まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

盆開けて思い思いの時が行く

2021年08月16日 | 時には日々是日

 16日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で断続的に雨が降っていた。気温は24.0度から27.0度、湿度は84%から80%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の17日のさぬき市地方は、引き続き、前線や湿った空気の影響で断続的に雨が降り、雷を伴う所がある見込み。

 

 98/52/78 36.5c-97%-62.4Kg 25.0-84%-1015hPa 体調に大きな変化はない。

 

 それにしてもお盆を過ぎたらぐんと気温が低くなり、湿度もさほど気にならなくなった。我が家ではツクツクボウシが鳴いている。こちらでは、「ゴメンヤッシャ、ゴメンヤッシュ・・・」と鳴いている。慣れてきたら「ごめんやーす、ごめんやーす」と鳴くようになる。

 

 奥方は今日も早出だと、午前6時前には出掛けて行った。で、ふと、みると、台所の食卓の上に弁当箱が残っている。空っぽかと思えばずしりと重い。「こりゃぁ、忘れたかなぁ~」と、お届けに行くことにした。いらなければ持って帰ればいい。それに外にも忘れ物があるのだし・・・。

 

 ここが奥方の職場である。奥方はケアマネ(介護支援専門員)の資格もあるが、面倒だからとパートの介護士で働いている。暇つぶしのこづかい稼ぎみたいなものだ。

 

 で、受付の方に弁当を渡して帰ってきた。長く居ると職員が集まってくる。「あ、旦那さんですか。いつもお世話になっているなんたらです・・」と、次々と職員が集まってくるのだ。面倒だから早々に切り上げてきた。で、時計を見た。まだ8時半過ぎだ。郵便局が開くまでには時間がある。

 

 で、ここの局はまだ開いていない。あ、ここは道路の反対側で入るのが面倒だ。あ、ここもまだ開いていない・・・と言いながら町内の郵便局まで戻ってしまった。

 

 で、昨日、あたまをひねりながら切手を考えて張った郵便物。これを窓口で確認してもらうためである。多分、計算通りなのだが、足りなければ面倒だし・・・と。

 

 で、窓口に郵便物を出すと、一番下の一枚の重量を量り、真ん中の一通を取り出して測って、「はい、OKです。出しておきます」で、チョン!。とある郵便局では一通、一通、秤で量っては切手を確認し続けたのに・・・。郵便局によって対応が違うのか・・・。

 

 郵便局が終われば、今度は弟の忘れ物を届けに丸亀市まで走ることになる。14日のお盆の食事会の時に持ってきた「ダイアリー」が入っている。年寄りにはダイアリーは必需品。予定なんぞ頭の中には残っては居ないから、紙に書いたものでないと確かめられない。

 

 だから、今日は8時から走り出して、奥方の介護施設、郵便局、弟の家へ日記帳を届けに行って戻るという大キャラバンである。で、戻って来たのは11時半。案外と早いお帰りになった。

 

 今日のお昼は久しぶりにカレーうどんになった。それに野菜サラダ付きである。最近はなぜか生野菜がたまらなく食べたいという気分。

 

 それが終われば、お仏壇の「盆灯籠」の片付けである。

 

 手際よく解体してしまう。

 

 それを保管箱に収納して一件落着。また、来年も使えるかな。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生において もっとも大切な時は それはいつでも今です」というもの。いつもの町内の善楽寺さんの掲示板から。相田みつをさんの言葉であるらしい。いま何を考え、何を具体的にやっているかをよく考えよう。過去に何があろうが、未来をどれだけ夢みようが、いまどう動いているのかがこれからを左右する。今という瞬間を連続して、今日一日を大切にして、それを積み重ねてきたから今がある。それを積み重ねていけば未来ができる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


雨やまずつくつく法師のお説教

2021年08月15日 | 時には日々是日

 15日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎまでは雨が降っていた。気温は22.5度から26.2度、湿度は92%から84%、風は3mから1mの南南西の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから雨が降る見込み。

 

 109/57/79 36.5c-97%-63.4Kg 25.8c-80%-1010hPa 飲み過ぎ食べ過ぎで身体が重い。よく起きられたものだと思うくらい飲んで食べた。メンバーの数が減ったから、残したらまずいと飲んで食べたものだから絶不調。それでも「みんなで朝のお食事して頂戴ね・・」と奥方は早出で6時出勤。私らは7時前からの朝食にする。

 

 で、まだまだ生ビールが残っていたので、朝からビールをぐびぐびぐびと・・。残りもののお寿司やらお魚やらをつついて食べた。これじゃ身体(からだ)に いいわきゃないよ 分かっちゃいるけど やめられねぇ ア ホレ スイスイ スーダララッタ スラスラ スイスイスイ ・・・。

 

 で、皆さんがお帰りになると、大掃除の開始。この生ビールサーバーのナットを緩めるスパナをお店の奥さんが持って帰ってしまった。こんな大きなスパナなんぞ普段には使わない。あれこれ探したけれどわからない。

 

 そこで、若い頃の商売道具を思い出して安全ベルトからスパナを探し出してきた。これだと大丈夫なはず。一時はホームセンターでスパナを買って来ようかと思ったほど。

 

 でも、やはり道具である。簡単にこの減圧装置を外すことが出来た。これで全部が解体できた。これを玄関先まで運び出しておく。

 

 こういう具合にバラバラにしてしまう。昨日は重くてお店の方にお任せしたが、今日はあいにくと誰も居ない。たった一人で重いのにエッチラエッチラと・・。

 

 で、掃き掃除に拭き掃除。こぼれたビールや露なんぞを掃除しておく。これだって、休み休みの作業になる。

 

 で、元の状態に戻してしまう。

 

 で、宴会で使ったリビングを元通りに片付けてしまって、お祭りのあとの痕跡をなくしてしまう。お祭りが終われば通常の毎日に戻してしまう。

 

 客間のエアコンの窓が開かないと大騒ぎしていたので調べてみたがわからない。ここも築15年にもなるとエアコンも壊れる時期かも。調整したら動くようにはなったけれど、修理できたかどうかはわからない。

 

 その後、お仏壇回りの片付けやら、燃えるゴミを焼却したり、洗濯物を洗って干して乾燥機で乾かしたりと雑用の山・・・。

 

 今日のお昼は、またまた残りものでしっかりと後片付け。一段落したらば、観光ガイドのお仕事。定例会の案内状やら連絡事項やら、大窪寺での採火式の模様のニュースなんぞをまとめて送ることにした。私が配達すると感染症対策上問題にもなるもので郵送である。

 

 そんなことをしていたら日が暮れる。

 

 今日の掲示板はこれ。今日は敗戦忌。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。この前半は説明的。要は、「過去に目をつぶるものは 現在も盲目である」という一語に尽きる。広島、長崎の原爆忌が過ぎた。被爆体験を語る人が少なくなってきたと聞く。被爆の事実を知る人が減ってきたのも事実。だからと言って、過去に目をつぶるものもは、先の事実「フクシマ」や、近年の熊本地震や広島の土砂災害なんかに対しても目をつぶっているのではあるまいか。戦後76年の今年、先の大戦の風化が語られているが、過去に眼をつむり、現在も眼をつむっていてはいけないだとの強く思う今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蝉止んで嵐の後の一眠り

