こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

しゃかりきの日々

2016年01月17日 01時08分28秒 | 文芸
「お義父さん、

子供が

いま生まれました」




 長女の夫が連絡をくれた。

初孫誕生!

六十七歳。

遅いといえば遅いおじいちゃんだ。




 妻がおもむろに訊いた。




「どんな気持ち?

おじいちゃんよ」




「ピンと来やへん。

おじいちゃんなんて……」




「素直に喜べば。

すべて順調ってこと」




 確かに順調だった。

子供四人を授かり、

さほど問題もなく

人生を送って来た。 




 でも、

モヤモヤしている。

結婚する時に妻と交わした約束は、

何一つ実現していないのだ。




 三十五年前、

いっぱいの夢と希望に胸をふくらませた、

高校生の妻に出会った。

私は駅ビルの喫茶店調理場に勤める三十男。

唯一の共通項は、

演劇だった。




 全国大会で賞を取った、

高校演劇部の部長だった彼女。

社会人になっても続けたいと、

私が主宰するアマ劇団に入団を求めてきた。

他のメンバーにない芝居にかけた情熱は、

いつしかグループのリーダー的存在になった。




 ちょうどその頃、

私は念願だった喫茶店経営に踏み切った。

社会に出た時から抱き続けた夢の実現である。

開店準備に奔走する私を見かねたのか、

彼女はアルバイトを申し出た。 




 彼女は最高の助っ人だった。

短大に通いながら、

時間があればアルバイトに駆けつける彼女に、

信頼は増すばかりだった。。




 短大を卒業する直前に、

彼女の逆プロポーズを受けた。

女性との付き合いが苦手で結婚を諦め、

自分の店と劇団に人生を賭ける覚悟をしたばかりだった。




「ひとりでバタバタしてるん見てられへん。

かわいそうやから私がそばにいてやるわ」




 その日から私は彼女をひとりの女性と認めた。

結婚を前提に付き合いが始まった。

しかし、

店の経営は生半可なものじゃない。

人並みなデートもできない。

それでも、

店が終わると、

できるだけ顔を合わせた。




 あれは、

赤穂の海岸だった。

星を見上げながら、

私は彼女に結婚を申し込んだ。




「一緒に生きていこう。

君でないと僕の人生のパートナーは務まらない」




 自分でも恥ずかしくなるキザっぷりだった。




「子供ができても、

芝居作りは絶対やめへん。

家族で劇団作って、

田舎を巡演して回ろう」




「それ本気なの?」




「ああ。

僕と君をつなぐのは芝居なんだ。

生涯二人で芝居をやっていかなきゃ。

約束する」




「うん!

約束だよ。

じゃ結婚してあげる」




 今思えば青臭い宣言だった。

それでも、

あの瞬間、

二人の絆は強く結ばれたのだ。




 子供に恵まれてからも、

約束通り劇団活動を続けた。

喫茶店も順調だった。




 三人目の子供を授かると、

生活は大きく変わった。

大黒柱の責任が重くのしかかった。

子供らの将来を考えれば、

収入を優先しなければならなくなった。

劇団活動をしばらく休むことにした。

結局、

そのまま芝居は諦めざるを得なくなった。

四十五年近く続けた芝居への未練を犠牲にした。

いつか再開するとの思いを、

心の奥深く刻んだ。




 以来、

仕事に専念した。

不振になった喫茶店を閉めて、

ほかの働き口を掛け持ちした。

妻も共稼ぎで、

育児家事に奮闘した。




 夫婦の頑張りは、

四人の子供を、

それなりの社会人に育てあげた。

大学教育も受けさせた。

親のやるべきことを、

ついにやり遂げたのだ。




「いまさら芝居できっこないよなあ」




「当たり前やん」




 即答する妻に、

芝居はもう思い出なのか。




「ごめんな。

お前との約束、

果たせなんだわ」




 私の中には、

まだあの頃の青春が、

影は薄くなっても、

ちゃんと残っている。




「約束やなんて、

あんなもん破るためにあるんや。

おかげで、

私ら幸せになったやんか」




 そう。

あの約束を、

しゃかりきになって守っていたら……!

いま私たちに笑顔はなかったかもしれない。

複雑な思いで、

妻を見やった。




(お前の笑顔を絶やさんように、

頑張らなきゃ)




 それは妻にする、

人生最後の約束だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする