Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

封印解除!

2005-08-27 14:37:11 | 日記・エッセイ・コラム
2005=平成17年8月もどうやら先が見えてきた。
今月は終戦60周年特集日記の関係で、少なくとも終戦の日までは当ブログの「バカモード」を封印して来たが、この辺で解除しても良いと思うのでご理解を・・・。
昨夜の事だが、ある知友のサイトにて日記を拝見していたら、その方のご友人が(多分携帯宛て)ご送付になったメールに変な影像が入っていて仰天なさった由。よし!それならばと言う訳で、俺も似た様な体験をご披露致す事とする。
去年だったと思うが、岐阜の悪友が俺宛添付有のメールを送りつけて来た。どうせ又変なネタだろうとは思いながらURLを開いてみると、これが何とTVゲーム「サルゲッチュ」の主人公、ピポサルなのであった。
この男は以前から俺の事を何かにつけ「猿」呼ばわりしていささか気分を害していたのだが、ここまでやられて余計その感が増長してしまった。「サ~ル、猿、猿、サルゲッチュ!」といきなりやられりゃ誰だってムカつくわな。
俺の想像だが、事の原因は遠く1999=平成11年春まで遡る。この頃まだ深夜TVにて「トゥナイト」と言う番組を放映していたのだが、番組中に確かあった悩み事相談の様なコーナーに対し「自慰をし過ぎると死ぬまでやめられなくなるのは本当か?」との質問をよこした大馬鹿者がいた様に思う。そこで番組では何と「猿に訊いてみましょう(これもかなりアホだ!)」と言う事になり、出演した猿。暫くゴソゴソとやった後、何の弾みか本当に自慰決行!放送禁止影像につき、全部は披露されなかったものの、粗相の瞬間ははっきり視認できた。その事を話した時の悪友の反応は・・・「何で録画しなかったんだよ」と来た。普通できるか?そんな己の人格を否定する如き恥ずかしさこの上ない所業が!
そんな訳でその頃から俺は「猿」呼ばわりされてしまっているのだ。何とか名誉回復を、と思っていた矢先、ダメ押しの様な影像があろう事か、NHK-TVのニュースにて放映されたと来たもんだ!
ニュースの内容は、TVゲームの著作権についての親子勉強会だったと思うが、ゲストのゲーム・キャラクターは何と!
言葉にするのも憚られ、しかも悪い事にゲームの実物より数倍もデカい質の悪さ!
俺はもう、気持ち悪さで見ていられなくなって、寝てしまった。8/23の表日記が飛んでいるのはそのせいだ・・・苦笑。minisaru_800


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連鎖~「国靖し」とは・・・

2005-08-27 00:40:00 | インポート
らむSAN今晩は。今月は恐れながら祖国日本の「戦争と平和」の様な事についての特集日記を綴っております。良ければ懲りずにお読み下さる様。
さて今月1ヶ月、本当に色んな方々がご意見をお寄せ下さいました。中には熱心さの余り、口論へと発展してしまった方もいらっしゃる様でしたが・・・。とまれ今月末まて、より様々なご見解をお願いします。
さて今月の副標題「連鎖」。これは「報復の連鎖」の事とご理解下さって正解でしょう。前世紀後半より今まで、西アジアの中東にてこんな状態が続いています。
イスラエル共和国の周辺におけるユダヤ人とパレスチナ人の深刻な対立、これは民族対立の一方で、キリスト教VSイスラム教の宗教対立の面も色濃いです。
いつも交信しているある知友によると、我国もかつて先の大戦中、中国を含むアジア地域においてこうした「報復の連鎖」に陥っていた可能性が濃厚です。
つまり旧日本軍の難敵の1つ、武力進出先一般住民に紛れ込んでいるゲリラ掃討の為その住民達に犠牲が出た。そこで今度は中国などの側が日本の軍関係者だけでなく民間人やその家族を殺害する。
再び日本側の攻撃による民間人犠牲者が出ると言った具合。「報復の連鎖」は当時より1945=昭和20年夏の日本敗戦までこの「連鎖」は続いていた事になります。
こうした「報復の連鎖」からは理性と決意
をもって遠ざかるのが、当事国にとっての幸せかと存じます。
中東の情勢は、先述の通り宗教対立をも抱えているだけに、その解決には更に歳月を要するでしようが、歳月を要しても平和裏に解決を望みたい所。我国のエネルギー供給にも直結していますので、我々も絶えず注目したいものです。
我国がそうした連鎖に巻き込まれない為のヒントが、あるいは見つかるかも知れません。*(日本)*


