まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

伸び出した ススキに見せる ダムカード

2016年10月16日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は17.7度から22.2度、湿度は82%から69%、風は2mから4mの東南東の風が吹き荒れていた。明日の17日は、気圧の谷や湿った空気の影響で朝まで雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 昨日、広い善通寺さんや弥谷寺(いやだにじ)さんの石段・階段を歩き回ったせいか、身体が軽いと思えたので、それはいいことだと、朝の散歩に出たが、さすがに足に痛みを覚えるようになった。昨日の疲れが残っていたのだろうか。

 

 でも、歩き続けていると、だんだんと慣れてきたのか足の痛みも気にならなくなってきた。

 

 これが、私が子どもの頃の「砕石(われいし)ダム」であった。このダムを見ながら学校に通ったものだった。今からすれば砂防ダムみたいなものだが、当時はとても大きなダムだと思い込んでいたものだった。

 

 この大川ダムの階段は109段とも117段とも記憶しているが、数えている間に忘れてしまって正確な数は覚えてはいない。

 

 これが恒例の「大川ダム一巡コース」で、今日は1時間半で歩いてきた。普通は写真を撮りながらだったり、ワラビを摘みながらだったりで2時間コースだった。

 

 109段の階段を昇りきって堰堤上に昇ってきた。

 

 こうした管理道路を通って水源の方向に向かって歩いて行く。普通車が通れるほどの道幅でコンクリート舗装がしてある。

 

 ところが、危険防止のために「車両通行止め」にしたことから草が伸び、竹が倒れたり、土砂崩れがあったりで、歩くのにも苦労する箇所が何カ所かあった。

 

 ここの水位も、先日の台風騒ぎのおかげで復調してきた。

 

 ここのダムの管理事務所前に、「ダムカードあります」という張り紙がある。普段は気にも留めていなかったのだが、今日は、その「ダムカード」というものをいただいてきた。無料でいただけるものらしい。ただ、多くの場合、管理事務所のインターホンや入り口のブザーを鳴らして管理人さんから手渡しで受け取るものらしい。

 

 裏には、ダムデータが記載してある。そこには、「調査・建設中は、ダムサイトの地名で「砕石(われいし)ダムと呼称していましたが・・・云々」と書いてある。私らは、先に「砕石ダム」があったので、その上流だから「大川ダム」と呼ぶ・・・ということを聞かされていたのだけれど。ま、新しいダムを作ったのに、それが砕けて石になるような名前はふさわしくないと言えば言えなくもないのだけれど。でも、私たちの自治会は「砕石(われいし)自治会、そのまんまである。

 

 その後は、私のホームページやら

 

 おへんろつかさの会のホームページの更新作業をやっていた。イベントが終わるたんびに、「終了」マークを追加していくのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「皆と違うと不安 皆と同じと不満」というもの。これまた、どこの誰の言葉か不詳。子どもの頃、幼稚園や小学校なんかで、皆と違う服装の子がいるといじめられた。皆と違う行動を取ると嗤われた。とくに左利きの子がいるといじめたりからかったりした。だから、皆と同じようなことをしたのだけれど、それって、とても退屈で、ほら、こんなことができるんよ~と自慢したいのにできなくて不満・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


イチジクを パックで並べる 寺の庭

2016年10月15日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 善通寺地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13.1度から22.4度、湿度は88%から53%、風は1mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の16日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夕方からは雨が降る見込みらしい。

 

 午前9時7分にJR多度津駅集合と連絡票にあった。だから、朝の7時過ぎにさぬき市を出て、晴天のJR多度津駅前にやってきた。

 

 見にくい地図だが、JR多度津駅から歩いて善通寺市の金倉寺、善通寺、甲山寺、曼荼羅寺、出釈迦寺を経て、三豊市三野町にある弥谷寺まで歩くそうである。例の、閏年の逆打ちはおかげがあるとかで、お遍路さんが逆コースで回るのである。で、おへんろつかさの会でも、活動の一環として取り組んでいるのである。

 

 さぬき市から遠くなってきた関係か、今日の参加者は12名ほどだった。JR多度津駅は、高見島で行われている瀬戸芸の玄関口らしく送迎バスやらのぼりやらで賑やかになっていた。

 

 ほぼ4Km、1時間の歩きで、76番金倉寺に到着。私はマイカーで取材兼後方支援。先回りして、皆さんの到着を待つ係。10時10分に到着して50分にここを出発。

 

 75番善通寺さんには11時20分頃に到着。12時出発までは自由参拝。

 

 皆さん、ポーズしてくれたけれど、すこしばかり影になったみたい。

 

 こういう形で旧遍路道を歩いて、74番甲山寺に向かう。

 

 ここの毘沙門天堂は不思議な構造だなぁと思って居たが、ここは旧陸軍の弾薬庫跡なんだそうだ。今の自衛隊の弾薬庫は大麻山の農事試験場・・・。国家秘密かも知れない。(そんなことはないのだが)

 

 この、甲山寺の手水舎の脇にあるこの木、なんという木なんでしょうか。ご存じの方、教えてください。不思議な花の形が気になって・・・。

 

 甲山寺から曼荼羅寺に向かう一行。車で先回りして待ち受けるのが精一杯くらいに歩くのが速い。

 

 72番曼荼羅寺。ここで渡邊会長がギブアップ。足がかゆくてたまらないのだそうだ。

 

 72番曼荼羅寺から73番の出釈迦寺に向かう途中で、農業用のトラクターが転倒事故。ガソリンが漏れるわ、煙が上がるわ、エンジン音が響き渡るわであたりは一時は騒然。でも、近くで作業をしていたバックホー付きの重機で無事引き起こしが済んだよう。とても人間の力では起こせない。

 

 今日の最後の関門はここ。71番札所の「弥谷寺」。最後の108段の階段が長くてきつい。でも、元気な若者は、ここを駆け上がってくるのだから恐れ入る。

 

