まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

桃咲いて 歩いてみた日が PM記念日

2019年03月16日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5度から12度、湿度は80%から60%、風は2mから9mの西の風が一時は強かった。明日の17日は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、気圧の谷が通過する昼前は雨が降る見込みらしい。

 

 113/63/59 36.4c-93% 61.4Kg 1012hPa,12c,546% 体調は安定しているし、おなかの張りもなくどこにも痛みはない。

 

 午前中は銀行に行ったり郵便局に行ったり、ビールを買いに行ったりとしていた。

 

 で、昼からはまた、集落内散歩をやってみた。今回は約4Kmの60分コース。少しずつ歩く練習と少しずつの運動と。午前中は西風がきつくて歩く元気はなかったのだ。

 

 さて、昨年の今日は、ペースメーカーの植え込み手術の行われた日。ペーシングシステムはペースメーカと、リード(導線)で構成されている。本体には、電池と電気回路が内蔵され、その上部にはリードをつなぐための部分がある。重さは20gほど。リードは、先端部分に電極があり、その部分が心臓の筋肉に接して、電気刺激を伝える。ペースメーカ本体とリードは、手術により体内に完全に植込まれる。

 

 最もよく用いられるのは、鎖骨の下を通る静脈にリードを挿入して、心臓の中に到達させる方法である。ペースメーカ本体は胸部(鎖骨より下の皮下)にポケットを作って植込まれる。手術にかかる時間は1~2時間ぐらいで、局所麻酔が使用される。だから痛みはないが、心臓をつつかれる感覚は気持ちいいものではない。

 

 すでにご案内したように、入院中に二回も心臓停止が起こったことから、正常な興奮信号がつくられなくなる「洞不全症候群」と、その伝導が悪くなる「伝導障害」が主な適応になる。いずれも脈拍数の上昇が不十分となるので、労作時の息切れ、全身倦怠感などが生じる。私の場合は、心拍数が59以下になると、これが起動する。徐脈が長時間続くと心不全の症状(足がはれる、肺に水がたまるなど)が出現する。今もこれが続いている。もし、心臓が5秒以上止まると、失神することもあるが、夜中など睡眠中にしか徐脈が発生しない患者では、症状にまったく気づかない場合もあるという。一回目がそうだった。

 

 植え込みが終わると、左手を動かさないようにと腕をしばられている。腕を動かすと位置がずれるとか移動するからだと聞いた。

 

 その日の食事は串刺しで、右腕だけで食べられるようになっていた。

 

 ということで、常にこの「手帳」を持ち歩かなければならないと厳命されている。ここには、私のペースメーカーの設定値や細かな情報が記載されていて、これがないと、蘇生できないことがあるという。心臓以外の疾患や不慮の事故、または旅行などで普段フォローアップしている医療施設ではない施設にかかる際に、事前にこの手帳を見せると検査や治療がスムーズになり、とても役立つ。また、空港の入り口などに設置されている金属探知器でのセキュリティチェックを受ける際は、係員に提示していただきペースメーカを植込んでいることを伝えること。万一、意識がなくなるような病気や外傷、意思を伝達できない状態になったことを考えて、常にペースメーカ手帳を携行するようにも言われている。

 

 でもまぁ、どうにか一年が過ぎた。電子レンジやパソコンの前でも誤動作が起きたことはない。スマホやタブレットにはなるべく触れないようにしているし、電磁波の出る盗難防止装置(図書館やスーパーなどにある装置)も短時間で通り過ぎるようにしている。ま、今のところ、日常生活において問題も痛みも無い。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の世話にならず 自分の力だけでやれた事が一つでもあるか」というもの。これは「荒了寛」という禅僧のことばで、カレンダーになっているもの。これも、そのまんまでいただくほうがいいというもの。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


遠出して 森をうぐいす 独り占め

2019年03月15日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や寒気の影響で次第に雲が広がり、夜は雨となるらしい。夕方からは雷を伴う所がある見込みとか。気温は2.5度から13.2度、湿度は80%から40%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の16日は、気圧の谷や寒気の影響で明け方まで雨となり、雷を伴う所があるらしい。次第に冬型の気圧配置となり寒気の影響で概ね曇る見込みなのだとか。

 

 140/83/59 36.3c-97% 61.6Kg 1020hPa,6c,52% 体調は安定している。夜もよく眠れるし痛みもない。体重の増減が気になるばかり。

 

 今日は天気もいいし・・・ということで、この香川県営大川ダム一周散歩をやってみようとやってきた。ここの桜のつぼみはまだまだ堅い。

 

 この109段だか101段だかの階段をのぼる。落ち葉が積み重なっていて歩きにくく滑りやすい。ま、手すりがあるから安心だ。

 

 昇った先に、こんなものがいた。ネコかと思ったが、身体が長い・・・。

 

 「トマコか・・・」と思ったが、後で調べたら、「イタチ」だとわかった。「トマコ」は隣の「阿波弁」でイタチのことを言うようだった。私らは子供の頃から「トマコ」と呼び慣らしていた。これがニワトリを襲って食べられたし、ウサギも食い殺された。

 

 これが、その、イタチである。確かに鼻と目が黒い・・・。

 

 その先の管理道は落ち葉と土砂と竹が倒れたり折れたりとすさまじい。これは大丈夫だろうか、イノシシに襲われないだろうかと内心ビクついた。

 

 しかし、数メートル歩くと、こんなふうにきれいに手入れされている。それも最近のことらしい。落ち葉さえ落ちていないのだから・・・。

 

 渡り鳥だろうか、ゆったりと羽を休めていたし・・・、

 

 山ツツジの若葉も萌え出ている。

 

 水源に近いところまで歩いてきた。間もなく、県道2号津田川島線に出会うところ。

 

 今日の歩数はここまでで9,150歩、6.4Km。時間は1時間半。よく、ここまで回復したものだ。昨年の秋には10mも歩けなかったのに。

 

