まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

特別付録>エンディングノートから その2

2020年02月05日 | たまには真剣な研究なども

高松市地方では、6日まで空気の乾燥した状態が続くため、概ね晴れていたが、気圧の谷や寒気の影響で夜遅くは曇るらしい。気温は3.5度から10.5度、湿度は74%から52%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の6日の高松市は湿った空気や寒気の影響で曇る見込みらしい。
 

 80/61/81 36.2c-99% 65.6Kg 体調に大きな変化はない。今日は朝から夕方まで検査三昧。いささか疲れてしまった。

  わたしのことなんぞ・・・。

  自分の長所 すぐに忘れる、わすれたことも忘れる。 
  自分の短所 すぐにキレる。すぐにかっとなる。すぐに指導したがる。 
     趣味  自由研究・なんでも研究所。 特技 製本したがる。
  思い出の土地 ・ 旅行先 青森・仙台・福島・北海道 
  好きな食べ物 やっぱり、野菜サラダとおうどんと。
       好きなお店・場所 (例:飲食店、洋服店、娯楽施設など)  ない 
  好きな歌・音楽  好きな有名人・偉人など 
  演歌:歌謡曲 美空ひばり:テレサ・テン 
  好きな花 好きな色  ひまわり、コスモス、ユリに野菊 みどり 
  好きな本 好きな映画  なし  誰がために鐘が鳴る 
  好きな言葉・座右の銘  ありのままならバッタがパパじゃ。                    なすがままならキュウリがパパじゃ。 
  その他、好きなもの   ビール、日本酒、焼酎 

 
 私の歩み 学歴 
 小学校 1955 年~ 1960 年 松尾小学校  
 中学校 1961 年~ 1963 年 大川第一中学校 
 高等学校 1964 年~ 1966 年 津田高等学校 
 短期大学 1968 年~ 1969 年 近畿電気通信学園   通信学部線路建設科 
 その他  1999 年~ 2000 年 中央仏教学院 花園学院通信教育部           

 思い出 心に残る出来事(例:結婚・出産・孫の誕生など) 
 岩野家長女啓子と出会い 19
アマチュア無線で知り合った岩野兄弟の妹・啓子との結婚 22 
 銭湯の後で大黒屋のおでんで決まった 
長女恭子の誕生 23 結果が怖いので友人徹夜マージャンをしていた 
初孫颯の誕生 52 旧屋島病院だったが荷物を届けただけ 
孫凪の誕生 54 同上 

 
 
 自分が生まれたときのこと(例:名前の由来、愛称など) 
 自宅出産(産婆さん):名付け神事:小さく切った半紙の小片に希望する名前を書いて 三宝に乗せ、神事の後、お伊勢さんの「おふだ」で数回混ぜると、静電気で引っ付く それで名前が決まり、神様が決めたなまえだとされた。 

 子どもの頃の思い出(例:好きだった遊び、得意・不得意科目など) 
 遊びはなんでも好きだった。特に山の中に秘密基地を作っては山主に叱られた。 友人や先生は煩わしいので嫌いだった。いつも一人で遊んでいた。 
 国語・理科・社会、図画も好きだった。算数と体育は大嫌いだった。
 

 

 

今日の掲示板はこれ。「悟りの花はどこに咲く 悩みの池の中に咲く」というもの。先月の大賀先生の講義の中でも、お遍路に出るきっかけはさまざま。リストラや失業や退職、不登校から病気、怪我、失恋・・・さまざまな悩みを苦悩を抱いて人は遍路に出た・・・。そして、涙を流し、雨に打たれ、嵐に揉まれながら、再生していく。感謝や奉仕や悟りを得て、再び人は社会へと戻っていく。悟りはお釈迦様だけの専売特許ではない。「生かされている」、「感謝の心が生まれた」、「思わず合掌した」・・・。それらだって立派な「悟り」ではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


特別付録>エンディングノートから その1

2020年02月04日 | たまには真剣な研究なども

  高松東部は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2度から11.2度、湿度は78%から42%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の5日の高松市は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みなのだとか。

 

  101/46/80 36.7c-100% 65.4Kg 体調に変化はない。だが、やたらと眠たいばかりだ。いねむりばかりを繰り返している。

  

