ひげ爺は永年にわたる愛煙家で、1日に30本程喫煙していた。
仕事中の一息に、会議の合間に、食事の後に、煙草は美味しかった。
しかし、会社勤めを終えた頃から自分の健康が気になってきた。
世の中は、禁煙や分煙が一般化し喫煙への嫌悪感が拡大していた。
考えると、自分の喉が笛のように「ヒュー」と鳴ることがあった。
妻も家族も心配をする、そこで二年前の7月2日、禁煙を決断した。
夏の山開きを待ち、秘湯を訪ねてアルプスに入ることになっていた。
煙草を持って行かなければ、山奥には煙草屋どころかお店はない。
相当苦しむことだろうが、最悪の時は仲間に愛煙者が一人だけいる。
そんな曖昧な決断であったが、悲痛にならずに面白おかしく挑戦した。
何度か辛い思いはしたが、簡単に破って三日坊主と笑われたくない。
3日間、一人だけの愛煙家は私の前では絶対に煙草を吸わなかった。
そんな仲間の協力があって、「湯俣と蓮華」での禁煙は実行できた。
山から帰っても禁断症状が予想以下で、何とか禁煙を続けられた。
それから二年、私の禁煙は初めての挑戦で立派に成功した。
健康、特に呼吸器に良いことは確かなようで思い当たることも多い。
一方で、他人の吸った煙草の臭いが嫌なものに感じて仕方がない。
今では、少し勝手だが「煙草は吸わないで・・」と言いたい気持だ。
はじめの頃、禁煙を破らせようと悪い仲間からよく煙草を勧められた。
「煙草を勧められ、断る事も快感なのだが・・」と、ひげ爺の独り言。
禁煙する人にわざわざ勧める愛煙家、今はそんな人さえいないのだ。
しかし、仲間で一人になった愛煙家は、相変わらず煙草を吸っている。
仕事中の一息に、会議の合間に、食事の後に、煙草は美味しかった。
しかし、会社勤めを終えた頃から自分の健康が気になってきた。
世の中は、禁煙や分煙が一般化し喫煙への嫌悪感が拡大していた。
考えると、自分の喉が笛のように「ヒュー」と鳴ることがあった。
妻も家族も心配をする、そこで二年前の7月2日、禁煙を決断した。
夏の山開きを待ち、秘湯を訪ねてアルプスに入ることになっていた。
煙草を持って行かなければ、山奥には煙草屋どころかお店はない。
相当苦しむことだろうが、最悪の時は仲間に愛煙者が一人だけいる。
そんな曖昧な決断であったが、悲痛にならずに面白おかしく挑戦した。
何度か辛い思いはしたが、簡単に破って三日坊主と笑われたくない。
3日間、一人だけの愛煙家は私の前では絶対に煙草を吸わなかった。
そんな仲間の協力があって、「湯俣と蓮華」での禁煙は実行できた。
山から帰っても禁断症状が予想以下で、何とか禁煙を続けられた。
それから二年、私の禁煙は初めての挑戦で立派に成功した。
健康、特に呼吸器に良いことは確かなようで思い当たることも多い。
一方で、他人の吸った煙草の臭いが嫌なものに感じて仕方がない。
今では、少し勝手だが「煙草は吸わないで・・」と言いたい気持だ。
はじめの頃、禁煙を破らせようと悪い仲間からよく煙草を勧められた。
「煙草を勧められ、断る事も快感なのだが・・」と、ひげ爺の独り言。
禁煙する人にわざわざ勧める愛煙家、今はそんな人さえいないのだ。
しかし、仲間で一人になった愛煙家は、相変わらず煙草を吸っている。
喫煙していた頃は60本のヘビースモーカーで
咳と痰がでて朝起きると頭の回りがチリ紙だらけでした。今は晩酌も朝食も美味しく食べれますが
肥満が気になっているところです。