まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

足早に枯れ葉が駆けて行くばかり

2021年12月16日 | 時には日々是日

 16日のさぬき市地方は、はじめは高気圧に覆われて晴れていたが、その後、前線や低気圧の影響で曇り、夜は次第に雨となるらしい。気温は6.0度から15.0度、湿度は56%から90%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の17日のさぬき市地方は、前線や低気圧の影響で未明は雨が降る見込み。その後は次第に冬型の気圧配置が強まり、曇りで、夜遅くには雪の降る所があるらしい。夕方からは、雷を伴う所がある見込み。

 

 収縮期108mmhg、拡張期58mmhg、脈拍79bpm、体温36.5c/酸素濃度99%/体重63.8Kg 室内気温23.1c/室内湿度38%/気圧1028hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:03分、日の入りは16:65分 月齢は11.8の中潮。

 

 最近は一日おきで体調が変わるらしい。それは尿の出方で体重が増減するからである。夜にぐっすりと寝るとトイレには行かない。すると水分が体内に貯まっておなかが大きくなってくる。で、利尿剤を飲むと水分が排出されて元気になる。それの繰り返し。

 

 ベランダに干してあったつるし柿やら切り干しダイコンは片付けた。つるし柿は新聞紙に包んで冷蔵庫に保管した。ただ、思い出だけで作ったもの。誰も食べる人は居ないのだ。

 

 切り干しダイコンはどうしようか。奥方が食べると言えばいいのだが、「切り干しダイコンは、木枯らしが吹き荒れる頃に作るもの。そんなに早く干してもカビるだけよ」と叱られたので廃棄するしかないか。私的には切り干しダイコンの画像さえ残せばいいというものだ。

 

 朝はこんなにも晴天。雲一つない。隣町にあるホームセンターである。

 

 ここで、野菜畑用のネットや支柱などを買った。サルが野菜畑に侵入しにくくなるネット張りをやってみようと考えたからだ。ちなみに、我が家のある集落では、どこも野菜作りを諦めた。イノシシにサル、シカにハクビシン、アライグマまでが出没するからである。さぬき市でも「サルやイノシシに餌付けをしないでください」とか「サルやイノシシが好む果樹や野菜を作らないで下さい」という指導が出ているのだとか。

 

 でも、我が家の奥方はガンとして野菜作りを続けている。それは「自己責任」で、市や県に相談しても相手にはしてくれないのだそうな。で、そのしわ寄せが私に回ってくるということになる。で、今日はネットを支える柱を補強することから始めた。大きなネットだから、大風が吹けば柱が揺らいで倒れてくる。そうなると、サルが入りやすくなってしまうのだ。

 

 その途中で見かけた郵便局の赤いポスト。あ、ポストはどこでも赤いのか。なぜ、ポストが赤いのかを調べてみたら、単に赤色が目立つからという単純なことかららしい。

 

 裏面はこうなっていた。

 

 で、一応、ネットの補修も終えて、獣返しも修復しておいた。敵がどこから侵入するかを調べないと対処できないのだ。これでひとまず、様子を見よう。

 

 今日のお昼は、夕食の残りで作った「牡蠣鍋うどん」である。この下におうどんが入っている。

 

 で、その後は相変わらずの「自分史・昭和は輝いていた」のPC入力作業である。

 

 子どもの頃の「ションガツ:正月」の迎え方や遊びやら、昔は元日が登校日で紅白のまんじゅうが配られたことなどをまとめていた。その頃は「旧正月」もお休みだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「思ふこと 今年も暮れて しまひけり」という正岡子規の俳句で、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。明治28年の大晦日、漱石と虚子が子規の家にやってきてにぎやかな大晦日になった。その時に、正岡子規が詠んだ句の一つがこれ。「いろんなことがあったけれど、今年もついに暮れてしまうんだなぁ」という気分だったのだろうか。子規の病はこの頃から深刻さを増してゆくのである。振り返ってみれば、私もこの一年にはさまざまなことがあった。死の淵をさまよったり、元気になって草刈りや剪定をしたり、台風で島の家のガラス戸が壊れたり、観光ガイドが感染症対策で中止、延期になったり。その後、なんだかんだのガイドブックやガイドマニュアルを作ったりしながら、かろうじて生き延びている。思うことはたくさんたくさんあるけれど、今年も間もなく暮れてしまうんだなぁと言う気持ちにはなる。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


光こそ全てのいのち冬の花

2021年12月15日 | 時には日々是日

 15日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夕方からは気圧の谷の影響で曇るらしい。気温は7.5度から14.4度、湿度は82%から58%、風は5mから1mの西南西の風が少しばかり。明日の16日のさぬき市地方は、前線や低気圧の影響で曇り、昼過ぎから雨や雷雨となる見込み。

 

 収縮期98mmhg、拡張期51mmhg、脈拍78bpm、体温36.5c/酸素濃度99%/体重63.8Kg 室内気温23.1c/室内湿度38%/気圧1028hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:02分、日の入りは16:55分 月齢は10.8の中潮。

 

 昨夜はどうしたことか、30分ごとに足が吊って痛くて寝られない。11時半にはさすがにも困ってしまって痛み止めの「カロナール錠剤」を飲んで寝た。それが聞いたのか朝までぐっすりと寝てしまっていた。足が吊るのにも、さまざまな原因がありそうな。

 

 だからか、朝の4時過ぎには起きてしまって、ポータルサイトの更新をやっていた。早くも来年の一月二月の行事予定表である。来年のお正月や二月には全くの予定がない。寒いときに出掛けるのは面倒だし、風邪が怖いからと在宅学習・在宅ワークのつもり。

 

 自分史の整理とか、「安心安全マニュアル」も完成させたいし。寒いときには寒いときならではのお仕事がある。

 

 それが終われば、年賀状の発送準備。宛名書きは終わっているし、本文印刷もこの前に終わっている。あと、一言メッセージを書き入れるだけ。それもあっさりと終わった。

 

 で、今日は15日だからと銀行屋さんに行ってきた。で、通帳記載をしておいてから、いくらかを引き出しておいて、

 

 ゆうちょ銀行へ入金をしておく。不正引き出しを予防するために内緒の口座へ隠しておくのである。それから、今日から年賀葉書の取り扱い開始だとかということで、投函しておく。

 

 これで、年賀状の一件は落着した。だんだんと枚数が減ってきたので、あっさりとしたものだった。

 

 で、昨日のことである。奥方が葬儀会館で弟と話しているときに「サルがダイコンを食べるのよ、それも綺麗に・・・」と言うのである。私たち夫婦では会話したことがないお話。

 

 「で、どこから入ったの?」と言うと、「そんなもの知らないわ。あんたの仕事でしょ」と言うのである。そうは言われても、私だって四六時中、野菜畑を監視している訳にはいかないのだ。

 

 今日は暖かい日になったので、畑の周囲を歩いてみた。先日だかの強風で、支柱が折れたり倒れたり・・・。その隙間からサルが忍び込んだらしい。あれでは数頭が入ったに違いない。このキンカンの木の根元にもダイコンを食べた跡が散乱している。

 

 そこで、鉄線(針金)とか、こういう園芸テープとかを使ってサルの侵入箇所を塞いでおいた。ま、向こうも食べるのに必死だから、どうにでもして入るのだけれど、入りにくい構造にはしておかねばならない。ダイコンだって、いい具合に育ってきているのに・・・。

 

