコツなんだけれど。一旦、やり始めると、身体が思い出すのだろうけれど、今日はとりあえず、稲藁(ワラ)を調達してこなければ。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷信の恐ろしいことは 迷信と気づかぬ自分の心です」というもの。」。「オレオレ詐欺の恐ろしいことは 詐欺だと気づかぬ自分の心です」に置き換えても同じこと。「まさか、この私が・・・」と思い込むところに自分の怖さがあるのらしい。「そんな迷信なんぞ信じないよ~」と言いつつ・・・「大安だ」「友引だ」と一喜一憂しているようなものだから、案外と自分自身が一番にあぶないのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ころころと 虫の声する 台所

2014年09月07日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は四国の南岸に停滞する前線の影響で雲が広がっていたが、午後からは秋らしくきれいに晴れてきた。気温は21度から28度、湿度は94%から60%。風は1mから2mの北北東の風が少し。明日の8日も気圧の谷や南からの湿った空気の影響で、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 さて、今日は例の「さぬき市の偉人を巡る」という自由研究の大詰めの作業に入った。パワーポイントを使ってのパンフレット作り。西行法師/寒川町 棟方志功:平山郁夫/津田町 小西和/長尾町 間島正市/寒川町 軒原庄蔵/大川町 までどうにか紙面が埋まった。

 

 つくづく、パワーポイントは優れものだなぁと思ったりする。いとも簡単にプロ並みのパンフレットやチラシができあがってしまう。ま、細かいことを言えば不満もあるが、言い出せばきりがないのだけれど。

 

 長尾町は静御前と磯野禅尼、さぬき市志度は、藤原不比等・房前、平賀源内、竹林上人、生駒親正、全体として弘法大師空海と種田山頭火あたりかな。松藩主二代の常と十代の恕公はおまけかな。これで都合十六人になった。

 

 それはそれとして、お隣の町というか峠をこえた所では、こんなお祭りがおこなわれていた。

 

 門入ダムやその山あいの自然を背景にして、市内外から集まった踊り子たちが色鮮やかな衣装でよさこい演舞を披露するもの。そのほか、バザーや早食い大会なども行われた。

 【プログラム】

 9:30 開会式
 9:45 よさこいステージ(一部)
12:15 早食い大会
13:00 よさこいステージ(二部)
15:40 総踊り
16:00 終了

 

 若いっていうことはいいものだなぁと思う。暑かろうが蒸し暑かろうがお構いなしに飛んではねて走り回れるのだから・・。

 

 こちらは見ているだけで汗が流れて30分も我慢ができないのだからして。つくづく、年齢の差というものを見せつけられた思いがする。

 

 それにしても午後からは秋らしくなってきた。このまま秋らしさが続けばいいのだが、またぞろ台風がやってくる気配が・・・。

 

 少し晴れて来たなぁと思うと、農家のおじさんたちが田んぼに出て来る。もう、じっとしてはいられないふうだ。

 

 とにかく、少々雨に濡れていようが、湿っていようが、田んぼがぬかるんでいようが、とりあえず収穫しておかねば、この先、いつになったら収穫できるかわからない天候ばかり。ついつい、焦ってしまいがちになってしまう。

 

 そうそう、連日、雨ばかりだから、こういうキノコ類が生えては消え、生えては消えて行く。こういうものはいくら生えてもありがたくない。

 

 ご近所のおじさんがソバを蒔いたのだが、雨のおかげですくすくと伸びてきている。このソバの成長する早さには驚かされる。日毎にぐんぐんと伸びるのだからして。

 

