老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

ノルウェイの森

2015-12-21 00:35:22 | 俳句

 ラジオからから、美しい音楽が流れてきた。
ハープの美しい調べ。
思わず目を閉じた。
まなうらに、東山魁夷の絵が浮かんでくる。
「静映」 「緑響く」 「白馬の森」   あの北欧の湖を書いた絵だ。
目を閉じたまま、聴いた。
魁夷の絵が頭の中を漂っている。
音楽に陶酔したのは初めてかもしれない。

ビートルズの(ノルウェイの森)のハープカバー楽曲とわかった。

🍒ビートルズの(イエスタディー)は100年後も残っている名曲だと信じている。
最も好きな曲でもある。

北海道の湖は何回かおとずれた。
北海道の湖も美しい。
しかし、ノルウエーと、比較するには無理がある。

(ノルウェイの森)の曲に、一度ノルウエーに行ってみたいと思わす、魅了さす、力があったなんて驚きと、私に音楽に対する感性が残っていた嬉しさ。

🍒村上春樹は何冊か読んだけれど、読みこなせていない。



 私の散歩コースにある池。
ため池の県だから、50メートルも歩けば、大小のため池がある。
それらの池の中でこの写真の池が、一番好きだ。
いつも静寂につつまれている。
他の池は、池堤に囲まれていて、単に見ただけでも農業用ですと、主張していて味気がない。
この池は木々に囲まれている。倒木が風情を醸し出している。
風が吹けば、さざなみが立ち、お日さまを反射した池の面がキラキラと光る。
野焼きの煙が流れてくると、幻想さえかんじる。野焼きの煙と承知していても。



 カメラがぼろっちいから、鳥を綺麗に撮ることはできなかった。
鵙か鵯の大きさだ。枝渡りをしていた。
池の向うのほうには、水鳥が4~5羽いたが、写真には遠くすぎて写らなかった。


ノルウエーの森とは大違いだけれど、魁夷の絵と湖の連想から、今日はこの池の周りを散歩した。
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白内障の手術 皆さんおなげきあるな

2015-12-19 18:36:26 | 俳句
ああいやですね。  (?_?)
年をとるのは。
白内障に罹った、男性の方、お気の毒と思いました。

御免なさいね。
夫の友人、私の友人、周りに沢山の白内障や、目を悪くしたかた、沢山います。
私に、
「お久ぶり、、。、。。@;@  私、白内障の手術して、大変だったのよ」と開口一番言う人。
「それが、どうした」

意地悪だと思ったら、ここから先は読まないでください。

「あんね、:;@。・君が白内障になりかかってるんだって」と夫が友達に会うと、嘆いていた。、、との近況報告をする。
私は夫に云う。
「嘆いて、哀しそうにして、この世の終わりみたいな友達に言ってやんな」と私は言う。
「内の家内は、難病指定の目の病気になっているよ。白内障くらいでおたおたすんな」
「それくらい言って、励ました?」

本人にすれば、大変のことです。大変です。

私は、子供の時から、身体が悪かった。
外からは見えない、内臓の病気でずいぶん苦労した。

一病は柳に雪折れ、なぞと言い、無理をしないで、気ままに暮らしていると、この年齢まで生きれることができるのです。

昔の私の病気を知っている人は今の元気な私を見て驚いている。

三年程前、急に目が見えなくなった。
パソコンは使う。本は好き。裁縫も好き。
目を酷使しているから、悪くなったかな~。
年齢的には、白内障かな~。とさほど気にしていなかった。

余りにも急激に目が見えなくなった。
一人で外を歩けなくなった。

病院へ行って検査をする。
「紹介状を書きますから医大へ行って下さい」
「早いほうがいいですよ」
電話をかけて、予約を入れて下さる。

一度では、名前が覚えられない病名。
何度かの検査、そして手術。
今はこのようにパソコンを打っている。
目は見えるようになった。
しかし、私の病気は、内臓から、目にきているという。
完治したわけではない。
医大で年二回検査。近所の眼科で月一回の検査。
小康状態です、と言われている。ほんとうは哀しい。哀しみは隠している。

何かの拍子で私の病気のことを知った、古い友達が
「どうして、貴方ばかり、重い病気に、どうして」と嘆いてくれた。
若い時から、日々の生活も制約され、食べるものに気をくばり、傍から見ると、健康そうであるが、スポーツなどやったことがない。
せいぜい歩くのが精いっぱいの、健康のバロメーターなのである。


全国に二万三千人ほどいるらしい。
研究はどうなっているのか?
医大に入院した時、難病ではなくても、私より、苦しんでいる目の病気の人が何人もいた。
私は手術して見えるようになった、と先生に感謝し神さまと夫に有り難うございますと、心から言った。

