こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

おい、おい、老い!・完結

2016年06月09日 23時37分50秒 | 文芸
そんなコーナーすら、哲郎は知らなかった。

「半額の弁当買い始めたら、もうやめれんど。

味もなんも変わらんのに、半額やど、半額」

 独断的な辻本のアピールに哲郎は抵抗なく頷いた。

「惣菜かて半額やったら、タダみたいなもんやがな」

 タダではない。

それでも納得はできる。

「あれ、別嬪さんやろ……!」

 十一番レジが辻本の視野にあった。

「まあ……そやけど、化粧がきついわ。

目のふち黒うて、まるでタヌキやがな」

 スタイルはいいが、客に対応する彼女の化粧は、かなり濃い。

「そないいうけど、ええ子やがな」

 辻本は聞く耳を持たぬ。

「あの子の方がええな」

 思わず口を滑らせた。

ちょうど、十一番レジに近寄る、がっしりタイプの女性スタッフに目がとまった。

痩せぎすではない、好みのタイプだった。

「どれや?」

「タヌキのレジや。

交代するんかな」

「へぇー?あの子け?

小太りやし、女らしい丸みがないわ。

下駄みたいな顔しとるがな」

「それがええんや」

 哲郎は彼女から目を離せなかった。

もしかしたら辻本の対抗上、彼女に目を奪われたのかも知れない。

それでも見れば見るほど、心が騒ぐ。

久しぶりに味わう高揚感だった。

「弁当売り場へ行くか」

 辻本は、よっこらしょと立ち上がった。

 とんかつ弁当は残り一個。

辻本はほくそ笑みカートに取りのけた。

それを裏返す。

「なんで?」

「半額シール、知り合いに見られたら恥ずかしいやんけ」

 のけぞった。

半額弁当を狙うお得意さんの言葉ではない。

辻本のプライドは健在らしい。

「おい。

あの子の目。

吊り上がっとるど」

 レジを通った辻本は性急に報告した。

まるで鬼の首を取ったかのように目を輝かせている。

また対抗心がムクムクと頭をもたげた。

「そない吊り上がっとらんやろ。

何ともいえん可愛いキツネ目や」

「ほうけ。

わしの好きなタヌキに、あんたのキツネやな。

こらええわ」

 辻本は笑う。

哲郎もつられて相好を崩した。

 ISスーパーは哲郎の息抜きと刺激のスペースとなった。

行けば、必ず辻本と会える。

半額弁当のお得感も味わえる。

その上レジの彼女に会えるのが最高に楽しい。

正確にいえば、眺めるだけの高嶺の花(?)だった。

……キツネ目の女と……!頭の中で逞しくなる想像が、青春回帰につながる。

「はん、嬉しそうやな」

「ああ。

彼女、今日はしあわせそうな顔しとる。

なんぞええことあったんやろか?」

「あほらし!

それよか、ええ情報あったど。

タヌキなあ、結婚してこども三人おる。

この間、食品売り場を家族揃って買い物しよったとこに出くわしてのう。

イケメンの旦那や」

「興味ないわ」

「ほなら、キツネのこと教えたろか」

「いらん!なんも知らんほうがええ……」

 哲郎は思う。

白髪頭のおじいちゃんの淡い片想い、それでいいと。

目の前で元気に働く姿を見せてくれれば、それでいい。

だいたい、哲郎自身がいつまで健康でいられるか保障の限りではない。

もう随分お年寄りなのだ。

「……キツネは……のう……」

 辻本の声が、どんどん遠くなる。

 キツネ目の彼女は、きびきびと客をあしらっている。

いつも笑っているようで、時々むっと怒ったりする。

まだ若いのだろう。

……(結婚しとるんかなあ?)

 哲郎は幸せ感に酔った。

そろそろ半額の時間だ。

甘いものも半額になる.

家族に、黒糖饅頭を買って帰るか。

哲郎が心をときめかせられる、つかの間の時間は、もうすぐ幕を降ろす。                  (完結)