 我が家の黄色くなったゴーヤーは根こそぎサルに以て行かれてしまったように、このザクロの実も間もなくしたらお猿の餌食になってしまうことだろう。ま、我が家のものではないので、心配することもないのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「いただいて 足りて一人の箸をおく」という種田山頭火の俳句からである。貝原益軒の養生訓には、「人の身ば元気を天地に受けて生ずれども、飲食の養なければ元気うせて、命を保ちがたし。元気は生命の本なり。飲食は生命の養なり。此の故に、飲食の養は、人生日用専一の補にて、半日も欠きがたし。然れども、飲食は人の大欲にして、口腹の好むところなり、其の好めるにまかせて恣(ほしいまま) にすれば、節をすぎて必ず脾胃をやぶり、諸病を生じ、命を失う」とある。私達が食事をとる最大の目的は、肉体の成長を図ると同時に、それを心の糧として身心の中に埋もれている仏様を導き出すエネルギーに変えることだと仏教では説いている。従って私達が頂く食物は、それを作る人の愛情がこめられていなければならない。その愛情に対して感謝の気持をこめて「いただきます」「ごちそうさま」と言うのだ。禅寺で僧侶たちの食事をつくる大切な役職名を典座(てんぞ) と言うが、道元禅師はわざわざ『典座教訓』という本を書いて食事の大切さを力説している。「いただいて足りて一人の箸を置く」。食べものに感謝して静かにいただいて、なお一層人間としての完成を図らせて頂きます、「ごちそうさまでした」とそっと箸をおく姿。一日にせめて一度ぐらい、こんなことを考えながら食事を頂くのも日本人として大切なことではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


雨ばかり ホテイアオイの 花一つ

2014年09月06日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は前線や南からの湿った空気の影響で次第に雲が広がり、夕方からは雨や雷雨となって、急な強い雨が降ってきて洗濯物がずぶぬれになってしまっている。気温は24度から28度、湿度は94%から75%。風は1mから3mの北北東の風が少し。明日の7日は、引き続き前線や南からの湿った空気の影響で雲が広がり、明け方にかけて雨や雷雨となるらしい。その後は、高気圧に覆われて次第に晴れる見込みとか。

 

 今朝の早朝、我が家の近くで乗用車が横転して、レスキュー車や救急車が駆けつけてきて賑やかだったが、自損事故だったものであっさりと片付いてしまった。朝から居眠りでもしていたんだろうか。

 

 さて、昨日の続きで、「さぬき市の偉人を巡る」というポイント探し。坂出市の場合の六人の偉人は、坂出市生まれではなくて、坂出市ゆかりの人ということだった。それならば・・・ということで、志度寺ゆかりの、「藤原不比等・房前」の「海女の墓」や、「生駒親正のお墓」を再確認してきた。おりしも、今日は、「おへんろつかさ・養成講座」八期生の講義の日だった。

 

 生駒親正は生駒親重の子として美濃国可児郡土田に生まれる。永禄9年(1566年)、織田信長の美濃攻めに際してその臣下となる。その後は羽柴秀吉付属の武将に任じられ、長篠の戦い、石山本願寺攻め、紀伊国雑賀攻めなどに参加した。天正10年(1582年)の信長死後は秀吉の家臣となり、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小田原征伐、文禄の役などに参加して活躍。姫路城主時代の秀吉に仕えていた天正6年の約1000石からはじまり、同12年に2000石加増、同13年に2万3500石、同14年には6万石と着々と知行を増やし、文禄4年には讃岐国17万1,800石を与えられた。

 

  志度寺の境内の一角に「海女の墓」と呼ばれる五輪塔群がある。この墓には藤原不比等・房前親子にまつわる伝説が残されており、志度寺縁起にある「海女の玉取伝説」として有名である。

 

 さぬき市にも「西行法師」ゆかりの地があり、石田高校前の「寒川清水:真清水」や「三重の滝」などがある。

 

 ここの滝も先の洪水の時に景観が一変してしまって、かつての風景は失われてしまって訪れる人もいなくなった。

 

 さぬき市長尾にある長尾寺の境内には「静御前の剃髪塚」がある。そのお母さんの「磯野禅師」のお墓も近くにある。

 

 さぬき市志度には「竹林上人」の「竹林庵」やゆかりの修行場なども残されている。

 

 そうそう、さぬき市津田の「津田の松原」には、あの版画家「棟方志功先生」ゆかりの松の木もある。

 

 これで、西行法師・静御前・竹林上人・生駒親正・棟方志功・空海・種田山頭火・藤原不比等・房前・行基・平賀源内・小西和・軒原庄蔵・・・と、けっこう、集まった。これを、どうやってまとめるかだな。

 

 今日は、そんなふるさと散歩の途中、ここに寄った。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店。

 

 たまにはいいか・・ということで天ぷらうどんの700円。最近は、キュウリやらナスビばかりを食べている気がする。雨が多いから野菜がどんどんと大きくなるらしい。だから、たまにはこうしたおうどんも食べたくなってくる。

 

