みつばさん今晩は。毎度足跡とご投稿有難うございます。
今日8/7は我が故郷、東三河の豊川受難の日でありました。
1945=昭和20年のこの日、当時の帝国海軍の武器製造拠点、豊川海軍工廠が合衆国空軍による爆撃に遭遇、関係者及び民間人約2000名が犠牲となりました。終戦の僅か1週間前の出来事でした。
先日も記しましたが、戦争と言う出来事は、1枚のカードの表と裏だと私は思います。被害者としての表の面、他方加害者としての裏、すなわち負の面ですね。
今夜は私の知る大きな負の一面を申し上げようと思います。
1932=昭和7年に、旧帝国の傀儡政権とも言われる満州国が建国されたのはご存知だと思います。同じ頃、同国北方の旧ソビエト連邦との国境までそう遠くない所に、関東軍防疫給水部、所謂陸軍第731部隊の前身となる組織が創設されました。前記の部隊名となったのは1936=同11年、表向きは防疫と飲料水確保等でしたが、実態は生物細菌兵器の(後に毒ガスも加わった模様)開発にあり、部隊長は石井四郎・陸軍軍医中将でした。
同中将は大正年間に起きた第1次大戦にて欧米を視察、高い各国の軍事レベルを把握した後、細菌兵器の有効性に着目して研究の傍ら、この部隊の創設を手がけた模様です。
問題はこの細菌兵器開発に当り、人道、倫理の両面で大きく逸脱する人体実験が多く行われた事でしょう。捕虜を用いた、言葉では表せない様な生体解剖や細菌実験が繰り広げられ、犠牲者数は先述の空襲でのそれに匹敵すると言われています。子供までが実験に使われたとも言われ、下手をすれば合衆国による2度の原爆投下、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺に次ぐ危害かも知れません。
1945=昭和20年夏敗戦が濃厚になると、様子を見た石井部隊長は総面積6平方kmもの防疫給水部の施設破壊を命令、拘留されていた捕虜も全員毒殺されました。
兵器開発に関する証拠隠滅が目的で、部下にも「機密は墓まで持って行く様に」との厳重な命令を下していましたが、部隊最高幹部のグループは、これを守りませんでした。
何と、当時既に冷戦状態にあった連合国進駐軍GHQに対し、極東国際軍事裁判での訴追を免れる為、このグループの方から取引を持ちかけたと言うのです。結果GHQは取引に応じ、幹部達が裁きにかけられる事はありませんでした。
私は人道、倫理、そして国益をも踏みにじるこの件に接し、心よりの憤りと呆れた感情を禁じ得ませんでした。
特殊兵器の情報と言えば当然国家の最高機密の筈。それを部下には機密厳守を命じる一方で、自らの保身の為に取引材料とする行為は明らかに祖国を外国に売り渡す「売国行為」そのものではありませんか。
これならまだ、同裁判での訴追、そして極刑を受け入れた東條英機、広田弘毅の両元首相を初めとするA級戦争犯罪人達の方が潔く思えますね。
実際、この時の兵器情報は合衆国の最高機密として一般から封印され、後の朝鮮動乱やベトナム戦争にて利用されたやに聞いております。
更に戦後の国内にも惨禍を引き起こします。この部隊の幹部の多くが戦後、薬品メーカー「ミドリ十字」の発足に関与します。このメーカーはご存知の様に、安全上問題ありとされた血友病向けの非加熱血液製剤の輸入取り扱いを続け、悪名高い「薬害エイズ」の発生に加担した他、不適切な臨床実験を行った疑惑も持たれています。
この事共を見る時、私は現在まで続く政官界腐敗の原風景を見る思いが致します。
戦前、中国大陸にて陸軍向け物資調達組織「児玉機関」を立ち上げ、戦後も長く政治思想活動に関わり1976=昭和51年のロッキード疑獄事件で刑事責任を問われた国粋運動家、児玉誉士夫さん(故人)も「末期の軍部は明らかに腐敗していた」との証言を残しています。
技術は秀でているものの、倫理面の寒すぎる当時のエリート達の実態かも知れず、その影は今も尾を引いていると言う事でしょう。対米面で我国の対応が弱くなりがちなのも、あるいはこの遠い影響なのかも知れません。
余りに加害面ばかりを強調するのも不健全ですが、明らかに罪業である部分はきちんと事実を認めなければ我国の今後は極めて暗いものになってしまい、ひいては衰退を招く事でしょう。
「過去に目を背ける者は未来に対しても盲目である」とはその事を指しているのでしょう。*(日本)*
