まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

粉雪を 受けて都の 雲の色

2015年02月13日 | たまには旅など・・。

 近畿地方は冬型の気圧配置となっているため、雲が広がり雪や雨が降っていた。気温は2度から6度、湿度は80%から64%、風は2mから5mの西北西の風が吹いていた。明日のさぬき市の14日は、冬型の気圧配置も次第に弱まり、高気圧に覆われて概ね晴れるが、寒気の影響で明け方まで雪の降る所がある見込みらしい。

 

 お寺の朝は、朝のお掃除から始まる。

 

 今日は御影堂のお掃除から。みんなで畳のから拭きを行う。

 

 その後、朝のお勤めがあって・・・。

 

 ようやくに朝御飯。その後のお勉強があって・・・。

 

 お勉強が終わったのは13時過ぎ。なんだか中途半端な時間である。この時間だと、どこのお店もいっぱいの筈。そこで、この「龍谷ミュージアム」に入ることにした。

 

 ここでは、この、「仏教の思想と文化 インドから日本へ」展が行われている。

 

 二階の展示ではアジアの仏教ということで、インドで仏教が誕生し、アジア全域に広がっていく様子が見られる。これはガンダーラの「燃燈伝授記」というレリーフである。こういうものや「本生話」あるいは「ジャータカ」なども展示されている。

 

 三階の展示場は第二部ということで、日本に伝わった仏教によって作られた仏像か絵画などが展示されている。もちろん、これらは参考画像から。館内での撮影はできない。

 

 その後、粉雪の舞う中、本願寺さんや・・・

 

 東本願寺さんにお参りをする。粉雪は舞っていたが、そんなには寒くはなかった。

 

 三時過ぎになって、ようやく昼食時間が終わったようでお店も空いてきた。そこで串カツのお店に入って、遅い昼食というか、三時の休憩というか・・・。

 

 こうした「ほろ酔いセット」で休憩。

 

 16時40分に、ようやく、高松行きのバスが来る。それに乗り込んで、定刻50分にJR京都駅烏丸口を出て、高松駅に向かう。東かがわ市に戻ったのは20時前だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「あすのことを思い煩ってはならない。あすのことはあす思い煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで充分である」という『新約聖書』マタイによる福音書第6章からの言葉である。私達人間はいろいろな悩みを抱えながら生きている。しかし、過ぎ去った出来事をいつまでも悔やんだり、遠い未来を思い煩ったりするうちに、大切な現在を見失ってしまうことがあるもの。今日という一日を存分に生きてゆきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えればいいね。

 


底冷えに 記憶の糸が また切れる

2015年02月12日 | たまには旅など・・。

 近畿地方は気圧の谷の影響で雲が広がり、雷を伴い雨や雪の降っているところがあるらしい。今夜の京都府は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、雷を伴い、雨や雪の降るところがあった。気温は1度から12度、湿度は86%から51%、風は1mから2mの西の風がやや強かった。明日の京都府は、強い冬型の気圧配置となるため、北部では雪が降り、南部でも昼過ぎから雪が降る見込みなのだとか。

 

 朝の8時20分過ぎの高速バスに乗るために、東かがわ市の「おおちバスストップにやってきた。今日は平日ともあってか人影はパラパラ。このあたりは暖かい春の陽気だった。

 

 淡路島でトイレ休憩をして、京都に向かう。この右側のバスに乗って行く。お客さんは8人ほど。みんな好きな座席に座っていいと言われた。

 

 明石海峡大橋を渡る頃は春の陽気。

 

 京都駅に着いたのは11時15分。おなかは空くし、空気は冷たいし、集合時間が13時だから、あんまりゆっくりもできない。通りがかったコンビニでおむすびとお茶やコーヒーを買って、とりあえず宿舎に入ることを考えた。

 

 どうにも心臓がよくないもので、あんまり急いでもいけないし、でも、何かあるといけないからと、ついつい、先に急ぐクセがある。とりあえず、宿舎を確保、とりあえず布団を確保・・・みたいなことで。これが、本山興正寺の「三門」である。

 

 三門を入ると紅梅が咲き出している。

 

 とりあえず布団を確保して、今夜の寝場所を決める。一夜だけなのだが、それだけで安心するから不思議なものだ。

 

 この研修会館での研修が行われる。

 

  でも、「田舎の学問より都の昼寝」ということで、昔、田舎では、学問を学ぶ方法として、本を読むくらいしか、なかったようだが、都の 京都には、学問や道徳、芸などを身につけた本物の人や先生がたくさんいるので、そういう人たちと、 つきあいができれば、多く深く学ぶことができるという意味があるようで、田舎で3年学ぶのと、都で、昼寝をするのは、ほとんど差がないという意味で、 「田舎の三年京の昼寝」とも言うようである。

 

 本日、はじめての食事がこれ。18時半からの夕食である。ま、お寺に来て、不平や不満は言えないので、「感謝でおいしくいただいた」。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日があたり前だと思っていた。でも、あたり前じゃないことに気がついた 笑顔 優しさ 思いやり あたり前じゃないあなたに感謝 あたり前じゃない今日に感謝」というもの。いつもの生活をしていると、当たり前があたり前になってしまって、その当たり前に慣れっこになってしまうもの。眼が見えない、足が動かない、おなかが空いても食べられない・・・。そんな、あたり前じゃないことに直面したとき、あたり前のありがたさをしみじみと感じるもの。今夜はお酒もビールも飲めない夜だけど、そんなあたり前じゃない今日に感謝する。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


黄水仙 旅の支度と 丸坊主

2015年02月11日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、瀬戸内側では気圧の谷や寒気の影響で雲の広がっている所があったそうで、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は1度から13度、湿度は76%から55%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。比較的暖かな」一日になった。明日の12日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、昼過ぎまで雨の降る所がある見込みなんだとか。

 

