武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

期待される教師像

2012年02月27日 | Weblog
大阪の方では橋本旋風が吹いて教育現場にきびしくせまっているようだ。

この版画は私が小中と過ごした分教場です。もう廃校になって久しい。ただ建物だけは残ってる。ここで教えていただいた先生は、分校なので、そんなに多くないが冬には鉄砲もって山の上でウサギを撃つ先生がいた。ウサギは自然に山に登るわけはなく、それを追い上げるのは私たち生徒だった。ウサギは給食の主要な肉となった。
私が小学校の卒業式の時、みぞれに濡れて・・・・・卒業式は本校であおこなわれ、雪の中かなり歩いた。濡れてしまい風邪を引いて寝てると先生が来た。酒くさかった。枕元で「おれが風邪ひかしたのだ・・・」と泣き出した。男が泣くのをはじめてみた。
大声で泣くのでフトンをかぶって耐えていた。少しすると泣き声がイビキに変わり寝てしまった。先生は泣き上戸だったのだ。

学校から遊んで帰ると、先生が先に来ていて親父と酒飲んでた。帰るまで緊張して、まだかーーと待っていた。酒のみは腰が重いのだ。ほんとかどうかわかんないが、父と母は「まあ、まあ」とか言って先生をとどめていた。

小の卒業の風邪がこじれ、中学入学は腎臓病になり遅れた。1ヶ月も休んでしまった。当然、はじめての英語があるので夜先生がきて教えてくれた。元気になって登校した日、英語のテストがあった。知っていればすぐ病気になったのに・・・・と思って受けた。そしたら96点だった。こんな高得点はいまだ、生涯の中でとってない。
鉄砲の先生は異動のちょい前、スキーで両足を骨折した。当時先生は大事にされ、見送りなど村中が出た。まだ雪があるので先生はソリに寝かされ、行列の中申し訳ないような顔をして去って行った。・・・・・・・・ここに登場したのは三人の先生です。
こういう先生方は、大阪ではすぐ首だろう。