 今日の掲示板はこれ。どこかのお寺で見かけたもの。「たのしい事をするのではなく する事をたのしむのです」という玄侑宗久さんの言葉らしい。ま、お仕事にしろ、便所掃除にしろ、決して楽しいものではないけれど、それを楽しめばいいんじゃないのかい・・と言うているのだけれど、臨済宗の禅のお坊さんが言えば、それもそうだなぁと納得できそうだが、現実の問題として、いやな仕事はいや。やっぱり、好きなこと、面白いことはやっても楽しいと思うもの。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


伸びてきた ススキに明日の 夢をみる

2016年10月14日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇っていた。気温は今期最低の14.6度から21.6度、湿度は88%から52%。風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の15日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は昨日に引き続いて、わが家の周りの草刈りをする予定だったのに、急遽、奥方が休みをもらってお出かけをするという。聞いて見れば、孫のなぎちゃんの合唱コンクールがあるので、それを見に行くのだという。

 

 ここは香川県県民ホールというのだが、今は「レクザムホール」という名前になっているらしい。何年かすると「命名権」とかで名前が変わるのだ。

 

 中学生さんは一階席。

 

 私ら保護者席は4階にある「二階席」だから、子どもの顔なんぞ、ほとんど見えない。

 

 こういう感じで、レクザムホールを借り切って、中学校の合唱コンクールを毎年行っている。お兄ちゃんのハヤテ君の時には私一人だったが、昨年からは奥方も一緒に応援するようになった。

 

 こんな具合だからどこに誰がいるのか分からないが、親御さんはすぐに分かるらしくて、ビデオやスマホ、タブレット端末なんぞで追いかけ回している。二階席の前の方には、そうした電子機器がずらりとならんでいる。

 

 私はズームレンズで探すのだが、なかなかに見つけられない。

 

 ぶれてしまったけれど、娘が作ってくれたお弁当。最近はおなかの調子が良くないのだが、今日はこれを完食することができた。

 

 例年、コンクールの合間に、この「玉藻公園」とか「香川県立ミュージアム」なんぞを見学して時間をつぶすのだが、利尿剤によるトイレタイムばかりで時間を過ごしてしまっていた。

 

 午後からは「合奏部」や「合唱部」などの発表があったり、ゲストとして、高松市内の「高松第一高等学校」の合唱部の披露なんぞがあった。

 

 ちょっと見えないけれど、あちらこちらでスマホやビデオ、タブレット端末なぞでのビデオ撮影をやっている。

 

 夕方には晴れてきて秋の空が広がってきた。

 

 私の方の、展示会の準備は一応、終わっている。あと、どんな資料を用意すべきか考えていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「いくら長生きしても幸せのド真ん中に居ても おかげさまが見えなけりゃ一生不幸」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。

夏がきたら 冬がええといい
冬になりゃ 夏がええという
太りゃ やせたいといい
やせりゃ 太りたいという
忙しけりゃ 暇になりたいといい
暇になりゃ 忙しい方がええという
かりた傘も 雨があがればじゃま
金を持ったら 古びた女房もじゃま
所帯もったら 親さえじゃま
義理も 人情も 愛情も 両親も
肉親の情も あればこその 世の中となる
誰も彼も どこもかしこも
かさかさ かわききった あじけない このころ
衣食住は昔に比べりゃ 天国やが
上を見ては 不平不満のあけくれ
隣を眺めては グチばっかり
なんで 自分を 見つめないのか
静かに 考えてみるがええ
一体 自分てなんやろうか
親のおかげ 先生のおかげ 世間のおかげ
おかげの固まりが 自分やないか
いくら長ごう生きても
幸せのド真ん中に居ても
おかげさまが 見えなけりゃ
一生 不幸

 「おかげさま」
         (かみどころ・じゅうすけ)

 

 じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


生き物が 無口になった 秋そぞろ

2016年10月13日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で曇っていた。気温は16.2度から20.6度どまり。湿度は85%から57%、風は3mから1mの北北東の風が少しばかり。明日の14日は、気圧の谷の影響で曇りますが、高気圧に覆われてくるため、昼前からは次第に晴れる見込みらしい。

 

 まずは、咸臨丸子孫の会、元事務局長・小杉伸一さんの逝去の報に接し、合掌・お念仏。 生前にはいろいろとお世話になりました。心より哀悼の誠を捧げます。

 

 朝方は寒い・・と感じるようになった。そこで、気になっていた家の横の水路脇の草刈りをすることにした。暑いから・・雨だから・・・と、ついつい先延ばしになっていたから草がぼうぼう・・。

 

 ここはわが家のものではないが、わが家のすぐ前だから気持ちが悪い。そこで、いつも私が刈り払ってきた。

 

 秋になると、草や細い木は丈夫に育ってきて堅くなって刈りにくい。だから、力任せに刈り払ってしまう。

 

 水路の右側はお隣さんちの畑だが、おじさんが亡くなって80過ぎのおばあさんが一人。だから草刈りもままならない。水路とわが家のブロック塀との間は、水利組合の「泥揚げ場」である。

 

 その反対側の草丈は長くはないが、ついでに刈り払っておく。

 

 これで草が枯れてくるとさっぱりとする。

 

 その後、遍路札の整理をしてみたが、額が足りない。わが家にあるものは、どれも帯に短し、タスキに長し・・・。

  

 で、100円ショップで額を探してみたが、これまた、帯に短し・タスキに長し・・・ばかり。

 

 仕方がないから、ホームセンターをのぞいてみたが、最近は額の需要がないものか、高級なものしか置いてない。

 

 結局の薬局で、100円ショップの200円コーナーのものを買ってきたが、うまく並ぶじゃろうか。

 

 これはこれでいいとしよう。

 

 今日の掲示板はこれ。「そのうち そのうち べんかいしながら 日がくれる」という相田みつをさんの言葉から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。

 「 そのうち 」

そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供から手が放れたら
そのうち 仕事が落ちついたら
そのうち 時間のゆとりができたら

