“渋谷の父 ”ハリー田西の占い研究所

自身のことを含め世の中の森羅万象を占い師・運命学研究家の立場からつづります。

『新ジロウ物語~第一部・長い友との別れ』

2010年06月07日 19時00分05秒 | Weblog
長らく教師をしていた下村湖人が作家に転じて、
名作『次郎物語』の連載を始めたのは、昭和16年、彼が52歳の時でした。

その例にならえば、同じ50代の僕がこれを記すのも、うべなるかなです。

よく“髪”という漢字を分解して“彡は長い友”などと比喩的に表現しますが、
僕には“長~~いつきあいの友達”がいます。
それは、ややもすると30年来の親友であるH先生以上に
長いつきあいだったかもしれません。
かもしれません・・・というのは、いつ頃からつきあいが始まったのか、
記憶が定かでないからです。

僕の、H先生以上に長いつきあいの友達の名は“ジロウ”といいます。
苗字はありません。
こいつとは、相当昔からのおしりあいで、
時々思い出した頃に現れては大暴れをする悪友です。

そして今日、その悪友のジロウとついに別れる日がやって来ました。
「ジロウはもう二度と現われることはないでしょう」と、
僕と悪友の関係を断ち切ってくれた水戸のご老公は断言しています。

と、まぁ、ここまで書けば、賢明なる皆さんは、僕がナニについて書いているのか、
おわかりでしょう。

誠に尾籠な話で恐縮ですが、
僕は長らく“痔ろう”という病気に悩まされてきたいわゆる“痔主”なのです。

1年半ほど前、このブログにも書きましたが、
その痔ろうから来る“肛門周囲膿瘍”という病気にかかった僕は、
恥と理性をかなぐり捨て、大田区内のO肛門科クリニックの門をくぐったのです。

そして、その時、治療をしてくれた院長のO先生から、
「いずれにしても痔ろうの根治手術をしないことには、
またいつか同じ症状が出ないとも限りません。
もし、お時間がとれ、決心がついたら、手術をしましょう。
日帰り手術ですみますから・・・」と促されたのです。

あれから1年半、決心はあるものの、ヒマがなく・・・(といっておきます)
ずっとずっと“長い友との別れ”を先延ばししてきた僕ですが、
昨今の同じ年代の友人たちの“病変”を目の当たりにするにつれ、
「だば、やるっきゃないかな。やるなら今だ」と思い至った次第です。

もっとも一口に手術といいますが、
O先生によれば、痔ろうの手術は日帰り手術が可能なほど軽易なもので、
シートン法という患部をえぐってゴムでしばる手術法で行なえば、
再発のリスクも少なく、手術時間も30~40分ほどですむそうです。

とはいえ、最低でも2、3日は安静にしている必要があります。
また、大好きなお酒も、最低でも2週間以上は控えなければなりません。

そのために先週は、僕がふだん仕事帰りに寄り道をする呑み店という呑み店に顔を出し、
“今生の別れ”いやもとい“束の間の別れ”にと、連日連夜、痛飲、酩酊しました。
ホント、バカですよねぇ。

昨日も、西馬込の「遊神亭」で・・・

そして、いよいよ今日。朝からH先生から、「頑張って!」と電話が入り、
“ワケ”を伝えてある生徒さんからも“頑張って!”というメールをいただきました。

でも、僕は、いわば手術台に上り、
O先生の”ナスがママ、キュウリがパパ”になる“生け贄”の身なのです。
そんな僕がどう頑張ればいいんでしょう?
まぁせいぜい想定される痛みに耐えて“頑張れ!”ってことかな(笑)と思ってみたりして・・・

それでも手術は午後からだったので、
午前中は渋谷のオフィスで占い教室の授業をしました。
このへんが“休みを知らぬ”僕らしいというか、セコイ!

しかも、その間も「今日の午後鑑定をしてもらえますか?」という予約の電話が入る・・・
「それが都合で今日はお休みなの」というお断りを・・・う~~ん、もったいない!

午後1時50分。O肛門科クリニックへ。
いよいよ“長い友との別れの瞬間”が時々刻々と近づいてきました。

ああ、お尻がうずく・・・(この項、明日へつづく)


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