 で、一時間ほどで支柱を立て直し、ネットの穴を塞いで、応急処置はしておいた。サルが噛み破ったネットは、新しく買ってきて修理しないといけないので、また今度。明日は雨になりそうだし。サルも山に食べ物がなくなってきたので、人里にも侵略を開始する時期になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「光がないと廊下のホコリに気付きません 仏の光によって心の中の光に気付かされます。気付くと改めようとします」というもの。これはこれでいいのだろうか・・。「仏の光によって心の中のホコリに気づかされます」のほうがいいように思うけれど。それでも、頑固な我々は、気がついても改めようとはせずに、そのホコリを見なかったことにして通り過ぎてしまうもの・・・。せっかくの光が無駄になる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


木枯らしが古家の屋根に突き刺さる

2021年12月14日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 14日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は3.5度から12.0度、湿度は90%から54%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の15日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気の影響で夕方から次第に曇る見込み。

 

 収縮期102mmhg、拡張期56mmhg、脈拍79bpm、体温36.3c/酸素濃度98%/体重63.2Kg 室内気温20.6c/室内湿度40%/気圧1024hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:02分、日の入りは16:55分 月齢は9.8の若潮。

 

 今日は親戚のお葬式なんだけれども、礼服が身体に全く合わない。ここ3年間は入退院を繰り返していたので体型がすっかりと変わったみたい。ズボンなど20cmも合わないから履くに履けない。かと言って白衣に衣姿もおかしいし。そこで、よくよく考えたら「アジャスター」というものが付いていて、おなか周りを調整できるようになっている。

 

 この小さなくぼみが前のもの。ここで目一杯左右に伸ばしたら、ようやくフックが合うようになった。ワイシャツだってまるきり合わない。靴下も「おはよう靴下」で、足先から指がはみ出している。で、スーパーで靴下を買ったら冬物で、今度は靴に入らない。「てんやわんや」は昔の漫才コンビだが、そんな感じで大騒ぎ。礼服を衣紋掛けに掛けたら重みで衣紋掛けが壊れて衣服が散乱。

 

 今年の漢字2021は、「金」だったようで。やはり、オリンピック・パラリンピックの金メダルラッシュだな。金字塔を打ち立てた若者が目立った。

 

 でも、私的には「禍」。感染症対策で身動きが取れず、ガイドのお仕事も全く出来ず、勉強会の会場まで封鎖されてしまったので「コロナ禍」。台風禍では島の家のガラス戸が壊れて100万円の損害にもなった。全くの「禍」である。奥方もお仕事中に追突されて転倒事故。全くの労働禍。

 

 更に言えば「黙」。活動自粛、旅行自粛、大声自粛、集会自粛などで会話が激減。奥方までもが転倒事故で病院通い。すれ違い夫婦で会話もなくして「黙」。スマホにしたが、使い方が分からずにメールもメッセージもラインもできずに「黙」。言葉を忘れるほどの「黙」。固定電話も「オレオレ詐欺対策」で留守番電話にしたら、全くの電話が鳴らなくなっての「黙」。

 

 それはさておき、午前10時半に我が家を出て、親戚の葬儀会館へおでかけ。11時から打ち合わせとか昼食会とかから始まり、

 

 12時半から葬儀。14時から斎場でのお別れとか待機とか。

 

 16時から初七日法要。我が家に戻ったのが17時過ぎ。

 

 お風呂は沸かしたものの、私は昨夜から何も食べてはいないので、お風呂を待ちきれずに夕食開始。何もしていないのだが、立ったり座ったり待機ばかりの一日が過ぎた。会食自粛でお弁当をいただき、本物のビールで奥方と黙食の夕食。お風呂は今夜もパスになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「いいこと悪いこと 一切をひっくるめておかげさま」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。雨が降るのも晴れるのも雪が降るのも風が吹くのも単なる自然現象。雨はイヤだ、風は寒いの・・というのは人間様の都合の話。いいことも悪いこともみんながあって私が作られる。いっさいがっさいをひとくくりにして「おかげさま」だといただいて、今日の私があるのだと言うている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


黙々と年月の行く師走風

2021年12月13日 | 時には日々是日

 13日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.5度から12.0度、湿度は68%から50%、風は4mから1mの北西の風が少しばかり。明日の14日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期116mmhg、拡張期68mmhg、脈拍79bpm、体温36.4c/酸素濃度98%/体重62.6Kg 室内気温22.3c/室内湿度43%/気圧1023hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:01分、日の入りは16:55分 月齢は8.8の中潮。

 

 今日も朝から「自分史・昭和は輝いていた」の原稿準備。旧大川町の図面を見つけ出してきたので、それをスキャニングして電子化する作業をやっていた。スキャナーで地図を読み込むのである。

 

 こういう画面で、地図の必要な部分を選んで、パソコンにデジタル情報として読み込むのである。

 

 そうすると、こういう画像ファイルができてゆく。大きくしたり、小さくしたりも自由自在である。

 

 それを、右のパソコンで読み込んでプリンターで印刷する。

 

 すると、こういう図面が出来るわけだ。ここに、当時のおうちの名前なんぞを記入していくつもり。

 

 すると、親戚からお通夜の電話連絡が入る。で、礼服を探し出してきたが、もう何年も着たことがない。親戚だからころもに墨袈裟ではまずかろう。それにワイシャツが見えない。黒い靴下がわからない。ネクタイは礼服にセットされているが、靴は大丈夫だろうか。お通夜は夕方だというので時間はたっぷりあるので慌てないが、何が何やら・・・。奥方はお仕事で連絡はできない。

 

 お包み袋も用意したし・・・、あ、銀行に行ってこないといけないのか。なんだかんだと、ウロウロするばかり。それだけ、お葬式やご法事に呼ばれていないと言うことだ。感染症が話題になってから仏事や法事奉賛は激減してしまったし。

 

 今日のお昼もところてんとおかゆさん。梅干しとシャケとキュウリのお漬物入り。ここんところ、運動不足なのか食欲もない。

 

 お昼から銀行に行って来たが、その途中でサルの群れがいた。そろそろと山の食べ物がなくなってきたので里へ下りてきたのか。小猿たちは逃げてしまったのに、このサルはボスなのか、逆に私をにらみつけてくる。そうなると私も怖い。向こうはするどいキバと爪を持っている。早々に退散した。

 

 でも、木の上ではたくさんのサルが私をあざ笑っているかのように鳴いている。我が家の野菜畑も要注意だな。

 

 もう、そろそろ、つるし柿や干し芋は取り込まないといけないな。ずいぶんと硬くなってきてしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「昔は何もなかったが何かがあった 今は何でもあるが何かがない」これは「酒井義一」先生(真宗大谷派存明寺住職)のお言葉からである。今は、物はたくさんあるのだけれども、本当に必要なものは何かと問われると、それが何かが分からない。物があふれすぎていて、便利な物が増えすぎていて、あれも欲しい、これも欲しいと思うけれど、本当にそれが必要かと問い詰められたら、いや、こんなものは欲しくないと思ったりする。反面、昔は何もなかった。食べるものも、着るものも、遊ぶ物も読むものも何もなかった。それでもこころは豊かで何かあたたかいものがあった。今、物はたくさんあるのだけれど、人の情けや愛情や友情や思いやりや慈しみや・・・そういうものがなくなったように思うのは私だけだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


冬日和りことば一つも口にせず

2021年12月12日 | 時には日々是日

 12日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は9.5度から17.5度、湿度は84%から52%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の13日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置となるために概ね曇るらしい。

 

 収縮期106mmhg、拡張期57mmhg、脈拍78bpm、体温36.3c-酸素濃度98%-体重62.8Kg 室内気温15.1c-室内湿度44%-気圧1026hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:00分、日の入りは16:54分 月齢は7.8の小潮。

