少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

小泉首相の靖国問題

2005-06-29 22:50:15 | 哲学
歴史に絡めてもう一言。

僕はノンポリの技術屋なので、あまり政治のこととかをどうこう声をからして言う気はない。

が、小泉首相の靖国参拝問題についてちょっと気付いたことがある。

それは、彼がここまで頑強に海外からの声にもかかわらず靖国神社に行き続けてきたと言うことは、それが良い悪いは置いておくとしても、切に靖国神社に行きたいと彼が思っていると言うメッセージにはなっていると思う。

とすれば、そのように強く参拝したいと思っているのにもかかわらず、ここで参拝をやめると言えば、それは逆に強いメッセージとなってアジア諸国に響くに違いない。日本も我慢してるんですよと言うメッセージだ。

これからどういうカードを切るかが、小泉さんの手腕の真価が問われることになると思う。

歴史に良い悪いという価値はないのだ。全ての歴史のページには意味があるだけだ。

歴史について

2005-06-29 22:42:11 | 哲学
歴史について考えていて面白事に気がついた。

人は今のことを考えるとき、いい事と悪い事に物事を分けて考える。小泉首相の発言がどうしたとか、北朝鮮のやり方はなっていないとか、まあいろいろである。

しかし、大昔の歴史のことを考えるときは、その歴史のドラマの中に登場する人のどちらが悪いという言い方はあまりしない。それぞれの陣営にはそれぞれのやむにやまれぬ事情がったことを、高いところから観客として我々は見るだけだ。

徳川家康と石田光成はどっちが偉いのか。徳川家康が勝ったから家康の方が正しかったとはなかなかいえないだろう。歴史に良い悪いはないのだ。なぜ戦わなければならなかったかという意味あるいは事情があるだけだ。

似たような状況は自然界にもある。動物の食物連鎖は、それぞれの動物が生きていくための止むにやまれぬ事情があって、そうなっているのである。シマウマを狩るライオンを悪者にしたのではライオンの立つ瀬がない。

人の意識は、どうしても物事を白と黒で見てしまう。どちらかが上でどちらかが下であると言う順番をつける。それは心の本質的な働きなのだろう。心とは揺らぎである。濃淡が心の本質だ。それは物事の本当の姿ではない。一時の幻に過ぎない。

しかし、それを空間的に時間的にはなれたところからみることができると、話が違ってくる。時間をかけて平均をとると揺らぎが消えて平均値が顔をだすようなものかもしれない。遠くから見ると、さざなみのような小さなテクスチャは見えなくなっていくように。

大きな流れの中に自らがいることをイメージする。そういう心もちが大切なのかもしれない。
むずかしいことだけど。