そのうち……
そのうち……
そのうち…… と、
できない理由を
くりかえしているうちに
結局は何もやらなかった
空しい人生の幕がおりて
頭の上に 淋しい墓標が立つ

そのうちそのうち
日が暮れる
今来たこの道
かえれない

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


木の実踏む 足の痛さに 秋の音

2016年10月12日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は15.3度から23.1度、湿度は88%から58%、ずいぶんとしのぎやすくなってきた。風は0mから3mの北の風が少しばかり。明日の13日は、気圧の谷や寒気の影響で曇る見込みらしい。

 

 来年からある団体の委員になるらしい。そこで身分証明書用の写真撮影をするので出頭せよ・・・というので、お役所にやってきた。

 

 身分証明書用の写真だと言うから、着慣れないワイシャツに一張羅のスーツを着込んで来たのだが・・・。

 

 「これで撮りま~す」と、コンパクト・デジカメを取り出した。あとの方も普段着のまんま。

 

 そっかぁ・・・、なんでも良かったのか。お坊さん衣装で来れば良かったかも。

 

 写真撮影だけだからすぐに終わった。手持ちぶさただから、東かがわ市にある文具屋さんに寄ってみた。

 

 東かがわ市湊にある文遊館という文具屋さん。と言っても文具を買う訳ではない。

 

 先にやった「俵札特別展示」のように、遍路札の下に敷く和紙を探しにきたのである。白い用紙だから、紺色の和紙が欲しいと考えたからだ。わが家にあったものは、みんな、おへんろ交流サロンに使ってしまったのだった。

 

 で、同じような紺色の和紙を見つけることができた。これの上に遍路札を並べて展示したいと考えたのだ。

 

 で、こういうものも、先日に買ったA3版プリンターで印刷してみた。

 

 ついでに、文具屋さんの横にある百均ショップにも立ち寄って、来年用のカレンダーとダイヤリーを買った。来年から始まる新しいお仕事専用の予定表である。

 

 お昼ご飯を食べようとすると、「ピンポーン」とやってきたのがシャープのエンジニアの方。壁からテレビを外して分解を始めた。

 

 で、B-CASカードのユニットを分解して、カード・ソケットの交換を始めた。このソケット自体は500円ほどだが、技術料とか派遣料とか応援要員費とかで2万円ほどの修理費になった。

 

 わが家では、朝方に奥方のけいこばぁが30分ほど、夕方に1時間ほど見る程度なので、内部の損傷は少ないらしいが、どうしても壁掛けにすると、機械と壁の間が狭いので熱が籠もってしまうらしい。ま、これでしばらくは見られるらしいので、今後のことは今後のこと。

 

 今日の掲示板はこれ。「この出来事は自分に何を教えに来ているのか、そう思うと時間は見方になる」という舩井幸雄さんの言葉から。舩井幸雄(ふない ゆきお、1933年1月10費-2014年1月19日)は、大阪府出身の経営コンサルタント。経営コンサルティングの手法としては『地域一番店戦略』が有名。これは、1970年代に渥美俊一が唱えた『チェーンストア理論』の対局を為す小売戦略として、多くの地域小売業者に支持された。当時は小売業のコンサルタントとして、「東の渥美・西の船井」と云われていた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


柿の実を もぐ人もなし 里は暮れ

2016年10月11日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で概ね曇っていた。気温は今期最低の15.3度から22.1度、湿度は84%から58%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の12日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝、洗面台で水道の水が「冷たい」と感じた。いつの間にか秋になったようである。だから、朝の迷犬ごんの散歩にも上着がいるようになった。そうそう、昨夜の夕食時にはエアコンを暖房モードに切り替えて動かせた。

 

 昨日が休日だったから頭がおかしくなったが、今日は確かに「火曜日」である。で、いつもの「おへんろ交流サロン」に出勤した。ここに出勤しても何も出ない。最後にコーヒーとお菓子が出るくらいなもの。ま、お年寄りの暇つぶしみたいなものだ。

 

 おお、さすがにセーターを着込んでいる。今日もいつものメンバーでの作業になる。先週に引き続いての「紙くず」の調査である

 

 少し前に、「大師像」ということで整理をしたのに、それを、「掛け軸」だということで返品されてしまった。分類する人の主観で、「掛け軸」になったり、「大師像」になったり、「お御影」になったり、「仏画」になったり・・・。信仰心というものも関係するかもしれない。弘法大師さまさまならば、「お御影(みえ)」になったり、「大師像」になったりするが、信仰心がなければ、タダの紙くずでしかない。

 

 このおねえさんはすっかりと秋冬モードのセーター姿。

 

 しわくちゃになったお札をスプレーをかけてしわ伸ばし中・・・。なにせ、二百年近くも俵の中に押し込まれていたものだから。これまた、たいへんなお仕事。

 

 それでも、もう、数週間で、このお仕事も終わりそう。

 

 寒川家担当の会長さんも、飯田家担当の中島先生も忙しいらしくて研究が進んでいないらしい。そこで、私の田淵家のものを先に発行することになったらしい。

 

 で、三月を目途に、私の「娘遍路研究」と片桐先生の「島四国研究」を抱き合わせで発行する計画だとか。その後で、寒川家と飯田家をセットにして印刷・発行の計画だとか。来年もずっと、ここに出勤することになりそうだ。

 

 わが家のテレビも10年目。少し前から、こういうエラーメッセージがテレビ画面に出るようになった。だから、テレビの音声も止まってしまう。普通ならば、カードを正しく装着すれば治るはず。

 

 こういうことで、カードを抜いて、差し直せばいいのだが・・・。

 

 でも、わが家のテレビはこんな場所にある。「壁掛けテレビ」になっていて、テレビには手が届かない。

 

 しかも、電子オルガンの上に乗ってみても、テレビの裏側には手が入らない・・・。はてさて、どうしたもんじゃろうかいのぉ~。テレビがなくても困りはしないのだが、なんだかさみしい。

  