 今日の掲示板はこれ。「すてきれない 荷物の重さ まえうしろ」という種田山頭火の俳句から。種田山頭火の一生は想像を超える「喪失の歩み」であった。幼き頃の母の自死、裕福だった生家の離散、借金苦からくる親族の自死、突きつけられた妻との離縁…全てを失った彼は電車妨害騒動ののち、縁あって仏門に入り、放浪の旅に出る。まさに「何もない」ところから始まったその歩みは、広大自由な句の世界を遺し、のちの人の胸を打つ。それほど失い続けた彼にも、まだ捨てきれぬ荷物が前に後ろにあるという。無縁社会などとうそぶいてみても、人間はどこまでもつながりからは離れられない。それが「身」というものである。そしてそのつながりは、かならず場所を伴う。それを「土」という。宗祖親鸞聖人が大切にされた、身土に生きる人間の実相である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やれやれと 今日の日記に 虫の声

2014年09月05日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は寒冷前線や南からの湿った空気の影響で雲が広がり、雨が小雨・弱雨状態で降っている所があった。一時期には雷雨になったりもしたようで、天候の安定しない毎日。気温は24度から28度、湿度は96%から78%。風は1mから2mの東北東の風が少し。明日の6日も、気圧の谷や南からの湿った空気の影響で雲が広がり、午後を中心に雨が降りやすい見込みらしい。

 

 朝から小雨が降っているものだから、今日はおとなしく我が家での引き籠もり状態。連日、西に東にと遊ばせてはもらえそうにない。

 

 坂出市が、「六人の偉人を巡る」という冊子を作っているというので、資料の中から探し出してきた。崇徳上皇・西行法師・久米通賢・菅原道真・柿ノ本人麿・理源大師という六人の偉人の足跡が坂出市には残っているのだという。そこを巡ってみないか・・という冊子である。

 

 で、こういう本を県立図書館で借りてきたのだけれど、案外と「さぬき市」に関する偉人という人は見当たらない。とりあえず、「平賀源内」は真っ先に浮かぶのだが、その後が続かない。

 

 どのような本を開いても、「平賀源内」くらいしか出てこない。謡曲海女伝説の「藤原不比等」が辛うじて出てくる程度か。さらに調べると、「小西和(かなう)」とか「軒原庄蔵」とかも出て来るが、全くマイナーな人たちばかり。

 

 相変わらず、雨は降ったり止んだりを繰り返す。

 

 讃岐の生んだマルチタレントの平賀源内さんはエレキテルを修復した人。画家でもあり、陶芸家でもあり、本草学者でもあり、コピーライターでもあり、地質学者・蘭学者・医者・殖産事業家・浄瑠璃作者・俳人・蘭画家・発明家でもあった。さぬき市のミケランジェロともいうべき人。でも、後がいない・・・。

 

 小西和(こにし・かなう)は、香川県寒川郡長尾村(現さぬき市)出身。札幌農学校で植物学を専攻した。東京朝日新聞に入社して、博物方面の記事を担当し、『日本の高山植物』(二松堂)を著した。また日本海洋会の理事となり、『瀬戸内海論』(文会堂)を著した。実業方面では、南満州製糖株式会社・亜細亜煙草株式会社・中国葉煙草株式会社・東亜拓殖興業株式会社の取締役を歴任した。明治45年の第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、7回の当選回数を数えたという人。柿ノ本人麿には遠く及ばない。

 

 一方、こちらは「軒原庄蔵」という人。水の恩人、軒原庄蔵は、文政十一(1828)年七月高田村に生まれる。水不足に困る弥勒池(本市大川町)の貯水増のため、三ッ石山の岩盤をほりぬき、砕石谷からの導水に成功し多くの農民を救った。随道工事は、当時田面村の工事監督多田信蔵(霞岳)、富田中村の数学者萩原栄次郎などの協力を得て、安政二(1855)年からほり始め、安政四(1857)年11月14日の夜明けに貫通し、長さ百五間の石穴を貫通させる難工事であった。この画期的な工事を完成させた功績により、高松藩から郷侍格にとりあげられた後、明治二(1869)年満濃池の閘石穴穿鑿工事を命じられ、明治三(1870)年三十間余の石穴を完成させ、讃岐の治水に貢献した。このため、満濃池の恩人とあがめられ、満濃池湖畔の松崎神社に合祀されている。明治二十三年(1890)六十三歳でふる里に没した。 久米通賢には少し及ばないかも。

