少年カメラ・クラブ

子供心を失わない大人であり続けたいと思います。

M105,NGC3384

2009-03-21 20:27:07 | 天体観測
GINJI250D,XW10

そばにはNGC3389というのがあるらしいのですが、11.9等ですからちょっと無理ですね。3384も9.9等でこのあたりでは限界に近いところかもしれません。本当は3384は細長い形をしたエッジオン銀河のようですが、何かがあるという感じ以上にはわかりませんでした。

M65,66

2009-03-21 18:21:00 | 天体観測
GINJI250D, Nagler V 16mm

しし座にある銀河団。M66の方が若干明るく芯がある感じだった。両方とも少し傾いた感じに見える。二つの銀河ともに3000万光年近く離れた場所にある。上の方に、NGC3628という銀河があるはずだが、どうやっても見えなかった。

春空

2009-03-20 23:23:22 | 天体観測
午前中の雨で黄砂もすっかり洗い流されてすっきりした空のもと、久しぶりに25cmドブソニアンを引っ張りだした。気温もそれほど低くなく、絶好の天体観測日和だった。観望したのはしし座の銀河。M65に66.ちょっと離れてM105とNGC3384.さらにM96も見えた。見えるには見えるんだけど、どれももやもやっとした雲のようなかたまりで、なかなか内部の構造までは見えてこない。それでも、気の遠くなるような時間をかけて宇宙を旅した光を見ていると思うだけで不思議な感覚を覚える。帰る直前にさっとM3にごあいさつ。おー、さすが25cmあると球状星団の粒粒がなんとなくわかる。スケッチは又あらためて。

天体観測結果の整理

2009-03-16 22:42:11 | 天体観測
よく参考にしているCelestial Samplerという本に、観測結果のまとめ方が書いてあった。著者は、季節ごとの観測時間ごとに見た星をカードに書いて整理していくという。そのデータベースがたまっていくと、今日何を見ようかなと思った時には、そのデータベースのその時間のところを見ればいい。見た星とまだ見ていない星の確認もしやすい。

自分の観測結果も今や大学ノートに何冊にもなっているが、とにかく片っぱしから結果の紙を張り付けてあるだけ。後から見ても、ふーんという感じで情報として役に立たない。確かにそういう整理の仕方っていいなあと思った。

信じることの効用

2009-03-14 17:49:08 | その他
最近、カナダの大学の先生が、信仰を持っている人の方が心配などに対して冷静に注意深く対処できるという研究を発表したという。真面目な科学的な研究の成果だという。

ニュースリリース

自分はどの神様を信じるというほど特定の宗教への信仰は持っていないが、われわれの力だけではどうにもならないことが世の中にはあるという気はしている。それを運命と呼ぶか神様の力と見るかは意見の分かれるところかもしれないが、言っていることにそれほど違いがあるわけではあるまい。

もし、運命が存在すると認めることができれば、身の上に悲しいことが起こったとしても、それはそれで仕方がないと受け止めることができるかもしれない。努力は大切なことかもしれないが、結果的に起こったことは既にその人の責任ではなく運命だと考えることができれば多少は物事を楽に受け止められるかもしれない。たぶんそういうことなんだろうと思う。

もし、運命などあるはずもなく、すべてはその人の判断と、それを取り巻く世界の物理現象として物事が起こると考えたとしたら、失敗につながる判断をしたことはその人にとって取り返しのつかないミステイクであり、それが極めて重大な結果につながるかもしれないという不安へとつながっていく。そういう負のスパイラルに落ち込む可能性が高くなるのではないだろうか。

そういえばアメリカでも無宗教の人の割合が高まっているという。日本では初詣に行くことはあっても、宗教と呼べるほどの意識を持って生活している人はそれほど多くはないだろう。別に信心深くなる方が良いとは言わないが、何か心のよりどころになるような部分が、社会全体の中から欠如してしまっていることが今の社会の特徴であるように思う。何をするにも紙で証拠を残すことを求める社会。そこには「信」というものは存在しない。証拠がなければ何も受け入れられない。人は人を信じずに紙を信じるのである。それはちょっと悲しいことだと思う。

もちろん、失敗したことを全く気にしないようでは進歩がない。すべてを神様のせいにして好き放題というのはもちろんいただけない。反省をすることはとても大切なことだと思う。でも、今という混沌とした時代を生きる我々にとって「信じること」というをもう一度考えてみることは無駄ではないように思う。


月について

2009-03-08 20:37:09 | 天体観測
最近、月に関する本を読んだ。

『月は誰が創ったか』

なんでも月がないと人類は生まれなかったらしいという話。月による潮汐力が地球の岩盤が動く力を与え、そのことが原始の有機物スープを頻繁にかき混ぜたらしい。今も年間に数センチづつ地球から遠ざかっていく月は、時間をさかのぼるといまよりずっと地球の近いところを回っていたという。

月にはよくわからないことがたくさんある。大きさの割に軽くて鉄分のような重い金属をほとんど含んでいないという。また、宇宙船が月にぶつかった時の地震を観測すると、月の真ん中は空洞になっているかもしれないという。マスコンという部分的に質量が偏在しているのも妙な話。だいたい、地球くらいの大きさの星に月という衛星はちょっと大きすぎる。まあ、数え上げればきりがないくらい月というのは不思議な星だ。

地球に四季をもたらす地軸の傾きも、もし月がなければ維持することはできないという。

その本は、最終的に月というのはタイムカプセルで大昔にタイムトラベルした人類が自らの存在のために作り上げた人工物だという。まあ、そこはどうかはよくわからないが、ちょっとまた月を観測してみたくなってきたなあ。