 今日の掲示板はこれ。「人は 幸運の時には偉大に見えるかもしれないが 真に向上するのは不運の時だけである」という、フリードリッヒ・フォン・シラーの言葉から。フリードリヒ・フォン・シラーは「シルレル」とも読まれている。18世紀ドイツの詩人・戯曲家・思想家で、1759~1805。
人は、幸福期の絶頂にあるときには偉人にも見えるけれど、人が成長するのは不運の時期にどう生きるかであると言うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の日の 冷えた願いや 溝掃除

2016年10月10日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は17.4度から21.9度、肌寒く感じた一日だった。湿度は78%から62%、風は1mから4mの北東の風が少しばかり。めっきりと秋らしくなってきた。明日の11日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 土曜日には暑い暑い・・と言うていたのに、今朝は寒いと感じるほどに涼しくなってきた。ま、暑くなったり涼しくなったりしながら冬に向かって行くのだろうけれど。

 

 三日ほど留守をしたら、山の形が少しばかり変わってきた。

 

 西の方から見たらば、こんなにもなっていたのか・・。やはり重機のパワーはすごいもんだ。

 

 さて、今日は休日だというので県立図書館に行ってみた。アキニレの葉っぱの先端が紅葉をはじめているし、はらり、はらりと葉っぱが舞い散る時期になった。

 

 つかさの会の会長から「娘遍路の論文を提出せよ」とオーダーされているのだが、案外と「娘遍路」の資料や情報がないものだ。あっても、二行か三行ほどで、「四国各地に嫁入り前に遍路を体験する習慣があり、「娘遍路」が盛んであった」という程度の情報である。

 

 こういう本とか・・・、

 

 こういう本とか・・・

 

 とか・・・。私は社会学とか民俗学は苦手で、「社会仏教学」という切り口で調査をやっている。

 

 そういうことで、このアプリはとても大事で「自炊」をする上では欠かせない。ああ、それなのに、それなのに。この画面から先が動かない。「スキャナーが違います」とかのエラーメッセージが出て動かなくなってしまう。幾つものプリンターを動かしていると、このOCRソフトが動かなくなってしまったという訳。

 

 空は晴れても心は闇だ・・・。でも、簡単なことで、「スキャナーの認識」という操作をすれば簡単に復活して、サラサラと自炊することができるようになった。

 

 で、幾つかの資料は収集できたのだけれど、肝心の論文の構想がまとまらない。まだまだ、材料不足らしい。

 

 ま、今週中にはなんとかしたいものだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない 太陽が昇るから夜が明けるのだ」というもの。東井義雄さんの言葉からである。

 太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない。
 太陽が昇るから夜が明けるのだ。
 われわれはとかく、環境や他の条件の責任にしやすい。

 水は低いところへ集まってくる。
 尊いもの 美しいもの 善なるものも みんな
 謙虚な人のところへ集まってきて
 その人のものとなる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


お役目を 一つ終えたり 秋の雨

2016年10月09日 | 時にはぼぉっ~とする時

 丸亀地方は前線が四国の南海上にあるため、朝方には雨が降ったし、夕方まで曇っていた。気温は23.5度から24.6度、湿度は86%から56%、風は3mから4mの西風が少しばかり。すっきりとしない一日になった。明日の10日は、高気圧に覆われて、概ね晴れるらしい。

 

 午前3時過ぎには土砂降りの雨で起こされた。蒸し暑いからと、あちらこちらを網戸状態にしてあったから、雨が降り込んで水たまりができていたので、大慌てで窓を閉めて回った。

 

 今回の用事は終わったので帰ることにした。まだまだ、草刈りや庭木の剪定作業も残っているのだが、雨に濡れていては大変だからやめにした。だから、8時35分発のフェリーで帰ることになった。

 

 今度は二週間後の「いろは石ウォーク」の前日、10月22日に帰ってくることにしている。

 

 そのときに、刈り残した草や庭木の剪定もやることにしたし、網戸が何枚か破れているので張り替えたいし、障子も破れているものが何枚かある。それも直しておきたいし。だんだんと島の家も痛みが激しくなってきた。

 

 フェリーボートは9時15分に丸亀港に着いた。お隣の本島では瀬戸芸が行われているので、港周辺は車の渋滞や船を待つ若者たちで混雑している。私は人混みは苦手だから早々に港を後にした。

 

 昨夜、自治会長さんとも話したのだけれど、この人・・・「大石 ※ら」と書いてあるが、古文書に詳しい方、何と読みますか。

 

 自治会長さんは、「當ら:とら」さんだと言うのだけれど・・。

 

 この方は、「河本ミス」と書いてあるのだが、このしわく広島には「河本」という姓はないと仰る。宵宮のときに、提灯を寄付した人の名前で盛り上がったのだけれど、「川本」という姓は確かにある。でも、この遍路札は確かに「河本」と書いてある・・・。

 

 丸亀からさぬき市に向かう道中のあちらこちらで鉦や太鼓の音が聞こえていた。昨日、今日と、各地でお祭りが行われるのだろう。でも、だいたいが同じような音がする。所変われば品変わるものだが、獅子舞の音はどこも似たような音がしている。なんでだろう・・と考えていたが、どうでもいいことなのですぐに忘れてしまおう。

 

 わが家に戻れば「年賀はがきの予約注文」のお知らせが届いていた。まだ10月の上旬なのに早くも年賀状の予約なのか・・・。

 

 こちらは季節に関係ないのだが「同窓会」のご案内。うーむ、どうしたもんじゃろうかいのぉ~。

 

 この調査もしたかったのだが、おまつりには女性が7人ほどしか参加していなくて、娘遍路の話題は出せずじまいになってしまった。明治41年に20歳であったら、128歳になるから、もう、この世にはいない。昭和15年に20歳であれば96歳になる。こんな人がいるんじゃろうか。可能性はあるけれど。

 

