Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

沖縄・尖閣の住所地名変更決議を本土も支持すべきだ

2020-06-23 20:31:07 | 国際・政治

今日 6/23は、拙記憶が正しければ 75回目の「沖縄慰霊の日」。1945=昭和 20年のこの日、先の大戦・大東亜戦争こと太平洋戦争中 唯一日米間の地上戦が交わされた沖縄本島メインに 20万を大きく超える犠牲各位を弔い、平和祈念の意を新たにする場に異論はない。今回は折からの中国大陸発、新型コロナ・ウィルス肺炎流行も考慮して遠方からの招待は控えられ、地元の方々をメインに参加人数を抑えて執り行われた所も併せて理解したいものだ。

その事をくれぐれも踏まえた上で、やはり「あの様な戦争を二度と繰り返さない事」と「我国の独立と尊厳を護るやむを得ない場合の 最低限の自衛力行使」とはあくまでも区別して捉えられ、考えられなければならない事をも改めて痛感するものだ。前述感染症の世界的流行のあおりで、折から沖縄にも多くの基地を有する米合衆国の西太平洋にての軍事的影響力プレゼンス低下を見透かした様な 中国大陸によるこの海域への露骨な海洋進出も目立ち、沖縄・尖閣近海には同国公船が前代未聞の連続 70日間に亘る出没を行い、我領海侵犯行為もしばしばだ。

又 これら事共の長らくの混同が、沖縄や本土の特定野党と左派容共勢力に政治利用されてきた側面も看過できないものがあろう。この対策の意味もあって、昨日の沖縄・石垣市議会にて尖閣諸島の住所地名変更議案が可決された。以下、某ネット記事を引用して 視て参る事にしたい。

「尖閣の住所地名変更 議場は紛糾」沖縄県石垣市が行政区域として管轄する尖閣諸島の住所地を「石垣市登野城(とのしろ)」から「石垣市登野城尖閣」に変更する議案を可決した 6/22の市議会本会議。議案に反対する革新系(?)市議らと賛成の保守系市議らとの間で激しい野次が飛び交うなど、議場は一時紛糾した。中国(大陸)などが反発を強めることも予想される中、市や市議会の今後の動きが注目される。

革新系(?)懸念するのは中・台の反発だ。この日の本会議討論では、革新系(?)市議らの席から「近隣諸国との関係が悪化する」「中国(大陸)だけでなく、台湾もカンカンだ」などの意見が出た。

これに対し保守系市議らの席からは「それでも石垣市議か」「尖閣は日本固有の領土だ」などの野次が噴出。革新系(?)市議らも「静かに聞け」などと応酬し、議場は怒声で溢れた。

保守系市議らは「国の主権に関わることであり、他国に配慮する問題ではない」「尖閣に領土問題など全く存在しない。それを(住所地変更で)明らかにすべきだ」などと主張。起立採決の結果、議案は賛成多数で可決された。

石垣市の動きに対しては、台湾外交部(外務省)が 6/9「一方的な振舞いは地域の安全と安定の助けとならない」として日本側に自制を求めるなどしていた。台湾との関係について、中山義隆市長は可決後「漁民同士の交流など、これまでの信頼関係がある。行政手続きだということを明確に伝え、交流を続けていきたい」と話した。(引用ここまで)

革新系(?)と保守系、どちらの主張が健全で全うかは一目瞭然だろう。拙者が革新系にわざと(?)を付記したのは「ただの媚中連中のどこが『革新』なのか?」との疑問からだ。「近隣諸国との関係悪化」にしても、台湾は一定の対日懸念を示すも 冷静な対応を促すレベルに留め、この事から誠実に説明すれば一定の理解位は得られるという所だろう。

対する中国大陸は、ご存知の通り「話にならない」レベル。石垣市議会の前述議決に対しても、予定調和の難癖レベルの抗議声明の挙に出た。勿論我国としては、不当につきスルーすれば良い。前述理由による米合衆国の我国近海における軍事的影響力低下を好い事に、尖閣近海での 領海侵犯を伴う公船出入りを繰り返し、その隻数も増える傾向にある。明らかに不当な脅威に配慮する必要などなく、そうすれば脅し(ブラフ)に屈した事になろう。そうなれば中国大陸は更に味を占め、同国海警部に留まらず、ひいては海軍艦船の出没をも許しかねない。そうならない為にも、今の内から海保と海自の「もしもの場合の」連携を確認しておく位は必要なのではないか。

とまれ 此度の石垣市議会による、尖閣の住所地名変更決議はくれぐれも尊重されるべき。覆されない為にも、これは沖縄県のみならず 我国全体の問題として、本土に暮らす我々も大いなる関心を以て向き合う事と心得る。中国大陸は 沖縄・尖閣以外でも北海道などで同国民間資本が広大な土地保有などを進めており、放置すれば我国の内政面も蝕みかねない気配を示しているのだ。平和的でさえあれば、どの様な手段手法を動員しても、我国固有領土を死守しなければなるまいて。国民レベルでも、その事の誠実な実践が、先の大戦で斃れた沖縄県民各位への 大いなる供養にもなり得ると考えるものだが。今回画像も先年ので恐縮。三重・鳥羽市内の海沿いを行く JR参宮線列車の様子を。この線名由来は広く知られる様に、伊勢神宮に近い事からによります。

コメント (4)
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