 でも、体重は少しも変わらない。少し歩いたくらいでは変わらないのか。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるうえで「悩み」はつきものです。 まったく悩みのない人生などあり得ません。生きるということは、すなわち悩みと共に歩くことなのです。という枡野俊明さんのことばから。枡野俊明(ますの しゅんみょう/1953年2月28日-/男性)さんは、神奈川県横浜市出身の曹洞宗の僧侶で作庭家。神奈川県にある建功寺の住職を務める人物であり、禅の 思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動で国内外から高い評価を獲得。日本造園設計の代表を務めるほか、多摩美術大学環境デザイン学科教授や ブリティッシュコロンビア大学特別教授も兼任している。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山茱萸 (さんしゅゆ)浮かぬ顔する 郵便夫

2019年03月14日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の接近で夜は曇るらしい。気温は6度から12度、湿度は56%から46%、風は5mから2mの西の風が少しばかり。明日の15日は高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や寒気の影響で夕方から雲が広がり、夜遅くは雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 116/77/77 36.4c-96% 61.4Kg 1020hPa,10c,50% 体調は安定しているが、体重は減らない。

 

 昨日の会議の宿題である。自分の担当区域のことはよく知っていると思ったけれど、案外と数字になるとわからない。

 

 だから、市のホームページなんぞを開いて人口や世帯数を調べてみた。戸数はわかっても、内部の世帯数になるとわからない。65歳以上の高齢者はわかるが、それ以下の人のことは見えてこない。会社やお店なんぞに勤めている人は昼間はいないからわからない。

 

 だから、集落ごとの名簿を作り直してみたり、年齢順に並べ替えてみたり、午前中は名簿作りに励んでいた。

 

 で、ようやく、担当区域内の人数や世帯数、高齢化率などが見えてきた。

 

 それを基にして、マップも作り直してみた。ここに、「空き家」とか「入所中」とか、「要支援者」とかを色分けしてわかりやすくする。

 

 午後からは、担当区域内をパトロールしてみたが、犬やサルには出会ったが、人には誰も出会わないし、車も通らない。

 

 家を訪ねても誰も出てこないし、いるのかいないのかもわからない。私もだんだんと「ことば」を忘れてしまいそうになる。

 

 でも、自然だけはまじめだ。時期が来れば芽を出し、葉を出し、花を咲かせてくれる。タンポポは古くはフヂナ、タナと呼ばれたという。タンポポは鼓を意味する小児語であったともいうし、江戸時代にはタンポポはツヅミグサ(鼓草)と呼ばれていたことから、転じて植物もタンポポと呼ばれるようになったとするのが通説であるが、その他にも諸説あるらしい。

 

 アセビは、ツツジ科アセビ属の常緑低木。日本に自生し、観賞用に植栽もされる。別名あしび、あせぼ。 馬酔木の名は、「馬」が葉を食べれば毒に当たり、「酔」うが如くにふらつくようになる「木」という所から付いた名前であるとされている。

 

 今日の掲示板はこれ。「思い通りにしようとする心が苦しみを生む」というもので、町内の善楽寺さんにあったものから。私たちは自我があるので皆、思い通りにしたいという心を抱いている。この思いが強ければ強いほど、思い通りにいかなかったとき、腹が立ち、怒りがわき起こる。苦しみもわき起こる。苦しみの原因は、自分の思い通りにならない自我が起こしているのである。そのことに気づいていたら、苦しみの原因がわかれば対応できるのである。自分が正しい、お前は間違っていると強 く言えば、相手は傷つく。そういうときは控えめに話した方がいい。少しでも相手を思いやる心があった方がいい。「正しいことをいうときは少しひかえめにするほうがいい、正しいことをいうときは相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい。」吉野弘「祝婚歌」より

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


突き抜けて 青空のある 藪つばき

2019年03月13日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となって概ね晴れていた。気温は8.0度から10.9度、湿度は74%から44%、風は3mから9mの西の風が一時は強かった。明日の14日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 112/75/68 36.3c-97% 61.6Kg 1011hPa,10c,62% 体調は安定している。

 

 朝いちで、古本を回収場に運んでおいた。さぬき市の図書館の決まりでは、①発行から5年以内のもの (ただし、郷土資料については、この限りではありません) ②汚れや書き込みのないもの ③欠損・欠落・落丁のないもの ④全巻そろっているもの 特に、予約が集中するベストセラー本の寄贈を歓迎しております。新聞、雑誌、すでに所蔵のある資料や所蔵資料として適当でないものは、ご遠慮 ください。とのこと。ほとんど、古本回収に出すしかない。

 

 昨夜は薬を飲み忘れたものか、1時間ごとにトイレに起きて、今日はいささか寝不足気味。今日は3月の民児協の定例会。この建物での会議は今回限り。ここも閉鎖されてしまうらしい。

 

 この部屋での会議も今回が最後、来月からは近くの公民館の一室を借りるらしい。組織改編とかで慌ただしいらしい。

 

 13日13時48分ころ、紀伊水道を震源とするマグニチュード5.2の地震が発生。和歌山県北部、和歌山県南部、徳島県北部、徳島県南部で最大震度4を観測した。この地震による津波の心配はありません。我がさぬき市は震度3とのことだった。香川県では、13日夜のはじめ頃まで強風や高波に注意するよう呼びかけている。

 

 今年の12月からの一斉改選に、私は「再任」ということで承諾書を提出した。昨年の秋には、呼吸困難や歩行困難になって、これはもうダメだと、任務放棄まで考えたが、今年になって体調も安定したので、もう一期三年をやってみようと覚悟した。

 

 ま、いつも通りのお役所からのお願い事や書類の提出なんぞがあったが、

 

 民児協のお役目の一つの「赤ちゃん訪問」だが、さぬき市内でも、「応答なし」や「シカト」が増えているという。携帯電話はもちろん、固定電話からの呼び出しにも応じない家が増えているらしい。児童虐待とかもあるので困っているとのこと。

 

 一方で、大阪で問題になった「通せんぼおじさん」が、市内にもいるらしい。だんだんと、過疎でのんびりしていたさぬき市内にも波乱が起きているようだ。

 

 とりあえず、自分の担当地区内の実情を洗い出して、来月の定例会には報告せよとのお達しだった。

 

 会が終わったら、今度は明日の朝用に、空き缶を回収場に運んでおいた。いつもは、我が家の分だけで、このコンテナ三個分になるのに、今月はおとなしく一個分と少し。少しは節制しているのかもしれない。

 