 

 ということで、今日もパソコンをカタカタやりすぎて、目が霞み、肩こりがして耳鳴りが止まらない。

 

 それにしても、今日も蒸し暑い一日になった。雨が降ったり雷が鳴ったりと天候不順の毎日が何日、続いているのだろうか。農家の人たちは稲刈りができずに困っているし、野菜農家も天候不順で困っている。これでは、野菜も高くなるというものだ。

 

 まだまだ先だとばかり思っていた彼岸花もいつの間にか花を開いている。そういえばセミの声は聞こえなくなったし、虫の声は早くから聞こえるようになった。自然は、したたかに秋の準備をぬかりなくやっている。私たちもうかうかとしてはいられない。

 

 今週はゆったりとできるが、来週からはいろんな行事が詰まっている。今できることから片づけておかねば、秋の収穫に間に合わなくなってしまいそう。

 

 今日の掲示板はこれ。「涼しさや 弥陀成仏の このかたは」という小林一茶の俳句からである。この句の「涼しさ」は残暑に、ふとそよぐ風の涼しさをあらわすものであるという。省みればあれほどの猛暑もいつしか遠ざかり、「急に冷え込みましたなぁ」と挨拶を交わす時期になった。「秋はどこにいったのか」と環境の変化を嘆く。阿弥陀さまはそんな私たちのありさまを救おうと、五劫という永い間、ひたすら思惟くださり、成仏されたという。人間の思考や歩みをはるかに越えた、悠久の過去から、そしてまだ見ぬ未来へ向けて大きな願い(本願)をかけてくださっているという。そんなご恩を、ふと流れてくる涼しさの中に感じたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


降り続く 竜のしずくの 秋の雨

2014年09月04日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や南からの湿った空気の影響で雨が降り、激しく降っている所もあったらしい。気温は24度から28度、湿度は90%から78%と蒸し暑い一日になった。風は2mから4mの南南東の風が少し。明日の5日は、前線や南からの湿った空気の影響で雲が広がり、明け方にかけて雨が降り、朝まで雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 さて、今日は奥方のけいこばぁが休みになったので、どこかにお出かけをしたい・・と仰る。で、仁尾マリーナ近くにおいしいお店があるらしいので、そこに行きたいと言うのである。もちろん、お店の名前も住所も電話番号も覚えてはいない。そんな雲を掴むような話なんだが、とにかく出掛けることにした。

 

 仁尾町というのは香川県西部も西部。さぬき市から見ればはるかかなたの西の国。この地図の右中央あたりにある377の国道マークの少し上に我が家はある。ここから西に向かってほぼまっすぐに進めば仁尾町に突き当たる計算にはなる。松空港・善通寺市・仁尾マリーナというコースである。

 

 途中で、銀行に寄ったり、弟の家に寄ったりしながら、西へ西へと進んで行く。10時前に我が家を出て、それでも12時過ぎには詫間町経由で仁尾町に入った。

 

 仁尾マリーナは、「仁尾マリーナ株式会社」が運営しているマリーナで、香川県三豊市仁尾町仁尾己というところにある。西日本でも有数の規模と設備を擁する香川・瀬戸内・仁尾マリーナとして有名。

 

 そのあたりを回ってみたが、それらしいカフェもレストランも見当たらない。奥方の聞きかじりとはそんなものだ。で、おなかもすいたことだしということで、マリーナの二階にある喫茶・軽食の「ポレポレ」というお店で計画の練り直しをすることにした。

 

 ここだと海も船も眼下に見られる・・・ということで、ここで、ランチメニューをお願いした。

 

 中華どんぶりセットで700円ほか。お味噌汁・漬け物・デザート・サラダのセットもの。

 

 それにピザとかもつけて・・・。

 

 天気が良ければ海も船もみごとなんだろうが、あいにくの曇り空に雨模様では冴えないというもの。

 

 ここは古い仁尾町の「制札場」。役所からの通達やお触れが掲示された場所。こうした古い建物があちらこちらに残っている。

 