 今日は天気がいいのだけれど、「目が見えるようになると出歩き回るのはやめてちょうだい。休日くらいは家にいて、片付けでもやってよ・・・」というもので、外出禁止になった。家にいればいたで、「引きこもり老人になったわね・・・」などと言うくせに。

 

 朝から、わが家の前で重機が作業をやっている。秋頃のイノシシの活動が激しくて、この山際を掘って掘って、その土で水路が埋まってしまったのだ。

 

 こういう具合に葛(くず)の根を掘って食べて、そのまんまにして、その土が水路を埋めてしまったという訳。そこで自治会長さんが、大雨になったら災害につながるからと市役所に連絡したらしい。

 

 連絡して一週間もしないうちに、こうして復旧工事をやっている。水路の土を山に戻して、崩れないようにしっかりと転圧までやっている。こんな工事なんぞ、来年度回しだな・・と思っていたのに早いこと・・・。自治会長さんのパワーなのか、お役所が優しくなったのか、業者さんが、たまたまヒマだったのか・・・。

 

 さて、昨日までに見つけた句碑や歌碑の整理をやっておかないと、すぐに忘れてしまうし、しばらく休むと飽きてしまう恐れがあるので、「鉄は熱いうちに打て」ということで、編集作業をやっていた。これは、昨日、長尾寺さんで見つけた、松尾芭蕉の句碑であるが、安政四年というから、さぬき市では最古の句碑になるんではないだろうか。もちろん、芭蕉がここに来たという訳ではない。

 

 この句碑、古いからか、ひび割れがしていて、セメントなんぞで補強している姿が痛々しい。ま、貴重なものだから保存もしないといけないのだろうけれど。

 

 まだ、読めないものや、見つけられないものが10基ほどあるが、このあたりで区切りを付けないと、ずるずると引きずってしまっても意味がない。ここまでで、山頭火の句碑が78基、それ以外の句碑・歌碑が67基、合わせて145基にもなった。後、5基は読めるとして、総数は150基にはなる。

 

 テスト印刷して各部のチェックをやってみた。やはり、一番多いのが「俳諧の寺」の宗林寺さん、実に44基もあった。次いで「碑(いしぶみ)の宮」の宇佐神社が35基。87番長尾寺には8基、88番大窪寺には4基、86番志度寺には3基あることが分かった。

 

 しかしのかかし、150基もの句碑や歌碑が「長尾町」という町にあるというのは、その異常さが目に付くばかり。よほど、句碑に興味がある団体や個人が多いということなんだろうと思う。

 

 さて、明日とあさっての一泊二日で京都に行くことになっている。その準備を今からするのだけれど、少しばかり天候が気になるところ。ま、大雨や大雪にはならないのだとは思うのだけれど。

 

 ということで、今回はPCを持って行かないので、明日のブログはお休みになる。戻ってからの更新になる予定なので、更新がなくても心配しないように。Facebookのほうは、タブレット端末から、機会と時間があれば投稿予定。タブレットからもブログの更新ができればいいのだが、何か設定を間違えてしまっているらしい。そろそろ、新しいタブレットにしてもいいかなぁとも考えているのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「やりたいことがあったのに やれなかった人がいます。せいいっぱい生きたかったのに 生きられなかった命があります。命いっぱい生きなければ・・・・」というもの。病気や災害や事故などで、突然にいのちをなくした人が大勢いる。東日本大震災では若い命がたくさん失われたし、先の大戦でも多くの若者たちが帰らない人になってしまった。やりたいことがいっぱいあったのに、いっぱい生きたかったのに・・・。そんな人たちのことを考えると、うかつには生きていけないぞ。ぐずぐずしててはいけないぞと背中を押される想いがわき上がってくる。

 

じゃぁ、また、あさって、会えるといいね。

 

 


黄水仙 旅の支度と 丸坊主

2015年02月11日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、瀬戸内側では気圧の谷や寒気の影響で雲の広がっている所があったそうで、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は1度から13度、湿度は76%から55%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。比較的暖かな」一日になった。明日の12日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、昼過ぎまで雨の降る所がある見込みなんだとか。

 

 今日は天気がいいのだけれど、「目が見えるようになると出歩き回るのはやめてちょうだい。休日くらいは家にいて、片付けでもやってよ・・・」というもので、外出禁止になった。家にいればいたで、「引きこもり老人になったわね・・・」などと言うくせに。

 

 朝から、わが家の前で重機が作業をやっている。秋頃のイノシシの活動が激しくて、この山際を掘って掘って、その土で水路が埋まってしまったのだ。

 

 こういう具合に葛(くず)の根を掘って食べて、そのまんまにして、その土が水路を埋めてしまったという訳。そこで自治会長さんが、大雨になったら災害につながるからと市役所に連絡したらしい。

 

 連絡して一週間もしないうちに、こうして復旧工事をやっている。水路の土を山に戻して、崩れないようにしっかりと転圧までやっている。こんな工事なんぞ、来年度回しだな・・と思っていたのに早いこと・・・。自治会長さんのパワーなのか、お役所が優しくなったのか、業者さんが、たまたまヒマだったのか・・・。

 

 さて、昨日までに見つけた句碑や歌碑の整理をやっておかないと、すぐに忘れてしまうし、しばらく休むと飽きてしまう恐れがあるので、「鉄は熱いうちに打て」ということで、編集作業をやっていた。これは、昨日、長尾寺さんで見つけた、松尾芭蕉の句碑であるが、安政四年というから、さぬき市では最古の句碑になるんではないだろうか。もちろん、芭蕉がここに来たという訳ではない。

 

 この句碑、古いからか、ひび割れがしていて、セメントなんぞで補強している姿が痛々しい。ま、貴重なものだから保存もしないといけないのだろうけれど。

 

 まだ、読めないものや、見つけられないものが10基ほどあるが、このあたりで区切りを付けないと、ずるずると引きずってしまっても意味がない。ここまでで、山頭火の句碑が78基、それ以外の句碑・歌碑が67基、合わせて145基にもなった。後、5基は読めるとして、総数は150基にはなる。