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私見~「国靖し」とは・・・

2005-08-25 23:26:00 | インポート
猫さん今晩は。今月の中旬、盆休みの事ですが、JR名古屋駅の近所にて「もうひとつの戦争展」が催されましたので、ちょっと拝見して参りました。今回は靖国神社の遊就館所蔵の資料の一部もパネルの形にて展示されており、興味深かったですね。
中でも20世紀初めの明治末期に勃発し、我国が辛勝した日露戦争に関する記述が充実しており、若い頃読んだ司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」の秋山武官兄弟を想起したものでした。
兄上の秋山好古さんは陸軍、弟君の真之さんは海軍のそれぞれ士官として戦術に長け、第一線にてのご活躍が強く記憶に残っています。又当時は先の大戦とは異なり、相手国ロシアの捕虜の扱いも良好であったと記されています。
大東亜戦争こと太平洋戦争についての記述はやや遺憾ながら大雑把になった感はありましたね。旧陸海軍の士官クラスにもかなりの犠牲が出ていた事を知ったのが収穫でしたでしょうか。
恐れながら全体の印象としては、何となく「戦勝記念館」的な印象が見え隠れし、少しで良いから広島、長崎の原爆被害とか、多大な犠牲を生じた沖縄戦は多くの民間人も加わっての総力戦であった事なども取上げてくれるともっと良かったのですが、この展示会の性格からすると現状では無理かな?とも思いましたね。
近くで別の「戦争展」も開かれていた様ですが、これは毎回の如くの戦災被害(これも凄惨であるのは解りますが)などの報告展示である事は想像がつきましたので、今回は時間がない事もあってパスの止む無きとなりました。勿論決して無意味な事ではないと思います。
さて恐れながら、未だ訪れていない靖国神社の遊就館の展示のあり方も、この「もうひとつ」の戦争展的であるとの指摘を聞いた事があります。同社は主に、国事に殉じた軍関係者等を祀る施設ゆえかなりの無理は承知の上ですが、ここは「本来の趣旨とは異なるが」と断った上で、広島、長崎の原爆被害、沖縄の壮絶な地上戦、満州における満蒙開拓団の苦悩、そして南方戦線の苦闘などを(少しは現地の方々の犠牲や危害を生じてしまった加害者的な面にも触れながら)ざっとした概略で良いから併せて展示する事はできないものでしょうか。
現状では極めて不十分なこれらの事に少し踏み込むだけで「靖国神社は懐が深い」との理解が得られ、より多くの国民から尊ばれる社となり得るのではないでしょうか。
周辺諸国に対しても、一歩改善したとの印象を残せるのではないでしょうか。
「昔の神社はもっと大らかだったのではないか」とは元内閣総理大臣、中曽根康弘さんのお言葉です。これが実現できれば、内閣総理大臣、そして皇室各位の公式ご参拝への道も開けるのではと思いますね。
又「神仏習合」の我国の宗教習慣に沿った、仏教関係各位の同社の行事への参加も考えられて良いと思います。
無宗教の国立戦没者追悼施設の建立も構想されていますが、それ以前にやる事は多いと思います。何と申しても、特に特攻の方々の「死んだら、靖国で会おう」の言葉の持つ意味は大きいと思います。*(日本)*
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交錯~「国靖し」とは・・・