 

 朝の4時半に起きて、「自分史・昭和は輝いていた」の原稿をPC入力していた。私たちの自治会は「砕石:われいし」という30軒ばかりの集落だったが、昭和59年だかに県営大川ダム建設によって集落が分断された。で、ダムの手前側16戸が砕石自治会として残り、ダムの上流を八幡(やはた)神社にちなんで、14戸を「八幡」自治会となった。うち、3戸が湖底に沈んで移転した。

 

 左のPCでことがらを検索して、それをコピペして右のPCに張りつける。そういう操作をマウス一つで操作できる。もちろん、キーボードも一つで済む。

 

 そういう、「ダムができるまでと、ダムができたあと」というお話をまとめていた。その時のダムに沈む前の資料が残っていないかと探すことにしたが。

 

 大川町公民館(現・さぬき市大川公民館)に行ってみた。そこにある図書室に入れば何かの資料があるんじゃいのかと行ってみた。

 

 合併前の「大川町公民館図書室」がそのまま残されている。合併前のそれぞれの町には図書室や図書館があった筈。それが現在は「さぬき市図書館」というのがさぬき市志度にあり、「さぬき市図書館寒川分館」が寒川町にあるが、それ以外の「長尾町」「大川町」「津田町」はこうした、ひっそりとした開店休業中みたいな感じ。主に小説や子供用のマンガ本などが大勢を占める。

 

 大事な本は貸出禁止のまんま。手がかりになるようなものは何一つなかった。やはり、市の図書館か県立図書館に行かないとだめか・・。

 

 天候は曇ったまんまで冬の到来を教えてくれる。もれてきた太陽の光も弱々しい。

 

 そこで、自分史はひとまず休憩にして、年賀状の本文印刷にかかってみた。宛名書きは既に終わっている。

 

 で、私の親戚用と友人用、奥方の親戚用と友人用の、約四十枚の印刷が終わった。あとは一言メッセージを入れればOk。出来ることからコツコツと・・・。

 

 で、昨日だかに、ミニの天ぷらうどんがおいしかったので、それの本ちゃん版を買ってきたが、よくよく見れば「天ぷらそば」になっている。しまった、しまった、島原半島。まいった、まいった、舞鶴漁協。

 

 今日のお昼はこれ。天ぷらそばにいなり寿司。それに北海道から送ってくれたシャケの塩焼き。味噌汁つき。

 

 私的には、やはり、どん兵衛は天ぷらうどんがよく似合う。

 

 今日の掲示板はこれ。「『そのうちやる』」という名の道を歩いて行けば、『何もしない』という名札のかかった家に行きつくことになる」というセルバンテスの言葉から。ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラは、小説「ドン・キホーテ」(Don Quijote de la Mancha)の著者として有名なスペインの作家であり小説家。スペイン語における世界的大文学者のひとりであり、同時代や後世の作家に多大な影響を与えたことでも知られ、シェイクスピアやチャールズ・ディケンズ、ハーマン・メルヴィル、ギュスターヴ・フローベール、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ジェームズ・ジョイスなど多くの文学者たちに影響を与えた。(参考文献:ウィキペア+Amazon.co.jp)「そのうちに」、「そのうちに」・・・と、物事を延ばし続けていたなら、やがてには、「何もしない」ままに臨終を迎える。そういう人生だけは送りたくないなぁと思う昨今。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


師走とは命をぽとぽと落とすこと

2021年12月11日 | 時には日々是日

 11日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は8.0度から17.8度、湿度は94%から64%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の12日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、夕方は雨の降る所がある見込み。

 

 圧迫時106mmhg、解放時66mmhg、脈拍78bpm、体温36.3c-酸素濃度97%-体重63.6Kg 室内気温15.8c-室内湿度43%-気圧1028hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:00分、日の入りは16:54分 月齢は6.8の小潮。

 

 今朝も4時半起きで「自分史・昭和は輝いていた」続編を執筆(PCで入力するのを執筆というのか?)していた。小学生のお小遣い稼ぎの「ワラビ採り」。これくらいあれば20円くらいになった。だから、宿題なんぞそっちのけで山には行ってワラビを採った。「勉強は学校でして来い。家では仕事をするもんじゃ」と言うのだから、今のママさんたちが聞いたらどんな顔をするじゃろうか。

 

 それに秋には「松茸採り」はものすごくお金になった。あの頃にはいくらでもマツタケが採れた。こどもでもそこいら中でマツタケを採った。学校の昼休み時間にも近くの山でマツタケが採れた。

 

 お金にはならなかったが、タケノコ掘りも大事なお仕事だった。掘らないと、そこいら中が竹林になるので、出てきたら片っ端から掘って食べた。余ったものは県道脇に並べて「ご自由にお持ち帰りください」と紙に書いて張って並べた。まさに「昭和は輝いていた」のである。

 

 こういう干し芋や吊るし柿の話も書いた。サツマイモ畑のことも書いた。稲の植えられない土地にはサツマイモを植えて植えて植えたものだった。これらが冬のおやつになった。

 

 暖かくなれば、布団を干した。

 

 今月には、この介護ベッドのレンタル屋さんがベッドほかの点検に来るというので、ベッドの下も掃除をしておいた。綿ぼこりと虫や蛾の死骸が溜っていた。

 

 だから、10時前のおやつには、ミニどん兵衛のきつねうどんを食べてみた。おうどんではないのに、それなりの味になっている。へたなうどん屋さんよりもおいしいと思った。

 

 で、あれこれとあって、お昼は今日も「おかゆ」になった。昨日、BSで、歌謡曲の番組を見ていたら、「おかゆ」という歌手がいたので、おかしくなった。歌手の「おかゆ」は、本名が「ゆか」なので中学校時代につけられたニックネームが「おかゆ」だったらしい。中学生のニックネームはそんなところだ。

 

 硬いものはダメ、肉などの動物性の食べ物もダメ・・・となると、奥方も苦労するらしい。気持ちは若いが、年齢的にはすっかりと「おじいさん」だ。

 

 昼過ぎに、トオル君がやってきたので、お歳暮を渡すように奥方に言われていたので荷物を見た。

 

 殻付き生牡蠣やら、

 

 生ガキやら、自然薯やら・・・

 

 ダイコンやらカブなど盛りだくさん・・・。大サービスやな。

 

 今日の掲示板はこれ。「熊はもう眠りました 栗鼠(りす)もうつらうつら 土も樹木も大きな休息に入りました ふっと思い出したように 声のない 子守唄 それは粉雪 ぼたん雪 師も走るなどと言って 人間だけが息つくひまなく動きまわり 忙しさとひきかえに 大切なものを ぽとぽとと落としてゆきます」という茨木のり子さんの「十二月のうた」という詩からである。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。私も大切なものを、ぽとぽとと落としているのだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


あきらめもほどほどがいい年の暮れ

2021年12月10日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 10日のさぬき市地方は、気圧の谷の影響で昼前まで曇っていたが、その後は高気圧に覆われて晴れてきた。気温は7.0度から15.7度、湿度は86%から66%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。明日の11日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 圧迫時116mmhg、解放時68mmhg、脈拍79bpm、体温36.4c-酸素濃度99%-体重63.4Kg 室内気温14.1c-室内湿度43%-気圧1030hPa 体調に変化はない。今日の日の出は06:59分、日の入りは16:54分月齢は5.8の小潮。

 