 ということで、今日は移動日と休息日ということで、残務整理とか荷物の片付けで終わってしまう一日になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「おほいなる ものの力にひかれゆく 吾が足あとのおぼつかなしや」というもので、九条武子さまのお歌である。武子さまは西本願寺第21代法主大谷光尊さまの次女で仏教婦人会の創設に参加したという。だからこの「大いなるもの」は仏に近い存在であるのは間違いない。そのほか、武子さまについてつぎのような記述がある。

 「侯爵家出身の銀行員、九条良致氏に嫁ぎ、夫とともにロンドンに随行したが、1年半で武子さまは帰国、夫はそのまま英国に残り、別居状態が十数年続いた。これには美貌・教養・家柄(大谷家は伯爵家)の誉れ高い武子さまに、良致氏がなじめなかったからではないかなど、夫婦不和の憶測もあったが、武子さまは離婚どころか浮いた言動一つとらず、良致氏の帰国をひたすら待ちつづけた。1920年末に良致氏が帰国し、夫婦同居が実現した。武子さまは関東大震災の復興に奔走し、築地本願寺の再建、負傷者・孤児の救援活動などさまざまな事業を推進した。その無理がたたり42歳の若さでお念仏のうちに往生した。2人の間に子供はなかったが、よき夫婦関係であったと伝えられている」好奇心をそそられる人間像が浮かぶ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


萩の花 お人良しさを 見透かされ

2016年10月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は湿った空気の影響で概ね曇り、夜からは雨となり、雷を伴う所があるらしい。気温は21.0度から29.8度、湿度は86%から66%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の9日は前線が四国地方を南下するため、朝まで雨が降り、雷を伴う所があるけれど、昼過ぎからは晴れる見込なのだとか。

 

 今日の佐柳島。こうしてみると塩飽の島々は平安・安穏そのものである。まるで、日本の歴史から取り残されたみたいな空気感。

 

 今日は、しわく広島町の江の浦集落にある広島神社の秋の例大祭の日。三男の弟「たっくん」は、8時半過ぎのフェリーで帰ってしまった。なんでも自治会関係のお仕事があるらしい。午前10時過ぎに神社に行ってみたが誰もいない。お参りに来る人がいないのだ。

 

 昭和29年のお祭りの写真である。若い人が大勢いたようである。

 

 平成7年のお祭りの写真である。みんな、おじいさんになってしまって、今は真ん中のスーツのおじさんしか残っていない。20年という年月の間に、皆さん、西国浄土にお帰りになってしまわれた。

 

 神事に先立って、御幣の作り直し。宮総代さんが交代して作り方がわからなくなってそのままになっていたのだとか。

 

 お式は午前11時前から始まったが、今年はお神輿の行幸(みゆき)式はない。

 

 お神輿は拝殿には安置したが、担ぎ手がいなくなって、どうにもならなくなった。

 

 最後は「浦安の舞」でしめくくり。

 

 この巫女さんの笑顔だけが救いだった。

 

 神社の幕やらのぼりやら電灯工事なんぞを片付けてしまってからの直来(なおらい)。12時半から13時過ぎまでの短い時間の歓談。

 

 男性7人、女性7人と禰宜さんと巫女さん。これが、江の浦集落全員集合らしい。本当はもっといるらしいが、「ブク(仏忌)がかかった」とかと神事を避ける風習が根強いらしい。

 

 これが、この地区の女性陣全員である。なにか、広報誌の誌面用らしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「捨てれば浮かぶものを つかんで沈む人間の愚かさ」というもの。あれも欲しい、これも欲しいと、掴んで集めて盛り上げて・・・、そのあげく、置き場に困ったこころがふさがって。どうせ、お浄土にも地獄にも持って行けない物ならば、捨ててしまったら楽になるだろうに・・・。わかっちゃいるのだが、ついつい、ハイ、よろしい。ハイハイ、いいですよ・・と引き受けすぎて沈んでしまう・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山ぶどう 一人静かに 留守居役

2016年10月07日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は、湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は19.9度から25。6度、湿度は89%から59%、風は1mから5mの東の風が少しばかり。明日の8日は、前線や湿った空気の影響で曇り、夜は雨が降る見込みらしい。

 

 今回の島への帰宅は、①、プロパンガス・ボンベの交換、②軽トラのタイヤ交換、③島の家周辺の草刈り、④植木の剪定、⑤広島神社秋の例大祭の準備という大仕事ばかり。

 

 朝の7時から広島神社の掃除に出かけてみた。今年はこれだけのメンバーになった。10人ほどである。過疎と高齢化でめっきりと減ってしまった。だから、弟も友情応援。

 

 広島神社は広島町の江の浦集落の氏神さん。いろいろと由緒があるのだけれど、今回は省略。

 

 だから、準備も簡略化が進んでいる。こののぼりも5本あるのだが、今年は1本だけ。メンバーが減ったので、通常通りには準備できない。

 

 でも、それなりにはできあがってきた。こうした電気工事や高所作業は私の得意分野。この島の電気屋さんもお浄土へお帰りになってしまった。

 

 今年はブク(仏忌)がかかったとかで男性は4人ほどしかいないので、御神輿は拝殿に飾るだけ。この御神輿を担ぐには男性8人が必要。おまつりもさみしくなる一方だ。

 

 こうしたお供え物も、丸亀で注文しておいたものがフェリーで運ばれてくる。形だけはどうにかそろったようだ。

 

 おまつりの準備ができたら、島をぐるりと走ってみた。でも、誰にも会わないし、車にも出会わない。注文しておいた軽トラのタイヤ交換も終わった。

 

 弟のよっくんが、「ヤマブドウを探しておいてよ」というていたので、東かがわ市から徳島あたりまで探して走ったけれど見つからなかった。それなのに、この島の家の網戸にヤマブドウがしがみついているのを発見。こんなところにあったのか。まるで、チルチルミチルの青い鳥みたいだ。

 

 草ボウボウだった駐車場もすっきりとしたし・・・

 

 植木の剪定もできた。

 

 夜、宵宮に行ったけれど、男性が6人に女性が2人というコンパクトな宵宮になった。果たして来年はどんな秋祭りになるのやら。

 