 今日の掲示板はこれ。「傲慢になったり卑屈になったり 一喜一憂している我が人生」というもの。いつもお世話になっている町内の善楽寺さんの掲示板にあったことばから。あの人の奥さんはきれいで優しそうだから幸せな家庭だろうなぁと、うらやんでみたり、あの人は大きな会社の社長さんだから優雅な生活をしているんだろうなぁと考えてみたりするけれど、他人より優れている人が幸せか・・・というとそうでもない。その人たちも自分と同じで、傲慢になったり卑屈になったり一喜一憂してるのである。世の中に幸せだけの人なんていないのだし、不幸だけの人もまたいないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


春めいて 庭で草引く 人がいる

2019年03月12日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、雨の降っている所があったが、午後からは晴れていた。気温は7.5度から15.1度、湿度は74%から62%,風は2mから7mの西南西の風が一時は強かった。明日の13日は高気圧に覆われて概ね晴れるが、気圧の谷や寒気の影響で明け方まで雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 136/74/60 36.3c-98% 61.4Kg 1007hPa,10c,62% 体調は安定している。

 

 昨年の今日、3月12日の写真である。すっかりと記憶が途切れているのだが、こんなにもおなかが大きかったのかと驚いたし、おなかにシートのようなものを張ってある。そんな記録は日記にもブログにも残っていない。今はすっかりとおなかも小さくなった。

 

 首から提げているポーチの中には、体外式ペースメーカーが入っている。その電極を押さえているシートだったのかもしれない。

 

 そのほかの赤や黄色、緑のコードは、この心電図モニターのコードである。

 

 で、このおなかの中には何が詰まっているのですかと訪ねたならば、「それは内臓脂肪ですよ」と言われた。

 

 これだけ見たら正常じゃないかと思うのだけれど、

 

 BMIは、ま、標準だけれど、となりの内見脂肪面積は「大幅超過」という判定だった。だから、ドクターは体重を57Kgまでに落とせ・・・というのだが、60Kg以下にはなかなか落ちない。

 

 それはさておき、奥方が、孫のはやて君に食料を届けておいてほしいとメモ書きを残して出勤して行った。で、またまた、屋島西町まで走ってきた。

 

 このクーラーボックス一個を届けるために・・・。

 

 ま、時間に余裕のあるご隠居さんだから仕方がない。お荷物を届けて、屋島周辺をドライブして戻って来た。

 

 昨日はごちそうだったから、今日は控えめに、チキンラーメンどんぶりにした。こういうどんぶりもあったのか。ほかにも、からあげクンとか、チーズカレーとか、キムラ~とか、担々ゴマラー油などもあるらしい。

 

 なるほど。容器で苦労していたみたいだったが、確かにそんなに熱くもならないし、匂いもない。たまごのふわふわ感もしっかりと残っている。カップヌードルはよく食べたが、こんなどんぶりは初めてだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「欲や怒りの雨あられ そんな私であるけれど 南無阿弥陀仏の傘の中」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。自分が一番かわいいという因縁によって、患い、悩み、苦しむ(結果)のが私たちではないか。自分に対する執着心を我執といい、我執こそが患い、悩み、苦しみの原因なのである。我執が外の世界に関わる時、自分に都合よいものは、我がものにしようと欲となり、欲が満たされない時、怒りとなるのである。私たちは、お浄土を願いながら、お念仏することはない。そんな私共に沿いたいと願われて、声の仏となられ、私の口に届き、私の口と声を借りて、『南無阿弥陀仏』と出て下さり、私の耳に届いて下さっているのである。『南無阿弥陀仏』は、「我に任せよ、そのまま救う」という意味である。そのままとは、欲や怒りを持ったまんまの意味である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ほっとして 春の息吹を 知った朝

2019年03月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、高気圧に覆われていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から曇るらしい。気温は11度から14.6度、湿度は92%から58%、風は1mから8mの西の風が強かった。明日の12日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、明け方は雨が降る見込みらしい。

 

 114/76/58 36.4c-96% 61.8Kg 1001hPa,18c,68% 体調は安定しているが、体重が少しずつだが増えている。増えているがトイレに行けばそんなに問題になるほどでもない。

 

 今日は奥方の定休日。朝から免許の更新に行ってきた。で、戻ると、「ねぇねぇ~。ここへ行きたいの・・」と新聞記事を持ってきた。孫のはやて君と、弟のたっくんを誘って、丸亀の「旬彩料理高や」というお店に行きたいと言い出したのだ。

 

 そんな遠くまで行かなくてもそこいらのうどん屋でいいじゃないのかと言っても、イノシシ年のおばさんは言い出したら聞かない。「孫が大学進学が決まったのだし、いいじゃないの」と、猪突猛進。屋島の娘んちまで40分。ここで、10時過ぎ。

 

 そこから高松市を経由して額坂峠に向かう。 坂出市府中町額と丸亀市飯山町東坂元との間にある県道18号・善通寺府中線の峠である。

 

 その途中から飯山町を経て、丸亀市綾歌町富士見坂団地に入る。そこで弟の「たっくん」を載せて、ナビゲーター役で案内してもらう。ここで、11時前。

 

 丸亀市柞原町というと、もう、善通寺市の手前ではないか。思えば遠くへ来たもんだ・・・。

 

 お店はこんなもの。11時20分ごろに到着。昨年の10月下旬に開店したとかだから、車も数台、四家族ほどがいたが、私たち四人はすぐにテーブル席に通された。行列するのかと思ったが、意外と簡単だった。

 

 カウンター席と、

 

 小上がり席があって、三席ほどの掘りごたつ形式の席と、奥にテーブル席が二席、奥に数名用の団体席があった。

 

 これは奥方の選んだもの。名前は忘れた。上の真ん中のお刺身の下にごはんが入っていて、その左がおそばである。「二種なんたら・・」というていたような。

 

 ダイエット中の私は週替わりランチで800円。お刺身も天ぷらもミニサイズ。弟は、料理長おすすめランチで、孫はお肉たっぷりの定食をたいらげた。

 

 今日は、あちらこちらで、「半旗」「弔旗」を見かけた。

 

 14時46分には我が家で「黙祷」した。

 

 今日の掲示板はこれ。「死ぬる命を生きているんじゃない。み仏に生まれる命を今生きている」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。感動法話 『死ぬる命を生きているんじゃない』 釋順章さんの法話の中で紹介されている言葉から・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=x4k3TEMAsbI