 今日からしばらくは、終末記録について話しておこうと思う。いや、体調はそんなには悪くないが、いろいろとありすぎて・・・。

 かかりつけ医 (医師・歯科医師)
 病院名        主治医       電話    診療科 
 香川医大付属病    蔵下元気     循環器科
 白鳥病院       日浦教和     心臓内科
 さぬき市民病院   竹内宏和       眼科
 松岡医院       松岡院長      皮膚科
 富田歯科医院     富田院長       歯科 

 傷病歴 
 傷病名       発症年齢  症状・手術の有無など 
 若年性気管支拡張症  13 歳  昭和 37 年五月麦刈り途中に喀血
               大川病院二か月入院:高松樋端病院入院 
  鼻骨骨折       20 歳  昭和 43 年夏事故現場に急行中、
               車に 水をかけたと殴打され、鼻骨骨折
             18 歳  鼻骨骨折 バイク事故記憶喪失
             高 3   体育祭前日阿波市高校生と正面 衝突                   記憶喪失
  
 偏頭痛と電柱から落下  32 歳  昭和 56 年秋、東かがわ市福栄地区で
               作業中偏頭痛で電柱から落下。大騒動

   肺炎 57 歳  
   カテーテル焼き付け                2010
                 白内障手術                 2016
                 心臓弁膜交換             2018
                ペースメーカー埋込   2018
                前立腺肥大除去          2019  

介護が必要になった場合 どこで過ごしたいですか?                備考 
        ■ とりあえずは、自宅で過ごしたい 
        ■ いざとなれば、病院に入りたい 
        □  施設に入りたい
        ■ 最後は、家族に任せる       □ その他 (                   ) 

今日は取ってつけたようにこれ。もう、アイディアが出て来ない。

 今日から春だからと凧あげをやってみたが、もう、限界ですぜw、にころこさん。

 医療 
 誰に介護をお願いしたいですか? 
   ■ 家族・親戚         ■ ヘルパーなどの介護専門職
    □ その他      □ わからない 
                             名前  木村 啓子     続柄          連絡先         
 
 
 介護のための費用負担            備考
 □ 預貯金で負担したい  
 ■ 年金で負担したい 
 ■ 加入している保険で負担したい 
 □ 特に用意はしていない      □ その他 (                     )

   告知・延命治療 ※ などについて  
   もしもの時、自分の治療方針について誰かが決めなくてはならない場合          名前    木村 啓子       の意見を聞いて決めてください    
告知について  病名告知
      □ 希望する
      ■ 希望しない 
延命治療について 
 もし必要となった場合、あなたはどうしたいですか?


  □ 出来る限りの延命治療をしてほしい
  ■ 苦痛を和らげる治療は希望するが、延命のみの治療はしないでほしい
  □ 延命治療はしないでほしい     □ その他 
 ※延命治療とは・・・生きる期間を延ばすことを目的とする治療。  (人工呼吸器、気管切開、経管栄養(胃ろう含む)など) 人工呼吸器…肺に出入りする空気の流れを補助する機械(呼吸の補助) 気管切開……肺に空気を送ったり、痰などの分泌物を除去したりするため、気管に穴を開けること 経管栄養……食事が摂れなくなった時、鼻や腹部から体内に直接栄養を入れる方法 

 人生の最期をどこで迎えたいですか?
   ■ 自宅   ■ 病院   □ 施設   □ その他 

臓器提供について  
 □ アイバンクに登録している(登録証保管場所:             )
    ■ 臓器提供は希望しない       ■ 家族に任せる
    □ その他 (                          )

自分で財産の管理ができない時 財産の管理をお願いしている人はいますか? 
   ■ 配偶者           ■ 子        ■ 兄弟・姉妹 □ 親族(                        )
   □ 任意後見人  ※ □ 特にいない        □ その他(                )
 