 仁尾町(におちょう)は、香川県三豊郡に属していた町で、世界初の太陽熱発電の実験(サンシャイン計画)が行われた。サンシャイン計画を記念して、昭和56年3月21日より、仁尾太陽博覧会が開催されてにぎわったことがある。サンシャイン計画では、2種類の形式の太陽熱発電施設が建設されたが、いずれもその後廃棄され現存しない。またかつて仁尾サンシャインランド(遊園地)が開設されていた。今は住宅地になってしまって、その面影はない。ミカンやビワなどの農業が盛んである。2006年(平成18年)に周辺の6町と合併して三豊市になった。

 

 その昔、干ばつの年に、雨ごい行者として知られる和蔵(わぞう)という人に、村人が祈祷を頼んだところ、昔から雨を呼ぶと信じられていた竜を作って海に流せばよいという答えが返ってきた。そこで村人は、わらで大きな竜を作り村内を練り歩き、沿道の人々が貴重な水をかけ、海へ流したところ、念願の雨が降ったという。

 

 それ以来、仁尾では大干ばつの時にわらで竜を作ってきたと伝えられている。「そーれ、竜に水あぶせ」のかけ声とともに始まる伝統行事で、青竹などで胴体を作り、わらやなわで肉付けした長さ約40m、重さ約3tの巨大な竜を大勢の人がかついで町内を練り歩くなか、見物人が手桶やバケツで、その竜に願いを込めて水を浴びせる勇壮なおまつりである。

 

 それだから、仁尾町の橋や遊歩道には、こうした竜が延々と描かれている。それだし、橋の手すり部分には・・・

 

 竜のマークが何カ所も何カ所も何カ所も。・・・

 

 今日の掲示板はこれ。「今は「ないもの」について考えるときではない 「今あるもの」で何ができるぁ考えるときである」というヘミングウェイの言葉から。原文では、Now is no time to think of what you do not have. Think of what you can do with that there is. by Ernest Hemingway

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


虫の声 一期一会の 歌合わせ

2014年09月03日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となり、激しく降っている所があるらしい。気温は25度から30度、湿度は90%から73%。風は4mから8mの南南東の風が強かった。明日の4日は、前線の影響で雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みとか。

 

 先週末に退院したばかりなのに、今日は定例の「予約診察日」。先週は「鬱血性心不全」ということで緊急入院だったが、今日は定期の心臓病の検診日。担当ドクター日浦先生による診察である。

 

 「検体検査」ということで採血による血液検査を経て、レントゲン室での胸部X線撮影という検査。胸部に「みず」が溜まっていないか・・・という検査である。

 

 待合室には大勢の方が待っているのだが、レントゲン室あたりには人影は全くない。だから、待たされることもなく撮影終了。

 

 次は心電図の検査。不整脈はそのまんまで動いているらしい。早く止めないと大事になりますよ・・・と、ドクターはいうのだけれど。カテーテルによる「心房アブレーション」というのは気持ちの良いものではない。結論は当分、持ち越すことにしたい。

 

 先週には胸にみずも溜まっていなくてきれいになっていたのだが、やはり、自宅に戻るとアルコールが入るので、胸部に若干の水が貯まっているのだという。そこで、利尿剤が追加になった。今日の診察代・検査代ほかで6千円弱。薬代が1万円弱。決してお安いお値段ではない。

 

 時間が11時丁度だったので、ここに寄った。東かがわ市白鳥(しろとり)にある「讃州うどん・ほそかわ」というプチ・セルフのお店。11時丁度だったから、第一番目の客になった。

 

 で、今日は「豚ぶっかけ小の冷や」をお願いした。やっぱり、冷やは麺もお肉も硬いなぁと思った。もちもち感たっぷりで、しっかりと噛まないとのどを通らない。

 

 食べている間に、続々とお客が入ってくる。さすが、ここは地元民のための有名店なんだ。

 

 やっぱり、以前のような一般店だったころのおうどんがおいしかったように思うのは単なる「ないものねだり」か、「懐古趣味」なんだろうか・・・。

 

 先週、入院していたせいでお昼寝するようになったからか、昼食後は眠たくて眠たくてたまらんようになってくる。で、一日中・・・寝不足のようなぼんやりとしたままが続く。

 

 少しでも晴れ間が見えたら、早速に稲刈りが始まる。時期的に遅れてきているので、みんな急いで収穫をしているみたい。でも、イネが雨で濡れていたり、湿っていたりで、コンバインが田んぼの中で立ち往生している姿も多く見られた。

 