 今日の掲示板はこれ。「私が仏教を学ぶのではなく 仏教にわたしを学ぶのです」というもので、いつもの赤松先生のお寺にあった掲示板から。

  ある時、仏教には何が教えられているのかと問われて、仏教には何がおしえられているか・・と問うあなた自身の真の姿を教えてくれるのが仏教だと思う。と答えたことがあります。

他のだれでもない・・人間一般でない。。この「わたし」を照らし出すのが仏教だと思う。

仏教のほうから逆に問われている・・そういうのが仏教だと思います。

仏教には何がおしえられているか・・と問う「わたし」が仏教のほうから逆に問われている・・そういうのが仏教だと思います。

 と、信国さんはお話されておられたという。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


草伸びて 我が家の秋は 虫の宿

2016年10月06日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 丸亀地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20度から31度、湿度は82%から68%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の8日は、前線や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨が降る見込みらしい。

 

 さて、久々に県立病院に行ってみた。いや、別に、どうこうという訳ではない。一月ごとの定期検診である。腹が張る、食欲がない、身体が重い・・。いろんな症状があるのだが、さて、どういう結果になるのやら。

 

 順番はどうでもいいので、とりあえず、すいているレントゲン検査から。おなかに水がたまっていないかの検査である。胸に「胸水」がないかの検査。

 

 心電図検査。年に二度ほど、この検査があるが、さりとて、大きな変化がある訳ではない。

 

 、先の検査はスムーズに進んだが、1時間ほど待たされて、毎度の血液検査。ここでは、「検体検査」という。最近は、この血液検査でなんでもわかるらしい。東かがわ市の特定健診とかで大勢の人が検査を受けていてずいぶんと待たされた。

 

 9時過ぎにここに来たのに、結局の南極で、11時からの診察になった。予約時間が11時だから仕方が無いと言えば仕方がない。で、ドクターがお休みだというので代診だという。四の五の言わずに黙ってすませた。気になるのが、午後からの広島行きの船便の時刻表。

 

 11時半からの診察だと12時過ぎに病院を出る。綾歌まで一時間半。食材の調達で30分。だと14時か・・・。それから丸亀まで30分。ギリギリかも・・・。でも、ドクター不在で代診だったからすばやく挨拶して処方箋をもらって・・・一目散。。

 

 15時のフェリーに乗り遅れたら18時半まで船が出ない。「♪急がなきゃ遅れるわ、おしゃれしなくちゃ・・」(このフレーズを知っている人は少ない)。

 

 綾歌の弟を積んで、丸亀で買い物をして、丸亀港に着いたら14時少し前。島のおばちゃんたちがいそいそとしているので聞いてみれば、14時10分の高速艇があるという。あれあれ、想定外。じゃぁ、それに乗るか・・というので、高速艇に乗ることにした。

 

 船に乗ってしまえばこっちのもの。案ずるより産むが易し・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「川は岸のために流れているのではない 川のために岸がつくられているのである」というもの。

 川は岸のために流れるのではない
 川のために岸ができているのである
 子どもは教師のために生まれてきたのではない
 子どものために教師ができたのだ
 子どもひとりひとりの生き方の流れの
 美しさたくましさおもしろさを認め
 それに沿って指導の岸を構築してくれる教師に
 子どもは魅力を感ずる(東井義雄)

 一人で拍手をしてみた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あきあかね ぐうたら午後を 見て通る

2016年10月05日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は台風第18号が山陰沖を東北東に進む影響で、曇りで時々雨が降ってきたし、大気の状態が不安定となるため、雷が通り過ぎる賑やかな時間があった。気温は22.3度から28.8度、湿度は84%から70%、風は2mから5mの南南西の風が少しばかり。明日の6日は、湿った空気の影響で概ね曇るらしい。

 

 台風の影響で、今日一日中曇ったままで、夕方には雷がゴロゴロと賑やかだった。

 

 昨日、つかさの会の渡邊会長から、「娘遍路についての論文を提出せよ」とのオーダーを頂いた。この笠に「さ」の字を入れたものは讃岐の国の伊吹島の娘遍路である。伊吹島というのは観音寺市の西にある小さな島で、「イリコ」で有名な島である。昔は、嫁入り前の修養として、みんな、四国遍路に出たものだという。後方に二人の男性がいるが、会計・宿取り・納経取り・護衛警護役である。

 

 伊吹島(いぶきじま)は、香川縣観音寺市に属する島。瀬戸内海の燧灘(ひうちなだ)にある伊吹島は、観音寺港より西10kmに位置し、周囲は5.4kmで有人島としては香川県西端となる。江戸時代以前からの四季折々の民俗 宗教行事が続けられており、良好ないりこ(煮干しいわし)の産地として有名。島内の電気や上水道は、ともに本土より供給されており、島の南側の真浦港からは定期船が就航している。

 

 で、私たちが調査している、寒川家・飯田家・田淵家と、その他の研究を付き合わせてみたら、こういう数字になった。どの家のものも、二千枚ほどの遍路札の中のこれだけだから、決して多い数字ではない。

 

 このうちの、真鍋島や六島は岡山県笠岡市に属する島々である。これらの島から、讃岐と伊予の二国巡拝のおへんろさんである。

 

 この西備讃瀬戸の海域からは、粟島やその横の志々島、佐柳島、広島、本島からのお遍路さんは確認できたが、高見島からのお遍路は見つからなかった。

 

 嫁入り前の女性も一度は遍路を体験しなくてはならないという習慣は、江戸時代から戦前まで各地に見られた。昔の人の話によれば菜の花の咲く三月の初め、赤色の錫杖を持った老人の「先達」に連れられた十数名の娘たちが遍路道を歩いている姿は、四国の春の風物詩であった。とくに目を引いたのは、毎年訪れる腰巻き、手っ甲、脚絆、手拭い、などもすべて藍色に染め抜いた揃いの遍路姿をした「讃岐の伊吹島の娘遍路」や、伊予ガスリを着た、「宇和島の娘遍路」の一団だったそうである。