今後、自分で財産の管理ができなくなったら、誰にお願いしたいですか? 
   ■ 配偶者           □ 子        □ 兄弟・姉妹 □ 親族(                        )
   □ 任意後見人 ※ □ 特に考えていない    □ その他(                )
    現在、財産管理をお願いしている人・今後、お願いしたい人 
           名前 木村 啓子 続柄   妻        連絡先           
 ※任意後見人とは 現在は判断力のある人が、将来認知症などで判断能力が低下したときに、財産管理などの法律行為を本人に代わって行う人です。本人が十分な判断能力があるうちにあらかじめ、自分自身で決めておき、公証人が作成する公正証書で契約を結んでおきます。(任意後見制 度) 成年後見制度 ※ を利用したいですか? 
   □ 利用したい               ■ 利用したくない 
  ※成年後見制度とは 認知症などの理由で、判断能力が不十分な人を支援する制度です。家庭裁判所によって選ばれた成年後見人が、本人の利益を考えながら、本人を代理して財産管理や日常生活での契約などを行い、支援します。 
 手続きや相談については、地域包括支援センターへ相談のこと

葬儀について 葬儀の実施について 
  □ してほしい    □ 家族葬でしてほしい ■ おまかせする    
   (自分では理解できないので一任) 
 
葬儀の場所 
  □ 自宅   □ 葬儀場   □ その他 (                         )
 
葬儀の業者 
  □ 生前予約している    □ 会員になっている 
  □ 特に決めていない 
 
棺に一緒に入れてほしいものがある 
  ■ はい        □ いいえ 
    入れてほしいもの  
                      法衣・五条袈裟・切り袴・中啓・装束念珠
              :真宗聖典
 
遺影用の写真を用意している 
  ■ はい   □ いいえ 
お墓の用意をしている 
  ■ はい   □ いいえ 
他に決まっていることや、希望がありましたらお書きください 

先日の節分の続きのような今日の掲示板。「自分に都合の悪いことを 様々な鬼に仕立てあげる私」というもの。誰でも自分がかわいいものだし、自分は正しいと信じているから、自分の都合の悪いことは他人に転嫁してしまおうとするもの。とは云うても、隣の人を悪人にはできないから、鬼のせいにしてしまう。鬼という言葉は的確ではないかもしれないが、「あの人」を鬼にしてみたり、「あんな人」という鬼を作ってしまったりして・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


節分をものともせずに春の足音

2020年02月03日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 高松市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていたが、夜は高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。気温は3.5度から12.1度、湿度は82%から44%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の4日の香川県は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 92/36/80 36.4c-100% 65.2Kg 体調に変化はない。苦しくも痛くもかゆくもない。

 

 今日は節分だが「豆をまく日」ではない。季節と季節を分ける日だから「節分」というだけのことで、今日までが冬で、明日が「立春」で、暦の上では春が来る日である。

 

 今日のお絵かきであるが、「こわ~~い鬼」というリクエストだったが、赤いケチャップがなくてマーガリンだったからかわいい鬼になってしまった。

 

 本当は「豆」なんだろうが、ここでは「ボーロ」だかのお菓子になっていた。ま、お坊さんにすればなんでもいいのである。

 

 これが、「心不全手帳」のPC版である。これがなんと言っても大切なもの。

 

  それを.簡略したものと、日々出来事や日々の感想何ぞを記入した「日々管理表」である。

 

 こちらは「水分接収量」と、「尿量管理表」である。体内に水分を取り込んだ(飲んだ量)と、体内から出した水分量の管理表である。飲む量は、一日に1,000ccで、出した量は1リットルから3リットルくらいまで。量が大きくなると苦しくなってくる。

 

 朝のお薬のパッケージを外してもらって飲みやすくした。プラスチックごみも大幅に少なくしてもらった。最近は、薬も小さくなって、パッケージから取り外すのも面倒になってしまった。

 

 お昼のご飯はこんなもの。おさかなだってかわいい、かわゆいお食事たちであった。

 

今日は透析をするかしないかで大げんか。元気ドクターはもちろんのこと、看護師の「だっこちゃん美子」も「ビーバーみずほ」も巻き込んで、もちろん、奥方が「大噴火中」だったし・・・。娘までに飛び火して・・・。ああ、ややこしや、ややこしや。。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分のことしか 考えられない人を 鬼と言う」 自分のことしか、今のことしか考えられない鬼のような生き方をしているのが現代人であり、そして私ではないか。今、問題の原子力発電所を考えてみても、原発を稼働して出てくる核のゴミ、 核廃棄物は処理できないのだ。埋めることも捨てることも出来ない使用済み核燃料。そんな放射能の恐怖におびえる生き方を子孫に残そうとしているのである。たとえ鬼でも恐縮して、申し訳ないと、鬼であることを自覚し、少しでも迷惑をかけたくない、と考えて、他のことを考えて生きる道があるはず。しかし、鬼が鬼と知らず、正しいことをしていると威張り散らしているのはいかがなものだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