 

 テスト印刷して各部のチェックをやってみた。やはり、一番多いのが「俳諧の寺」の宗林寺さん、実に44基もあった。次いで「碑(いしぶみ)の宮」の宇佐神社が35基。87番長尾寺には8基、88番大窪寺には4基、86番志度寺には3基あることが分かった。

 

 しかしのかかし、150基もの句碑や歌碑が「長尾町」という町にあるというのは、その異常さが目に付くばかり。よほど、句碑に興味がある団体や個人が多いということなんだろうと思う。

 

 さて、明日とあさっての一泊二日で京都に行くことになっている。その準備を今からするのだけれど、少しばかり天候が気になるところ。ま、大雨や大雪にはならないのだとは思うのだけれど。

 

 ということで、今回はPCを持って行かないので、明日のブログはお休みになる。戻ってからの更新になる予定なので、更新がなくても心配しないように。Facebookのほうは、タブレット端末から、機会と時間があれば投稿予定。タブレットからもブログの更新ができればいいのだが、何か設定を間違えてしまっているらしい。そろそろ、新しいタブレットにしてもいいかなぁとも考えているのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「やりたいことがあったのに やれなかった人がいます。せいいっぱい生きたかったのに 生きられなかった命があります。命いっぱい生きなければ・・・・」というもの。病気や災害や事故などで、突然にいのちをなくした人が大勢いる。東日本大震災では若い命がたくさん失われたし、先の大戦でも多くの若者たちが帰らない人になってしまった。やりたいことがいっぱいあったのに、いっぱい生きたかったのに・・・。そんな人たちのことを考えると、うかつには生きていけないぞ。ぐずぐずしててはいけないぞと背中を押される想いがわき上がってくる。

 

じゃぁ、また、あさって、会えるといいね。

 

 


梅咲いて 今日一日が 早すぎる

2015年02月10日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が弱まり、高気圧に覆われてきたため、概ね晴れていたが、西部では寒気の影響で雲が広がっている所があるらしい。気温は1度から8度、湿度は67%から52%、風は3mから7mの西の風が強く吹いて冷たい一日になった。明日の11日は、気圧の谷の影響で、雲が広がりやすい見込みなのだとか。

 

 香川県立図書館の蔵書リストを見ると、永らく貸し出し中になっていた本が「貸し出し可」になったので、早速に図書館にやってきた。

 

 開館直後の図書館は人影はまだ少ない。

 

 この本を待っていたという訳だ。中身の文章は電子化してあるのだが、データーや図表がどんな物だったかが分からなくなって原本を探していたのに、ずいぶんと長い間、貸し出し中になったまんまだった。

 

 それと、かねてから探している、この長尾寺の松尾芭蕉の句碑である。先日の夢では、丸い円盤状の石碑が岩の上に乗っているようなイメージだった。「あ、これなら、見たことがある・・」と思ったのだが、それは夢であったようで、境内のどこにも、そのようなものはない。

 

 この「人生の只あわただし年の暮れ」という句は見つかった。

 

 先の句は、この大きな頌徳碑の裏手に刻まれている。前の住職さんを頌える記念碑である。それでは・・・ということで、本坊の中庭を覗いてみた。護摩堂の前にある時計台、静御前剃髪塚からお庭を覗いてみた・・・。

 

 これである。「観音の甍 見やりつ 花の雲 はせお翁」と、四行に刻んである。これはこの地の医師であった「庵原柳園」という人が、「俳聖芭蕉の句碑が全国至る所にあるのに、ふみの国さぬきにはない」のを嘆いて建立したものだという。

 

 今日は珍しく奥方のけいこばぁが、「おうどんに行こうか・・・」と言うのでついていくと、近所のまるたけうどんさん。「ここが空いているのでいいでしょ」という簡単な理由かららしい。

 

 で、私はいつものしっぽくうどんの小をお願いした。具材を温めるのに数分ほど待たされた。ここでは、あんまり出ないメニューなのかも知れない。このあたりでは、「かけ大」というのが一般的だから。でも、具材がてんこ盛りだし、鶏肉もでかいのが二個も入っていた。

 

 空いていると言うても、時間になれば、どんどんと客が入ってくる。駐車場が一杯にならぬ前にお店を出た。巻き寿司とか天ぷらなどのサイドメニューを含めると、二人分では千円ほどになった。

 

 長尾寺で4句碑のうちの3句碑を見つけられたので、それでは・・・ということで、またもやって来たのが「宇佐神社」。この頃は風も収まってあんまり冷たくはなかったので、この境内を確認しながら歩いてみた。

 

 これ、見えないと思うが、「随臣の門を飾りて遅紅葉」と刻んである。この句碑も見つからなかったのだが、句の通りだとすれば、「随神門:随身門」のそばにある筈・・・ということで探したら、門の右手の松の木の裏にあった。

 

 この句も、探して探したのだが見つからなかったもの。本殿前の植え込みの影にあった。こうして、ここでも5つの句碑を探すことができた。やはり、現地に行こう、現物に触ろう・・・である。

 

 一通りの調べ物が済んだので帰ろうとして頭が真っ白になった。車の運転キーがない。これがないと帰れない。キーを落としたのは神社の境内なのだが、今日は丘の中、山の中、遊歩道も座ったり、寝転んだりして碑面をさすったりなぞったりしたから、山の中だとわからない・・・。

 

 でも、それは案外と簡単に見つかった・・・。ここで、本来ならば、ここの神さんに感謝の御礼をするのだろうが、一目散にわが家に急いだ私であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生見えない事ばかり。だから面白い!」というもの。今回の句碑探し、歌碑探しは全く先の見えない作業ばかり。全く、暗闇の中で手探りでやっているようなもの。この先どうなるの?とか、将来の不安を感じても仕方がないではないか。今の状況から先がわかる人などいないのだ。とにかくやるしかないと、行動ひとつで将来は変わってくる。そう思って、行動してみるしかないのである。昨日より今日、今日より明日が楽しめまるというもの。ワクワクするではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