2021年08月14日 | 時には日々是日

 14日のさぬき市地方は、湿った空気や前線の影響で雨や雷雨となり、明け方まで激しく降る所がある見込み。昼過ぎからは曇るらしい。気温は24.5度から27.3度、湿度は84%から90%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の15日のさぬき市地方は、湿った空気や前線の影響で昼前まで雨や雷雨となり、明け方まで激しく降る所がある見込み。昼過ぎからは曇るらしい。

 

 103/60/78 36.1c-98%-63.2Kg 25.4c-87%-1005hPa 体調に変化はないが体重が増えてきている。要注意である。

 

 今日も朝から雨の土曜日。お墓の草刈りはあきらめた。わたしのせいではない、お天気のせいだ。私は懸命にお掃除をすることを楽しみにしていたのだけれど(笑)。

 

 朝の間は静寂そのもの。こんな静かなお盆は初めてだ。私が子どもの頃は親戚一同が集まって、子供らはいとこ・はとこが大集結して、それはそれは一大遊園地みたいになったものだが、親戚が減り、子どもが減りして、今は誰も来ないお盆になった。

 

 と、ところがである。お昼前になると、娘家族や弟の甥家族らがやってきて、いつものようなにぎやかなお食事会になった。

 

 私も、あれだこれだと、珍しいお食事をいただいたことだった。で、ついつい、食べ過ぎてしまったような不思議な感覚。

 

 人数は少なくなって、お料理の数も減ったけれど、雰囲気は昔のようなそのままに明るさとにぎわいと。私たちもついつい、生ビールの追加が増えてしまう。

 

 普段には食べないような食材が並んでいる。やっぱり、時間になれば人が集まってくるのか・・・。

 

 お昼前からお食事が始まって、15時過ぎには休憩になった。おやつのシュークリームもおいしくいただいた。

 

 

今日の掲示板はこれ。「千万(ちよろず)のいのちの上にさづかれし 平らけき世を生くる悲しさ」という、元本願寺お裏方大谷嬉子さまのお歌からである。

      「海をよごし
       川をよごし
      空をよごし
       あさましい人間 
      然し地球は
       このあさましい人間を抱いて
      悠悠自転している」

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


盆支度破れた障子はそのままに

2021年08月13日 | 時には日々是日

 13日のさぬき市地方は、湿った空気や前線の影響で雨や雷雨となり、昼過ぎまで激しく降る所があった。気温は23.8度から26.5度、湿度は92%から84%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、引き続き湿った空気や前線の影響で雨や雷雨となり、昼過ぎから夕方まで激しく降る所がある見込み。

 

 108/65/78 36.1c-98%-62.6Kg 25.1c-79%-1010hPa 体調に変化はない。身体が軽くて軽快だと思ったが、体重計に乗ると増えている。脂肪だろうか水分だろうか・・・。

 

 我が家は浄土真宗だから、お盆だと言っても特に何の準備も行事もしなかった。私が子どもの頃にはマダケを切ってきて、それで「花立て」を十数組も作らされて、それを持って各地にあったお墓を回ってお花を挿したものだが、いつの頃からか、そういう習慣もなくなった。

 

 今朝も朝から雨である。晴れていたら、家の周囲の草刈りやら掃き掃除やらをやるものだったけれど、雨では仕方があるまい。

 

 で、小雨が降る中、お墓に行って来た。ご覧の通り、山からの落葉や枯れ木や倒れた竹くずなんぞが溜って盛り上がっている。私は、お花だけでもと、お花とお水と剪定ばさみしか持ってきてはいない。

 

 雨で山から枯れ木や落葉が流れてきたものか、イノシシが暴れて落としてきたものか、うんざりとするほどの枯れ木や落葉である。それを指と手で少しずつ片付けてきた。草も指で引きちぎってきた。

 

 すると、こんなものが出てきた。ミミズである。それも普通のミミズではない。このあたりでは「カンタロウ・ミミズ」という。人名らしいが発見者なのか何なのかはわからない。

 

 正式名称は「シーボルトミミズ」。シーボルトミミズは主に西日本でよく見られる、日本固有種のミミズで、大きさは20cm~30cm、大きいものだと40cmを超える個体もいる。40cmのミミズって、もうそれ完全にモンスター。ミミズと言うと一般的にピンクや茶褐色をしているイメージがあるが、シーボルトミミズは濃紺色をしており、それが角度によってはメタリックカラーで七色に変化する。ちょっと視界の隅に入っただけだとヘビと勘違いしてしまいそうである。これが高知の遍路道にはグニャグニャと這いずり回っていると逃げ出してしまいそうになる。

 

 で、一応、形ばかりにお掃除をしてお花をお供えしてきた。左右のお花の角度が違うみたいだが、そういうことにはこだわらない。さっきのミミズは逃げてしまったようだ。

 

 で、雨で濡れてしまった衣服を着替えてひと休みしながら、「よそさまは、どういうお盆をするのだろうか」と調べてみた。すると、こんなものがあった。子どもの頃には、たなばたさまのお飾りに作ったような記憶があるが、あれはお盆のお飾りだったんだろうか。

 

 そこで、冷蔵庫の中から奥方の作った野菜を探してきた。しろうとが作った野菜はこんなものだ。でも、ナスの牛だかブタだかわからんようなものができたけど、誰も来ないお盆だからいいとしておこう。

 

 今日は肌寒いように感じたものだから、温かい天ぷらうどんにしてみた。シラスや梅干しも載せてみた。下の白いものは大根おろし。そうこうしていたら冷めてしまった。

 

 天ぷらや天かすがおつゆを吸ってしまって、温かいおうどんが温くなってしまって、イマイチのおうどんになって、これはペケだった。

 

 お仏壇の準備もできたし、ほかにご用もないし、お昼からはお昼寝だな。

 

 今日の掲示板はこれ。「私が私になるために 人生の失敗も必要でした。私がわたしになれたのは みんなあなたのおかげです 恩人たちに手を合わせ ありがとうございましたとひとりごと」というもの。中村久子さんならではのことばである。正確には、こういう言葉らしい。「私が私になるために 人生の失敗も必要でした 無駄な苦心も骨折りも 悲しみもみんな必要でした わたしがわたしになれた今 すべてはあなたのおかげです 恩人たちに手を合わせ ありがとうございますと ひとりごと」というもの。ここでは「中村久子さん」の歌とされているが、一方では、「をさはるみ(本名・長田智龍(ながた・ちりゅう)。鯖江市本町の真宗誠照寺派本山・誠照寺の関係者。生年月日は1906年2月24日、没年は不明)」さんというお坊さんの詩ということになっていた。「私が私になるため」に、あの時の苦しみも、あの時の悲しみも、何もかも必要だったと詩の作者は言っているのだが、まさしくこれはお念仏の教えに出遭った人の詩だと思えるのである。こうして「私が私になる」ことによって、「私は私でよかったなぁ」と、心の底からうなづくことができるようになる。それはまた、他人と比較する必要がなくなったということを意味している。この他者と比較しないという人生ほど私たちの心に安らぎを与えるものはないだろう。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