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


雨受けて 枯れる葉もあり 芽吹く葉も

2019年03月10日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っている。夜には雷を伴う所があるらしい。気温は7.5度から12.1度、湿度は80%から92%、風は1mから7mの東の風が強いらしい。明日11日の未明から強風や高波のおそれがあり、低気圧や湿った空気の影響で明け方まで雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 121/81/59 36.3c-96% 61.6Kg 1018hPa,8c,68% 体調に変化はない。昨年のあの苦しみは何だったんだろうか。

 

 今日も、いろんな行事に誘われていたのだが、この雨の中、出かけていくほどの用事でもないので、みんなパスをしてしまった。

 

 早くも3月も10日になった。10日ごとに行う作業がある。この画面の上側に、2016、2017、2018というフォルダーがある。ここに、過去の1年分の画像が保管されている。2019のフォルダーは、今年の過ぎた画像をストックしている。

 

 こちらが、今日から20日までの画像フォルダーである。つまり、31y03m10 には、過去の3月10日分と、今日に撮影された画像が入っている。こういう画像ファイルの入れ替え作業をやっている。で、20日になれば、過ぎた10日から19日のファイルは、2019というフォルダーに保管する。あまり多くのファイルを持つと、動作が遅くなるし危険だからだ。

 

 こうして、私のブログは更新されていくことになる。だから、31y03m10 のフォルダーには、過去10年間の3月10日の記録や情報が入っている。昨年の3月10日は香川医大の病室にいた。一昨年の3月10日は神戸にいた・・ということがわかる仕組みだ。

 

 雨が降れば出かけるのも面倒なので、丁石の原稿の校正や修正をやっていた。

 

 「そんなものを作って、誰が読むのか・・」という人もいたが、誰かが書き残しておかなければ歴史には残らないし、記憶にも記録にも残らない。誰もが作らない、どこの本屋にも置いていない本を作るのが、「まほろば工房」の意味なのだ。

 

 私が図書館で探しても探しても見つからなかった本、そんな本を作り続けていきたいのである。それが、私の存在理由でもあるし、私の生きた証でもある。

 

 こうして、県立図書館に納本したものでも18冊の本になった。塵も積もれば山になる。小さなことからこつこつと・・・。

 

 暖かくなれば、このへんろ道を歩きながら、道標や丁石の再撮影やら再調査もやりたいものだ。

 

 その頃になると、歩くのにも慣れるだろうし、距離も伸びることだろう。

 

 季節のうつろいはあっという間だ。うかうかしていると夏が来る。夏になれば虫も蛇も出てくるだろうし、暑い太陽の真下ではへんろ道は歩けない。

 

 今日は終日、雨になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心 むこうから」という放浪の真宗詩人『念佛詩抄』木村無相著よりの言葉である。木村無相さんは、熊本県出身で複雑な家庭環境の中、少年時代を朝鮮半島や中国大陸で送ったが、17歳で単身帰国。このころから宗教に対する関心を深め、京都の一燈園で過ごしたこともあったという。その後、職業を転々とし、流浪の身になった。仏道を歩もうと決めたのは、2度の自殺未遂を経て、26歳からの4年間を過ごしたフィリピンの開拓地だったという。その後、四国などのお寺に世話になりながら放浪の生活を続けた。種田山頭火と親交を結んだのは30歳過ぎのころ。山頭火の俳句が好きで文通を続けていたところ、山頭火から「あなたをお訪ねします」との返信があった。二人は1週間ほど、愛媛のお寺で寝起きを共にして、杯を傾けながら俳句や旅について語り合ったという。その後、二人が出会うことはなかったが、放浪の旅に救いを求め続けた二人の詩人が触れ合った一瞬だった。救われがたい我が身の心境が信仰に向かわせたのか、70歳前に出版した詩集『念仏詩抄』(永田文昌堂)には「砂をしぼっても水は出ぬ わたしをしぼっても信は出ぬ 真実信心むこうから」など、凡夫の自覚に満ちた詩がつづられている。無相さんの心の闇が何であったかは分からなままだが、無相さんは亡くなる前、親しい友人に「結論はなんにもいらんのや、凡夫なりに信心も安心もなにもないまま、凡夫のままで死んでいけばよい」と語っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


晴れて良し 曇っても良し 藪つばき

2019年03月09日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2.5度から14.5度、湿度は78%から51%、風は1mから2mの南南東の風が少しばかり。明日の10日は、低気圧や湿った空気の影響で、昼前から雨が降る見込みらしい。

 

 137/68/59 36.2c-97% 61.4Kg 1026hPa,4c,60% 体調は安定している。血圧の上が高いのは朝の寒さのせい。暖かくなれば平常に戻る。今朝は大霜で日中は暑いくらいになった。

 

 さて、昨年の3月6日に一回目の心臓停止があったが、7日の午後には一般病室に戻されていた。その昨年の今日、喉の痛みや痰が喉に詰まるようでトイレにばかり籠もっていたが、寝不足と空腹とで迎えた9日の朝、日記帳を整理していたら、頭の中で、「♪ピロ~~ン・・・」と緑のリボンが飛んだ。その瞬間に、私はベッドに叩きつけられていた。

 

 これを、「業務用語」で、「脈が延びた」というらしい。すぐに何人かの看護師やドクターが駆けつけて来て、心電図計やら何やらで、再び、私の心臓は動き出した。これが、階段や廊下だったら即死だったと叱られた。

 

 これまで、不整脈だと言われながらも実生活には支障がなかった。けれども、今回の二回もの「心臓停止」は現実のものとしての恐怖感を味わうのに十分だった。即座に私のペースメーカー植え込みが確定した。

 

 植え込み手術は5日後の16日に決まった。

 

 心臓病センターや心臓内科・外科あたりの患者さんは、こういう「心電図モニター」というものを胸に貼り付けられている。

 

 それをナースステーションでは個別に管理していて、心電図の急変などがあれば即座に知ることができるし、フロアから出れば、圏外になってデータが消えるから即座に捜索されてしまう。

 

 さて、少し前から流行しているインスタグラム。最初に買ったタブレット端末から遊んでいる間に登録したみたい。だから、皆さんの画面、画像は見られるのだけれど、画像を投稿する方法がわからなかった。

 