こうやって消えていくのか霜柱

2020年02月02日 | 時にはぼぉっ~とする時

 高松市東部は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3.5度から11.0度、湿度は74%から42%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の3日の高松市は、気圧の谷や湿った空気の影響で、概ね曇る見込みらしい。

 

 87/41/80 36.6c-100% 64.8Kg 体調に変化はない。体重も横ばいである。

 

 今朝は春霞のような穏やかな朝を迎えたが、少しばかり眠たい感じ。いや、夜中は10時過ぎから1時間と、2時過ぎから1時間ほどは起きていたが、そのあとは9時から5時まではぐっすりと寝たはず。

 

 今日のお絵かきはなぁんだ。なんとも思いつかなくてただの落書きだけれど。

 

 「毛が三本」というのはわかるだろうか。

 

で・・・である。昨日は「住宅顕信」の話だったが、それを私風にアレンジしてみた。決してパロディーではない。

 「木村暁光、本名・木村秀雄(きむら ひでお)。1948年6月香川県さぬき市(旧香川県大川郡大川町)に生まれた。さぬき市立大川第一中学校卒業。1964年4月、さぬき市内の香川県立津田高等学校に入学。1967年4月に日本電信電公社神戸都市管理部に就職し、昼は勤務し夜は飲み会という生活に入る。アマチュア無線仲間を通じて1歳年上の岩野啓子と知り合い、結婚を決めた。弱冠22歳のことであった。小学校の頃より詩、俳句・短歌・作文・物語・小説に親しんだ。中学・高校と文芸部に所属、編集・印刷・製本などの下積みを経験し、会社員時代には原稿集めから取材・校正・編集作業から印刷・製本まで手掛けるようになった。

 

 1991年三月、祖母フジエの逝去に接し、仏教に傾倒し、1995年9月より中央仏教学院の通信教育を受講。翌1996年4月教育課程修了。1999年9月、西本願寺脇・真宗興正寺にて通信教育制度「華園学院」入学。翌2000年秋、得度・度牒授与。真宗興正派の僧侶となり、法名の釋暁光を授かる。1995年10月より自宅の島の家の一部を改造して仏間をつくり、浄土真宗の根本経典「仏説阿弥陀経」に因み、「暁光庵」と名付けた。

 

 木村暁光の人生も俳句もまた、ここから「自然法爾(じねんほうに)仏教用語。もとより,おのずから,しからしむるということ。 特に,親鸞聖人によって重視された言葉で,自己のはからいを打ち捨てて,阿弥陀如来の誓いにすべてを生ききること」がスタートした。南無阿弥陀仏に出会った人生。彼の人生は「むなしくある筈がなかった」と言えたのだろうか・・・。中学生時代に手作り俳句集「窓辺から」を創刊し、独学で俳句を学び、近年では「俳句日和だ・はいくる・じぃじぃⅦ」を自費出版している。

 

 近年は在郷の俳人「砂井斗志男」の影響で自由律俳句に注目し、句作に励むようになる。特に種田山頭火や尾崎放哉に興味を持っているが、「心酔した」とまでは言えない。2018年三月、心臓弁膜症や急性心不全などの病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投書できなくなる。2020年6月20日23時23分、還浄。享年72。俳人としての創作期間は60年と長かったが、生涯に残した俳句はそう、多くはない。

 

 如月は人の数だけ鬼がいる /  蝋梅に明日の夢を破られる / 野も山もはや正月が暮れかかる / 悔いもあり迷いもあってやぶ椿 / 藪椿花は花なり実は実なり / 冬らしい風も浴びずに阿弥陀堂 / 霧見てはあてなき道に踏み入れる / 蝋梅が迷う明日を指し示す / 廃屋のビル錆び切って冬の色 / 蝋梅に朝のしずくや車椅子 / 何時までも降ろせぬ鞄春の風 / 梅日和少しとぼけたお茶の味 / 春の空見えぬ諸仏を載せて行く / 山は雪出かける予定はないままに / 春となり病院脇を過ぎる鳥 /