母偲びにおいほのかな盆灯籠

2021年08月12日 | 時には日々是日

 12日のさぬき市地方は、湿った空気や前線の影響で雨が降り、雷を伴う雨が降ったりやんだりを繰り返している。気温は24度から25.9度、湿度は92%から82%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、湿った空気や前線の影響で雨が降り、雷を伴う所がある見込みで、明け方から朝にかけて激しく降る所があるらしい。

 

 96/56/81 36.1c-96%-62.2Kg 27.3c76%-1013hPa 体調的には問題ないが体重がやや微増している。最近はよく食べるからか、水分量が多いのか・・・。

 

 「血圧が低いのですが・・・」とDrに言うと、「そりゃぁ、心臓が悪いのですから血圧も上がらんでしょ」といつもの冷淡なお言葉。これが130にもなったら一大事ということになるそうな。

 

 さて、今日は朝から雨である。まるで梅雨に戻ったかのような雨である。細かな雨がしとしとと降っている。これではお墓掃除もできないではないか。ということで、旧遍路道探訪記をさらに三部、増刷をしてみた。どうせ、希望者はいないと思うが、一人が手を上げたら、私も、私もと全員の手が上がる。人間とはそういう生き物である。特攻隊の志願者も最初は手が上がらないが、一人が手を上げたら全員が手を上げてしまった。

 

 で、「一冊、千円です」と言ったら全員の手がなくなってしまう。人間とはそういう生き物である。「お金を出してまで・・・」という意識が強くなる年代でもある。

 

 「今年は、もう、よかろうわい」と思っていた盆灯籠。雨で暇だから出してみた。することもないから組み立ててみた。

 

 こういうものは、三回忌か七回忌が終われば捨てるものなのだろうが、捨てる場所もないので置いたまんま。別に深い意味はない。単なるアクセサリーである。

 

 ところが、長い年月を経てくると、この電球、白熱灯が灯らなくなる。いわゆる「玉切れ」である。ところが、もう、「白熱灯」というものは販売されていない。製造されないのだから販売できない。で、あり合わせのLED電球に交換すると明るすぎる。ワット数は同じなのに異様に明るいし、電球が熱を持たないから回り提灯なのに絵柄が回らない・・・。

 

 どうせ、お参りのお客さんも来ないのだから、このままで行こう・・と、そのまま飾ってみたが、どうにも片方が明るすぎる。

 

 さて、お墓用のお花を買いに出たら、町の信号機が珍しく止まっている。田舎の交差点だから、右見て左見てゴーで、渡ってきた。不思議なこともあるものだなぁと帰ってきたら、我が家の電灯がつかない、テレビが映らない、冷蔵庫が真っ暗け。

 

 台風でもないし、どこかで事故があったという情報もないし、突然の停電らしい。でも、隣町のスーパーはちゃんと営業していて問題はなかったが・・・。

 

 で、薄暗い台所の食事は味気ない。そこで明るい窓際でぶっかけうどんの温いんを食べてみた。でも、いかにもまずそうな気がしておいしくない。このくらいならば平気だと思ったが、昼間の停電だけでも生活がおかしくなるって不思議なことだ。今日はまだ、水もガスもあったからおうどんが食べられたけれど、毎日の当たり前の一つが欠けただけでも動揺してしまうのはどうよ~。

 

 青森でも大雨、九州でも大雨らしいが、四国地方にも雨雲がやってくるのだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「昨日はすでに終わった 明日はまだ来ない 今こそ生きている一日一生」という言葉である。これまた、どこの誰の言葉かわからない。トーマス・カーライル(英国ヴィクトリア朝を代表する言論人)はこう言っている。「遠くのはっきり見えないものを見るな。目の前の明白なことをやれ」と。この言葉に救われたのはジョンズ・ホプキンス医科大学を設立したサー・ウィリアム・オスラー。彼は人生を大型客船の船旅に例えてこう語っている。「”今日だけを見て生きる”ため、人生を安全に航海するため、人生のコントロール法を学んでください。過ぎ去った昨日という過去と、まだ生まれぬ明日を、鉄のドアで遮断するのです。それで君たちは心安らかでいられます。今日という日を安心して生きられるのです。」と。明日と昨日の重荷が今日にのしかかれば、誰でもよろめいてしまうもの。未来とは今日のことなので、明日などあり得ない。「船首と船尾の隔壁を下ろし、”今日だけを見て生きる”習慣を育んでください。」これは、明日のことを考えないでいいという事ではない。この後、「今日やるべきことにすべての知性と情熱を注ぐこと、それが明日に備える最高の方法である。」とも言っている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


睡蓮のまどろみに酔う昼下がり

2021年08月11日 | 今日もなんだかなぁぁ・・・だった日。

 11日のさぬき市地方は、湿った空気や前線の影響で曇り、昼過ぎから雨や雷雨となる所があるらしい。気温は23.9度から29.1度、湿度は86%から72%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の12日のさぬき市地方は、前線の影響で曇り、断続的に雨が降るらしい。雷を伴う所もあるらしい。

 

 112/58/78 36.4c-98%-61.8Kg 24.8c-73%-1012hPa 体調は何も変化はないが精神的にはおかしくなっているのかも知れない。

 

 先日の9日のことだったか、台風9号がやってきた。それで丸亀市沖のしわく広島の我が家のリビングのガラス戸が木っ端みじんになったとの連絡を受けた。受けたが、その日は島への足は運行停止で止まったまんま。昨日は県立病院での検診の日だった。で、ようやくに今朝早くから用意をして、6時過ぎに我が家を出た。ところが車の燃料がない。燃料を入れようにも早朝からお店は開いていない。

 

 で、なんだかんだとあって、ようやく9時前には丸亀港に着いて市営駐車場に車を止めたら、「離島への帰省客用駐車場」というのが開いていた。そこへ車を入れ直した。なんとか無料で処理できた。で、9時25分発のフェリーボート「しわく丸」に乗った。

 

 島の江の浦港には10時10分に着く。そこから軽トラで5分で我が家に着いた。着いて安堵した。地区の自治会長さんが雨戸を閉めてくれていた。当初はサッシが曲がって雨戸が閉まらない・・・とかなんとか言うていたが、なんとか雨戸が閉まったらしい。外側のガラス片は全て片付けてくれていた。感謝感謝である。

 

 こうしてきれいに小さな破片まで集めてくれていた。あたまが下がる思いである。

 

 勝手口から靴のママ入ってみた。部屋の中はこんな感じ。セキスイさんの担当者が来るまでは触ってはいけないと言われていたのでそのままにしておいた。担当者が保険屋さん用の写真を撮ったり計測したりするらしい。

 

 雨戸を静かに開けてみた。ガラス戸のガラスはほとんど割れてしまっている。

 

 もう一方のガラス戸はサッシ枠が曲がっている。網戸も全滅である。でも、室内におおきな損傷はない。ガラス戸の交換だけで済みそうな気がする。これはサッシ屋さんやガラス屋さんのお仕事になる。見積金額が10万円以上だと保険金が下りるが、それ以下だと自腹になるらしい。

 

 また、元通りに雨戸を閉めて、早々に退却することにした。此所に居ても何もすることはない。

 