水仙は 迷いもせずに 生きている

2015年02月09日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、山地を中心に雲が広がり、雪や雨の降っている所があった。気温はマイナス2度から5度どまり。湿度は78%から56%、風は3mから6mの西北西の風が冷たく強かった。明日の10日は、冬型の気圧配置は次第に弱まるが、寒気の影響で雲が広がりやすい見込みなんだとか。

 

 手洗い場の水もしっかりと凍っていて冬の厳しさを示してくれた。迷犬ごんの水桶はお昼になっても凍ったまんまだった。

 

 昨日お世話になった、「プレッソ古川」へ行って精算をしてきた。朝の宴会場というのは殺風景なものだなぁと思った。

 

 奥方から預かった金額から、ここの精算をした残りが、私の昨日のお布施になるというのでわくわくしながら行ったのだけれど、奥方の計算がしっかりとしていて・・・。それでも休日明けの京都行きのお小遣いくらいは残った。

 

 昨日は正午過ぎから午後2時まで飲んで飲んで・・・。自宅に戻って二次会をして飲んで。みんなが帰った後のビールなんぞの残り分を片付けていたら・・・お風呂にも入らずに6時過ぎから寝てしまっていた。だから、お風呂に入って気分をすっきりとさせて。

 

 今日のお昼はここになった。さぬき市津田にある「さぬきうどん羽立(はりゅう)」という一般店。一般店だが、セルフのお店のように早いのが特徴。それに旨い。お値段だってびっくりするようなお値段ではない。

 

 今日も冬場限定のしっぽくうどんの小。これで450円。ピンポン玉のような里芋が入っていた。

 

 この方が店長さん。玄関を入ったところで、こうして麺を打ったり切ったりしている。

 

 真ん中のおかあさんが天ぷら担当で、注文を聞いて即座に天ぷらを揚げて出す腕裁きは見事なもの。

 

 それにしても、今日は底冷えがするような冷たさ。句碑探し・歌碑探しを諦めてデスクワークに専念することにした。風邪など引いたら大変だ。

 

 今までに判明した句碑・歌碑をワード文書でまとめておく。詠み人がどこの誰で何をした人か・・・とういうことなども調べながら入力するので、実に手間暇がかかる。ま、急ぐ仕事でもあるまいし。

 

 こういう句碑の文字が読めない。読めそうでなかなかに難しい・・・。

 

 漢字がまた難しい・・・。見たこともないような漢字があちこちで出て来る。そのたんびに「手書き文字入力」で検索したり、グーグル検索したり。だから、文字の意味とか歌碑の意味なんぞは全くわからない。

 

 ま、慣れるしかないのかなぁとは思いながら、句碑や歌碑を眺め続けているのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「努力して結果が出ると、自信になる。努力せず結果が出ると、傲りになる。努力せず結果も出ないと、後悔が残る。努力して結果が出ないとしても、経験が残る」というもの。努力をすることは得意ではないが、得意なことをやっている間は努力をしているんだと思う。句碑探しや歌碑探しをやったところで一円にもならぬどころか大赤字が待っている。それでも、こつこつとあるいて歩いて、探してさがして・・・。経験が残ればいいか・・・みたいなところでやるしかないなと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


黄水仙 ひとつ役目の 荷をおろす

2015年02月08日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は概ね晴れていたが、冬型の気圧配置となっているため、雲が広がっている処もあった。気温は0度から7度、湿度は74%から56%、風は1mから3mの北北西の風が少し。明日の9日は、冬型の気圧配置が続くため、雲が広がりやすく、昼過ぎまで雪や雨の降る所があるらしい。

 

 奥方のけいこばぁは朝の5時から起きて赤飯造り。お仏飯と昼食の赤飯用である。

 

 私は仏間の準備。和室のふすまを取り外したり、座布団を並べたり・・・。

 

 仏前のお供えを盛ったりする。お客さんが来るのは9時過ぎからぼつぼつと。

 

 今日の導師は英海さん。脇は私と兄弟子の弘昭さん。今回は母の三回忌と祖母の25回忌の法要である。

 

 一席目は「初夜礼讃」。二席目は「四十八願」と「阿弥陀経」、それに「現世利益和讃」。

 

 最後は「御勧章拝読」。そして法話があって、ちょうど2時間。直後にお迎えのバスがやってきた。みんなは大急ぎでバスに乗り込んで「おとき(齊)会場」に向かう。例年、この時期には雪があって大騒ぎするのだが、今回はさわやかな春のような空だが、空気は冷たかった。

 

 「プレッソ古川」さんというお店での「おとき」である。ここは結婚式場でもあり、一般の宴会場でもあって重宝なお店。毎年、ここのお世話になっている。

 

 予定参加者は22人だったが、当日のお参りは18名になった。少し前には30人・40人という数になったが、叔父さんやおばさんらがいなくなって、めっきりと淋しくなった。それに子や孫や・・というのもいなくなって、「なぎちゃん」一人になった。

 

 最初のおときはこうしたものから。「献杯」は唯一の叔父さんの発声をお願いした。あと、天ぷらだの茶碗蒸しだのおすましなどが出て来る。左下のお茶碗の中に、けいこばぁの作ったお赤飯が入っている。

 

 ご婦人方はしっかりと食べて、話してとにぎやか。一方。男性陣はビールだ、酒だ、と、こちらは飲んで騒いで・・・。「六甲おろし」まで飛び出したりして・・・。

 

 楽しいときはあっという間。時間制ではないのだが、女性陣がパックに残り物を詰め出すと、仕方なく男性陣もお銚子やビール瓶の中身を飲み干してしまう。およそ二時間・・・。

 

 おみやげを手にして、みんなはバスに乗り込んでわが家に戻る。そのまま、車で帰る人もあれば、コーヒーやお茶で休憩する女性陣や、またもビールで二次会をする男性陣なども。

 