今日8/7は我が故郷、東三河の豊川受難の日でありました。
1945=昭和20年のこの日、当時の帝国海軍の武器製造拠点、豊川海軍工廠が合衆国空軍による爆撃に遭遇、関係者及び民間人約2000名が犠牲となりました。終戦の僅か1週間前の出来事でした。
先日も記しましたが、戦争と言う出来事は、1枚のカードの表と裏だと私は思います。被害者としての表の面、他方加害者としての裏、すなわち負の面ですね。
今夜は私の知る大きな負の一面を申し上げようと思います。
1932=昭和7年に、旧帝国の傀儡政権とも言われる満州国が建国されたのはご存知だと思います。同じ頃、同国北方の旧ソビエト連邦との国境までそう遠くない所に、関東軍防疫給水部、所謂陸軍第731部隊の前身となる組織が創設されました。前記の部隊名となったのは1936=同11年、表向きは防疫と飲料水確保等でしたが、実態は生物細菌兵器の(後に毒ガスも加わった模様)開発にあり、部隊長は石井四郎・陸軍軍医中将でした。
同中将は大正年間に起きた第1次大戦にて欧米を視察、高い各国の軍事レベルを把握した後、細菌兵器の有効性に着目して研究の傍ら、この部隊の創設を手がけた模様です。
問題はこの細菌兵器開発に当り、人道、倫理の両面で大きく逸脱する人体実験が多く行われた事でしょう。捕虜を用いた、言葉では表せない様な生体解剖や細菌実験が繰り広げられ、犠牲者数は先述の空襲でのそれに匹敵すると言われています。子供までが実験に使われたとも言われ、下手をすれば合衆国による2度の原爆投下、ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺に次ぐ危害かも知れません。
1945=昭和20年夏敗戦が濃厚になると、様子を見た石井部隊長は総面積6平方kmもの防疫給水部の施設破壊を命令、拘留されていた捕虜も全員毒殺されました。
兵器開発に関する証拠隠滅が目的で、部下にも「機密は墓まで持って行く様に」との厳重な命令を下していましたが、部隊最高幹部のグループは、これを守りませんでした。
何と、当時既に冷戦状態にあった連合国進駐軍GHQに対し、極東国際軍事裁判での訴追を免れる為、このグループの方から取引を持ちかけたと言うのです。結果GHQは取引に応じ、幹部達が裁きにかけられる事はありませんでした。
私は人道、倫理、そして国益をも踏みにじるこの件に接し、心よりの憤りと呆れた感情を禁じ得ませんでした。
特殊兵器の情報と言えば当然国家の最高機密の筈。それを部下には機密厳守を命じる一方で、自らの保身の為に取引材料とする行為は明らかに祖国を外国に売り渡す「売国行為」そのものではありませんか。
これならまだ、同裁判での訴追、そして極刑を受け入れた東條英機、広田弘毅の両元首相を初めとするA級戦争犯罪人達の方が潔く思えますね。
実際、この時の兵器情報は合衆国の最高機密として一般から封印され、後の朝鮮動乱やベトナム戦争にて利用されたやに聞いております。
更に戦後の国内にも惨禍を引き起こします。この部隊の幹部の多くが戦後、薬品メーカー「ミドリ十字」の発足に関与します。このメーカーはご存知の様に、安全上問題ありとされた血友病向けの非加熱血液製剤の輸入取り扱いを続け、悪名高い「薬害エイズ」の発生に加担した他、不適切な臨床実験を行った疑惑も持たれています。
この事共を見る時、私は現在まで続く政官界腐敗の原風景を見る思いが致します。
戦前、中国大陸にて陸軍向け物資調達組織「児玉機関」を立ち上げ、戦後も長く政治思想活動に関わり1976=昭和51年のロッキード疑獄事件で刑事責任を問われた国粋運動家、児玉誉士夫さん(故人)も「末期の軍部は明らかに腐敗していた」との証言を残しています。
技術は秀でているものの、倫理面の寒すぎる当時のエリート達の実態かも知れず、その影は今も尾を引いていると言う事でしょう。対米面で我国の対応が弱くなりがちなのも、あるいはこの遠い影響なのかも知れません。
余りに加害面ばかりを強調するのも不健全ですが、明らかに罪業である部分はきちんと事実を認めなければ我国の今後は極めて暗いものになってしまい、ひいては衰退を招く事でしょう。
「過去に目を背ける者は未来に対しても盲目である」とはその事を指しているのでしょう。*(日本)*