 今のiPadにも、Instagramは入っている。入っているが、投稿する方法がわからなかったのでそのままになっていた。

 

 それではもったいないではないかと、テストをやってみた。こういう画像を、どうやれば、Instagramに投稿できるのか、こういう画像を、どうやれば、私のパソコンに送れるのか・・・。若い頃にはOA推進課で働いていたというのに、今は70のご隠居さん。全く、ダメでありますことか。

 

 どうにか、カメラで画像は撮影できて、なんとか、メール添付でPC端末に送信もできた。

 

 こういう画像が投稿できたのか、できていないのかもわからない。なんともはや。

 

 今夜はふきのとうの天ぷららしい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「何かをしたい者は手段を見つけ・したくない者は言い訳を見つける」というもの。アラビアのことわざであるらしい。あなたが今、何かをしようと思っているとしよう。その手段を考えているのなら、きっと上手くいくはずだ。仮に、失敗を繰り返したとしても、必ず解決する。けれど、出来ない理由を探しているのであれば、それは叶わないことになるだろう。なぜなら、「やりたくない」からできない理由を探しているからだ。「忙しい」「時間がない」「疲れそう」「やっても無駄」・・・どれももっともらしい理由だけれど、不可能というほどの理由ではない。どんなに忙しくても、24時間365日ずっと忙しいわけではないはず。必ず休息の時間や空き時間がたぁんとあるはず。時間がないと言うけれど、意識していないだけで時間はあちらこちらにあるものだ。やっても無駄だというのは、やっていない人の常套句。とりあえず、やってみるしかないではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


若葉切る ハサミの音の 軽い朝

2019年03月08日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は4度から11.8度、湿度は62%から48%、風は4mから1mの西北西の風が冷たかった。明日の9日は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から夜のはじめ頃は曇る見込みらしい。

 

 132/67/60 36.3c-98% 61.4Kg 1022hPa,12c,62% 気持ちのいい朝になった。ようやく春らしい・・という朝になった。

 

 これは「10年日記」というものだが、この黄色い部分は入院期間を表示してあるもの。つまり、2月下旬から3月上旬あたりは危ない時期で、このさらに前にも同じような時期に肺炎で入院している。昨年の入院は58日間もの入院になった。

 

 今日は奥方の定休日・・・ということでお出かけはなし。そこで、布団を干したり、二階部分の掃除をしたり、いらない本を整理したりしていた。困るのは仏教書だ。高価な本だから捨てるのももったいないし、置いてあっても誰も読まないし・・・。

 

 奥方が銀行に行ったり、食材を仕入れに行くというので、私は近所を散歩することにした。上の10年日記の2016年には、おなかが張って食べられない、飲めない・・・という状況にあった。胃カメラや内臓エコー、MRI検査などもやってもらったが、異常なし。要は運動不足の内臓脂肪が原因だということになった。それが昨年の秋まで続いていたのだった。だから、少し運動でもと・・・。

 

 で、最後の最後・・・ということで、「防風通聖散」いわゆる「ナイシトール」だった。これで、2週間で6Kgも痩せて、おなかまわりがすっきりとした。今は、61Kgから62Kgあたりをウロウロしている。ドクターは、58Kgから57Kgを目標に・・というが、なかなかに60Kg以下にはならない。

 

 最初の苦しい時には、ところてんやおかゆを食べ、飲み物も減らしてきたが、元気になると、食べ物もおいしいし、ビールもおいしい。それに動けるようになると、ついついと食べてしまうのだし、食べないと動けなくなってしまう。

 

 気がつけば、ふきのとうも大きくなってしまっているではないか。最近は、「防風通聖散」にもなれたのか、あんまり効果は感じられなくなってきたが、とにかく、トイレにはよく通うようにはなっている。

 

 だから、何年も前から、おなかが張る現象は起きていたのに、それが何かはわからずに昨年まで来た・・・ということだった。今年になってからは「おなかが張る」とか、「呼吸困難になる」ということはなくなった。でも、心臓が悪かったのは事実。心臓の手術をしたのだが、歩けない、動けない・・・というのは心臓のせいではなかったのかも。

 

 ここには、早くもつくしが・・・。春は粛々と近づいてきている。

 

 間もなく、梅の時期はおしまいになる様子。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生この先 何が起こるか分かりません。だからこそ1日1日を大切に、感謝の心で生きたいです」という西端春枝さんの言葉から。西端春枝(にしばた-/1922年-/女性)は、ニチイの創業者の一人として知られる元実業家、大谷派浄信寺副住職。 戦後、夫婦で行商などを行い、大阪で衣料品店「セルフハトヤ」を開店。その後、衣料品店「赤のれん」、卸問屋「エルピス」、「ヤマト小林商店」の4社が合併し株式会社ニチイ(後のマイカル)を設立。社長には夫の西端行雄が就任し、自身は人事部長や研修部長などを務めた。大谷派浄信寺副住職として講話活動なども行っているほか、大谷学園理事、商業界全国女性同友会名誉会長、商業界近畿女性同友会会長、日韓女性親善協会関西支部会長、雑巾を縫う会会長、自立人間をめざす会大阪名誉会長などを歴任。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp+致知)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ふきのとう とぼけた味の お茶である

2019年03月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夕方まで強風や急な強い雨が降っていた。気温は10度から11度、湿度は86%から62%、風は2mから5mの北西の風が一時は強かった。明日の8日は高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 114/58/59 36.0c-95% 61.6Kg 1008hPa,10c,64% 体調に変化はない。

 

 朝の間、雲の間から晴れ間も見えたので、近くにある、香川県営大川ダムに行ってきた。間もなくすると、このような満開の桜が見られる場所だった。カード右上の「FN」は、F:洪水調節 N:不特定用水・河川維持用 という意味で、右下のG は、「重力式コンクリートダム」の意味である。

 

 でも、まだまだつぼみは固く、開花するそぶりすらなかった。 

 

 とうとう、印刷用紙がなくなったので、印刷用紙を買ってきた。この一箱が10.8Kgもあって、今までは持ち運びができないので、古い用紙や残っていた用紙などを使っていたものだった。

 

 それがどうだ、一年半ぶりに持ってみたら持てるではないか。それも、二階までの14段の階段をのぼって来られたのである。少しずつ、少しずつの回復ぶりではないか。それも息切れも動悸もなくてだ。

