ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

講演「鰯漁の歩みと食文化」

2009-07-03 15:54:08 | 地域活動・つながり
先日、高校の同窓会総会の記念講演で「いわしの話」を聞いた。
その高校の卒業生で先輩でもある水産博士の平本紀久雄氏の講演。
北大卒業後鰯の研究に取り組み、今は本場の房総に住んでいると言う。
鰯には、マイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシの3種類があるそうで。
一般的に全てイワシと言うが、その道ではマイワシを言うらしい。

イワシ漁の歴史は古く、奈良時代から宮中で食べられていたらしい。
室町時代から庶民にも食べられはじめ、江戸時代は大衆の魚となった。
江戸時代は豊漁が続き、食料のほかに稲作・綿・藍・菜種・蜜柑など農産
品の増産のため、肥料としての干鰯は金肥と云われ有用に利用された。
大正期には金肥の地位は下がるも、豊漁のイワシは魚油に活用される。
昭和初期には、大豊漁と魚油の飛躍的増大で、鰯産業は一兆円産業に。
その後、30年前頃400万トンの漁獲量が、近年は3万トンに激減。
想えば、銀座の専門料理店「いわしや」のご主人が嘆いていたっけ。
鰯の収穫量には、解明されない長期的な経年変動が存在するらしい。
同窓会という生け簀には、年寄りの鰯ならぬ親父連が大勢集まっていた。

餌条件さえ良ければ、年に何回も産卵するカタクチイワシは器用な鰯。
産む卵数は多いものの、年一回しか産卵しないマイワシは不器用な鰯。
マイワシが不良の年はカタクチイワシが豊漁、同時の豊漁はないと言う。
我が家では、ほとんど毎日、朝の食卓に「目刺しの類」が添えられる。
「今年になって目刺しがお店から消えたようだ」と、ひげ爺の独り言。
あっても「背黒いわし」や「丸干し」で、本来の目刺しではないのかな。
コメント
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