 

 お昼からは今日の担当「だっこちゃん・美子」のサポートで、院内デートをやってきた。今日は車いすでの院内散歩で、裏口の「救命救急センター」入り口に出て、救急車街道を逆周りにまわって、表玄関から、この病室まで戻ってきた。

 

 この建物の向こう側から出て、右回りに回って、この正面の表玄関から戻ってきたという訳である。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は迷って鬼となり 悟って仏となる」というもの。「心は人を畜生にする。迷って鬼となり、悟って仏となるのもみなこの心の仕業である。だからよく心を正して道に外れないよう勤めるが良い」般泥洹経という教典にあるらしいが、詳しいことはわからない。ま、要するに、鬼になるのも仏になるのも、この私のこころ次第であるというているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


如月がこんなにさみしい春なんて

2020年02月01日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置で概ね曇っていた。気温は3.1度から9.1度、湿度は70%から52%、風は2mから3mの西の風が少しばかり。明日の2月2日は、冬型の気圧配置となり、寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 77/38/80 36.4c-100% 64.9Kg 1003hPa,12c.66% 体調に変化はない。今日は、ビーバーみずほと30分ばかり院内デートをしたが、少し歩くとゼーゼーというのには参った。しばらく歩いていないのが丸わかりだった。

 

 体重は、67Kgから60.0あたりをフラフラとしている。トイレへ行く回数で体重は増減している。

 

 今日は野菜を加えた「赤鬼」だったが、少しも迫力がないやさしい鬼になった。

 

 そうそう、ビーバーみずほである。昨夜は泊まり勤務であって、今朝はその明けということで、院内散歩に誘ってくれたのである。少しは運動でもと、蔵下医師の許可をもらって一階まで、その外まで歩くつもりだったが、途中で休んだきりで、また、次回ということになった。決して私が誘ったわけではないし、お願いした訳でもない・・・。

 

 この時期になると、このお話。自由律俳人の「住宅(すみたく)顕信」の「未完成」という句集である。 住宅顕信は、本名・住宅春美(すみたく はるみ)。岡山県岡山市に生まれた。岡山市立石井中学校卒業。1976年4月、岡山市内の下田学園調理師学校に入学。同時に就職し、昼は勤務し夜は通学という生活に入る。4歳年上の女性と知り合い、同棲を始める。この頃より詩、宗教書、哲学書に親しんだ。

 

  1978年3月、下田学園卒業。1980年、父親の勤務先である岡山市役所に臨時職員で採用され、清掃の仕事に従事。仏教にに傾倒し、1982年9月より、中央仏教学院の通信教育を受講。翌1983年4月、教育課程修了。7月、西本願寺にて得度。浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を釋顕信と名告る。10月、同棲相手と結婚。両親の援助により自宅の一部を改造して仏間をつくり、浄土真宗の根本経典「無量寿経」に因み、無量寿庵と名付けた。

 

  1984年2月、急性骨髄性白血病を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てる。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになる。特に尾崎放哉に心酔した。1985年に句集『試作帳』を自費出版。「層雲」の権威主義的な疑念を感じ、「層雲」の元編集者である藤本一幸が主宰する自由律俳句誌「海市」に参加する。翌1986年、「海市」編集同人となる。病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投書できなくなる。1987年2月7日23時23分、還浄。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。(Wikipediaより)

 

 住宅顕信の人生も俳句もまた、「未完成」のままに終わってしまった。南無阿弥陀仏に出会った人生。彼の人生は「むなしくはなかった」のだろうか・・・。

 

 二月が来ると、なぜか、この夭折してしまった自由律俳人、「住宅顕信」のことが思い出されて仕方がない。

 