 干し柿の話を奥方に話していたら、「そうそう、きなやにあったわねぇ」と奥方が言った。「木納屋」などと言う言葉はもう「死語」になっているのじゃないのかと思う。かまどや風呂木用のたきぎを保管しておく「納屋」だった。電化やガスの普及によって山からたきぎを集めてきて保管する必要がなくなってしまって久しい。

 

 ということで、今朝も4時半から起きだして、「自分史・昭和は輝いていた」続編の原稿を書いていた。もちろん、「木納屋」の話からである。太古の昔から戦後しばらくまでは「たきぎ」のお世話になった。暖房や照明や煮炊きなどに「たきぎの火」は不可欠なものだった。そいういうお話である。

 

 続いてむらまつりの話も書いた。明治になってからは各地に神社が作られて八百万の神々たちを崇敬するように政府が勧めた。だから、それぞれの自治会単位に郷社の末社・小社が作られた。私たちが住んでいた集落にも「はちまんさん」があって、秋には例大祭が行われて郷社の神官が神事にやってきていた。そこでは飲めや歌えや喧嘩三昧の大騒ぎになった。そういうお話である。

 

 朝ドラが終わってしばらくして、お仕事の「歳末助け合い運動」の配分金を持って高齢者宅を訪問する事業に出た。

 

 お役所から預かってきた「寸志」を、80歳以上のひとり暮らし家庭へお配りするのである。私の担当地区ではだんだんと減ってきて、今年は6世帯になった。高齢化はするのだが、なぜか、80歳以上は減ってゆくばかりである。亡くなるか、施設に入るか、息子さんちに引き取られるかしてゆく。

 

 寸志をお渡ししたら「受領書」にサインをお願いする。今年からは印鑑がいらなくなった。ちなみに、「印鑑」とはハンコを押した「印影」のことで、ハンコというのは、それを刻んだ本体を言う。だから、「印鑑をお持ちですか」というのはおかしくて、「ハンコをお持ちですか」というべきらしい。チコちゃんに教えてもらった。

 

 お仕事が終わったら、ガイドブックの余ったものを、私のガイドの先生にもお届けすることにした。私が最初にこのお寺でガイドした時の先生だった人で、今の私があるのはこの人のおかげ。

 

 生まれた子牛や子羊や子ザルは、すぐそばにいたものを親と認識するとかと聞いた。最初にエサをくれたものを親だと認識するらしい。人間の赤ん坊もそうだとも聞いた。私も、この先輩のガイドを聞かなかったらガイドにはならなかったと思う。そんな先輩である。

 

 で、郵送料をケチって、初冬の山道を走ってきた。車で移動するのはなんら問題はない。歩いていくとなると足が動かなくなって歩けなくなる。

 

 奥方が、「今日はどこかでおいしいものでも食べてきて頂戴」と朝早くから出かけて行った。おいしいものと言っても、そのおいしいものがない。下手にレストランなどに入ると食べ物アレルギーでたいへんなことになる。そこで無難なおうどん屋に行ってみた。いつもの「こがね製麵所寒川店」である。

 

 ここにだって「肉うどん」や「牛すじうどん」などと危険なものがメニューの半分もある。だから無難な「温玉ぶっかけ小の温いん」をお願いした。320円だった。おいなりさん100円をプラスして420円。

 

 で、奥方が大喜びをする「お持ち帰りうどん玉」をゲットした。今日のはずしりと重い三玉から四玉分はあるだろうか。おうどんを茹であげてから30分以上のものはおいしくなくなるのでお客には出せない。そこで「犬の餌用にでも・・」みたいなことで「自由にお持ち帰りください」コーナーに置いてある。でも、いつでもあるとは限らない。何回行っても置いていない日もある。そちらの方が多いかも。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当のものがわからないと 本当でないものを本当にする」という安田理深先生の言葉から。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。自分がどこまで知ってるかを認識していないと、自分では知ってる範囲が全てで、本当だと思うと自認してしまうもの。大切なことは知っていることと、知らない事を分別する力、つまり知識だと思うのだ。本当のこと、これは「真実」とか「真理」ということを指すのではないだろうか。それがわからないと、当然、自らが下す判断は誤りとなることが多くなり、自ずと良い結果は出なくなる。問題とすべきことは、「本当でないものを本当にする」ということではないだろうか。私たちは、仕事や生活の中で、常に真実とは何か、真理とは何かということをしっかり見極める必要があると言うことだ。最近のフェイクニュースやネットに氾濫する情報が、果たして本当のものなのかどうか、そういうことを思い出しながら、ふと、振り返ってみたことであった。それが人権問題になるとしたら、もっともっと、慎重にならざるを得ないことなんだなと思ったことでもあった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冷えてきた 今夜は牡蛎など食べようか

2021年12月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 9日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で夜は曇るらしい。気温は5.5度から15.3度、湿度は92%から60%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の10日のさぬき市地方は、気圧の谷の影響で朝まで曇るが、その後は高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 102/59/79 36.2c-97%-63.6Kg 13.2c-43%-1031hPa 体調に変化はない。今日の日の出は6:58分、日の入りは16:54分、月齢は4.8の中潮。

 

 今日からは「今日行く:教育」も「今日、用:教養」もないと書いたが、そうは問屋がおろさない。昨日の定例会の際に、研修費を用意しながら忘れていたので、会長宅まで出かけて行って手渡してきた。そこがまぁ、「ぽつんと一軒家」みたいなところで、朝霜で滑らないか、谷川に落ち込まないかとひやひやしながらの運転になった。

 

 へてから・・・。あと一年を残して、来年度からは民生委員を交代してもらう手続きを、私んちの自治会長にお願いしてきた。後任の方を推薦してもらうためである。うちの自治会長から次の当番の自治会長にお願いしてもらうのがしきたりらしい。

 

 形としては、私が地区から推薦された方を次の方だと推薦するらしい。町から市へ、市から県へ推薦していくので、きっちりとした対処が必要らしい。私の場合は、ほかに希望者がいなかったので、自分が引き受けてしまった・・・という大雑把な対処だったのだけれど。

 

 それが終われば、先日の観光ガイドの勉強会に出られなかった人に、会議資料を郵送するのだが、市内の方には郵送料をケチって自宅まで配達することにした。よーく考えたら、ガソリン代が高いので、郵送した方が安くついたのかも。

 

 続いて・・・である。「私の自分史」なるものを作っているのだけれど、当時の遊び仲間とか、先輩のおにいさん、おねえさんや、後輩のだれだれさんやを調べていると、そのお父さんやおかあさん、おじいちゃん・おばあちゃんまで調べたくなった。多くは小学校の卒業名簿で調べられたのだけれど、奥さんやおばあさんはよそから嫁いできたためにわからない。

 

 そうなってくると、どんどんと幅が広くなってきて、わからんようになってしまう。

 

 そこで、関連しそうなお墓探しになってしまった。お墓には「霊標」とか「法名碑」がある。そこから、おじいちゃんやおばあちゃんなどを探し出すのである。この白いシミか亡霊のように見えるかもしれないが、私の白いパーカー姿が映っているだけ。こういう角度はあかんなぁ。

 

 戒名や法名はいらない。俗名を調べて、亡くなった年月と「行年」から生まれた年を計算するのである。

 

 へてから、こういう一覧表を作成するのである。「小さなことからコツコツと」。

 

 最終的には、これだけの文章になってしまう。でも、60年も昔の時代が、そこに現れてくるから不思議なものだ。「たっつあん」とか「げんやん」とかと呼んでいた、昭和の黄金時代がよみがえってくるのだ。

 

 奥方は焼きそばを作ってあったが、今日のお昼は「麺職人:仙台辛味噌ラーメン」にしてみた。

 

 思わず、「げげげ・・・・」と思ったが、食べてみるとそうでもなくて、少しも辛いことはなかった。スープも少しばかり飲んでみたが、思ったよりも辛くなくてすんなりと飲むことができた。トッピングも一応は乗せたのだけれど、みんな、底に沈んだのか彩が消えてしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の都合で他人を善人したり悪人にしたりはしない」というもの。いつもの町内の善楽寺さんのお寺の掲示板から。とかく私たちは、自分に得をさせてくれる人は善人であり、損をさせる人は悪人である。相手が善人であるかどうかではなくて、自分にとってどうであるか・・。損か得かで善人にしたり悪人にしたりするかだけのことなのである。そんなことで、人を区別したり、差別したりはしたくないものだ。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


秋枯れて今日の想いも風の中

2021年12月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 8日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で昼過ぎまで曇っていたが、夕方からは高気圧に覆われて晴れる見込み。気温は12度から14.1度、湿度は68%から48%、風は3mから1mの西の風が冷たくなった。明日の9日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 111/64/78 36.3c-98%-63.4Kg 22.4c-42%-1024hPa 体調に変化はない。日の出は6:57分、日の入りは16:54分、月齢は3.8の中潮。

 

 今日、12月8日は80回目の太平洋戦争開戦記念日・・というのも有名な日。1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争対米英戦(太平洋戦争)が勃発した。テレビ・ラジオ・新聞などでは特集番組が取り上げられている。

 

 また、 今日はお釈迦様がお悟りを開かれた「成道会」。成道会というのは、お釈迦さまの降魔成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要(行事)のことである。我が国では、お釈迦さまは朧月(旧暦12月)の8日に降魔成道したと伝承されているので、成道会を臘八会(ろうはちえ)とも称し、この日に法要が行われる。南伝仏教では、ウェーサク祭として5月の満月の日に仏誕会、涅槃会と共に行われているという。

 

 そして、今日は私が「お父さん」になった記念日でもあるし、奥方が「お母さん」になった記念日でもある。

 

 朝一番に古本や古布、古段ボールなどを回収場へ運んでおく。こういうものは、ついつい忘れてしまうものであるから、早め早めの準備をやっておいた。

 

 これは今年の「新語・流行語大賞」だが、ほとんど、分からない言葉ばかり。

 

 それを私なりに作り直してみたが、その説明は明日にでも。

 

 昨日の大窪寺班の資料を、参加できなかった人たちに郵送する準備とか、今日は何かと慌ただしい日。

 

 今日のお昼もまたまたおうどん。野菜のかき揚げ天ぷらうどんである。ネギの代わりにほうれん草が載っているのが我が家の特色。麺は富山の氷見うどんの細麺である。

 

 これを、あっさりと流し込んで、午後のお仕事の準備。

 

 今日は毎月恒例の民児協の定例会である。会場がまたまた変更されて、大川公民館になった。今までの会場は福祉施設になったらしい。

 

 民児協の定例会はお役所そのままの流れである。そしてお役所からのお願いや講演韓の案内やら研修やら。私たちは、地区の人たちとお役所を「つなぐ」パイプ役。下から上へ・・・と言う事柄は少なく、もっぱら、上から下へばかりのお願いやらに終始する。

 

 で、早くも次期の民生委員の交代手続きの準備が始まる。私たちの任期は12月1日から11月30日まで。まだ一年が始まったばかりなのに、早くも次期委員さんを選ばないと行けない。私も二期6年間をつとめてきたが、どうにも体力不足で交代せざるを得ない。その人選が難しい。

 

 会が終わると、すぐさま、空き缶の回収準備。でも明日からしばらくは「今日行く:教育」も「今日用:教養」もない。でもすぐさまに迎春準備が始まってしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「時の流れに心せよ 「まだ」は忽ち 「もう」となる」というもの。誰の言葉かはわからない。だが、この時期になるとついつい思い出す言葉。今年のお正月を迎えたのがつい先日のような気がするが、気がついてみれば、早くも 12月の上旬が終わる。あっという間の一年ではないか。先のことだ、先のことだと考えていたことが、もう、すぐそこにやってきたぞ・・・というのが、今日 の私の正直な気持ちだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


もの言わず今日を耐え抜く枯れ落葉

2021年12月07日 | 時には日々是日

 7日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、昼過ぎからは湿った空気の影響で曇り、雨の降る所がある見込み。気温は7.0度から13.0度、湿度は88%から64%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の8日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で昼前まで曇り、未明は雨の降る所があるらしい。昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 114/57/78 36.3c-99%-63.8Kg 17.1c-43%-1028hPa 体調に変化はない。日の出6:57分、日の入り16:54分、月齢2.8の中潮、二十四節気の大雪(たいせつ)。

 

 体調に変化はないが、昨日のお昼には、このしっぽくうどんを食べた。野菜がふんだんに入ってボリュームはしっかりとしたものだったのに、

 

 奥方が忙しくて炊飯器のスイッチを入れ忘れたとかで、夕食は「かき揚げ天ぷらうどん」になった。さすがに、これがこたえたものか、夜中におなかが痛くなって、朝の2時過ぎから寝られなくなった。そこで「ラジオ深夜便」でも聞いていれば眠れるだろうとラジオのスイッチを入れたが韓国語の放送ばかりになって、余計に寝られなくなった。おかげで猛烈な寝不足気味。

 

 朝の2時から起きたってすることはない。朝からパソコンを立ち上げても、眠たいばかりで頭が働かないから意味が理解できない。でも、なんとか時間を過ごして朝になった。今日は観光ガイド大窪寺班の勉強会の日。で、出掛けたら早すぎてまだ誰も来ていない・・・。なんだか、スカタン(とんちんかん・まぬけ)な朝ぼらけ。

 

 ようやく、九時過ぎになってメンバーが集まって勉強会になった。

 

 で、大窪寺や、そこまでの遍路道、道標、丁石などの情報を集めた「大窪寺のトリセツ」という本を配った。これ一冊あれば、大窪寺ガイドは完璧過ぎるような本になった。これが案外と好評だった。

 

 で、一月、二月は寒い時期だし、恒例で冬休み・・・ということでお休みにして、次回は三月に勉強会を開くことで終わった。観光ガイド関連は、ひとまず、今回でお休みになる。

 

 で、明日には、民生委員の定例会がある。先日の映画会のあと、お食事会になったのだが、その会費を親睦会費から支出することになったので、JAバンクという所に立ち寄った。

 

 そこにもクリスマスツリーが飾られていた。ふぅぅん、お店の雰囲気作りかなぁと眺めていた。こういうものにも全く興味はない。

 

 で、会計担当のお仕事を一つ片付けた・・・ということで、このことも一件落着。できることからコツコツと。

 

 で、今日のお昼はこれ。鍋焼きうどんである。いくら讃岐だとはいえ、三食続けてはおなかがおかしくなってくる。奥方が朝方に作ってくれていて、軽く温めて食べるのだが、さすがに・・・。

 

 で、今年の「新語・流行語大賞」を見ていたのだが、ほとんど知らない言葉ばかり・・・。黙食・・SDGs・・自宅療養、副反応、変異株などの漢字はわかるが、それ以外はさっぱり・・・。では、私の流行語大賞は何だろうと考えてみたけれど、何も思いつかない。寝不足がおつむを占領しているみたい。

 

