少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

信じることの効用

2009-03-14 17:49:08 | その他
最近、カナダの大学の先生が、信仰を持っている人の方が心配などに対して冷静に注意深く対処できるという研究を発表したという。真面目な科学的な研究の成果だという。

ニュースリリース

自分はどの神様を信じるというほど特定の宗教への信仰は持っていないが、われわれの力だけではどうにもならないことが世の中にはあるという気はしている。それを運命と呼ぶか神様の力と見るかは意見の分かれるところかもしれないが、言っていることにそれほど違いがあるわけではあるまい。

もし、運命が存在すると認めることができれば、身の上に悲しいことが起こったとしても、それはそれで仕方がないと受け止めることができるかもしれない。努力は大切なことかもしれないが、結果的に起こったことは既にその人の責任ではなく運命だと考えることができれば多少は物事を楽に受け止められるかもしれない。たぶんそういうことなんだろうと思う。

もし、運命などあるはずもなく、すべてはその人の判断と、それを取り巻く世界の物理現象として物事が起こると考えたとしたら、失敗につながる判断をしたことはその人にとって取り返しのつかないミステイクであり、それが極めて重大な結果につながるかもしれないという不安へとつながっていく。そういう負のスパイラルに落ち込む可能性が高くなるのではないだろうか。

そういえばアメリカでも無宗教の人の割合が高まっているという。日本では初詣に行くことはあっても、宗教と呼べるほどの意識を持って生活している人はそれほど多くはないだろう。別に信心深くなる方が良いとは言わないが、何か心のよりどころになるような部分が、社会全体の中から欠如してしまっていることが今の社会の特徴であるように思う。何をするにも紙で証拠を残すことを求める社会。そこには「信」というものは存在しない。証拠がなければ何も受け入れられない。人は人を信じずに紙を信じるのである。それはちょっと悲しいことだと思う。

もちろん、失敗したことを全く気にしないようでは進歩がない。すべてを神様のせいにして好き放題というのはもちろんいただけない。反省をすることはとても大切なことだと思う。でも、今という混沌とした時代を生きる我々にとって「信じること」というをもう一度考えてみることは無駄ではないように思う。