 

 家に帰ったとたん、春の嵐のような雨が叩きつけるように降ってきた。

 

 この前から、気になっていたのだが、私のブログ、「まほろば自然博物館」だが、訪問者はそんなに変わらないのだが、閲覧数が異常に多くて重たい感じになっている。昨日の数字だが、訪問者数は354IPで、閲覧数が2,377PVとなっている。この数字が、6,000とか8,000にもなることがある。

 

 調べてみたら、「クローラー」というものが動いていることがわかった。クローラー(Crawler)とは、Googleなどのロボット型検索エンジンがWEB上のファイル(HTML文書だけでなく、画像・PDFまで含む全般)を収集するためのプログラムのことらしい。クローラーによって収集されたデータがインデックス化され、巨大な検索データベースが作成される。別名「ロボット」「スパイダー」などとも呼ばれているらしい。

 

 Googleが持つクローラーには用途に応じて複数のクローラーがあって、例えば通常のWEB検索には「Googlebot」、画像検索には「Googlebot-Image」、モバイル検索には「Googlebot-Mobile」といったように、様々なクローラーが存在する。だから、「俵札調査」と、ググってみたら、私のブログ上の画像がずらずらと表示されたりする。

 

 最近、多いのが、この、「Bingbot」である。昨日は、Bingbot が1,112pvで、IE6.xが558pv,googlebot が352PVだった。Google・Bingなどのロボット型検索エンジン本体(データベース)から派遣された「検索エンジンロボット(クローラー)」は、リンクを元にページからページへ、サイトからサイトへ“クロール”する。この時、新しく発見(もしくは更新)したページを検索エンジン本体(DB)へ“インデックス化”(または“キャッシュ更新”)し、サイトを外部要因・内部要因で評価付けをしていく。Googleの検索エンジンロボット(クローラー)をGooglebot、Bingをbingbotと呼ぶらしい。だから、更新頻度が高いほど、これらのロボットがやってくるらしい。

 

 モバイルからは、Android が半分以上、iPhone/iPod が次いでいる。iPadも少しある。Safari は Mac のアプリで、50IP程度の訪問がある。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に「余生」などない 「与生」である」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。「定年まで勤め上げたので、余生はノンビリ過ごしたいものです」などという言葉を聞くことがある。 ところで、余生ってなんだろうか。人生の余った生ということなんだろうか。道元禅師は、「正法眼蔵」生死(しょうじ)の巻の中で、「生を明らめ、死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」と書かれている。一生をかけて求めていくテーマ「生」に余るところなどないなずなのだ。徳川光圀も「人生に余生などないぞ!」、こう言い放った一人である。一方、「与生」とは、与えられた生命(いのち)という意味である。私たちは、自分ひとりの力で生きているのではなくて、両親から生を享(う)けて、多くの人たちの愛情と善意によって生かされている存在なのである。水も空気も太陽も、自然の恵みにより与えられている。「与生を生きる」とは、そのことに感謝して生きるということ。感謝をして生きる上で最も大切なことは、今まで与えられてきたのだから、これからは「与えて生きていこう」という考え方でもある。「与生」とは、与えられた生命であるということに感謝して生きるだけではなく、与えることに喜びを見出していこうとする考え方でもある。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ふきのとう 雨の日暮れも 速いこと

2019年03月06日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、朝から雨が降っていた。気温は8.5度から13度、湿度は68%から92%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の7日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、昼過ぎにかけて雨の降る所がある見込みらしい。

 

 110/60/59 36.4c-96% 61.4Kg 1015hPa,14c,56% 体調に変化はない。体重もまずまず。

 

 今日は啓蟄。啓蟄は二十四節気の第3番目。「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意味で、「啓蟄」で「冬籠りの虫が這い出る」という言葉である。春の季語でもある。

 

 昨年の今日、香川大学医学部付属病院で心臓手術を受けて、CCU(集中治療室)で治療を受けていたが、突然に心臓が停止し、緊急アラームが鳴り響いて蘇生手当が行われた日である。当の私は安定剤を点滴で注入されていて記憶は無い。

 

 CCU】[coronary care unit]は、狭心症や心筋梗塞など心臓血管系の重症患者を対象とする、特殊な集中治療室。 冠疾患集中治療室。 冠状動脈疾患集中治療室。開胸手術や僧帽弁交換手術などは一階の造影手術室で行われ、術後は、この隣のICUに二泊した。

 

 この集中治療室は「ICU」と呼ばれ、病院内の施設の一種。呼吸、循環、代謝その他の重篤な急性機能不全の患者を24時間体制で管理し、より効果的な治療を施すことを目的とする。英語では Intensive Care Unit と呼び、日本でもICUという略号が用いられている。

 

 これが当時のペースメーカーである。こんなものを点滴台にぶら下げてトイレに行ったものだった。

 

 先日に、観光ガイド「おへんろつかさの会」公式ホームページを更新したが、ふと見ると、私のホームページは1月27日に更新したまんまだった。

 

 これは、アカン・・と、早速に情報を更新しておいたし、

 

 4月分、5月分の予定表も追加しておいた。で、5月2日はなんで休日になるのかがわからない。休日と休日に挟まれば休日になるんだろうか。

 

 ドライアイ対策用の目薬をさしながらの更新作業。

 

 春になったのかと思ったら雨・・・。

 

 今日もお出かけなしの休養日。

 

 今日の掲示板はこれ。「災難が来ぬように祈るのが信心ではない どんな災難が来ても引き受けてゆける力を得るのが信心です。」というもの。この世は無常である。常なるものは何もない。「ゆく川の流れは絶えずして、もとの水にあらず」と言われるように常に変化している。「時間よとまれ」ということはありえない。無常なるがゆえに、一寸先は何が起こるかわからないもの。一寸先は闇。いくら一生懸命努力しても、勉強しても、頑張っても、結果はどうなるかわからない。どっちに転ぶかもわからない。どっちに転んでも大丈夫といえるものを身につけていなかったら、結果が悪かった時、とても苦しいし、辛い。仏法を聞くとは、どっちに転んでも、災難がきても、思い通りにいかなくても大丈夫というものを得ることである。災難が来ないように祈るのが信心ではない。この世は必ず、生老病死の苦しみに会うところ。祈って無くなるものでは決してない。生きていれば必ず別れや死がある。与えられたことを引き受け、それを乗り越えていくしかないのである。その乗り越えていく力を得ることが信心だというているのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