 そこで、10時45分発の高速艇「ニュービサン」で島を出た。とんぼ返りみたいなものだ。丸亀港には11時着。

 

 途中のラーメン屋さんで冷麺を食べた。お肉はアレルギーだからはねのけてしまって食べたのだが、やはり、冷やし中華のほうがおいしいと思った。

 

 でも、これで780円だからお安くはないなぁと思っただけだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「無駄な時間なんてない。時間を無駄にしてしまっている自分がいるだけ。」というもの。これまた、どこのどなたの言葉かわからないが、昔からとうとうと流れてきた時間というものに無駄な時間や無駄でない時間なんてない。川の流れがムダかムダでないかを問うようなもので、全くもって、そのものさしがわからない。でも、その時間が無駄だった・・ということになれば、それはその時間を無駄にしてしてしまった自分の問題ではなかろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


露草もうなだれている午後三時

2021年08月10日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 10日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。香川県では、10日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごしてください。と呼びかけている。気温は26.3度から34度、湿度は74%から60%、風は4mから1mの西の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるけれど、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所がある見込み。

 

 103/59/78 36.4c-97%-61.8Kg 21.6c-67%-1005hPa 体調にこれという変化はない。

 

 島の家のガラス窓が壊れたというので、島に帰ろうとしたら、「もう、お盆の帰省予約で一杯です」と言われた。だから、明日(8/11)の朝に私だけが乗って帰ろうと計画変更した。だから、お願いしたセキスイさんの関連業者さんたちもお盆明けでないと島には入れそうもないと仰る。最近の情勢やら感染症対策やらを見ていると帰省客なんぞ少ないと思ったのだが、超片田舎だからと大勢が詰めかけるのかも知れない。

 

 朝方、野菜畑を台風の風が荒らしていたので、その片付けをやっていたら、防鳥ネットに玉虫がからみついて死んでいた。こういう虫が、まだ、生きているのか・・・と珍しい来客に驚いた。こういう虫は一年に一回程度は見るような気がするが、そんなに多くは見かけない。

 

 今年は甲子園球場に夏が来た。でも、ここもまた、異例の開会式になったようだし、観客席に人が見えない。入場行進も簡素化されたみたいで少し物足りない感じだった。

 

 甲子園の夏は、高校球児たちだけの夏ではない。入場行進のプラカードを持つ女子高校生がいる。あの子たちもまた、プラカードを持って甲子園球場を踏みしめたいと希望して、その女子高校に入り、プラカードを持って行進する女生徒たち。でも、甲子園に立てるのはわずか49人。その49人に選ばれるための猛特訓を積んできた。栄光の甲子園球場はそういう女子生徒たちでも成り立っている。

 

 この大会歌「栄冠は君に輝く」を歌う合唱団に選ばれるために猛練習を積んできた子たちがいる。入場行進を応援する吹奏楽部に選ばれるために寒い夏も暑い夏も耐えてきた子たちがいる。単に野球が好きな男子高校生たちのためだけの甲子園の夏ではないのだ。それを応援する全国の高校生たちだって彼らを支えている。全国の大勢のOBたちだって彼らを待っている。

 

 それはさておき、今日は県立病院での「抜糸」の日。先月の下旬に、何かの虫に噛まれて出血し、その止血が出来ないからと縫合手術を受けたのはまだ記憶に新しい。今日は、その「抜糸」の日である。

 

 普段はがらーんとした病院なのだが、今日は妙に患者さんが多いし、ここに来るまでの国道だって異様に混んでいた。信号二回待ちというのも何度かあった。お盆前になると、こんなにも人が動くのか・・・。

 

 もう、命を懸けた手術は何度も経験しているし、いろんな手術も受けてきたので、少々のことでは驚かない。だが、男性の急所の「おちんちん」を縫ったり、その抜糸をするというのは珍しいのだという。でも、案外と本人は平気のへいざで「どうにでもしてちょうだい」みたいなものだ。

 

 で、家に帰ったのは12時前。あわてて奥方がそうめんをゆがいてくれた。奥方は働いている介護施設で打撲傷を負ったらしい。公傷になるから診断書を提出せよと休みをもらったが、田舎の医院では、そんな訴訟になるような診断はしたくないと断られたと戻って来た。お互い、年をとると、いろんなことはが起こるものだ。

 

 午後からは、借りていた図書館の本を返却に行ったり、お盆には来客が来ないらしいので注文した生ビールを取り消したり、お料理を中止にしてもらったりとてんやわんや。

 

 世の中は「お盆だ」「お盆だ」とにぎやかだが、我が家はひっそりと、静かにお盆を迎えようとしている。それにしても、「新しい生活様式」では、お盆の姿も形を変えてしまおうとしているのだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「あるがままに生きる ないがままに生きる」という荒了寛さんのカレンダーの中のことばから。全てのものは、ああしよう、こうしようという主体性をもって生まれて来たわけではなく、「自然に」生まれて来たのである。全ての対象は自分も含めて観察するべき対象というよりも観察されるべき対象と言えるかもしれない。観察できる主体はどこにもない。あると思っているだけである。日本人は自然にまかせて、 あるいは自然と同化してあるがままに生きるということを脈々と実行してきたのではないだろうか。また日本文化に大きな影響を与えた仏教の縁起説では(物事の発生と展開)において、全てのモノに「自性がない」ということがある。そんな難しいことを言わなくても、あるだけの食材で生きる。なければないで、なんとか食べて生きるのである。今の現代に於いては、なかなかに、こういう生き方は難しいのだが、要するに「財布の中身と生き方」とは関係するように思う。財布の中に余裕があれば、「あるがままに生きられる」し、財布の中身がさみしくなれば、「ないがままに生きる」しかない。わが家の今月もまた、「ないがままに生きて行くしかない」のである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


暑い日をなお暑くする長崎忌

2021年08月09日 | 今日もなんだかなぁぁ・・・だった日。

 9日のさぬき市地方は、台風第9号から変わった温帯低気圧や湿った空気の影響で昼過ぎまで吹き戻しの風と雨になっていた。夕方まで雷を伴う所がある見込み。気温は28度から29度、湿度は78%から70%、風は9mから2mの西南西の風が強かった。夜には晴れるらしい。明日の10日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 98/51/78 36.6c-97%-62Kg 27.9c-77%-992hPa 体調に変化はないが、夜中にエアコンを入れたり止めたり窓を開けたり閉めたりトイレに何度も言ったりでなんとなく眠たくてたまらない。

 

 我が家は早くから雨戸を閉めて厳戒態勢で寝たのだけれど、夜中に暑くなってエアコンを入れたり止めたりと寝苦しかった。朝の4時までエアコンを入れていたのは初めてだ。

 

 台風9号は中国地方に上陸して、やがて消滅したらしいが、我が家は吹き戻しで大雨や強風に驚かされたが、それもどうやら収まったらしい。

 

 旧遍路道探訪が終わったので、今度は防災対策である。それを組み込んだガイド手習い帳というガイドブックの修正と印刷作業をやってみた。ガイドの最中にイノシシやサル、アシナガバチなどの襲撃に遭ったらどうするのか・・・というような内容である。それに熱中症対策やらトイレの問題もある。