 私はようやくに和装から平服に着替えて、早速に座布団や椅子などを片付け、経机や焼香盆などを片付けて平常の仏間に戻す。

 

 今日の掲示板はこれ。「災難が来ぬように祈るのが信心ではない。どんな災難が来ても引き受けてゆける力を得るのが信心です」というもの。この世は無常である。常なるものは何もない。「ゆく川の流れは絶えずして、もとの水にあらず」と言われるように常に変化している。「時間よとまれ」ということはありえない。無常なるがゆえに、一寸先は何が起こるかわからない。一寸先は闇。いくら一生懸命努力しても、勉強しても、頑張っても、結果はどうなるかはわからない。どっちに転ぶかわからないのが現実。どっちに転んでも大丈夫といえるものを身につけていなかったら、結果が悪かった時とても苦しい。仏法を聞くとは、どっちに転んでも、災難がきても、思い通りにいかなくても大丈夫というものを得ることである。災難が来ないように祈るのが信心ではない。この世は必ず、生老病死の苦しみに出会うのである。祈って無くなるものでは決してない。生きていれば必ず別れや死が来る。与えられたことを引き受け、それを乗り越えていくしかないのである。その乗り越えていく力を得ることが信心であると言うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


いつの間に 吹く風もなく 枯れ落ち葉

2015年02月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、夜遅くは雨や雪の降る所がある見込みとか。気温は0度から8度、湿度は78%から54%、風は4mから2mの南南西の風が少し。比較的穏やかな暖かい一日だった。明日の8日は気圧の谷の影響で、朝まで雨か雪の降る所があるらしい。その後は次第に冬型の気圧配置となるため、雲が広がる見込みとか。

 

 冷たいなぁと思ったら、1Cmほどの氷が張っている。

  

 朝の7時からお餅つき。母の三回忌のお仏壇用にはお餅はお供えしない予定だったのに、親戚筋からクレームがついて、急遽、お餅をお供えすることになった。

 

 二人しかいない家族だからお餅を撞くというのも手間なものだ。でも、仕方がない。

 

 今日は天気もいいことだしと布団を干しておく。

 

 合間に、昨日、届いた「ATOK2015」をインストールしておく。かな漢字変換が便利になると言うことだったが、余計なお世話が画面に出るようになった。予測をするらしいのだが、いちいち、目障りなような・・・。

 

 今日の私のお仕事はお仏壇の準備とかお供えとか・・・。

 

 焼香盆とか座布団とか・・・諸々の一切。二人しかいないから手分けしてやるしかない。

 

 どうにも、お餅の形が悪い。

 

 動いていたら汗ばむほどの温かさ。ま、休憩しながらのお仕事になる。気分転換に外にも出てみたり。

 

 ということで、お昼前にはすっかりと準備ができた。

 

 昨日、借りて来た「長尾町史」。でも、あんまり参考になるページは多くなかった。町の名士とか活躍した人とかが、宇佐神社の句碑や歌碑を建てたんだろうと思ったが、4人ほどが参考になった程度。作業は遅々として進まない。

 

 仏間やお仏壇の準備は完了。嵐の前の静けさ・・・。

 

 こんな日には、句碑や歌碑の作業をやっても集中できない。

 

 今日の掲示板はこれ。「欲しいものはたくさんあるけれど 必要なものはそう多くない」というもの。若い頃には「あれも欲しい」「これも欲しい」と思っていたが、年のせいかどうかは知らないが、あんまり欲しいものもなくなってきた。欲しいものと言えば、新しいパソコンとかタブレット端末だとか、レーザープリンターとか・・・。でも量販店でながめていても、「必要かなぁ」と考えるとどうでもよくなってしまう。衣類でも図書でも似たようなもので・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅一輪 今日の一歩の あたたかさ

2015年02月06日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は弱い冬型の気圧配置となっているために、概ね晴れていたが、瀬戸内側では雲の広がっている所があったらしい。気温は4度から9度、湿度は70%から51%。風は4mから5mの北北西の風が少しばかり。お昼前に地震があったらしいが、わが家ではぴくりともしなかった。各種メールが飛び込んできたが、そちらのほうが怖かった。明日の7日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、午後は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がる見込みとか。

 

 さて、懲りもせず、飽きもせず、諦めもせずに、今日もまた、ここ。さぬき市長尾西にある「宗林寺」さんは俳諧の寺。正式には「大照山慈光院宗林寺」という真宗大谷派のお寺で、通称「一畑御坊」さんと呼ばれている。

 

 今日の収穫はこれ。こんな大きなものが、今までなんで見つけられなかったんだろうか。「さくら活けた花屑の中から一枝拾ふ」という河東碧梧桐の句である。今日も住職さんとあれこれとお話をさせていただいた。

 

 先代の本木さんという方が俳句が好きだったようで、参道から境内から、これ、この通りの石だらけ。今の住職さんは全く興味がないようで、植木の手入れや移植を懸命にやっている。話題は寺院護持に落ち着いてしまう。

 

 次に向かったところもお馴染みになった「宇佐八幡宮」。ここにも30基ほどの句碑や歌碑があるのだが、資料にはあっても石碑が見つからないもの。資料にはないが句碑があるものなんぞで、10基ほどが見つからない。

 

 で、ようやくに見つけたものがこれ。特殊な字体だから見つけやすいのに、場所が悪くて手洗い場の奥手に隠れていた。

 

 「散る頃の櫻隣のも吹きさそひ来る」という、これまた、河東碧梧桐の句である。そのほかにも地元の人の歌碑を三つほど見つけ出した。

 

 帰りに町内の「杉本うどん」に寄って朝昼兼用のおうどんになった。

 

 冬季限定の「しっぽくうどん小」で400円。冷たい身体には暖かいおうどんがおいしい。

 

 帰ると、わが家周辺のお掃除。8日の日曜日に母の三回忌の法要がある。来客があるというのでお掃除をやることになった。ま、今日は暖かいので早めに済ませておくことにした。

 

