休み明けの放課後教室で「なぜ、戦争するのか?」と六年生の女の子に質問された。
う・・・ん。「土地の奪い合い」が原因かもね。・・・・と答えた。いいのか悪いのかわからないが、最近の中国の様子など見てると彼女も納得してるかもしれない。
かなり昔、中国へ行った時・・・・万里の長城だったか墳墓だったか・・・訪れた時、一直線の道路が、そこめがけて出来ていた。日本だと買収だとかで作るまでの過程があるが、中国は土地は国のものなので「移動」と言われれば、移動しなくてはならない。
そういう環境に育ったなら、土地は個々に売買するという感覚はつかめられないかもしれない。現在の問題とは離れるが・・・・
デモと暴動は異なるものだ。その国の品性の高さが計られる・・・・・。
いいかげんに雨でも降れ。・・・・・という心境だ。
なんとなく相撲を見る。目は観客席に行く。・・・・空席がある。
人気がまだ回復しないのだ。
しかたない・・・・モンゴル場所なのだ。
惜しげもなく塩をまいている。それはそれでいいのだ。土俵を清めるに「塩、水、紙」が登場してくる。仕切りのたびに、これが出てくる。
ま、相撲は神事からきてるので元々はスポーツではないのだ。
いろいろルールがあって、弓取りをする力士が弓を落としたら、手で拾ってはいけないそうだ。足を使うそうだ。・・・残暑がつらい。
ま、俳句の会に入って数年がたつが上達という実感がない。そろそろ句会だ。
今度こそと思うが、すぐ〆切がくる。
あの松尾芭蕉も
秋涼し手毎にむけや瓜茄子
などと詠っている。これは最悪の駄作となっている。季語はひとつでいいのにやたらと出てくる。ま、季語はひとつと言うのがルールだ。芭蕉さえこうだから、我輩も自信を失うことはない。けどわが句会もこういう句が時々見える。作った時は名句だが、人前にでれば迷句になる。
・・・・・・。
黒猫を買った。これは中国産でこれ以上大きくならないらしい。ただ目も黒いので何を見ているのかわからないのが欠点。
小さいので踏みつけそうだ。
踏んだらニャンというだろう。
ま、そういうことだ。ニャン。
ラジオを聞く。
文学講座である。今回はしゃれ・パロディ・・・・・だった。
一昔・・・
「我輩は新生党である。反省はまだない。過去をどう清算したらいいかトンと見当がつかぬ」などあったと紹介していた。・・・あの新生党ができた頃の話。その新生党も今はない。
政治の世界もああだこうだと国民は第二で闘争をしてる。どっちになっても期待がないのが残念。
しゃれ・パロディと言ったら「井上ひさし」を置いて語れないらしい。小説や戯曲の題名もふるってる。
「我輩は漱石である」というのもある。
替え歌では♪「かあさんが目をつりあげて、お尻をぶってくれた」・・・・とか「うなぎおいしかばやき」がある。これは「うさぎ追いし・・・」がもとだ。
さすがだーーーあの「ひっこりひょうたん島」も井上さんの作品だ。
こういう頭脳もっていれば、ボケは来ないかもしれない。
渦巻く吹雪がはれると、峠には冷たくなった漁師が横たわっていました。漁師にだかれ息子は寒さを免れ、かすかながら息をしておりました。
片方では善知鳥の親鳥が冷たくなっていました。ひなは親鳥のあたたかい羽根につつまれ死を免れたのです。
そしていつしか、この峠のことを「善知鳥峠」と呼ばれるようになりました。
ーーーー完ーーーーー
近所のグランドの駐車場で写真のものを拾った。これはアンパイヤーのカウント盤だ。こわれて捨てたらしい。
なんか顔に見えたので拾って人形にした。
へそのあたりにダイヤルをまわすと動く仕組みだ。
ま、なんとか様になった。
野球の残骸もこれも生きよう。
放課後教室に行ってきた。算数が主だ。
最大公約数のことで質問された。・・・・小学生でもうこんなことやるんだ。
6年生の女の子に「防空壕」って何?と質問された。戦争のことをふくめ話した。
けど防空壕は見たことないし、入ったこともない。
おばちゃんから戦争のこと聞くというから、おばあちゃんの歳きいたら、ほぼ私と同じだった。・・・・生まれは戦前だが、ちょい体験を通して言うのが厳しい年齢だ。
でも伝えることは伝えないと。
空からねらわれるので白壁は黒く塗った話をして・・・・終わりにした。