暑い夏、永年にわたり関ってきた町長の後援会が解散することになった。
生まれ育った北川辺の町長選挙にからんだ「倉上きよのり後援会」である。
それは、同級生のよしみで発足時から関わりを持ってきた後援会だった。
11年前の夏、前町長の引退を受けて、町長選挙への出馬から始まった。
本命視されていた候補に対抗する形で、町の課長から急遽の擁立だった。
私は会社勤めの身のため、夜と休日を中心にお手伝い的役割をしていた。
選挙は大激戦の末に勝利し、めでたく町長に就任させることが出来た。
以後、後援会の役員として 文書づくりなど事務的仕事を中心に担当した。
退職後は、町や地域の委員なども委嘱され 行政のお手伝いもやってきた。
二期目の選挙は無投票になったが、町政運営には難しい局面も多かった。
三期目は、実績が評価され批判勢力を破って当選し、町政も落ち着いた。
そして近隣市町との合併を推進し、今春その実現により町長職を失職した。
(元)町長は、合併「加須市」の市長職務代行として新市発足に貢献し、新し
い市長には旧加須市長が就き、(元)町長はこれを節目とし、区切りとした。
そこで後援会も解散し、役員による「解散のつどい」を開催することにした。
政治後援会が解散の宴を開くことは、環境が整っていないと出来ないことだ。
17日、古河市のカナルハウスで来賓を交え、80人程の集いを開催した。
参加者には、後援会を通じて地域と行政に尽くしたと言う充実感があった。
「集いの終わりに締めをする私も、因縁じみている・・」と、ひげ爺の独り言。
後援会が解散した後も、この人達が地域に貢献し続けることは確なようだ。
生まれ育った北川辺の町長選挙にからんだ「倉上きよのり後援会」である。
それは、同級生のよしみで発足時から関わりを持ってきた後援会だった。
11年前の夏、前町長の引退を受けて、町長選挙への出馬から始まった。
本命視されていた候補に対抗する形で、町の課長から急遽の擁立だった。
私は会社勤めの身のため、夜と休日を中心にお手伝い的役割をしていた。
選挙は大激戦の末に勝利し、めでたく町長に就任させることが出来た。
以後、後援会の役員として 文書づくりなど事務的仕事を中心に担当した。
退職後は、町や地域の委員なども委嘱され 行政のお手伝いもやってきた。
二期目の選挙は無投票になったが、町政運営には難しい局面も多かった。
三期目は、実績が評価され批判勢力を破って当選し、町政も落ち着いた。
そして近隣市町との合併を推進し、今春その実現により町長職を失職した。
(元)町長は、合併「加須市」の市長職務代行として新市発足に貢献し、新し
い市長には旧加須市長が就き、(元)町長はこれを節目とし、区切りとした。
そこで後援会も解散し、役員による「解散のつどい」を開催することにした。
政治後援会が解散の宴を開くことは、環境が整っていないと出来ないことだ。
17日、古河市のカナルハウスで来賓を交え、80人程の集いを開催した。
参加者には、後援会を通じて地域と行政に尽くしたと言う充実感があった。
「集いの終わりに締めをする私も、因縁じみている・・」と、ひげ爺の独り言。
後援会が解散した後も、この人達が地域に貢献し続けることは確なようだ。