2005-08-24 23:29:00 | インポート
早いもので今年2005=平成17年8月も下旬となりました。まだまだ残暑は厳しいですが、朝晩は少ししのぎ易くなったかな、と言う所です。
今、南の海上には台風第11号が本土を窺っています。最接近は明日後半の模様。大過なきを祈りますが、一部の地域で問題化している深刻な渇水を少しでも緩和してくれればとも思いますね。
さて今月の特集日記も、そろそろまとめへと向かおうかと思います。
過日も申した様に、先の大戦は1枚のカードの表と裏であったと私は思っています。
今まで触れられなかったまずは負の面に目を向けますと、
①1937=昭和12年に発生した旧陸軍航空隊による中国、重慶の空爆が挙げられるでしょう。犠牲者多数もさる事ながら、当時の空戦法規に抵触していた疑いがあり、今後我国がいかなる道を進もうと、こうした事の再発なき様、反省を加える必要があるでしょう。
②一部のメディアで活発に報じられている所謂「従軍慰安婦」の問題。この件につき私は、旧軍全体に及ぶ、女性の人格を大きく損ねる様な組織的な慰安活動があったのかどうかは判断を差控えたく思います。
公平な形での証拠が見出されていないからでありますが、一部には「火のない所に煙は立たない」のも事実で、そうした遺憾な動きがあった可能性も否定できません。
特に軍関係がそうした活動の為の場所提供などの便宜を図ったのは確かとされ、或いはその事が大きな誤解を生じてしまっているのかも知れません。
③1937=昭和12年に発生した旧軍が現地人の多くを殺害したとされる「南京事件」について。
この件についても犠牲者数につき、数万とも数十万とも言われ、諸説ある様ですが、
大量虐殺の様な事態には至らなかった様です。又、こうした行動は旧軍を悩ませたゲリラ掃討の結果、誤って現地人を殺傷してしまった面もある様です。
当時の権力者、蒋介石総統による「大量虐殺の事実なし」との証言によるもので、その解明には更なる歳月を必要とするのではないでしょうか。
次に明るい面を少し。
①皆様もあるいはご存知の様に、大戦中のヨーロッパはリトアニア国の領事代理として活躍した杉原千畝(ちうね)さんのご活躍が挙げられます。
ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党)の民族浄化政策の犠牲となって国を負われた多くのユダヤ系住民の切実な求めに応じ、敢えて本国の通達に反し渡航ビザを発給、数千名の助命を果たしたと言われています。通達に抵触した点はあるものの、これも1つの勇気ある行動として敬愛したく思います。
②台湾における日本人警察官の貢献。
以前、新聞記事にて目にした事ですが、
戦前の台湾では日本人警察官が地域の治安と発展に寄与していました。
地元住民より尊敬と信頼も集め、生活面の技術指導も積極的に行っていた由。
記事に出ていた警察官の方は大戦末期、地元民各位に対し「合衆国軍の捕虜になっても、生きるんだ」との言葉を残し、ご自身は自刃したとの事です。
現地人各位への遺憾な蛮行もあれば、現地の社会資本整備を推し進めた評価し得る面も存在します。やはり私にとっての戦争は、1枚のカードの「表と裏」なのであります。*(日本)*

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東京裁判は本当に妥当だったのか?

2005-08-22 23:29:59 | 国際・政治
昨日表日記にて取上げた東京裁判こと極東国際軍事裁判。
既報の通り、この問題との最初の出会いは大学時代に恩師の1人が著した教科書においてであった。
その内容は、同裁判の審理、そして判決の過程において一判事としてご参加のRadhabinod Pal博士の日本人A級戦争犯罪人7名の減刑に向けての勇気に満ちたご活動の概略が記されていた様に思う。
もし、この短い文言に出会っていなかったら俺の東京裁判観は今と180度違っていた可能性がある。
つまり裁判内容を鵜呑みにし、戦犯各位は絶対に悪いとする左派勢力が陥り易い短絡的な見方である。
Pal博士のご見解は、裁判後半世紀を超えた現在では極めて妥当なものとして、世界的に認知されていると言われ、
それに比べると日本国内の反応は鈍く、未だに前述の浅い見方も根強い。
繰り返す様に、当時の我国は中国などのアジア圏内において、確かに危害となる所業も少なからずした。それは認めたい。しかしながら裁く方の国々も、絶対に問題なしではない。特に合衆国は我国への原子爆弾使用と言う大罪を負っているし、旧ソ連邦の我国実効支配地域への一方的侵攻もそれに次ぐ問題だ。
東京裁判判決後、当事国からは少なからぬ反省の声も出た。中国国民党の当時の蒋介石総統より「南京での大虐殺はなかった」とのご発言は当初仰天ものだったが、ただ1国、一切の反省を口にしなかった国がある。旧ソ連邦だ。
同国は連合国中で唯1国、我国の実効支配地域に一方的に侵攻しておきながら、ぬけぬけと東京裁判の審理にも判事を送り、被告人の生殺与奪にも平然と関与した。そして我国固有領の千島列島を不当に占拠したまま今日に至っているのである。その体質はロシア共和国となった今でも大して変化はない様だ。
サンフランシスコ講和条約において、東京裁判の効力は不動を理由にその論議を冷笑する向きもあるのは解っているが、正直不埒かつ無神経と言うのが俺の感想だ。法的に不当である以上、それを糾すべく努力するのは当然であり、正当な主張でもあるからだ。知友達も多くが理解下さっている。又この問題は折に触れて取組まなければならないだろう。DSCN1374


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