 

 で、11時からの長崎の平和祈念式典の様子なんぞを見ながらの作業になった。台風の来襲でどうなるのかと案じていたが、日本人はきちんとやるものだなぁと感心した。そういう裏方とかサポーターの方々がいるのだなぁと妙に納得をしていた。

 

 高校野球2021は台風のために開幕を順延したらしい。明日からが開幕だろうか。

 

 で、我が家では珍しくない「うな丼」である。真空パックされたうなぎを湯煎して、ご飯の上に載せるだけのもの。でも、本物を食べた記憶がないので、こんなものだなぁと思って食べている。

 

 でも、それらしいではないか。

 

 で、午後からは、防災マニュアル(安心安全マニュアル)の原稿整理をやってみた。熊対策だのサル対策だのヘビ対策だの花粉症対策だのを拾い集めてまとめたものを、分類し、整理していく作業である。キノコだって食べられるものと食べられないものがあるし、その見分け方も難しい。

 

こういう形でまとめていた訳だ。これがまた、多岐にわたるものだからオツムがおかしくなってくる。

 

 そこへ持ってきて、島の自治会長さんから、「あんたとこのガラス戸が台風で木っ端みじんやで。雨風が吹き込んでリビングはメチャクチャになっとるし、窓枠のアルミサッシも壊れてしもとるで。明日にでも直しに来ぃまいよ!」という電話が・・・。直すたって、壊れたガラス戸は直せないじゃないか。島だからサッシ屋さんもガラス屋さんもいないし、丸亀に、そんな知り合いもいないし・・。そんな所に台風の影響が・・・。お先真っ暗やがな・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「生涯 初体験の連続である」というもので、町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。これまた、どこの誰の言葉かはわからないが、確かに確かにそうだと思う。毎日毎日が初体験であるし、一時間一時間もまた初体験である。だから毎日がどきどきするし、新鮮であたらしいわけだ・・・。でも、島の家も築27年にもなるとあちこちガタが来るのも道理だが、こんな窓枠までもが壊れるというのは初体験の限度外ではあるまいか。

          

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


乗り越える壁はないのか赤とんぼ

2021年08月08日 | 時には日々是日

 8日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、台風第9号や湿った空気の影響で次第に曇り、午後からはにわか雨となってきた。気温は27度から35度、湿度は92%から72%、風は3mから1mの西南西の風が少しばかり。香川県では、8日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごすよう呼びかけている。明日の9日のさぬき市地方は、台風第9号の影響で朝まで雨や雷雨となるらしい。その雨も明け方まで激しく降る所がある見込みとか。

 

 102/63/79 36.2c-97%-61.8Kg 27.6c-77%-1004hPa 体調に変りはない。

 

 昨夜というか今朝方というか、2時か3時かくらいだっただろうか。夜中にけたたましくサイレンを鳴らして走ってくる車があった。やがてのことにはレスキュー車も上がっていった。次いで救急車も走ってきた。

 

 私は「またか・・・」と、そのまま寝てしまったが、奥方はそれから寝られなかったという。他人さんの事故だから気にすることはないのだが、気になるというので、6時前に元屋敷(旧の我が家があった地区)のほうに上がってみた。元屋敷あたりはヘアピンカーブが多くて夜中にバイクが走り回るのだ。それも土曜の夜が圧倒的に多い。

 

 ここが「X(ペケ)」点らしい。その向こうのガードレールが少しばかりへこんでいて、基礎台は壊れてしまっている。乗用車とバイクの事故らしいが、乗用車にバイクがぶつかったものか、バイクに乗用車がぶつけたのかはわからないが、ガラスや車のグリルなんぞが散乱している。向こうの車は私のもの。この乗用車もカーチェイスをやっていたのだろうか。そんな夜中に走る物好きもいないだろうに。

 

 このあたりは事故も多いし死亡事故も起こっているが、人家がないために走り放題になっている。警察も全く相手にしていない。「道路をバイクが走ってなぜ悪いのか」というのだから始末に負えない。

 

 今日はカラープリンターのトナーが届くというので待機の一日になった。とにかく、プリンターはインクやトナーがないとどうにもならない。来るまで待とうホトトギス。

 

 で、相変わらずのデスクワークで時間を潰すしかなかった。良心的な会社だと、ちゃんと時間指定とか午前中とか午後だとかの指定があるが、多くの場合、何月何日の配達・・としかわからない。

 

 で、連日、そうめんだラーメンだうどんだと食べているとマンネリになってしまう。だから、今日はおそばにしてみた。だから、「ざるそば」を検索したらさまざまなざるそばが出てきたが、「これはいいぞ」と思ったレシピでやってみた。大根おろしの上におそばを載せて、その上からトマトをすりつぶしたものを載せてみた。トッピングは梅干しである。

 

 お出汁の方にはキュウリやオクラやわさびやきざみのりが入っている。「冷や冷やトマトおろしかけそば」である。奇妙な取り合わせだなぁと思ったが、案外と酸っぱいトマトと大根おろしと梅干しの味が混ざっておいしく食べてすんだ。

 

 だから、今日は大窪寺の柴灯(さいとう)大護摩供養の日だけれど、年に二回の行事で毎年あるものだから目新しいこともあるまいと自宅待機になった。それにとても暑そうなときに熱い大護摩だから耐えられそうにもなかったし。

 

 こういう人たちは、これが修行だし、これがお仕事だし、大事な儀式だからやれるのだろうが、全くのアカの他人には耐えられない暑さなのだ。だから今回はお休みをさせてもらって、3月の大護摩供養にはイベントができればいいのになぁと考えていた。

 

 で、デスクワークをやっていると、「配達が完了しました」というメッセージが画面に出た。「え!なんで・・・」と思ったが、玄関の宅配ボックスを見てみると、ちゃんとトナーが届いているではないか。ずっと、これを待っていたのに・・・。ずっと、留守にもせずに待っていたのに。

 

 今日の掲示板はこれ。「大切なことは 何年生きてきたかではなく 何をして生きてきたかということです」という荒了寛さんのことばからである。人生に意味があるかどうかを考えればさまざまな考えに出会うのだけれど、その意味も考えることなく、ただ、漫然と年齢を重ねるだけの人生ではなく、この私が何を成し、何を発言し、どのように生きたのかが大切であるよ、と、言うている。先日の「余生」という言葉にも関連するけれど、「静かな余生」も、それは それなりの生き方だから尊いのだけれども、「私が生まれて来なければ、この世に生まれなかったものもある」という生き方もまた、尊いのだと思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


おだやかに立秋の風沢の音

2021年08月07日 | 時には日々是日

 7日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夕方にかけては晴れてきたが、天気予報では雨や雷雨のおそれがあると言うている。気温は27度から33.7度、湿度は86%から72%、風は3mから1mの東北東の風が少しばかり。明日の8日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるけれど、台風第9号や湿った空気の影響で昼前から曇り、夕方からは雨が降る見込みらしい。

 

 104/54/79 36.4c-97%-61.4Kg 28.0c-74%-1004hPa 体調に変りはない。

 

 今朝は午前3時に目が覚めたが、それは余りにも早すぎるじゃろうと布団の中にいたが、3時半には起きてしまった。外はまだまだ真っ暗闇だ。

 

