ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

街なか散歩 5 「越ケ谷宿」

2016-08-02 08:45:27 | 旅行・秘湯・巡礼 
東武鉄道では 電車の運行を変えたことを機に、路線の呼び名を一部変えた。
伊勢崎線が スカイツリー ラインで、野田線が アーバンパーク ラインだと云う。
そのスカイツリー線の新田駅が、越ケ谷からは離れているが 今日の出発点。
駅前から大通りに出て東に向かい、4号国道を横断して進むと綾瀬川に出る。
橋を渡って川沿いの小道に左折すると、前方の橋の袂に 小さな杜が見える。
そこが「蒲生の一里塚」で、埼玉県内に残る日光街道で唯一の一里塚である。

電車で 新田から越谷駅まで戻り、駅前から東に歩き 旧4号国道を左折する。
そこは20年前に勤務していた街だから、道を尋ねたり地図を見ることもない。
その道が 旧街道「日光街道」で、少し進むと「越ケ谷宿」に入るのだが 宿場町
の面影はほとんどなく、古い木造瓦葺の商家が何軒か残っていてだけである。
「越ケ谷宿」は、旧越ケ谷宿と旧大沢宿が江戸時代に統合公認されて栄えた。
本町で旧街道を離れて右折、国道を越えて 東に路地を進むと御殿町になる。
元荒川に突き当たると、小さな空間に 「越ケ谷御殿跡」の石碑が立っていた。
鷹狩に来た徳川家康や秀忠のため、休息用の御殿が建てられていたと云う。
後に明暦の大火で江戸城が焼失した際、御殿は解体され江戸城に移された。

遠回りして元荒川を渡り、対岸の越ケ谷総鎮守「久伊豆神社」 に立ち寄った。
帰りは 川沿いの道を「旧街道」まで戻り、橋詰を右折し「旧大沢宿」 を進んで
北越谷駅に出ると、ちょうど12時だったので昼食をとって予定終了した。
『ここでは、「越ケ谷」と「越谷」の両方が使われている 』 と、ひげ爺の独り言。
市名や駅名など、広い意味や新しい呼び名 つまり若い方には 「ケ」 がない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする