気分転換

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日常を気楽に綴っています。

埼玉県指定旧跡「渋沢栄一の生地」

2024年01月14日 | 食べ歩き

昨年夏、高校のクラス会に参加した時に
深谷市の旧渋沢邸「中の家」の隣にある
「煮ぼうとうの麵や忠兵衛」でパートを
しているという近況報告をしていた同級生を
思い出し暮れに行ってみました。

「煮ぼうとう」は我家のあたりでは「お切込み」
とか「おっ切り込み」とか言い、子供の頃は
寒い冬になると家で打った手打ちうどんを野菜と煮込み
夕食によく食べていました

テレビの大河ドラマで渋沢栄一が取り上げられてから
すっかり観光地になり「1日に200食も出るの」
と聞いていました。

きしめんよりももっと広い平打ちの生麺が
深谷ネギや地元野菜と煮込まれたしょうゆ味の
「深谷の煮ぼうとう」

箸袋の裏には渋沢栄一翁夢七訓がプリントされて
お隣の方も「記念にもって帰ろう」と聞こえてきました。

帰郷した際には好んで食べていたそうです。

私は以前深谷の友人の案内で二度生家「中の家」には
訪れた事があったのですが夫は初めてという事で
折角なので見学していく事にしました。

昨年春に改修工事が終わりすっかりリニュアルされていました。

ブログで振り返ったら2017年だったので
訪れたのは6年前の事でした。

まだドラマ化もされていなくて玄関を入った土間の所で
説明を読み土間から中を眺めるだけでした。

今回は中が見学コースになっていて二階にも上がる事が出来ました。

 

旧渋沢邸「中の家」(なかんち)

渋沢栄一は23歳の時にこの「中の家」を離れ京の都に出たので
この現在残っている主家は後を継いだ妹夫婦が明治28年に建て変えたものです。

1階奥に帰省した時に寝泊まりしていた部屋が残されています。

今回の改修工事では

「渋沢栄一アンドロイド・シアター」が作られ
帰郷した際にくつろぐ80歳ころの栄一が
ふるさとの思い出を語ります。

 

二階は大河ドラマに係った方々の展示物や

耐震補強の様子も見られます

そしていよいよ今年7月からは
新一万円札の顔になります。

新しいお札は漢数字では無くなるのですね。

外国人にも分かりやすくするためなのでしょうか?

 

折角ここまで来たので栄一の奥さん(千代)の実家
尾高惇忠(従兄・義兄)の生家にも行ってみました。

栄一は7歳の時からここに通い論語をはじめ
惇忠に多くの学問を師事しました。

尾高惇忠は明治時代「富岡製紙工場の初代場長」
「第一国立銀行の盛岡支店長、仙台支店長」などを務め幅広く活躍。

娘(ゆう)は富岡製糸場伝習工女第1号になっています。

この生家は江戸時代後期に惇忠の曽祖父磯五郎が
建てたものと伝わっています。

2階には非公開ですが色々な密儀をしたと伝わる部屋も残っています。

ここを担当されている係の方が知識豊富で話し上手、
説明が止まりません。

聴き上手な夫に気分が良かったのか長々お邪魔してしまいました。

展示物や話の登場人物はつい役者さんの顔を
思い浮かべ「あ~、あの人の事ね・・・」と理解します。

 

最近は観光バスでも来られたりするためか
広い駐車場も完備されました。

旧渋沢邸と尾高惇忠生家、その間には渋沢栄一記念館、
鹿島神宮などがあり散策コースとしても良いと思います。