 で、来月からのチームの勉強会の資料作りなんぞをやっていた。感染症対策なんぞで春からずっとお休みしてきたけれど、9月あたりには顔を合わせて話し合い、秋以降の活動なんぞを考えてみたいものだと。

 

 で、9時になったからお出かけをしてきた。それまでにはゴミ出しやら洗濯物を洗って干して空き缶を片付けてペットボトルも片付けてと主夫業をやっておいた。で、完成したガイドブックを篤秀先生たちに届けてきた。

 

 その後、前山のサロンに寄って勉強会の会場予約をお願いに行ったのだが、今日は会議があって担当者がいないので来週にしてくれと言うことだった。責任者がいないのでは話にならないので出直すことになった。

 

 三密にならない屋外活動ならばいいのかも知れないが、この時期に屋外活動は危険すぎるし、屋内で窓を開けて換気をしながら・・・というのも、まだまだ暑すぎるかなぁと思いながら・・・。

 

 そうそう、今日が暦の上では「立秋」である。あくまで暦の上での計算上だから、これからが夏本番というところ。来週がお盆で夏らしい夏になる。

 

 挨拶状では、「残暑お見舞い」になるけれど、本音は「盛夏お見舞い」にしたいところ。

 

 旧遍路道が終わったら、今度は「防災マニュアル」である。防災マニュアルたって、大窪寺は山奥のお寺だから高潮や津波は心配ない。高層ビルの倒壊や窓ガラスの飛散ということもない。山崩れや国道の閉鎖による孤立化とかスズメバチとか山ヒル、マダニという迷惑生物などもいる。それなりのマニュアルが必要になる。

 

 さて、今日のお昼はおうどんにした。今日は奥方がいないからとびきりのご馳走にしてみた。

 

 ところが少し袋が大きいなぁと思いながら麺をゆでたのだが、実は中身は「ふた玉」だった。そこで半分を「冷やしうどん」にしてみた。ランチョンマットが違うのは奥方の席だから。

 

 で、食べ出したのはいいが、さすがに二玉はきつい。若い頃には三玉でも平気で食べたが今はもう無理。

 

 だから食べやすい冷やしうどんから食べてみた。その後、天ぷらうどんの麺を冷やし出汁につけて食べると、ようやくに完食できた。完食できたけれど、おなかいっぱい腹いっぱい・・・。もう、ふた玉は無理だな。

 

 今日の掲示板はこれ。「気が進まなくても時間は進む。とりあえずやってみたらあなた自身が一歩進む。」というもの。- ヤポンスキー こばやし画伯 -のイラストと言葉から。ちなみに「ヤポンスキーこばやし画伯」というのは、本名:小林 英彦(こばやし ひでひこ)、1975年5月1日 - )は、日本のお笑いタレント。長野県松本市出身。ワタナベエンターテインメント所属。ヤポンスキーというのは、ロシア語で「日本人」という意味らしいが、正確には「イポンスキー」というらしい。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


原爆忌今年も蝉は黙祷し

2021年08月06日 | 時には日々是日

 6日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、昼過ぎからは湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は26.5度から32.8度、湿度は94%から76%、風は1mから5mの東北東の風が少しばかり。明日の7日のさぬき市地方は、台風第10号の北側の湿った空気の影響で曇り、夜のはじめ頃まで雨や雷雨となる所がある見込み。

 

 112/69/79 36.3c-99%-61.2Kg 24.3c-77%-1005hPa 体調に変りはない。

 

 別に遠足や修学旅行があるわけでもないのに、最近は朝の目覚めが早い。で、今朝も朝の4時起きになった。で、早朝からテレビも迷惑だし散歩にはまだ暗いしと、いつものようにパソコンでのデスクワークになった。

 

 で、旧遍路道調査のレポートを元にして道標や遍路墓のデータを整理していた。朝の涼しいうちでないと、とても昼間にやれるようなお仕事でもない。

 

 今日は奥方がお休みのようで、早朝から野菜や植木に水やり作業。水やりたって、ジョウロでチョロチョロなんてするのじゃない。このブルーのホースで消防士みたいに放水するのだからにぎやかなものだ。

 

 さて、今日は広島平和式典の日。人によって「原爆忌」という人もあれば、「ヒロシマの日」だという人もいる。広島慰霊の日・・というひともいる。ともあれ、今日は平和を祈念する日。

 

 人が本当に死ぬのは、その人がなくなったからではない。忘れられたときである。それを忘れられないように語り継ぐ人がいなければならない。

 

 昔、遍路が歩いた道がある。道は人が歩くから道になる。歩く人がいなくなれば道は野となり山となる。そこには距離計のような丁石や道標があった。それらも今は草に埋もれてしまいそうになっている。中にはすでに草に埋もれてしまった石碑や石仏がある。それらを書き残す作業をやっている。

 

 黄色のインクが切れて交換をしたら、今度は「マゼンタ」がないという。それを交換したら、今度は「シアン」もないという。急ぐときに限って、そういうエラーが次から次へと出る。

 

 このトナーは一本が七千円もする。三本を交換したら二万円を超してしまう。プリンターが安いと思ったら、インクの交換だけで二倍にも三倍にもなってしまう。プリンターを買うときには、そんな情報はどこにもない。

 

 何はともあれ、「改訂新版」は五冊ができた。これはこれで、このあたりで区切りをつけないと。いつまでも旧遍路道ばかりには関わってはいられない。

 

 今日は奥方がいるのでご馳走かなぁと思ったのだが、畑仕事がきつかったからと、素朴なおそうめんになってしまった。それはそれでおいしいじゃないかと思うしかない。

 

 お仏壇を整理していたら、ガンダムのお菓子が見つかった。中身はお仏壇にお供えしておいて、箱だけを部屋に置いてみた。

 

 食後のおやつはガリガリ君ソーダ味にした。夏はつめたいのがご馳走だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く 一本の鉛筆があれば 人間のいのちと私は書く」というもの。松本善三作詞 佐藤勝作曲 美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」という歌からである。朝日新聞の投書欄「声」にたびたびこの曲についての投稿が載っているという。時々、この歌を聞くことがあるが、改めて歌詞を読んでみて涙することがある。昭和49年8月9日の第一回広島平和音楽祭で実行委員長の古賀政男さんの プロデュースで書き下ろされたものという。 その後、昭和63年の第15回広島平和音楽祭でも歌っている。62年に福岡で倒れて緊急入院。63年4月の東京ドーム公演で不死鳥のように復活し(白いフェニックスのような衣装が印象的だった)、翌年2月からツアーを再開したものの、2月7日の小倉公演の終了後に倒れて、6月24日に帰らぬ人となった。

 一本の鉛筆(美空ひばり) - YouTube

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


沸く雲に黙祷拝礼原爆忌

2021年08月05日 | 時には日々是日

 5日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26.5度から35.4度、湿度は92%から66%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から曇り、雨や雷雨となる所がある見込み。

 

 104/56/78 36.5c-97%-60.4Kg 室温27.6度-室内湿度79%-気圧1010hPa。体調に変化はない。おなかの張りも重みもないし、足のしびれもむくみもない。けれど、少し歩くと動けなくなるのは心臓病が進行している証拠らしい。これはもう、どうしようもない。共存していくしかない。