 

 しかし、こうした娘遍路も、昭和16年を最後に途絶えてしまった。太平洋戦争に突入してからは遍路どころではなかったし、物資がなくなればお接待もできず、また、受けることもままならず、四国遍路は衰退してしまった。終戦後、四国遍路は復活したが、なぜか、娘遍路は復活しなかった。そこにはどんな事情があったのだろうか。

 

 最近では嫁入り道具の一つとして学歴や職歴、各種資格などがあるが、かつては遍路に行った「しるし」である納経帳を持っている娘は、信仰心が厚い証拠であり、肉体的にも健康で、遍路をしたことにより忍耐強くなり人間ができているとして、嫁をもらう側からも歓迎されていたという。

 

 その為に嫁入り前に遍路をさせるという習慣は、単に四国地方ばかりでなく、四国対岸の山陽道の諸国にも見られた。また縁談を断る際に「うちの娘はまだ遍路に行かせていませんから」というのは、相手に害のない口実でもあった。その当時遍路に行くことが、一人前の女性の資格と見なされていたからであった。

 

 女性にとって千二百キロの険しい道を、六十日から九十日かけて歩き通すのはたいへんなことで、しかもその当時、食事付きの旅籠は一部の城下町を除いては皆無であった。そのため、一泊につき六、七文の木賃宿に泊まり、道中で買い求めた食糧で煮炊きをする不便さにも耐えねばならなかった。

 

 格安の遍路宿ではセンベイ布団で雑魚寝をさせられ、垢で濁った風呂にも入らねばならず、裕福な家庭で育った乳母日傘の箱入り娘にとっては、巡礼の旅は世間の現実である貧困生活を自分の肌で体験する機会でもあったのである。また娘達にとっても、一時的にせよ親の庇護や生まれ故郷から遠く離れて、広く世間の様子を知る絶好の機会でもあり、道中での困苦欠乏、苦難に耐える精神修養や修行の場でもあった。

 

 それなのに、平和で物の豊かな時代になったのに、「娘遍路」は復活しなかった。それはなぜなのだろうか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しみをなげく人あり 苦しみを活かす人あり」というもの。これまた、町内の善楽寺さんの掲示板から。これまた、どこのどなたの言葉かはわからないのだが、過去に起きた不運な出来事は、すでに過ぎてしまった仕方ないことである。それをいつまでも引きずり、苦しみを背負い続けるか、それとも、それを活かして人のために役立たせるか、その発想には人生のつくられ方がまったく逆になることだろう。大切な一度きりの人生をしっかり見据え、考え、生き方を選択したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


しくじりを ほらコスモスに 嗤われた

2016年10月04日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は湿った空気の影響で、概ね曇っていた。気温は22.2度から27.6度、湿度は96%から74%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の5日は、台風第18号が山陰沿岸を北東に進む影響で曇りで時々雨が降り、大気の状態が不安定となるため雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 さて、恒例の火曜日になったのでさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」に出勤した。わが家では奥方が出社すると私一人きりになる。それがいいときもあるが、やはり言葉を交わさないと日本語を忘れてしまうかも・・なんぞと思ってしまう。

 

 こんな天候でも、歩き遍路の人は多いと思う。若い方はリュック姿にノルディック・ストックで歩いて来る。外国人の方はスタイルに憧れるのか菅笠に白衣に金剛杖は欠かさない。

 

 お遍路さんの応対やお接待は、館長さんや女性スタッフが対応するので、私たちは全くのノータッチ。私たちはあくまでも「俵札調査」だけに専念している。

 

 四月以降、あれこれとやってきたのだが、「お守り」の中に弘法大師さんが混じっていたり、お不動さんのお御影(みえ)が混じっていたりするし、お御影の中に掛け軸の弘法大師さんが入っていたりしていて、混乱しはじめてきた。そこで、改めて分類方法を整理してみたが・・。

 

 こういう祈祷札は、御符(ごふ)なのか「お守り」なのか・・・ということでもめたりする。

 

 そんな合間で、会長さんに、秋の文化祭の企画書を見ていただいた。

 

 で、当該する「遍路札」13枚をお借りしてきた。これを、どういう形で展示するのかを、これから考えてみる。とにかく、お遍路さんがお接待の代わりに差し出した貴重なお札である。尊厳を保ちながら、貴重品の扱いをしなければならない。

 

 すると、会長さんから、佐柳島や粟島の娘遍路のものも併せて展示してはどうか・・という提案も頂いた。そうなると広いスペースが必要になる。その展示スペースの計算も必要になる。それに加えて、「娘遍路についての論文も執筆するように・・」というオーダーまで頂いた。

 

 午後からは、香川県立図書館に出向いてみた。しかしのかかし、「娘遍路」に関する資料はなかった。WEBで、「娘遍路」を調べてもみたが、必要な情報は出てこなかった。

 

 一応、この4冊の本を借りてきたが、「娘遍路」としての情報にはほど遠いものだった。いや、確かに「娘遍路」というスタイルはあったし、小豆島島四国や瀬戸内寂聴の書いたものにも「娘遍路」は出て来る。それが探そうとすると隠れてしまう。

 

 図書館の「アキニレ」の落ち葉がハラハラと落ちる季節になってきた。

 

 家に帰ると、amazon.comで買った本が届いていた。

 

 この前、図書館で借りて、いいなぁと思ってクリックした本である。ともに中古で200円ほどの本である。たぶん、自分の手元に届いたら読まない本になることだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「私はしばしば仏を忘れるが 仏は私を忘れない」というもの。いつもの町内にある善楽寺さんの掲示板にあったもの。2005年(平成17年)の新宗教団連合のカレンダー5月分の言葉で、金井隆久さんの作になるものらしい。佛教の根本姿勢は物事をありのままに見るところにあると言えるだろう。それは必ずしも、私たちの願いにかなうことではない。誕生があれば、生老病があること、安心があると、次の不安が生じるのである。私たちはしばしば佛のことを忘れて、自分の幸福ばかりを追いかけている。そうであるからこそ、阿弥陀如来は、こちらから助けを求めて行った先に待っていてくれるのではなく、既に今、私の後ろから、足下から、照らし支えていてくれるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 