 表の方も落ち葉なんぞをきれいに片付けて置いた。明日になれば、またも落ち葉が落ちてくるのだけれど。

 

 それが終わると、二階部分の掃除も・・・。二階にはお客さんは上がらないと思うのだけれど、「ついでにやっておいてちょうだい」と、奥方は確定申告と、介護のお仕事に出かけて行った。

 

 寝室部分にも掃除機を掛けて・・・。

 

 おこたやパソコンを元通りに戻して・・・おしまい。明日は仏間の用意をすることにしよう。

 

 で、今日、撮影した句碑や歌碑の写真をプリントアウトして、文字の読み取り。なかなかに他人さんの書いた文字は読めない・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「弱いから強くなれる 持ってないから何でも持てる」という城たいがさんの言葉から。何でも完璧と思うとそれ以上の発展はない。100点と思っていれば1点でも欠ければ99点と言う高得点であっても形の上では後退となる。30点の生徒が50点になればまだまだ合格点とはいえなくても確実に達成感は感じることだろう。もちろん、弱いより強いほうがいいし、持っていないよりも持っている方がいい。しかしのかかし、そういう一見マイナスな状態は幸福を手にしやすいということで逆にプラスに考えた方がいいと言う事である。持っていないから、何もないからと卑屈になるのではなく、何もないから一杯詰める事が出来る、と考えると元気になるではないか。私も要らない物がたくさん詰まっているかも知れないが、覚えたことはことごとく忘れてしまうから何もないのと同じ事。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅咲いて 今日の一歩の あたたかさ

2015年02月05日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨や雪の降っている所があった。気温は3度から9度、湿度は80%から60%、風は1mから5mの西の風が強くて寒かった。明日の6日は、冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすく、明け方までは雪や雨の降る所がある見込みらしい。日中は晴れるが風が強くなりそうだ。

 

 今日は朝から晴れたり曇ったり、雨が降ったり雪が降ったりと忙しい天気になった。で、晴れた間に、今日もさぬき市長尾東にある「宇佐神社」に行って来た。

 

 相変わらず、この前の公園ではウォーキングや散歩をやっている人が何人もいる。私は相変わらずの句碑・歌碑探しである。

 

 俳諧の寺「宗林寺」さんには50基ほどの句碑や歌碑があるらしいし、この「碑(いしぶみ)の宮」には30基以上の句碑や歌碑があるらしい。これだけでも80基以上になるのだからすさまじい。ほかの町にはそんなにはない。

 

 やはり、神社の杜は薄暗くて寒い・・・。数基を確認しただけで戻ってしまった。

 

 それを、早速に整理しながらの編集作業。これが実に時間がかかる。なにせ、原稿なしで直接にワード文書に入力しながら、グーグル検索を行いながらの、同時作業になるのだから・・・。

 

 今日はあっさりと木村食堂の「とろろそば」。珍しかったのかぺろりと食べてしまった。

 

 午後からは雨になったり、粉雪が舞ったりしたが、たいしたこともなく平穏な晴れ間に戻ったりもした。

 

 こうした文学碑も、字が読めるものはいいのだが、何を書いてあるのかわからないものがあって、これに困ってしまう。また、さぬき市内の文学碑や句碑などを調べた方がおいでになるが、その人もあきらめたのか、三分の二は記録されていない。こういうものは、私が読むしかないのだが、これが難解でどうにもならない。

 

 夕方になって町内で火災が発生した加減かどうか、急に停電が起きた。停電が起きると、パソコンは停止するし、通信用のアダプターやハブやLAN装置が停止する。こうなると通信が止まってしまう。お風呂は沸かしている途中だったから、再度、やりなおしから。

 

 ま、数分の停電だったからなんとなく復旧したのだけれど、思わずパニックに陥ったことだった。

 

 さて、今日は、山頭火以外の句碑や歌碑を整理したが、志度寺1、宇佐神社20基、宗林寺22基、竹屋敷3基、大窪寺2基の合計47基が整理できた。あと、宇佐神社が再調査を含めて10基、長尾寺が4基、宗林寺が10基となった。もう一息・・・というところ。

 

 明日の朝にでも、市内の図書館に行って長尾町史を借りて来たいもの。宇佐神社の歌碑を建てた人は町内の人が多いが、その人のことがわからない。学校の校長だ、元中尉だと言われても・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「らくな道を苦しみながら歩いている人は近くても到達できない 苦しい道も楽しみながら歩いている人は遠くても到達できる」という荒了寛さんの言葉から。お仕事も楽しみながらやれば辛くはない。遊びは楽しみながらやるから楽しくて飽きないで遊び続けられる。でも、いくら遊びであっても、苦しくなってきたら飽きてやめてしまうに違いない。なんでも楽しみながらやり続けたら、きっと本物になるに違いない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ロウバイに 今日の怠惰を 嗤われる

2015年02月04日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、午後からは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がってきた。夜遅くには雨や雪の降る所があるらしい。気温は1度から8度、湿度は68%から53%。風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の5日は、低気圧や寒気の影響で雲が広がりやすく、朝晩を中心に雨や雪が降る見込みなんだとか。

 

 今日は暦の上では「立春」らしいが、今日はまさしく春のような天気になったので、久々に「しわく広島」に帰ることにした。

 

 午前9時にわが家を出て、丸亀港に着いたのは10時半。近くのスーパーでトイレ休憩したり時間つぶしをして、11時10分発の高速艇「ニュービサン」に乗ることにした。

 

 船から下りたのも、船に乗り込むのも10人ほど。お昼前だから、案外と少ない。今日は、こんな重装備でなくとも暖かい一日になった。

 

 前回に島に帰ったのは、目の手術が終わってまもなくの年末のことだと思って居る。

 

 今日は外のベンチに座っていても寒くなかった。海上15分で、しわく広島の江ノ浦港に着く。11時25分。11時半にはわが家に到着。つまり、ちょうど、2時間半。

 