春の空 見えぬ諸仏を 載せてゆく

2019年03月05日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は気圧の谷の影響で曇る見込みらしい。気温は4.5度から14.2度、湿度は82%から44%、風は3mから1mの西の風が少しばかり。明日の6日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夕方からは雨が降る見込みらしい。

 

 138/68/59 36.3c-96% 62.2Kg 1018hPa,14c,64% またまた、おなかに水か何かが貯まりだしたみたいで呼吸が苦しくなったが、午前中、30分ごとにトイレに駆け込んで、お昼前には、61.2Kgまでに戻った。やれやれだった。

 

 今日は月初めの火曜日・・・ということで前山出勤の日だった。大窪寺班の今年最初の勉強会の日。会員8名中6名が参加しての例会である。

 

 昨年の活動報告の確認作業やら当面する大窪寺班の行事の確認なんぞ。

 

 ほかの班よりも大窪寺班は行事が多かったように思うし、今年もまた、行事参加やサポートが多くなる見込み。

 

 で、この3月21日の春分の日に行われる、「江戸時代の丁石を辿るへんろ道と柴燈大護摩供養」のイベントのサポートについての依頼があった。我が大窪寺班から5名が参加して、受付・集金から、安全確保・緊急搬送という「伴走」というお役目をいただいた。

 

 私は歩けないから、救護班兼緊急搬送班ということになる。 

 

 で、それが一段落したら、大きなディスプレイやノートPCを持ち込んでの勉強会。「柴燈大護摩供養作法」なんて、誰も知らないし、養成講座でもレクチャーはなかった。そこで、「進列入道場」や「法螺練行」からのお勉強・・。ま、教養科目という訳である。こういう行事は、志度寺さんや長尾寺さんでは、まずもって行われない。大窪寺班だけの特殊なお勉強。

 

 前編は、山伏・修験道の服装衣装からのお勉強。ま、どうでもいい知識だけれど、知らないで、ボーっと護摩供養を眺めているよりも、知って拝観しているほうがずっと勉強になる。

 

 その後は、今年の前期イベントの、「ルンルン♪大窪寺奥の院探訪となんとかかんとか」まだ、未定の予定。その下勉強。誰もが行ってはみたいけれど、山道が厳しくてあきらめてしまう奥の院。その下見も暖かくなればやらないといけない。

 

 修行僧空海さんが、「独鈷杵」で山肌を掘ると清水が湧いてきたので、「独鈷水」と呼ばれた・・・と言われても、それが何なのかは一般の人にはわからない。そこで、こういうお勉強も・・・。

 

 そういうための勉強会もやっておいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しいのは自分を中心にしているからだ」というもの。平野修先生(真宗大谷派明証寺住職)の言葉から。平野先生は、1943年(昭和18年)石川県に生まれる。大谷大学大学院博士課程修了。九州大谷短期大学教授。石川県松任市(現白山市) 真宗大谷派明証寺住職。1995年9月27日示寂。著書に 『浄土の問題ー世界と聚りー』(金沢教区教化委員会)、 『鬼神からの解放ー化身土巻ー』(上・下)(難波別院)、 『浄土論註講義ー論註の基礎ー』(一・二)(六道会)、 『民衆の中の親鸞』(東本願寺)『教行信証に学ぶ』(東本願寺)など多数がある。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


日陰から 今日を見つめる ふきのとう

2019年03月04日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が一日中降っていた。気温は8.5度から10度、湿度は94%から68%、風は1mから5mの北西の風が少しばかり。明日の5日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 132/68/64 36.4c-98% 61.8Kg 1001hPa,18c,66% 今日は身体が幾分か重い感じ。そんなに食べ過ぎたり飲み過ぎたりはしていないのだが、尿の出が悪い感じか。

 

 奥方が早くから出かけたと思ったら、どっさりとふきのとうを見つけてきた。今日は奥方がお休みの日。今年はまだ、私はふきのとうを見つけられていなかった。

 

 明日の大窪寺班のプレゼン用に、テレビに合う古いノートPCを引っ張り出して、これはダメ、これもダメとやっていた。接続コードがうまく合わなかったり、二つの画面は表示しなかったりとバタバタとしていた。VGA、D-sub、USB、HDMIだったりといろいろやってみた。

 

 ところがだ、「でも、TVでなくても、このディスプレイでいいじゃないか・・」ということになった。そうだ、私のディスプレイはテレビ画面よりも大きいのだ。なんで、TV画面に固執していたんだろう。ああ、大窪寺を案内したテレビ新広島のDVDか・・。

 

 上側がノートPCの画面、下が増設ディスプレイの画面である。

 

 こういう画面になる。

 

 今日は、奥方の友人(介護士仲間)が選挙のお願いと情報交換のためにやってきて、お昼も一緒に食べて、夕方までいるらしい。その間に、私は、今年の大窪寺班の行事予定のために、奥の院の情報をまとめていた。これもパワポでまとめてみた。

 

 暖かくなれば、有志が下見に行くための予備知識である。当然、私は山になど登れないので境内での待機になる。行きたいのだけれども。

 

 この山道がきついらしい。

 

 こういう内部まで拝観できるものかどうかも検討したい。

 

 特に安全面での調査が最優先。もし、転落や骨折なんぞが起これば大変なことになる。安全性を考えての、イベントになるかどうかの確認作業。

 

 今日の掲示板はこれ。「お金より大事なものがない不幸」というもので、いつもの赤松先生のお寺にあったもの。「お金で買えないモノはない」と、よく言われるし、、「よく、お金より大事なものはたくさんあるねという人がいますが、あれって正気で言ってるんですか?ただの綺麗事ですよね?」という人もいるのは事実。この言葉の是非は別にして、お金を自分の価値基準のどこに置くかは、人生でとても重要なことである。五木寛之さんは、「人間は誰でも自分がいちば ん大切なのです。そして、そのことをほんとうに自覚した人間だけが、自然なかたちで他人を大切に思うことができる」と述べている。あなたにとって、お金よ りだいじなものがあるだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