 

 昨夜も1時間ごとにトイレに起きたので身体が軽い。おなかも軽い。全て体内の水分管理にかかっているということである。だからと言って水分を控えたら熱中症の心配もある。

 

 朝方は恒例の涼しいうちのお勉強。古い遍路道探しの総まとめ作業に掛かっている。かと言って私は歴史学者ではない。単なる民俗研究家のはしくれである。古いからと言って歴史のお勉強ではない。

 

 つまりは「おへんろ文化の変遷」という分野のお勉強である。今でこそお遍路というと宗教上の修行みたいに思われているが、江戸時代から口減らしや不治の病に侵されて故郷を追われた人たちがいた。仕事を奪われ、家を追われ、故郷を捨てざるを得なかった人たちが大勢居た。死ぬまで四国を回り続ける人たちもいた。

 

 そうそう、出掛ける前に酒屋さんに寄ってきた。来週の八月十四日の土曜日に、我が家で「盆礼」というお盆の行事がある。いつもは「いつするの」とか「いつ行けばいいの?」と声がかかるのに、今年は誰も何も言わない。けれど、八月十四日の午後用に、生ビール19㍑を注文しておいた。

 

 そうそう、先日、歴史研究家の篤秀先生が、「みぞおちの滝の手前に遍路墓があるのですが・・」という話をしてくれたのを思い出していた。

 

 こういう、さほど大きくはない滝である。子どもの頃に、年に二回の大窪寺詣での時に、この滝の横を通りながら滝の音を聞いたものだった。さほど珍しい滝ではなかった。「大窪寺詣で」・・・と言うても、春と秋のお中日に市が立って出店が多く出るので、それが楽しみだっただけのことである。小学生がお寺参りなんぞする訳がなかった。

 

 そうは言うても周りは山ばかり。そんな山の中で遍路の墓なんぞ見つかるもんか・・・と思いながら山肌を見ながら走っていると、「お!」と声が上がった。これはお墓ではないか・・・。左手の自然石を置いただけのものもお墓である。その数十余り・・・。ここは昔の墓地だったのか。

 

 お遍路のお墓かどうかは地名でわかる。この人は「藝(劦)州佐伯郡大野村清助」だろうか。いずれも彫りが浅くて読めないものがほとんど。藝州というのは安芸の国、今の広島県佐伯市ということになろうか。でも、広島からのお金持ちのお遍路さんが、このあたりで亡くなったというのは理解できる。

 

 こちらは「江(劦)州草津四丁目」からのお遍路さんである。今の滋賀県東近江市あたりになろうか。ここまで来て疲れ果てたのか、おなかをすかせて歩けなくなったのか。草津からどういう訳があってお遍路になってきたものか。

 

 で、その近くにあった「あかの淵」というものものぞいてみた。

 

 こういう川である。伝説・伝承には、その裏の物語がありそうなもの。

 

 お昼前になると全くの夏空になった。

 

 今日のお昼もまた「うな丼」になった。単に真空パックのうなぎを湯煎して乗せてあるだけである。でも、山の中を歩いてきたのでおいしくぱくぱくと食べてしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「どこか何か 人の世狂い 原爆忌」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったことばである。明日はヒロシマの原爆忌。今年も広島は暑いに違いない。私も15回ほど、つまり、15年、ヒロシマの「平和祈念式典」には出掛けたもの。いつもいつも暑い熱いヒロシマだった。こんな暑い夏こそが、広島の夏だなぁと思うことだった。それにしても、最近のニュースは異常だと思う。各地で戦闘は続いているし、爆撃も砲撃も行われている。自死や殺人は後を絶たないし、誹謗中傷、盗撮や詐欺が日常化してきている。どこかで私たち人類は「こころ」を失ってしまったのではないか。どこかで、アクセルとブレーキを踏み間違えたのではないのか。「平和」とは一 体、何なのか・・・。そんなことを考えた今日だった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


散歩にも日陰ばかりを追いかける

2021年08月04日 | 時には日々是日

 4日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、午後からは、湿った空気や強い日射の影響で雨や雷雨となる所があり、激しく降る所がある見込みらしい。香川県では、4日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごすよう呼びかけている。気温は25.2度から33.7度、湿度は88%から74%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の5日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 117/79/79 35.9c-97%-61.4Kg 26.1c-75%-1012hPa 体調に大きな変化はない。

 

 朝からぐんぐんと気温があがってきて真夏の空になった。今日も天気が良いのでパジャマからズボンからとみんな洗濯して干した。ベッドの布団も枕も干してみた。

 

 で、相変わらずの夏休みの自由研究の毎日である。

 

 朝の間は大窪寺~境目までの丁石や道標のデータ整理をやっていた。これはエクセルシートを使っての整理である。

 

 で、昨日の聖天神社が荒廃したので、畏れ多いとご神体を、この中村の集会場西に移転したと記録に残っていたので調べてみたが、それらしいものは見当たらない。誰かに聞こうにも人っ子一人として見えない。あきらめて戻って来た。

 

 で、歴史研究家の篤秀先生が「改訂版はいつできるんじゃろ」と言うていたのを思い出して、「改訂新版」という形で再作成することになった。その巻末付録としてのデーター整理でもあったわけだ。

 

 で、だんだんと形が見えてきた。大坂峠越えあたりの旧遍路道は、「四国のみち」に任せていたが、そのあたりも原稿を大幅に改訂して画像も追加してみた。

 

 このあたりの水田は秋の実りの時を迎えてきた。お盆前には収穫が始まるらしい。

 

 最近、こんな山奥までロバのパン屋さんがやって来るようになった。来ても誰も居ないし全くの過疎の限界集落に近い場所だから、誰もお客はいないと思うのだが、お仕事なのか毎日やってくる。

 

 調べてみたらば、昔は本当にロバが引く牛車でパンを売っていたらしい。私が子どもの頃には、そういう馬車さえも通らなかったものだったけれど。

 

 で、今日のお昼はまたしてもおそうめんになった。それも、「我が輩は麺である」という名前のそうめんである。

 

 それが「五十崎うどん」と書いてあるということは、これはそうめんではなくしておうどんなのか?そのあたりが曖昧になっている昨今である。

 

 さて、今日は水曜日・・・ということで「民児協」の定例会である。普通は第二水曜日・・・ということになっているが、八月だけはお盆にからむので一週間繰り上げて行われる。

 

 ま、お役所のすることだから、キチンキチンと筋目を通しているらしい。こういう時節だから資料だけを郵送すればいいようにも思うけれど、お役人のお仕事だから簡単には省略して前例を残してはいけないとやっているのだろうか。

 

 で、講演会や研修会の案内たら標語の募集やらと退屈な時間ばかりが過ぎていく。

 