 今日のしわく広島も穏やかなもの。今回の旅は「日帰り」。しかも、帰りは12時50分のフェリー便だから、島に滞在するのは1時間25分だけ。

 

 ここがわが家の「暁光庵」。ま、そういう名前の「セカンドハウス」、通称、「海の家」である。奥方が泣いて帰る場所なんだそうだが、いつも忙しいばかりで、泣くヒマもゆとりもないのだそうだ。

 

 今回も目的はこれ。請求書のたぐいや重要なお知らせがないのかを定期的に調べに来る。今回は特に・・・。

 

 この年金の「源泉徴収票」。これが確定申告の時には必要なのだとか。この一枚だけを持って帰ればいいのだが、ま、ついでに年賀状や水道料金の値上げのお知らせとか、浄化槽の点検通知書なども持って帰ることに・・・。

 

 この時期には草がないから、さっぱりとしたわが家である。もう少ししたら、草まみれになるんだろう。またまた、草との戦いが始まる。

 

 予定通りに、12時50分のフェリーボート「しわく丸」に乗り込んで島を出る。ガスの元栓、トイレやお風呂の戸締まりなどを確認するのもお役目の一つ。今度は4月上旬の「こんぴらさん」のおまつりの準備の時。

 

 実に慌ただしいのだが、今週末の8日には、母の三回忌法要を予定しているので、仏壇の掃除や家の周りの片付けなどもやっておかないといけないし、私のオツムの掃除もやっておかないといけないし・・・。

 

 わが家のお仕事もバタバタ。最近、介護士さんが風邪を引いたとか、やめたとかで、奥方はずんやりとお仕事に引っ張り出されている。だから、家事のあらかたをやらないといけないので、島でゆっくりとできる状況にはないのだ。わが家に戻ったのは15時05分。やっぱり、2時間半だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「つらかった 悲しかった みんな今の私となって 私を支えている」という宋由美子さんの言葉から。宋さんは真宗大谷派阿弥陀寺の坊守さんで書道や美術も手がけ、1987年・1988年に高知で行われた安芸全国書展入選、2006年・2007年には福井サムホール美術展に入賞しているほか、グループ展や個展も多数開催されているのだとか。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


日脚伸び 今日の散歩は やや遠く

2015年02月03日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は弱い冬型の気圧配置となっており、瀬戸内側では雲の広がっている所もあったけれど、概ね晴れていたようだった。気温は2度から8度、湿度は74%から54%、風は2mから5mの北北西の風が一時は強かった。明日の4日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、夜遅くは雨の降る所がある見込みらしい。

 

 ということで。朝の間はここにやってきた。さぬき市長尾東にある「宇佐八幡宮」である。ここにも30数基の句碑・歌碑があるのだが、肝心の歌碑が幾つか見つからない。

 

 こういう植え込みの下とか、丘の樹木の中とか・・・

 

 こういう庭木の中なんぞに設置してあるものだから、ついつい、見逃してしまうのだ。

 

 それにしても、こうした神域はなぜだか寒い・・・。早々に切り上げて高松に向かう。

 

 途中にあったうどん屋さんに入ってみた。ここも相当前に開店したのだが、なんだかんだでまだ入ったことがない。木田郡三木町池戸(いけのべ)にある「セルフうどん壱」というプチ・セルフのうどん屋さん。元は中華料理店だった場所。

 

 しっぽくうどんがおいしいと表の看板にあったので注文した。小の味噌で350円だった。朝ご飯を食べて間がなかったからか、全く・・・何の感想もない。

 

 お店は清潔そうな、さっぱりとしたお店。10時半だからか、お客さんはいない・・・。

 

 その後は、いつもの、香川県立図書館。ここも静かなもので、駐車場も余裕たっぷりだった。

 

 郷土資料を眺めていたが、欲しい本は貸し出し中のまま。来週は忙しいので、何も借りずに出てしまった。考えてみれば、トイレ休憩に立ち寄ったような感じになってしまった。

 

 12時半にはここに着いた。高松市御坊町にある「高松興正寺別院」。先日には、報恩講さんでやってきたばかり。今日は「教学研修会」が行われるのやってきたという訳。

 

 今日の講師は大原観誠先生。京都の本山(興正派)ほかで歴史の研究をやっている。私も昨年は「本山史」の講義を受けたところ。今日のお話も、「現代仏教の原形をたずねて」というもの。室町時代から現代に至るまでの仏教の流れや相違点などについて講演された。

 

 過去を学んでこれからの仏教のあり方を考えるものだったが、なかなかに日本人は「変革」をしない人種なんだなぁと思った。新しいものには関心はあるが、自分からは新しいものには飛び込まない。これまた、重い課題だなぁと感じたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「鬼は外 いえいえ鬼は内にあり」というもの。今日が節分だからということで、ありきたりのものになってしまった。豆をまく際にする掛け声は一般的に「鬼は外、福は内」となっている。邪気をはらい、幸運を呼ぶ意味を込めての掛け声のようであるが、現代の今では、鬼は確かに外にもいるが、根本的な邪気を含んでいるのはこの私ではないのか。鬼にも蛇にも悪魔にもなるこのわたしのこころ・・・。節分の夜に、噛みしめたい言葉ではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


見過ごした 時の流れの 梅の花

2015年02月02日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は、弱い冬型の気圧配置となっており、概ね晴れていたが、午後からは雲が広がってきた。気温はマイナス1度から8度、湿度は74%から53%、風は2mから4mの北西の風が少しばかり。明日の3日は、冬型の気圧配置も次第に緩むため、概ね晴れる見込みらしい。

  

 久々にいい天気になったのでお出かけをした。けいこばぁが庭先の掃除をしていて、私にも手伝って欲しいというのだが、お庭仕事はけいこばぁのテリトリー。あまり、踏み込みたくないエリア。

 

 前から気になっているこの歌碑。大窪寺のお庭にあるものだが、どうにもきれいに写らない。時間を変えていろいろ撮影するのだが、どうにも北向きに立っているので影ばかりになってしまう。今日もきれいには写らなかった。