 すると、北海道から「シャケ」が届いた。「新巻鮭」というのだろうか。ずいぶんと前には、鮭まるごと一匹を送ってきたのだが、骨が硬くて冷蔵庫や冷凍庫に入れるまでが大変だった。それが近年には真空パックになっているので、ポイポイと冷凍庫に放り込めるのでものすごく便利で楽になった。これを切り分けるには、上等の包丁でないと歯が立たないのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ」という鬼滅の刃の「柱」と呼ばれる鬼滅隊の幹部で、鬼の攻撃の前に命尽きようというときに母の面影と語り合う煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)の存在。その戦闘能力の高さから、敵方である鬼の猗窩座(あかざ)から「死も老いもない鬼にならないか?」と仲間入りを誘われたときの彼の名セリフからである。「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ。強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない。侮辱するな、何度でも言おう。君と俺とでは価値基準が違う。俺は如何なる理由があろうとも鬼にならない」という煉獄杏寿郎のことばである。お釈迦さまはこの世界を肯定的に受け入れた結果、死の間際でこのような言葉を残されたのだろう。わたしたちもお釈迦さまのようにすべてをあるがままに受け入れたとき、「老いることも死ぬことも人間の美しさだ」と捉えられるようになるのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


空っぽのバケツを木枯らし蹴ってゆく

2021年12月06日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 6日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は5度から13.7度、湿度は90%から60%、風は0mから1mの北北西の風が少しばかり。明日の7日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 114/65/79 36.3c-98%-63.2Kg 19.8c-39%-1018hPa 体調に変化はない。今日の日の出は6:55分、日の入りは16:54分、月齢は1.8の大潮。

 

 朝方は、自分史の地域の仲間たちということで、周囲のおうちの家族構成やら特徴やら、どういう関係であったのか・・・などということを纏めていたが、少しばかり年上や亡くなった方の名前などが出て来ない。あの手この手で探しながらの準備作業になった。今から六十年も昔の人たちのことを調べるのだから雲を掴むようなものだ。

 

 それで、思い出したことや調べたことなどを忘れないうちに文章にまとめておく。まずは骨格だけでも作っておけば、そのうち、肉や血管なども浮かび上がってくることだろう。

 

 で、9:30分を過ぎたので、県立病院へ行って来た。今日は「ペースメーカー外来」ということで、ペースメーカーの動作状況などを調べる検査である。

 

 病院に着いたのは10時過ぎ。もう、放射線科などはからっぽになっている。朝の検査が一段落した頃。だから待つ間もなくレントゲン検査室へ招き入れられる。ここでは、ペースメーカーが正しい位置に納まっているか、リード線の位置はこれでいか・・などを確認する。肺に貯まった胸水の量もチェックされる。

 

 患者さんがいないからスイスイと検査は進む。次いで整理検査室で心電図検査である。

 

 心臓の動作は正常か、ペースメーカーは正しく動作しているかをチェックする検査である。これも五分程度で終わる。昔のように印画紙に長々と記録したりはしないので、あっさりと終わる。みんな、データーは電子カルテに転送されている。

 

 だから、20分ほどで検査は終わってしまった。ドクターの診察は14時からである。4時間もあるではないか。そこで、30分ほども車で走って、道の駅「津田の松原」にある「松原うどん」までやってきた。暇と言えば暇なのである。

 

 ここで、いつもの「温玉ぶっかけ」を頼もうとしたら、「限定10食 しっぽくうどん」という看板が目について、すぐさま、それを注文した。しっぽくうどんは「季節限定」で冬の間だけ・・と言うお店がほとんど。十二月に入ったら、しっぽくうどんが登場する。しっぽくうどんが420円においなりさんが100円の520円。

 

 大根やニンジン、里芋、豆腐、こんにゃくに鶏肉などが入ったおうどんである。多分、鶏肉だろうと思って食べた。これが豚肉だったら今夜が最悪になる。牛も豚もダメなのだ。だから、シカやイノシシもアレルギー反応を起こすはずだ。

 

 それから3時間をあちらこちらとドライブしてきて時間つぶし。で、13時半から受付再開して、14時前にドクターの診察を受けた。

 

 診察たって、聴診器を当てるわけではない。こういう円盤を胸の上、ペースメーカーの上に置くだけである。それだけで内蔵されているペースメーカーの各機能がチェックできる。電池の残量とかやたら難しい記号の羅列とか・・。

 

 それを担当ドクターが集められたデーターを並べて画像診断する。ドクターは一切、私の身体には触れない。「ハイ、OKです。正常! 次回は三月です」でおしまい・・・。やれやれ・・・とほっとする瞬間。

 

 今日の掲示板はこれ。「空っぽの容器は一番大きな音をたてる」というもの。ジューウェル(イギリスの牧師)の言葉だとされているがイギリスのことわざという説もある。 容器は、それが空っぽのときに一番大きな音をたてる。  頭が空っぽな人間ほど、大きな声でわめき立てるという意味らしい。弱い犬ほどよく吠える・・・という言葉もある。同じような言葉に「空き樽は音が高い」というものもあった。おしゃべりな者は軽薄である・・と言う言葉もあった。能無し犬の高吠え/能無し犬は昼吠える/能無しの口叩き/光るほど鳴らぬ/吠える犬は噛みつかぬ/痩せ犬は吠える・・・類語はたくさんあった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


木枯らしが古家の屋根に突き刺さる

2021年12月05日 | 時には日々是日

 5日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で曇っていたが、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は7.5度から11.2度、湿度は52%から76%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の6日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 112/63/79 36.6c-99%-63.2Kg 22c-37%-1030hPa 体調に変化はない。今日の日の出は6:55分、日の入りは16:54分、月齢は0.4の大潮。

 

 昨夜は雨だったらしく、ぼっーとした日曜日。奥方が出勤していくのも知らずに熟睡していた。起きたのは6時過ぎ。朝のラジオ体操にようやく間に合った。「ま、日曜日くらいはいいか・・・」と言うた割に毎日が日曜日な私。

 

 先に、自分史「昭和は輝いていた」をまとめたのだけれど、サツマイモの栽培から収穫、そして焼き芋やら干し芋やら、渋柿の収穫から吊るし柿の作り方、村祭りやら集落のおまつりのことやら、お隣近所のことやらと、思い出せばキリがない。それらをまとめて、「続:昭和は輝いていた」を作らねば・・・と思い立った。

 

 で、近所のおうちや遊び仲間のことを書こうとすると、ほとんど記憶にないことがわかった。

 

 そこで引っ張り出してきたのがこれ。私たちの村の小学校の閉校記念誌である。このあたりのおじいちゃん、おとうさんから仲間たちから娘たちまでの全記録がここにある。みんな、同じ村の小学校なのである。おばあちゃんやお母さんはよそからお嫁に来たのでアテにはならない。

 

 これを繰りながら、我が家の周辺の家系図みたいな物を作り上げたのである。でも、同姓同名の人もあるし、お兄ちゃんは覚えていても妹の名前は忘れていることもあるし、作業は山有り谷有りだった。

 

 こういう山奥の村の谷一つが一つの集落になっていた。まずはこの地区からはじめてみた。ここには戦後、八軒の家があった。ほとんが農家だった。ここにいたひとたちを全て洗い出して並べてみた。卒業年から生まれた年を計算して並べてみた。でも、なかなかにお父さんやおじいさんの名前や奥さんの名前を思い出すにはずいぶんと時間が掛かった。

 

 これらは例文である。ま、こういうものを作ってみたわけだ。これをもとにして文章に起こしていく。これがまた大変だ。

 

 その合間には、昨日、訪問してお留守だったおうちへ再訪問して、二軒とも対面会話してお風呂の注意やら火災予防のお願いをしてきた。これで、この件は一件落着。完了報告。

 