 確かに風は涼しくなって秋めいてきたように思うし、暑いなぁと思う瞬間もなくなってきた。時期は確かに移ろいを見せている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の間違いや欠点を きびしく見る目で 自分が見えたらいいですね」という野田風雪さんの言葉から。人の欠点やミスは目につきやすいものだが、それを非難するだけでは、評論家になってしまうもの。その視点を自らに転ずることこそ大切なことだと思っている。そこに同じ人間としての痛みや共感、同じ目線で相手を思いやる心も育まれるのではないだろうか。親鸞聖人は「さるべき業縁のもようさば、いかなるふるまいもすべし」と、自分は正しい、自分はあんなことはしないと思ってはいても、人は縁によって何をしでかすかわからない危うい存在であることを述べられている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


湧くように 鈴虫の声 闇を突く

2014年09月02日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、薄雲は広がりやすかった。気温は20度から28度、湿度は94%から66%。風は1mから2mの南の風が少し。明日の3日は、湿った空気の影響で雲が広がり、昼前から雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 昨日は、サルがこの近辺の栗林を荒らしているという話を書いたが、反対側の我が家の「けいこばぁ農園」にもサルが乱入して、ナスやキュウリなんぞを食べ散らかしているというけいこばぁの怒りの声が上がった。ま、そんなことを言われても、私もサルの番人をやっている訳でもないのだし。

 

 さて、香川県立図書館で借りていた本の返却期日が今日までとなっているので、返却に行かなければ・・・ということでお出かけをした。

 

 毎度お馴染みの「香川県立図書館&文書館」。この写真の建物は「文書館」のほう。ここにはお邪魔したことがない。公文書や古文書はちと読みにくいこと、この上ない。それに、あんまり読んで楽しいものでもないと思うし。

 

 もっぱら、こちらの図書館の方が明るくて楽しそう。借りていた本を五冊、返却して帰ろうと思ったのだが、そのあたりをぶらついてみようか・・と歩いていて。

 

 先日のバス研修の時に、「坂出市は、市の偉人伝を作ってるらしいが、さぬき市の偉人伝ちゅうもんはないんやろうか・・」みたいな話が出ていた。そこで、そういう本を探してみたが、さぬき市の偉人伝というものはない。そもそも、「さぬき市」自体が新しいのだから、そういう本があるわけがない。では、「大川郡の偉人伝」はあるのかと調べてみたが、これもまたない。

 

 さて、松市内から観音寺市大野原田野々というと、とんでもない距離にあるのだが、今日はここまでやってきた。堤長145.5m、堤高30.4mのコンクリート造溜池堰堤で、両端部を重力式、中央部が5個のアーチと6個の扶壁(バットレス)からなるマルチプルアーチ式で、その先駆的かつ希少な構造形式は農業土木史上価値が高く、また、昭和前期における堰堤建設の技術的達成度を示しており、平成18年12月19日に重要文化財(建造物)に指定されている。

 

 大正15年に起工し、昭和4年11月の竣工後、80年近く経過した今でも約500haの農地の水がめとして活躍している。建設に際してはすべて地元農家の出役で工事が行われ、約3年8カ月の間無事故で完成したことは本当にすばらしいことだといわれている。今回の放流は自然放流。最近の雨で増水したダムの水を自然にあふれた分を放流しているもの。

 

 こちらは、近くにある「五郷ダム」。こちらも水面はいっぱいにたまっている。

 

 同じく観音寺市粟井地区にある粟井ダム。粟井川は雲辺寺山(標高 991m)に源を発し、山間部を北西に流れ、粟井町地先で本川柞田川に合流する流域面積 12.9km2、流路延長 6.0kmの二級河川。粟井ダムは、柞田川総合開発事業の一環として粟井川の治水安全度の向上や、流域の水不足解消、新たな水源確保といった流域の人々の願いを実現するために、地域に密着した生活貯水池として平成13年度に完成している。

 

 これは仲多度郡まんのう町塩入にある「県営野口ダム」。ここも雨の影響でほぼ満水状態。

 

 西讃方面にはおいしいうどん屋さんが多いのだが、こうした山間部になるとお店はほとんどない。そこで急遽、「道の駅たからだの里さいた」に寄った。で、この、「うどん茶屋さいた」に入ってみた。ここは食券式のセルフ方式。「さいた」は「財田」と書く。これを訓読みにすると「財=たから」+「田=た」で、「たからだ」という。

 