 今日の掲示板はこれ。「一ぱいの水も 仏の涙かな」という山口県防府市出身の種田山頭火の句からである。どこにいても水は大切なものだが、山においては特に水はとても貴重な存在である。沢や谷には豊富に水があっても、稜線に出ると、水を得るのは難しい。稜線部にある山小屋では、雨水を蓄えて飲料水にしているが、雨が降らなければ水がなくなってしまうのだ。同じようにエジプトの砂漠地帯でも水が貴重なものだった。ふだん、私たちは水があるのが当たり前に思ってしまっているが、災害や異常事態の時、水がいかに大切なものかを教えられる。水に限らず、ガスや電気や食料資源は仏さまからの授かり物と心得て、大切に使っていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


うたたねを蓮池の蓮に叱られる

2021年08月03日 | 時には日々是日

 3日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、午後は雨や雷雨となる所があるらしい。気温は25度から31.1度、湿度は88%から70%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の4日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、湿った空気や強い日射の影響で、夕方は雨や雷雨となり、激しく降る所があるらしい 。

 

 104/62/79 36.1c-98%-61.4Kg 25.1c-81%-1006hPa 体調に変化はない。

 

 朝方は曇っていて比較的動きやすくて、例の「旧へんろ道」に関するレポートをまとめていたが、ページの下部にページ番号を挿入したとたんにレポートの文章が飛び跳ねてしまった。テキストボックスというものが関係しているらしいが、具体的には何がどうしてどうなるのか・・・ということは理解できていない。

 

 で、気になっているのが「下星越峠」というところである。上の図では、「11号線」となっているが現在では318号線が戦後に開通したらしい。それまでは小さな山越え道の「下星越峠」が繁盛していたらしい。木賃宿やらこんにゃく屋や豆腐屋などが店を出していたという。

 

 その入り口が、この「鞍谷大師堂」で、出口が「聖天さんだった」という。ところが、その出口が聖天神社であったという。でも、その神社が見つからない。

  

 これがご本尊の弘法大師座像である。その反対側にあったという伝承だからと、そのあたりを探してみたが見つからない。

 

 こんな立派な神社から見落とすことはあるまいし、見た記憶がありそうなものなのにわからない。

 

 これは集会場の脇に立っている道標だが、これには、「右聖天道」と刻んである。でも、右に行っても左に走っても、そういう神社にはたどりつけない。で、たまたま居合わせたおばあちゃんに聞いてみたところ、

 

 「あの山の上にあったんじゃが、今は誰も行きゃせん・・・。道も草ぼうぼうやし、お社もくっぜてしもうたがな・・」と仰る。お社も崩れてしまったのだと言う。

 

 昭和の中頃までは庵主さんがいたらしくて、夜中にも祈祷をしていたらしく、太鼓をドンドンと叩く音が響いていた・・・というのだが、庵主さんがいなくなると参詣人もいなくなって道も草に覆われてしまったのだという。

 

 これでは幾ら探してもわからないはずだ。ものごとに「絶対」ということはないし、「未来永劫」ということもない。形有るものはいつかは崩れて形をなくする。形のないものは、それを受け継ぐ人がなくなれば消えてしまうのが必然。

 

 仕方なく、「藤井遺跡」という積み石墳墓を見てきたが、これらもやがては竹藪の中に埋もれてしまうことだろう。

 

 私がお坊さんになったとき、全くの偶然で「暁光」という法名をいただいた。それが後日になって「阿弥陀さまの光」だと聞かされて驚いた。「よし、私は闇を破って多くの人々を救う阿弥陀仏のように光り輝くお坊さんになるぞ」と決意したけれど、その足下からすくわれるように病気になって自信をなくしてしまった。

 

 今日のお昼は「野菜サラダと焼きシャケの冷やしうどん」になった。夏らしいパワーのあるおうどんになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「顔がたくさんあるように心もいろいろやそれでいいんや」という原田大助くんのことばから。原田大助くんは 「大ちゃん」 と呼ばれる男の子。6年生の時、大阪の養護学校から石川県の養護学校に転校した。現在は成人されているだろうが、彼が中学部になった頃から詩を書くようになった。それは転校した養護学校で、すてきな先生との出逢いがあったことで、彼の才能が開花したのだと聞いた。人の出会いもまた人の成長を助ける要因であるように思った。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

 


空蝉に今日の怠惰を叱られる

2021年08月02日 | 時には日々是日

 2日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前から曇り、夕方から雨が降るらしい。気温は26度から33度、湿度は84%から68%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。香川県では、2日は熱中症の危険性が極めて高い気象状況になることが予測されるので、外出はなるべく避け、室内をエアコン等で涼しい環境にして過ごすよう呼びかけている。明日の3日の香川県は、高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前から曇り、夕方から雨が降る見込み。雷を伴う所があるらしい。

 

 104/56/79 36.2c-97%-61.6Kg 28.2c-67%-1005hPa 体調に変化はない。

 

 今年の夏はことさらに暑いというか湿気が高いというか、夏らしくない暑さである。入道雲もないし蝉の声もないし全くの夏らしさがない。

 

さて、とうとう親父の命日はわたし一人になってしまった。奥方も遅出で帰りが遅いし、親戚の誰もお参りに来ない。だから、わたし一人で拝んで済んだ。

 

 朝の内は気持ちのいい夏の朝になった。朝の4時過ぎからヒグラシは鳴いているが、それ以外に蝉の声はない。ただ、やたらとスズメの夫婦がやかましいばかりだ。

 

 で、今日は整形外科の診察日である。木曜日の夜に下半身から大量の出血をして、それが止まらずに緊急外来ということで、縫合手術を受けたのだが、その後の様子見・・ということである。出血はすっかりと収まっているが、抜糸は来週の火曜日になった。

 

 病院も朝の混雑期を過ぎて10時半にもなると患者さんの数はぐんと減ってきて、ほとんど待つこともなく診察があって、「Okです」でおしまい。また、来週と言うことになった。

 

 でも、なんだかんだと病院にお世話になるようになった。で、とうとう、整形外科だ。ここには皮膚科がないらしく、何にかみつかれて出血したのかがわからない。悪い虫にでも噛まれたら感染症とか伝染病の可能性があると脅された。でも、いまのところ、熱もかゆみも痛みもない。

 

 で、今日のお昼はまたまた「イワシの味噌煮風冷やし中華」になった。今日は時期的にオクラが入っている。

 

 それに野菜サラダ付きである。最近は生野菜がたまらなく欲しいと思う時。

 

 午後からはまたしても旧遍路道のレポートをまとめていたが、

 

 ふっと気がついたらブログの更新時間をすっかりと忘れていた。時の経つのは速いものだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「口が濁れば愚痴になり 徳が濁れば毒になる」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。意思が濁れば意地になり、口が濁れば愚痴になり 徳が濁れば毒になる。ああ、意地になってたな。意地にとらわれて、ちっとも子ども達のことを考えていなかった。子ども達のためのつもりの言葉が、いつの間にか愚痴ばかりになっていた。知らぬうちに心が濁ってしまっていたんだ。徳のつもりが独りよがりになっていた。独りよがりの人生観・教育観なんて、子ども達にとってみればはき出すしかない毒にすぎないじゃないか。でも、「ダメ」も濁りがとれれば「タメ」になる。子供を思っての「ダメ」も、濁りがとれれば「タメ」になる。親だって父親だって、もちろん先生だって、ダメ、ダメと言わずに、こどもの「タメ」になるような言葉を用意したいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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