心配をしている夫に隠れて泣いたこともある。身近にいて手となり足となってくれた。苦労をかけた。手を引いて、杖となって歩いてくれた。

子供の頃から、病気と二人三脚、背中合わせで生きてきたから、くよくよしないことにしている。
ネアカの性質だから、明日ばかり見て、後ろは振り向かない。

白内障の方、神経質にならないで。
「おたおたすんな」「早く目も心もよくなって下さい」

         🐢   あびるほど目薬さして冬籠

         🐢   春愁や舌かみさうな病の名







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何かが拾える方向音痴

2015-12-18 23:52:52 | 俳句
                 

夫が二週間に一度の絵の稽古。
昨日は寒くて、散歩に行けなかった。
「今日も寒いよ、家のほうが良いよ」
「でもでも、昨日歩いていないから、乗せてって」

ということで、隣町まで便乗して、図書館での待ち合わせを約束した。
適当な場所で車を降りた。
又、方向が判らなくなった。
スマホを出して、地図の確認。
電波が微弱で、この場所は判明出来ません。とのたまう?ケケケケ  (*_*;

まあ歩け。
冬の日差しが眩しいくらい、ぽかぽか陽気。

             

あてずっぽうに行くと、桜の冬木が三本ある。見事な古木で三本が競いあうように、枝を張っている。
土手の上に近づくと、紅い色を残した桜紅葉が少しだけ枝の先に。
下をみると、鮮やかな彩の桜紅葉が散っている。
手に取ると、夕べの露が残っていたのか、手の平の上でキラキラと光る。



土手堤の上を歩くことに。
冬萌えの草を踏んでゆく。
木の下の陰には、霜枯れした草も見える。
白い、霜柱が消えないで根方にある。

           

土手を降りて、しばらく歩くと、鶏小屋が。
綺麗な鶏だ。10羽くらいいて、その中に篭の中でじーと動かない鶏がいる。卵を抱いているのであろうか。

             

良い匂いがするので、近づくと、蝋梅が咲いている。
昨日、テレビやラジオで盛んに香川県はたんぽぽの花が、いつもの年より二か月も早く咲きましたと、言っていた。
蝋梅の花も。
狂い咲きではあるまい。楽しい。

          

テレビ番組に (つるべに乾杯)がある。
あの番組のように歩いても歩いても、家は並んでいるのに、物音もしない、人影は見えない。
のんびりと40~50分歩いたが、自分が今どこにいるのかわからない。
琴電の電車の音は聞こえる。
この音が聞こえているかぎり、図書館は駅の近くにあるから、最終的には、駅を見つけて電車に乗ればいいのである。

葉牡丹を、庭一面に咲かせている。正月がいつきてもいいように庭造りをしている。
きっと種から、苗に仕立て、植えたのではないか?
この株の数。私が庭を彩ろうとする。
花屋で買うと凄い金額になる。多分、農家のノウハウをいかしで、美しく咲かせているのであろう。



ぶらぶらと、電車の音を追って行く。
庭に咲いた花や玄関先に咲いた花を見ながら歩く。
大方は夏から秋咲の花が今だに残って咲いている。
香川県は暖かいので、何軒かの家だは ブーゲンビリアが咲き誇っていた。

         

国道に出ることができた。
見慣れた街並である。二週間前とは、まるっきり方角は違っている。
ここから、図書館までは三キロはあるだろうと見当をつける。
骨董店があった。
見るからに、骨董店というより*@*店みたい。
店主が出てきて
「まあ、見てゆきな」と言う。

隣の街だけれど、旅に出た気分だ。
小奇麗な喫茶店や、花屋。私の好きな和風雑貨の店。
普段は来たことの無い街。
遠い観光地に行かなくても、見るもの、触れるものが初めてだから、楽しい。

俳句も考えながら歩く。
今日もたっぷり、二時間半は歩いた。

       ☆彡   ぼろ市の売物みたいな店主かな

            ちゃんちゃんパソコン喫茶出てきたる

方向音痴のおかげで?右にふらふら、左にぶらぶら、思いがけないことに出会うことができた。
何かを拾うことができた。  ( ^_- )-☆
           







                  
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認知症の検査

2015-12-17 16:47:56 | 俳句
 一年、もっと前かな?
認知症検査を受けた。

ある寺へ行った。
蕪村の絵がある。絵の良し悪いは解らない。
絵でも、軸の文字でも、仏像でも、芸術品は超一流の本物を見ておいたほうが良い。
機会があって誘われると、いつでも誰のお供でもご一緒して、一流のものに接しておく経験を積むことをこころがけている。

