Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

真夏の大ボケ

2005-08-03 23:34:02 | 日記・エッセイ・コラム
「管制室よお前もかっ!?」・・・昨8/2(火)白昼、東京羽田空港管制室にて電源系統の不具合からレーダー等の航空管制機器が動作不能に陥り、約1時間に亘って航空機の離着陸が不能な事態となった。
影響は欠航50便、着陸地変更22便、遅れ約340便に達し、約80,000人に影響が出た。
原因は航空管制機構の2系統ある電源系統が全て停止した為。非常用にバッテリー電源も用意され、この電源に切り替わると警報装置が動作して警告灯も点等するが、係員が見落とす人為ミスも重なった様だ。
当日は管制室建物に工事が入り、この場合は警報装置を停止するのが慣例になっているとかで、慣れすぎた係員達が油断していた節もあり、事実とすれば「夏ボケ」と揶揄されても仕方がないだろう。
日本の交通機関はこの所陸、海、空全ての分野で事故や不祥事が多い。明るみに出ただけと言ってしまえばそれまでだが、上記のケースでは既に着陸態勢に入った飛行機が3機もおり、これらは緊急判断にて着陸が許可された由だ。
これから盆の混雑期を控え、本当に安全面が心もとない状況ではある。関係各位は今一度気を引き締め、プロとしての矜持を持って厳しく任務に取組んでもらいたい。DSCN1239


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沿革~「国靖し」とは・・・

2005-08-03 00:06:00 | インポート
今夜は今月の記事のタイトルからすぐ連想される、東京都千代田区九段北の「靖国神社」の沿革に少し触れて参りたく思います。
同社は1869=明治2年に「東京招魂社」として当時の明治天皇の命により建立され、10年後の1879=同12年に現在の社名となっています。
当時全国の神社(護国神社を含む)は内務省の管轄でしたが、同社だけは軍部(陸軍、海軍の両省)の直轄とされ「別格官幣社」と呼ばれました。先日も少し触れた通り「国事行為及び事業に殉じた方々」を祀る社とされ、この為政府側とは対立する立場となった方、西郷隆盛公等は合祀されていません。
明治憲法下の軍部は現在の様な文民による統制、シビリアン・コントロールが確率しておらず、軍部の統帥権は天皇の直轄とされていました。明治、大正の両期は軍部の規律は厳しく保たれていた様ですが、昭和期に入り中国大陸への武力進出が本格化すると、こうした統制は怪しくなります。
日中戦争においては、満州にあった関東軍が政府の不拡大方針に反して戦線を無理に拡大し、やがて日米開戦にも繋がる泥沼状態に陥ったとされています。時の昭和天皇も厳しく指弾なされた由。
話を元に戻しましょう。靖国神社は前述の理由により諸外国よりは「軍神を祀る社」と見られている面もある様です。先の大戦中は特に出征する方々の間にて「死んだら靖国で会おう」が合言葉になっていたのは有名な話でしょう。
戦後、同社にも危機が訪れます。連合国進駐軍GHQは一時帝国陸海軍の精神的支柱でもあった同社の焼却を検討したものの、ローマ法王庁の「国事に殉じた者を祀る施設の消去は、末永く国際社会の理解を得られるものではない」との意見を入れ、存続を決めた経緯があります。その後A級を含む戦争犯罪人とされた方々が順次合祀されたのはご存知の通りです。
我々日本国民は戦没者の表敬の問題で、今大きな岐路に立たされていると思います。
無宗教の追悼施設を新たに設けるか、あるいは追悼の正統な場はやはり靖国神社であるのか、との選択です。
前者であればこれまでの慣習から大きくそれる事となる為、施設は千鳥が淵の戦没者墓苑と言う有力立地がある反面、諸行事をどうするかなどの大幅な調整が必要になるでしょう。感情面で折り合わない可能性もあります。
後者の場合は、今度はアジアを初め国際社会に向け、靖国神社での表敬活動の正統性を言葉を尽くして丁寧に説明して理解を得る道義的義務が生じる事でしょう。
人心に関わるだけに極めて難しい問題ですが、これまで色んな難題を乗り越えて来た祖国日本。時間を要しても多くの得心の得られる説得力のある解を是非見つけ出したいものです。
P.S 次回より日によって昨年同様、主にご賛同下さった私の交信仲間あての伝言文体とさせて頂く事があります。
昨年もご登場頂いたミーSAN、らむSAN、猫さんに加えだいちさん、みつばさん、スカSANにお願いしようと思います。ご無理申しますがご理解下されば幸いです。*(日本)*


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