 

 ここはお馴染みの、上がり三ヶ寺の一つの大窪寺。今日は平日ともあってか、参詣の人はまばら。

 

 ここにも歌碑らしいものがあるのだが、達筆すぎて読めない。空海さんのなんたらを書いてあるらしいのだが。さすがにここの空気は冷たかった。

 

 それでは・・・ということでやってきたのが、「野田屋竹屋敷」という宿泊施設。ここの山頭火句碑集を早々にまとめてしまいたいとやってきたもの。

 

 「蛍川沿いの遊歩道」とは、この道のことだろうか。「蛍川」という川は地理的にはない。ここの「ナツツバキ」の下に句碑があるというのだが・・・。右側にあるものは「アジサイ」の畑らしい。行ったり来たりを繰り返していたらば・・・。

 

 これかな・・・。「水あれば椿落ちてゐる」と読めそう。少し回りの風景が句碑集とは違うのだけれど。

 

 この写真は句碑集にはあるのだけれど、この石が見つからない。このバックの風景はどこかの玄関らしいが・・・。「水音 しんじつおちつきました」という句である。

 

 壁の石積みとか柱の色なんかでは、このあたりにありそうだが、ここには何もない。仕方がないので、旅館のフロントに行って聞いて見た。すると、「あそこにあるんです・・」と、すぐに教えてくれた。

 

 すると、中庭の奥の方に隠れるように置いてあった。こんな植え込みに移転されてきたのでは分からない。

 

 「これは、どんな句碑集にも載っていないの。よければ見る?」というので、見せて頂いたのがこれ。貴重なものだからと写真を撮らせていただいた。「うれしいこともかなしいことも草しげる」と読む。小学生の頃に、「文学はそのまま、書いてはいけません。「うれしかったです」とか、「かなしかった」ですという書き方はいけません。何があったからうれしかったのか、どんなことがあって悲しかったのか、その中身を書きなさい。」と教えられた。だのに、山頭火のこの句碑は、「さつき荘」と、「宗林寺」と、ここの三ヶ所にある。この句のどこがいいというんだろうか。

 

 その後、俳諧の寺、宗林寺さんにも寄ってきたが、新たな収穫はなし。

 

 上がり三ヶ寺の二つ目の「長尾寺」さんにもやってきたが、ここにある句碑を探しにきたのだが、依然として見つからない。松尾芭蕉の「観音の甍見やりつ花の雲」という句ならば、すぐに見つかりそうなのにどこにもない。最後はお寺の住職さんに尋ねるしかないな。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は自分の主人公。世界でただひとりの自分を創っていく責任者」という東井義雄先生の言葉から。これは、“教育界の国宝”と称えられた伝説の教師・東井義雄先生の遺した言葉。東井先生は、子どもたちに素晴らしい人生を送ってほしい、自分で自分の人生を粗末にするようなバカな生き方をしてほしくない、という祈りのような願いを持ち続けていた。結局、道にいい道、悪い道というのがあるのではない。その道をどんなふうに生きるかという、その生きざまによって、良く見える道も悪くなったり、悪く見える道も良くなったりするのである。五千通りの可能性の中から、どんな自分を取り出していくか、それぞれみんなの一人ひとりがその責任者なのである。世界でただ一人の私を、どんな私に仕上げていくか。その責任者が私であり、それぞれみんなの一人ひとりなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


突き抜ける 風の剣に 身をかわす

2015年02月01日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側の東部や山沿いでは雲の広がっている所があった。気温は1度から6度、湿度は70%から54%、風は3mから4mの北西の風が少し。明日の2日は冬型の気圧配置が緩むため、概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝は雨になったりみぞれが降ったりと寒い一日になった。だから、今日もお出かけはやめにした。

  

 だから、今日も「四国遍路の闇と影」の編集作業。今日で、おおまかな形ができあがってきた。あれも入れたり、これも入れたいと思って居たけれど、これは資料が難しいから省略。これは「闇」にも「影」にもならないから削除・・・ということで整理したり。

 

 今日も、NHK総合で、「四国遍路セレクション」ということで、今日は「趣味Do楽 はじめての四国遍路旅」の再放送。これが朝の10時過ぎから夕方まで一気放送・・・。

 

 こういう感じで、パソコンで編集をやりながらテレビも「ながら」で鑑賞しつつ・・。ま、何回も見ているので適当に適当に・・・。「あ、やってたなぁ・・」とか、「あ、こういう場面があったのか・・・」などと。

 

 今年は「四国霊場開創1200年」ということで、NHKさんもいろいろな番組をやっている。

 

 この浅川先生の本がたいへん参考になっているし、

 

 山本先生の「四国遍路の民衆史」も参考になった。病気遍路や職業遍路にならざるを得なかった人びとの苦しい生活。少し前の四国には、そういう人たちが大勢いた。

 

 この本は、そういう人たちのことを記録した「社会民衆史」でもある。

 

 今日も木村食堂での「肉うどん」。冷たい一日だから、こうした暖かいおうどんはおいしいと思った。

 

 いよいよ、今日から2月。カレンダーの掛け替え、差し替え作業も終えた。ホームページの月間予定表の更新も済ませた。Pikaraに移送したホームページも順調に動いているみたい。リンクの張り替え作業もうまく行ってるみたい。

 

 奥方のけいこばぁは、この寒い中で、玄関の掃除やら、バラ園の剪定をやっている。来週の母の三回忌の準備だとか。けいこばぁは、ゆっくりとできるのは、日曜日しかないものだから。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間は自分の都合で鬼と言い、福と言う」というもの。本多恵さんの「いのちのことば」から。昨日の掲示板にも関連するのだけれど、自分を閉ざすも開くも、ものごとの善し悪しも、鬼も福も、自分の意識次第だというているのである。私が見ている空も、海も、山も、雲も、雨も、嵐も、自分のこころ次第で良くもなったり、悪くもなったりするのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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