涼しさを 弥陀成仏と 頂いて

2016年10月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は湿った空気の影響で、雨が降っている。気温は22.9度から27.2度、湿度は92%から82%、風は1mkら2mの東南東の風が少しばかり、明日の4日は、湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 10月になって秋めいてきたと思ったのだが、昨日も一昨日も蒸し暑かったし、今日も蒸し暑い変な天候になった。

 

 さて、先月末にブラザーのプリンターが届いたと書いた。少し前にもCANONのプリンターを買ったとも書いた。なんで、そんなにプリンターがいるんだろうと思ったかも知れない。実は、A3版の印刷ができるプリンターを注文したのに、届いたのはA4版しか印刷できないものだった。

 

 これは図体もでかいし、重さも重い。さすが、A3版の印刷が可能なものはすごい・・と喜んだ。ところが・・・。

 

 梱包を解いて、組み立ててみると、用紙はA4版以下の説明ばかり・・・。「またかよぉ~・・」と愕然とした。これだから、ネット通販は危ないなぁ・・と怒りがこみ上げてきたが仕方がない。

 

 ま、無線LAN接続して、スキャナー代わりにでも使うかなぁと、そのまんまになっていた。

 

 昨日の夕方になって、このメールが飛び込んできた。「れれれ・・・」。なんだって。あのプリンターはA3版の印刷ができるのか・・・。

 

 どこから、A3版の用紙を入れるのか・・・。早速、取説を開いてみた。

 

 あれあれ・・。確かにA3版の用紙のセットの仕方が書いてある。先日には、こんな文字などなかったのに。

 

 確かにA3用紙のセット方法が書いてある・・・。

 

 ではでは・・と、A3用紙を買ってきた。

 

 ま、あちらこちらと用紙の差し込み口があって、そこはダメ、もっと、しっかりと、お叱りを受けながら、それでも、どうにか、A3版の印刷ができた。ただし、用紙は1枚ずつ・・・。

 

 A3版のカラー印刷ができるんだ。

 

 あれこれとやってみたが、ま、それなりにA3版の印刷ができたではないか。通常はA4版だけで充分。たまに、ほんのたまにA3版が使いたくなるだけなので、これで充分ということにしておこう。

 

 台風の影響だろうか、雨が激しく降り出しては木々が大きくゆれたりしている。

 

 今日の掲示板はこれ。「もしこの時の苦しみを知ることがなかったなら 私は増長したままで どうしようもない人間になっていただろう」という稲尾和久さんの言葉から。「わずか21歳で「神様、仏様、稲尾様」と もてはやされたのですから、知らず知らずのうちに天狗の鼻は高くなっていったと思います。それをへし折り、野球ができることの喜び、させてもらえることへの感謝を教えてくれたのは、肩の故障でした。苦しんだ600日は、私にとっては人生最大の転機となったのです。」稲尾和久(プロ野球解説者)『致知』1998年12月号特集「人生の分岐点」より

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あれこれと 思案ばかりの 神無月

2016年10月02日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、夕方からは湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は22.2度から28.6度、湿度は96%から82%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の3日は、湿った空気の影響で曇りで、昼過ぎから時々雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 今月は特にという行事も講演会も法話会もない。とりあえず、秋の文化祭の準備くらいなもの。

 

 そのための「俵札」の準備を少しばかりやっておいた。でも、一ヶ月も先のことだから、あんまりテンションは上がらない。

 

 昨夜の雨で、金木犀の花びらが散ってしまったらしい。華のいのちは短くて・・・だ。

 

 早めに家を出て、村の鎮守の八幡さんに行ってみた。12時過ぎだったから、まだ、境内は閑散としていたが、こうして獅子舞の奉納が行われているばかりだった。

 

 13時前から「お式」が始まった。神社の場合は何というのだろう。あ、秋の例大祭が始まった・・と言えばいいのか。大総代さんや神輿守などの関係者が拝殿に入ってお式をやっている。

 

 その後、市内の小学生による「浦安の舞」の奉納があって、大太鼓が出発する。

 

 この太鼓も重いらしい。太鼓を先頭にして・・・

 

 これも同じく市内の小学生による「鉄砲隊」である。お母さんたちがスマホやビデオカメラで取り囲むようにして前進する。

 

 で、挟み箱が続く。「御供櫃:ごくびつ」とも言うらしい。17Kgの重さだというが、もっと重いのではないかと思うほどの重さだった。

 

 で、西村奴、田面(たづら)奴という、奴さんが続き・・・

 

 ようやく、お神輿さんである。昨年からは台車に乗せて、それを押しながらの「御幸:みゆき」になる。これも、御神輿を担ぐ人がいなくなったせいもあるらしい。もしも、落として壊れたら困るかららしい。神輿守の当番に当たったら、神輿を担ぐ人を探して、よその自治会から雇う所も出たらしい。もう、昔のように重い荷物を担げる人は少なくなった。

 

 この方は「禰宜:ねぎ」さんかしらん。普段から神社のことにはうといのだ。

 

 この人が宮司さんであるのはわかる。第十五代宮司の六車さんである。まだまだ、「御幸式」は続くのだが、キリがないので、このあたりで失礼した。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は もう戻れない昨日と まだ知らない明日の間に生きている」というもの。これまた、どこの誰の言葉かはわからない。私たちは、昨日という過ぎ去ってしまった昨日と、まだやってこない明日という、まだ知らない世界の間に生きている。と言うことは、昨日のことは考えても仕方がないしどうしようもない。そしてまた、掴みようのない明日という日を、あれこれ考えても仕方がないということになる。それでも、私たちは昨日のことをあれこれと考え続け、明日のことをあれこれと思案してみたくなるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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