 昨夜は「すき焼き」をしたのだけれど、私が牛肉を食べられないので、その代わりに鶏肉が入っているが、これでは「すき焼き」のあの牛肉から出るおいしさがまるでない。それをお昼にも食べてみたが、まるきり違う食べ物になっていた。右はカレーライスだが、それだけではつまらないので、さんまの蒲焼きを載せてみた。これはこれでおいしいかな・・と思った。だんだんと甘い物が欲しくなってくる自分がおかしかった。

 

 軒先の干し柿が、冷たい冬の空気を浴びていい色になってきた。お正月までもつだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「井の中の蛙大海を知らず されど空の青さと闇の深さを知る」というものである。誰の言葉かはわからなかった。『井の中の蛙』を辞書で調べてみると、「見聞の狭いことや、それにとらわれて、さらに広い世界のあることを知らないことのたとえ。出典:『日本大百科全書(ニッポニカ)/小学館』」とある。もともとは中国思想家:荘子(そうし)の『秋水篇』にある一節だが、日本に渡った時に編纂されてことわざになった。『秋水篇』の該当部分はこんなかんじ。”北海若(ほっかいじゃく)曰く、井蛙(せいあ)には以(も)て海を語るべからざるは、虚に拘(かかわ)ればなり”。つまり、北海の神である「若」がこう言った。「井戸の中のカエルに海のことを分からない。それはカエルが狭い環境にこだわっているからである。と。

 

 「井の中の蛙大海を知らず されど空の青さと闇の深さを知る」というのは、「井戸の中のカエルは大海を知らないが、それでも井戸の中の事情には詳しいし、空が青いことも知っている」。つまり、狭い範囲しか知らないからこそ突き詰めて物事を考えられるのだ、と前向きな捉え方をしているのである。今年はオリンピックのせいか「カエル」が人気になった。また、こういう言葉もある。”井の中の蛙大海を知らねども花は散り込み月はさし込む”というもの。狭い環境であっても、自分の心さえしっかりとしていれば、海の広さだけを自慢するのでは無くて、春には花が咲き花が散り、月が昇り月がさし込んでくる。何も狭い環境であっても心まで狭くすることはないじゃないか・・・と言うのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


赤南天鏡の前に行くまでは

2021年12月04日 | 時には日々是日

 4日のさぬき市地方は、西高東低の気圧配置となり、寒気や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は8.5度から11.7度、湿度は72%から46%、風は2mから6mの西の風が一時は強かった。明日の5日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 106/60/79 36.4c-99%-63.2Kg 15.2c-41%-1018hPa 体調に変化はない。日の出は6:54分、日の入りは16:54分、月齢は29.2の大潮。

 

 天気予報は曇だが、朝方は良く晴れていてさわやかな初冬の雰囲気。ただ、風が冷たくて流れがきつい。いよいよと冬だなぁと思う朝。燃えるゴミや空き缶を片付けておいてからお仕事に向かう。

 

 今日は民児協大川の「一日訪問事業」の日。こういうのを、他の市町村でもやっているかどうかは知らない。地区内のひとり暮らしの高齢者と高齢者夫婦世帯に、訪問品を持って訪問し、高齢者の安否確認と見守り・声かけをするものである。

 

 こういう用紙をトイレットペーパー一袋ずつに貼り付ける作業から始める。少し前まではおはぎだったりお寿司だったりしたのだが、最近は感染症対策のためにトイレットペーパーになった。

 

 こういうものだから、8ロール入りらしい。これが一世帯分、ほかに市のゴミ袋とかマスクとか使い捨てカイロとかもセットにする。

 

 これを手分けでやって、今度は担当地区ごとに人数分を配分していく。みんな、自分の担当地区の数は知っているので、自分で取り分けて数あわせをする。午前8:30集合のはずだったが、8:30分には、すっかりと片付いてしまっていた。

 

 今年が第42回・・・ということは、42年目ということになる。2021-42=1979年、つまり昭和の54年からの事業と言うことになる。数年前には、町内の駐在さんとか老人会会長とかが来賓で挨拶もあったが、今年はそういう人たちもいなくて、婦人会や食改の会長さんあたりの挨拶になった。

 

 これがうちの会長。この人もなんでも出来る人だし、よく動く人出ある。

 

 この方が婦人会の会長さん。日赤の協力員とか婦人消防団の会長とかも兼務しているらしい。婦人会があれば対する男性はなんと呼ぶのだろうかと考えていた。主人会でも夫君会でもおかしい。対語がない場合は使ってはならないと、ある講習会で聞いた。「女性部」というべきだろうか。ま、どうでもいい話。

 

 出発式が終われば、みんな、一斉に自分の担当地区に散らばっていって、安否確認をしながら、冬場のお風呂に入る時や出るときの注意、住宅火災が多発しているので、その諸注意なんぞをお話しながら品物を配ってゆく。あくまで対面方式で安否確認をしながら、健康状態を確認しながらである。声がないとばかりに玄関脇に置いてきたりはダメ。あくまで顔を見てから。だから、二軒は明日になった。

 

 今日のお昼はエビ天カレーうどんである。おうどんの姿が見えないけれどカレーうどんなのである。

 

 ほれ、この通り。でも、昨日のうどんのように、今日も太麺である。でも、なんとか完食できた。

 

 今日の掲示板はこれ。「浄土の鏡に映る私には角がはえていた」というもの。どこの誰のことばかはわからなかった。お浄土に、こんな鏡があるのかどうかは知らないが、そこに「角の生えた私が映っている」というのである。そんな人はお浄土には行けそうにもないと思ったのだが。それはともかくとして、正しく生きてきたと思ったのに、ふと鏡を見ると、私の頭には角が生えていたという驚き。それはとりもなおさず、欲望の角であり、恨みや妬みや嫉妬の角であったに違いない。

 

 地獄には「浄玻璃の鏡」というものがあるらしい。浄玻璃鏡とは、閻魔が亡者を裁くとき、善悪の見きわめに使用する地獄に存在するとされる鏡である。ここには、生前の亡者が犯した罪状がそのまま映し出されるという。ここで、いくら亡者が生前の功績や善行を主張してみても、この鏡に映し出されたわが身を見ては白状せざるを得なくなる。

 

 今日のおまけの掲示板。「浄玻璃の鏡のまえに立つまでは ひめておきたしあのこともこのことも」浄玻璃の鏡というのは、閻魔さまのところにある鏡である。人間がこの世で犯した罪業の数々を、みんな写し出すという、なんともおそろしい鏡である。人には言えないうしろめたさをかかえたまま、やがて浄玻璃の鏡の前に立たされる。誰にでも、墓場まで持って行きたい秘密のひとつやふたつある。人には見せたくない黒歴史の一つや二つはある...。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


山里の誰も通らぬ落ち葉みち

2021年12月03日 | 時には日々是日

 3日のさぬき市地方は、湿った空気や寒気の影響で概ね曇り、雨の降る所がある見込み。気温は6.0度から13.6度、湿度は68%から56%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。夜は雷を伴う所があるらしい。明日の4日のさぬき市地方は、湿った空気や寒気の影響で概ね曇り、明け方まで雨や雷雨となる所がある見込み。

 

 106/60/79 36.2c-97%-62.6Kg 12.6c-40%-1021hPa 体調に変化はない。

 

 朝の間は、私の会計処理なんぞをやっていた。月別の集計表やら、

 

 年間の集計表やらと、数字音痴ながら、ただ、数字を並べていくだけ・・・。どこにどれだけお金が消えていくのかを突き止めようとしている。

 

