線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

如意の渡し

2010年12月03日 22時18分05秒 | 歴史
富山県の小矢部川河口近くにあった「如意の渡し」について、リンクはっていただいている富山の方のブログで話題に上った。現在の高岡市伏木と射水市六渡寺とを結ぶ渡しである。

歴史好きには、由緒ある場所としてインプットされている地である。


「如意の渡し」は、歴史も古く、源義経が都落ちして奥州へ落ち延びるとき、この場で船に乗ろうとすると、渡守の平権守に義経であることを見破られる。ところが、家来の武蔵坊弁慶が機転を利かして、扇で主人である義経を叩くことで、無事に乗船できたという話がある。

 

有名な銅像がコレ。

この話は「義経記(ぎけいき)」の内容であるが、この話が有名な歌舞伎「勧進帳」でよく知られるところになっている。その母胎は能の「安宅」である。ただ「勧進帳」では、場所がここではなく、加賀の安宅の関となっていて、関守は富樫左衛門。有名なシーンでは、弁慶は扇ではなく、六角棒で義経を打つことになっている。


ところで、ここの渡し船は古来より存在していたが、やがて「伏木港湾交通」が昭和26年から営業を始めたという。

しかし川の少し上の方に「伏木港大橋」が開通すると、利用者も減り、この渡しの位置に「伏木万葉大橋」が開通したことにより、平成21年8月2日に廃止になった。


自分が喜んで富山ツァーをし始めたのが2005年くらいから。この「如意の渡し」に行ってみたのは、10月1日の放生津の曳山の日。このときに撮った乗船場付近の画像があったので、久しぶりに引っ張り出した。



これは六渡寺側の乗船場。こぢんまりとした作りだ。



六渡寺側から対岸を望む風景。伏木側から船が向かっている。



これが伏木側の乗船場。こっちには切符売り場や自販機がある。



こんな船だった。自分が訪ねたときは、10月1日の日中。女子高生が1人で乗ってきたのを見かけた。
「ああ、まだ使われているんだ~」
と、感動した記憶がある。これだけの渡し船が残っている光景は初めて見たので、本当にいい風景だな~と印象深かった。

というわけで、乗りもしないのに「乗船券」を買ったおバカであった。おばさんに「乗らんがかぁ?」と言われた。



それにしても、こんな光景がなくなってしまったとは残念だ。今思えば、おばさんの言うとおり、乗船して、往復しておけばよかったな~などと今更ながら思う。

昔のままの渡し船の光景ではないが、最近までこの地の人々の生活の足場であったことを思うと、何とも郷愁を感じる。まして、実際に使ったことのある方々は、どう感じておられたか、聞いてみたかった。
 

コメント (4)
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