俳句仲間と一緒に、蕪村寺へ。
絵を観た後、蕪村が写生をした蘇鉄がある庭へ。
蘇鉄が生えている庭へは、本堂と庫裏を繋いでいる長い廊下を渡って行くようになっている。
私はいったん、靴を履いて、その廊下の途中にある橋をくぐって庭に行こうとした。
ご住職が、橋の下をくぐる時は、低くなっているから、気をつけて下さいと、注意してくださったにもかかわらず、頭の下げかたがたらずに、頭を強く打ってしまった。

痛かったのは確かだ。
その日は、ああ痛いで済んだ。
その日から、二;三日たっても、打った所の痛みが消えず、だんだん痛みが増してくる感じする。

病院へ行った。
レントゲンを撮った。
幸いにどこも悪くはなかった。



そこの病院で 認知症の検査をやっていた。
この機会に、次にわざわざ来ることもないであろうから、私も申し込んで、検査を受けることにした。
物忘れが激しい。特に人の名前は本人を目の前にしているのに浮かんでこない。
諸々の思い当たるふしが沢山ある。



テレビで観たことがあるだろう。検査をやっている場面を。
ペン。時計。髪飾り。。。。。
机の上に置いて、記憶の検査。

100から 7 を引く計算をする。
最初の 93 という答えはすぐできた。
次の答えはなかなか、出てこない。
つぎになると、もっと時間がかかって出てこない。
93-86-79-72-65--この辺くらいまで長い時間をかけて答えを出すことができた。
やっと、ほんとうにやっと答えれた。
次に検査員が紙になんでもよいから文章を書いて下さいと言う。

困った、困った、100 から 7 を引く計算が出来ない。困った、困ったと書くと、
笑いながら
もう結構です。
100から7を引く計算は私にも難しいですよなんて、言う。
その時は心配がなかった。

今でも夜、布団の中で寝るまで(100-7)の計算をする。
(218ー7)でもどんな数字でもいい。
だから、認知症にならないとは言えぬが、、、、。

認知症の恐い災難の話がある。
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露天風呂から見える島

2015-12-16 23:48:31 | 俳句


 今年一番の寒さ。
近くの温泉施設に温もりに行く。
市営の温泉施設でいつ行っても、客は少ない。
市の出先機関のビルの三階に、サウナ、露天風呂があって、二階には、健康機具まで設置されている。
今日は北風が強く、冷えた体に薬湯がありがたかった。
のぼせた頭を冷やしに、露天湯のほうに移る。
ここから右を見ると、映画(世界の中心え愛を叫ぶ)のロケ地げ有名になった、皇子神社と、境内の、あの、ブランコ まで見える。
そして、正面に、ハンセンの病気に罹った人達が療養をしていた大島が見える。
大島行きの舟が運航されていて、ここ庵治港からは20分で行けるそうだ。
私が以前訪れたのは、高松港からで、もっと時間がかかったと思う。

島には、青松園という、病気療養所がある。
この青松園に 詩人、搭 和子氏 がすんでおられた。
昭和18年ハンセン病により入園。11才であった。
平成25年8月 83才で死去。この島で70年間 過ごされた。
詩の芥川賞と言われるH賞候補に3回もあげられたことも。
1999年には 高見順賞を受賞。
2002年 香川県教育文化功労賞。
2004年 第62回山陽新聞賞。

詩集「裸木」に始まり「今日という木を」まで何十冊も出版しておられる。

手を伸ばせば届きそうな近くの島で生涯を閉じられた 搭和子 さんを、不埒にも裸姿でいつもこの三階の露天湯から、偲んでいる。



素晴らしい詩を紹介します。

           「師」             
     
     私は砂漠にいたから  一滴の水の尊さがわかる
     海の中を漂流したいたから   つかんだ一片の木ぎれの重さがわかる
     闇の中をさまよったからかすかな灯の見えたときの喜びがわかる
     過酷な師は  
     私をわかるものにするために 一刻も手をゆるめず
     際限に立ってひとつを学ぶと  
     息つくひまもなく
     また 新たなこころみへ投げ込んだ 
     
     いまも師は 大きな目をむき まだまだおまえにわからせることは
     行きつくところのない道のようにあるのだと
     
     愛弟子であるから私は手をはなさない
     そして
     不思議な嫌悪と 親密さを感じるその顔を 近々とよせてくるのだ 
          (未知なる知者よ)より

 ハンセン病が完治してからも島での生活を余儀なくされ、偏見と向いあい戦った搭さんの魂の叫びが心をうつ。
何度も何度も読み返し、私自身が私の生き方と対峙させられる一片の詩であり、師と仰ぐ詩なのである。
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