 で、あれこれと迷ったのだが、いつものわかめうどん小の250円になった。さすがにおいしいとは思えなかった。ま、おなかがふくれた・・・というおうどんだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「不幸には不幸の原因があり 幸福には幸福の原因がある どちらの原因も自分がつくる」というもの。「城たいが」さんは、見ているだけで、楽しく元気になれる笑文字(えもじ)の詩画書作家さん。ユニークな笑顔のお地蔵さんなど、造形作家でもある。人間の根源の愛と笑顔への回帰を訴え、描く詩画書は多くの賛同者を得ている。 宮崎県出身、京都を拠点とし制作活動中。言葉の内容についてはそのまんまで受け取るしかない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


ようやくに セミの鳴かない 昼下がり

2014年09月01日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨が一日中降っていた。気温は22度から27度、湿度は92%から78%。風は1mから2mの北東の風が少し。明日の2日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 今日は雨天ということもあって、「安静日」。さすがに大寶寺と岩屋寺を歩いて筋肉痛。だからと言って静かにも寝ても居られない。

 

 パソコンの日々データーの交換作業。八月分のデータをHDDに格納して、九月分のデータを作業用ディスクに移し替える。つまり、「26y08m21~31」などのデータを格納して、「25y09m01~30」などのデータをリネームして、「26y09m01~31」という今日のデータ保管用引き出しを作成する。ここには過去の「09m01」+今日のデータ「26y09m01」が追加されるという仕組み。

 

 こうしておけば、毎年のその日の画像データが引き出せるというわけ。昨年の今日は何をやっていたとか、一昨年の今日はどこに行っていたとか・・。ま、自分なりの便利さでやってるだけのこと。深い理由があるわけではない。

 

 まぁ、カレンダーの掛け替えみたいなものだ。なんとなく8月も終わってしまって、ぼんやりとした夏が終わったという感じ。雨ばっかりだったなぁという印象が強い。

 

 今日もパワーポイントを使っての「電子紙芝居」の整理とか編集作業とか。今日はあたらしく・・・

 

 浅原才市さんの妙好人シリーズも始めた。因幡の源左さん、讃岐の庄松さんとかの妙好人シリーズ第三弾。

 

 お昼過ぎからは雨も上がってきたようす。あがらぬ雨はない。やまぬ風もないってことか。そういえばセミの声が聞こえなくなった。ときどき聞こえるのは猿の声。

 

 サルと言えば、栗の実を食べている。まだ、緑色の中身も緑や白色の若いもの。それを手でむいて食べている。イガが痛いだろうと思うが平気で食べ散らかしている。不思議とはぜて落ちた者は食べないようす。

 

 大声を出そうが、バケツを叩こうが、平気の平左で栗を食べている。ま、我が家の栗ではないので、ムキになることもないが、全く、無視されているのも気分が悪い。ジェット花火を数発打ち込んだら、しばらくは姿を消したみたい。どこかに隠れているだけなのかも。

 

 だから、迷犬ごんは怖がって散歩には出なかった。私の車の下に隠れて「見ザル・聞かザル・言わザル」を決め込んでいる。サルにおびえて尻尾を巻いている柴犬なんて恥ずかしいだろうに。

 

 昨日の香川県知事も20時01分に「当選確実」が出るようなことで決着。大方の予想道理の結果で終わってしまった。「二百十日」という言葉もあんまりピントこなくなってしまった。防災の日だと言われても、何の案内もないし周知もないので、それらしい危機感もわいてこなかった。記念すべき9月1日なんだが、何の感慨もわかずじまいだった。

 

 ま、九月の予定はしっかりと詰まっている。当面、明日は県立図書館へ本の返却に行って来なければ。そして、九月三日は魔の県立病院での予約診察日。さてさて、ドクターがなんと仰るのやら。飲み過ぎはあきまへんでぇ・・は聞き慣れているけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「拝む手が とがる世間の角をとる」というもの。インド人やネパール人の挨拶は「ナマステー」という合掌である。「ナマス」は敬礼する、「テー」はあなたに・・・ということ。私たちの「南無」は、この「ナマステー」からきたものだという。「右ほとけ 左は我と合わす手の 中ぞゆかしき 南無の一声」とも言って、右手はほとけさま、左は私たち。その両方が一つになって一瞬でもおだやかなこころになってくれればいいがなぁと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えればいいね。


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