つまずいて 大地の春を 知らされる

2019年03月03日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、断続的に雨が降っていた。気温は7度から10度、湿度は72%から94%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の4日は、低気圧や前線の影響で昼過ぎまで雨が降り、雷を伴う所があるらしい。

 

 128/66-62 36.4c-96% 61.5Kg 1022hPa,14c,68% 体調に変化はない。

 

 今日も何か予定が入っていたようだったが、こんな天気の悪い日にやるのかなぁ・・と思いつつ時間が過ぎた。

 

 昨夜、観光ガイドの会長からメールが来て、このチラシを公式HPに貼ってほしい・・ということだったので、早速に貼り付けておいた。

 

 パワーポイントで作られたチラシを、どうやってHPに貼り付けられるのかしばらく考えたが、PDFファイルに変換すれば張り付いた。しばらくやっていないと、すぐに忘れてしまう。

 

 あと、「柴燈護摩供養作法」をどうやって資料にするか、しばらく考えたが、これもパワーポイントにすることにした。

 

 このおじさんは、何をやっとるんじゃろうかと眺めていたらば、「法弓作法」というもので、東西南北と天地に弓を放って結界を作るのだとか。なるほど・・・。

 

 こういうのも、刀を振り回って何の儀式なんだか・・と調べてみたら。「法剣作法」ということで、不動明王の利剣で、結界をつくるのだとか・・。

 

 なるほどなぁ。3月21日は弘法大師さんの入定の日なので、本尊は弘法大師さんかと思っていたら、不動明王がご本尊なのだとか。知らない者は何も知らないで、「ボーっと生きてるんじゃねえよ~」とチコちゃんに叱られる。

 

 ま、一つも二つも賢くなったけれど、明日になれば忘れてしまう。でも、こういう資料を残して置いたら、また、思い出すことだろう。

 

 勉強会の資料も作っておいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きている この何でもないことに躓(つまず)かねば 幸せなんてわからないんだ」という浅田正作さんの言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。私たちは、朝、目が覚めて、顔を洗って、食事をして、その体が消化してくれて、トイレに行けて、歩けて、笑って、生きている。このなんでもないことには感謝もしなければ喜びもしない。「当たり前じゃないか・・・」と平然としている。でも、私のように、便が出ない、尿も出ないとなると大変だ。おなかがパンパンに張ってきて、呼吸ができない、動けない・・・などということになってしまう。なんで、この幸せに気づかないのだろうか。この幸せを知っているのは、「生きていることに、つまづいた人」、「あたりまえでない」と知った人・・・。「今がある」ということを自覚するのが下手な私たちだけれど、「今あるものの大切さ」に気づいて、これからを生きていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


振り向けば 背中ごなしに 梅の花

2019年03月02日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方からは雲が広がって来ている。気温は4度から12.3度、湿度は82%から54%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の3日は、低気圧や前線の影響で曇り、夜は雨が降る見込みらしい。

 

 122/65-61 36.4c-92% 61.4Kg 1018hPa,12c,59% 体調は安定している。肩のこりも楽になった。

 

 宅配ボックスを置いてみた。普段は折りたたんで収納しておく。

 

 内ポケットに印鑑(108円もの)を収納しておく。

 

 この錠前は開けたままにしておく。もちろん、鍵は外しておく。荷物を入れたら錠前を閉じておいてもらう。でも、やや小さいかなぁと。アマゾンさんは外箱ばかりが大きいからな。

 

 で、相変わらずの「丁石」のまとめをやっていた。一応は整理できたので、校正作業とか・・・。

 

 地図の挿入とか・・・。

 

 ATOKリフレッシュナビが出てきたらすぐさま休む。無理をしたらば後が大変だ。

 

 で、今月のルンルン♪行事の「柴燈護摩供養」って、何だ?・・・ということでお勉強してみた。大窪寺ガイドには必要なことなんだが、誰も本当のことなんぞ知りはしない。来週火曜日には「大窪寺班」の勉強会がある。それの資料作りも兼ねてである。第一、「柴燈護摩」自体が読めないことが多い。「さいとうごま」と読むらしい。

 

 柴燈大護摩供とは、野外で行う大規模な護摩法要のことである。 伝統的な柴燈護摩は真言宗を開いた空海の孫弟子に当たる聖宝理源大師が初めて行ったといわれており、醍醐寺をはじめとする真言宗の当山派修験道の法流を継承する寺院で行われる事が多い。すなわち、日本特有の仏教行事であるらしい。伝統的な真言宗系当山派の柴燈護摩に「柴」の字が当てられているのは、山中修行で正式な密具の荘厳もままならず、柴や薪で檀を築いたことによるという。

 

 なお、天台宗系本山派が行う野外の護摩供養は、「採燈護摩」というが、真言宗系当山派の柴燈護摩から「採取」した火により行われたので、その字が当てられるようになった。 また、真言宗醍醐派の正当法流を汲む真如苑宗(真如三昧耶流)では、斉の字を当てて「斉燈護摩」と呼称している・・・と複雑らしい。

 

 私らが、護摩供養のガイドなんぞをすることはまずないが、「教養科目」としてのお勉強みたいなことだ。「あれは何をやっとるんですか」と聞かれて、「さぁ、存じません」ではアカンでしょうが。ま、私らの宗派にはそんなものはないから勉強などしていないし、養成講座でも、そういうレクチャーを受けたことがない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生が行き詰まるのではない 自分の思いが行き詰まるのだ」という安田理深先生の言葉から。昔々一匹のウサギがいた。ウサギは秋の間中、ずっと木の実を集めては山の中に隠しておき、隠し場所を忘れないように何か目印はないかと探した。ふと見上げると雲が見える、この雲を目印にしようと考えた。そして冬、雲が動くことを知らなかったウサギは目印を見失い、そして蓄えを全て失った。ウサギは我々の鏡である。変わりやすく不確かなものを人生の目印にしてしか生きられないのが我々ではないか。家族、お金、健康、仕事…。自分を輝かせるために、それにしがみつき、生きがいを見出そうとする。人生が上手くいっているときは、自分が目印にしているものが不確かなどと思いもしない。しかし、どうすることもできない状況に出会ったとき、自分が人生の目印にしていたものは、何とはかないものだったかを思い知らされ、絶望と空しさで、どう生きていいか分からず迷う。そして、人間はそれを繰り返すのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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