 いつもは朝食は食べないのだが、今朝はなんとなくおなかがすいたので、何かのイベントでもらった「ミニどん兵衛」があったので、どんなものだろうかと食べることにした。

 

 ほほぉ・・、天ぷらそばらしい。電気ポットでお湯を沸かして注いで3分間待ってみた。確かに天ぷらそばらしい雰囲気はある。でも、「ふぅぅん・・」で終わった。味音痴なのかも知れない。

 

 奥方が、「さ、行くわよ」と言った瞬間、何かが落ちる音がした。奥方は壁掛けテレビが揺れた・・・という。なんだろうと思っているとスマホにさぬき市からの防災メールで「震度4」の一報が入った。我が家は耐震構造なので何ら問題はない。

 

 震度4・・・というと、「ほとんどの人が驚く。歩いている人のほとんどが、揺れを感じる。眠っている人のほとんどが、目を覚ます」とあるが、全く揺れは感じないし何も感じず驚かなかった。ただ、何かが落ちた音だけがした程度。「電灯などのつり下げ物は大きく揺れ、棚にある食器類は音を立てる。座りの悪い置物が、倒れることがある」ともあったが、何の被害も音も揺れも感じなかった。後で調べたら、壁に飾っておいた戦艦大和のプラモデルが床に落ちた音だったらしい・・・。ほかにそれらしきものはない。

 

 今日は奥方がお休みなので、ドライブがてら、弟の家に「自然薯」を配って来ることになっていた。前にも書いたように、今年は耕作者が大幅に減ったために品物が出ないのだという。で、こういう、型落ち、B品しか残っておらず、食べる分にはこれらでよかろう・・ということでお出かけをした。その途中でも地震の被害らしきものは見ることはなかった。 

 

 で、1時間半ほどかけて、この「ニューレオマ・ワールド」のある丸亀市綾歌町まで走ってきた。途中、三回ほどのトイレ休憩があった。

 

 で、弟の家で自然薯を下ろして、お昼はおうどんにしようと、弟と三人で、近くにある「手打ちセルフうどん海侍」というお店に向かった。平成の大合併前には「飯山町」という町で、桃の特産地である。

 

 ここも、何度か経営者が変わり、お店の名前も何度も変わったが、今は、「手打ちセルフうどん海侍(かいじ)」というお店になっている。

 

 古民家風・・・のような内装である。土壁(荒壁)そのままのお部屋もある。

 

 弟は肉うどん(360円)、奥方はかけうどん(180円)、私は・・・と迷った挙句、「わかめうどん小の温いん(250円)」をお願いした。ここには温玉ぶっかけも、しっぽくうどんもなかったのだ。

 

 驚くことに、ごらんのような麺の太さだ。これは・・・と思ったが、どうにか完食することができた。お出汁はやや薄味だったような気がする。

 

 牛肉が食べられないとなると、おうどんのメニューも半分ほどになる。かけうどんだけでは寂しいし、カレーうどんにも「牛すじ」とかの肉入りカレーが多い。

 

 今日の掲示板はこれ。「背負わされたと思えば荷物は重くなる 背負わせて頂いたと思えば感謝になる」という荒了寛さんの言葉から。昨日の掲示板にも相通じるところがあるけれど、仕事だと思うから、背負った荷物が重くなる。遊びの登山だったら、いくら背負っても重いとは感じない。他人さんの親を背負ったら実に重いと感じるが、自分の母親だと重いとは感じない。重い軽いも、この私の心が決めるのである。人間とは、そんな不思議な動物である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


師走とてのほほんとする蜘蛛の糸

2021年12月02日 | 時には日々是日

 2日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は5.5度から11.3度、湿度は64%から48%、風は3mから1mの南西の風が少しばかり。明日の3日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇る見込み。今日の日の出は6:52分、日の入りは16:54分、月齢は27.2の中潮。

 

 103/72/79 36.2c-98%-62.6Kg 14.0c-43%-1020hPa 体調に変化はない。

 

 数字的には相変わらずで、相変わらずの寝不足気味。別に出かける用事も行きたいところもやるべき仕事もないのだから寝ていればいいようんものだが、朝の4時半になると起きてしまう。

 

 Anカレンダーの12月分である。「法事法賛、孫子(まごこ)の正月」という言葉があった。私らの子供のころには娯楽もなかったもので、親戚筋の「法事法賛」、祥月命日などには家族総出で出かけたものだった。

 

 そのころはお坊さんも前の日から泊まり込みでやってきて「三部経」を詠むのが常だった。夜に一座、翌日の午前中に二座のお勤めが子供心には苦痛だった。でも、この「がんにぃ~し~く~ど~くぅぅ・・」が聞こえるとお尻がむずむずとした。お経が終わるのである。

 

 お経が終わると子供たち十数人が表に飛び出して走り回り、鬼ごっこをし、チャンバラをして、お盆かお正月のように遊んだものである。その間に、お膳が並べられ、座布団が配られて「お斎:おとき」になる。そうすると、子供らは給仕役で、ご飯のお替り、お汁のおかわり、お酒の追加や熱いぬるいの注文取りまでやらされる。お斎が終わればすぐさまにチャンバラや赤胴鈴之助ごっこ、月光仮面ごっこに夢中になった。これを、このあたりでは「おきゃく」と言った。

 

 お坊さんになって、自分が、この「願以此功徳・・・」を詠むようになった時、あの頃の子供心が懐かしく思われてホッとしたものである。「あ・・、これで終わるんだ・・・」だから、カレンダーの最後のページにこれが印刷されているのかと納得した。

 

 愛用のダイアリーもこのページでおしまい。来年用のダイアリーは用意してあるが、この年になるとクリスマスもお正月も関係ない。毎日が今日の連続であることに変わりがない。

 

 そうは言っても、お役目だけは休めない。来年三月のイベントをどうするのか意見がまとまらない。いろんな「たたき台」を用意しないと議論が進まない。今月でまとめないと、報道や広報には間に合わない。やるか、やらないかの決断の時である。

 

 だから、あの手・この手の資料を準備して納得してもらうほかない。その準備作業中。会議は来週の火曜日の七日である。あと五日・・・。

 

 今日のお昼も昨日とおなじ「むかごご飯」。全く、お野菜ばかりの食事である。サル除けネット・鳥除けネットのおかげで野菜は豊作。それをこれでもかと並べるのだからありがたいのか、どうなのか。

 

 昔は「昼ドラ」というと「よろめきドラマ」みたいなのが流行したらしいが、これは昼間のドライブで「昼ドラ」である。これが、いつもお世話になっている赤松先生の「正行寺」さんである。正式には「雲生山月光院正行寺」さんという真宗興正派のお寺さんである。

 

 今日の掲示板はこれ。「私たちは地球の今、この時、21世紀に一瞬だけ住むことを許されているんだ」という写真家の桃井和馬さんの言葉からである。上記の赤松先生のお寺の掲示板から。写真家の桃井和馬さん(59歳)は、世界140か国以上をまわって戦場や紛争地の写真を撮ってきた。しかし、ある時から、争いではなく、自然など人間を超えた大いなるものにレンズを向け始めた。そして桜美林大学の客員教授を務める現在、学生たちと共にスペインの巡礼路約1000キロを歩く活動をしている。なぜ桃井さんの被写体は変わっていったのか?なぜ、いま学生たちと共に巡礼路を歩くのか?桃井さんは何を見、何を感じたのだろうか。しかし、大きな目で見たとき、私たちの存在はあまりにも小さすぎて、長い歴史の中から見れば、ほんの一瞬、この21世紀に身を置いただけに過ぎないのだと知らされることだろう。

 

 写真家・桃井和馬さんである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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