 今日の掲示板はこれ。「鬼とは私のことか 豆がまかれる」という住宅顕信の俳句から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。もうすぐ節分。冬と春の分かれ目ということで、暦の上では春になるころである。節分といえば豆まきであるが、豆まきを題材にした俳句を取り上げた時期らしいことばである。「鬼とは私のことか豆がまかれる」 ことばと言っても、これは自由律俳句。荻原井泉水、尾崎放哉、種田山頭火などの流れを汲むもので、「住宅顕信」さんは1987年に25歳の若さで急性骨髄性白血病で亡くなった俳人だ。この句にも、作者のそうした悲しい背景が忍び込んでいるように感じられるのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

如月がこんなにさみしい春なんて

2020年02月01日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置で概ね曇っていた。気温は3.1度から9.1度、湿度は70%から52%、風は2mから3mの西の風が少しばかり。明日の2月2日は、冬型の気圧配置となり、寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 77/38/80 36.4c-100% 64.9Kg 1003hPa,12c.66% 体調に変化はない。今日は、ビーバーみずほと30分ばかり院内デートをしたが、少し歩くとゼーゼーというのには参った。しばらく歩いていないのが丸わかりだった。

 

 体重は、67Kgから60.0あたりをフラフラとしている。トイレへ行く回数で体重は増減している。

 

 今日は野菜を加えた「赤鬼」だったが、少しも迫力がないやさしい鬼になった。

 

 そうそう、ビーバーみずほである。昨夜は泊まり勤務であって、今朝はその明けということで、院内散歩に誘ってくれたのである。少しは運動でもと、蔵下医師の許可をもらって一階まで、その外まで歩くつもりだったが、途中で休んだきりで、また、次回ということになった。決して私が誘ったわけではないし、お願いした訳でもない・・・。

 

 この時期になると、このお話。自由律俳人の「住宅(すみたく)顕信」の「未完成」という句集である。 住宅顕信は、本名・住宅春美(すみたく はるみ)。岡山県岡山市に生まれた。岡山市立石井中学校卒業。1976年4月、岡山市内の下田学園調理師学校に入学。同時に就職し、昼は勤務し夜は通学という生活に入る。4歳年上の女性と知り合い、同棲を始める。この頃より詩、宗教書、哲学書に親しんだ。

 

  1978年3月、下田学園卒業。1980年、父親の勤務先である岡山市役所に臨時職員で採用され、清掃の仕事に従事。仏教にに傾倒し、1982年9月より、中央仏教学院の通信教育を受講。翌1983年4月、教育課程修了。7月、西本願寺にて得度。浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を釋顕信と名告る。10月、同棲相手と結婚。両親の援助により自宅の一部を改造して仏間をつくり、浄土真宗の根本経典「無量寿経」に因み、無量寿庵と名付けた。

 

  1984年2月、急性骨髄性白血病を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てる。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになる。特に尾崎放哉に心酔した。1985年に句集『試作帳』を自費出版。「層雲」の権威主義的な疑念を感じ、「層雲」の元編集者である藤本一幸が主宰する自由律俳句誌「海市」に参加する。翌1986年、「海市」編集同人となる。病状が悪化し、この年の12月からは代筆によらなければ投書できなくなる。1987年2月7日23時23分、還浄。享年25。俳人としての創作期間はわずか3年で、生涯に残した俳句は281句だった。(Wikipediaより)

 

 住宅顕信の人生も俳句もまた、「未完成」のままに終わってしまった。南無阿弥陀仏に出会った人生。彼の人生は「むなしくはなかった」のだろうか・・・。

 

 二月が来ると、なぜか、この夭折してしまった自由律俳人、「住宅顕信」のことが思い出されて仕方がない。

 

 今日の掲示板はこれ。「鬼とは私のことか 豆がまかれる」という住宅顕信の俳句から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。もうすぐ節分。冬と春の分かれ目ということで、暦の上では春になるころである。節分といえば豆まきであるが、豆まきを題材にした俳句を取り上げた時期らしいことばである。「鬼とは私のことか豆がまかれる」 ことばと言っても、これは自由律俳句。荻原井泉水、尾崎放哉、種田山頭火などの流れを汲むもので、「住宅顕信」さんは1987年に25歳の若さで急性骨髄性白血病で亡くなった俳人だ。この句にも、作者のそうした悲しい背景が忍び込んでいるように感じられるのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

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