 
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おい、おい、老い!・8

2016年06月08日 23時57分20秒 | 文芸
隣り合わせたソファーに、辻本はドカッと尻を下した。

「お?七番におるやないか」

「シー。声が大きいで」

「かまへんわ。年寄りのいうことなど、誰も聞きよらん。

そないな物好き、おるかいな」

 小柄な体に似合わぬ大きな声を出す。

「キツネ、元気そうやのう」

 七番レジのの女性を、哲郎と辻本はキツネと呼ぶ。

彼女はキツネ目をしている。

 レジには、ほかにタヌキがいる。

イタチもアライグマも。

哲郎と辻本にかかっては、動物園扱いである。

しかし実害があるわけではない。

むしろ年寄り二人がリピート客になるのだ。

歓迎されて然るべきだろう。

「ちょっと売り場回ってみるかい?」

 辻本が尻をあげた。

せっかちな男である。

「行ってもええけど、時間、まだ早いど」 

 哲郎は柱の時計を振り返りながら言った。

 三時十五分。

三十分が過ぎると、弁当や総菜の値引きが始まる。

まず貼られるのは二十パーセント引きのシール。

それは序の口で、四時まで待てば、二十パーセント引きが半額になる。

哲郎らにはそれが買い時となる。

「そうけ。

ほなちょっとゆっくりすっかい」

「慌てるもんは貰いが少ないんやぞ」

 哲郎は上げかけた尻をさっさと元に戻した。

目はレジのキツネに向けたままだ。

「あんたは、目当てが違うさかいのう」

 辻本はショッピングカートを掴んで大儀そうに座った。

小さい頃から足が不自由なのだ。

「タヌキは、もう帰ったんかいなあ?」

「いっつもキツネと入れ違いやさけ、交代して抜けたんやろ」

「ほな、わしの方は楽しみあらへんがい」

 辻本はタヌキのファンだった。

「別嬪さんやろが、あのレジの女の子」

 辻本が視線を送った先にタヌキがいた。

 哲郎がISスーパーに足を向けたきっかけは、定年退職。

何もせず家でゴロゴロするのは一週間も続くと飽きる。

もともと貧乏性なだけに、じっとしているのは性に合わない。「ISに行ったらどないなん。

気が紛れるで。家電売り場はあるし、おなか減ったらフードコーナーで食べたらええ。

便利やんか」

 妻は夫のイライラを察知していた。

小遣いを二千円持たし、哲郎の背を押した。

 フードコーナー前の通路に置かれたソファーでぼんやりしていると、辻本がひょうひょうとやって来た。

「隣、あいとるかいの?」

「ああ、どうど」

 哲郎は尻をちょっとずらした。

「おおけに。カート押しといても、しんどいわ。

ん?あんた見かけん顔やのう」

 辻本は気さくに哲郎の世界に踏み込んできた。

抵抗なく彼に合わせる。

「どや、食品売り場に行ってみぃーへんか?」

 辻本はスマートフォンで時間を確かめると誘った。

「四時になったら、弁当が半額になりよる」

 ひょこひょこカートを押し歩く辻本を追った。

半額弁当が気になる。

これまで買う機会はなかった。

どういうものなのだろう?

「あちゃ!ちょっと早かったわ。

まだシール貼ってないのう」

 辻本がのぞき込む弁当の陳列棚に、二十パーセントの値引きシールが貼られたとんかつ弁当が五個ある。

「早い時もあるねんけど、今日は遅れとるわ」

「へえ?」

 すべてが目新しかった。

働き蜂だった哲郎に、スーパーの買い物など殆ど縁はなかった。食品売り場は男が足を踏み入れるところではないと信じていた。その封建的な思考は、田舎で育った団塊世代に多くみられる。

哲郎も例外ではない。

「ちょっと時間待ちしょうか」

 辻本が向かったのはレジ前の休憩コーナー。

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おい、おい、老い!・7

2016年06月08日 00時19分22秒 | 文芸
思わず吹き出した。

思い出したのだ。

お尻を洗ったら,ドバーっとウンチをやられた記憶は鮮明だ。

娘が二回、息子も数回、風呂にウンチをぷかぷかと浮かべた。

慌てて妻を呼びつけ、洗い桶を使い灰汁取りの要領で掬わせた。

洗い終わると、湯面を泳がせる。

赤ん坊は目を閉じて気持ちよく身をまかせている。

安らかな表情にしばし見惚れた。

やはり天使だ。

 ガラッと浴室の引き戸が開いた。

「いつまで、何しとんのん?

こっちは忙しいんやで。

することなんぼでもあるんやさかい」

 妻の毒舌と、にやけた表情が一致しない。

 深夜。

リビングでテレビを楽しんでいると、長女が覗いた。

胸に赤ん坊を抱えている。

「泣いて寝やへんねん」

「夜泣きか。

よっしゃ、おとうさんがあやしといてやるさかい、少し寝えや」

「うん。

ほなら、お願いできる?」

 よほど眠いのだ。

赤ん坊を託してそそくさと寝室へ去った。

信頼してくれている。

父親冥利に尽きる瞬間だった。

「……か~ら~す~、なぜなくの~~♪

からすは、や~ま~に~♪」

「七つの子」は、二十年以上前、わが子らに歌った子守歌である。

 真夜中も子守歌は流れ続けた。

「ほな帰るね。

また来るよって」

「ああ。

待ってる」

「無理せんでええからな。

向こうの家の方を大事にせなあかんやろ」

 また妻の横やりが入った。

父と娘のコミニュケーションを邪魔する。

それは違うだろといえるはずはない。

しかも表情は、長女に変だと悟らぬように、柔和さで取り繕う。

「それじゃ、お世話になりました」

婿が生真面目に頭を下げた。

「また来いや。

うまいもん食わしたるさかい」

「うん!」

 長女の家族を乗せた車は家を離れた。

 翌日、昼過ぎにISスーパーへまた向かった。

長女が帰って、妻は仕事。

末娘は大学に行っている。

日がな一日、家でひとり留守番をするほど、まだ年寄りじゃない。

売り場に回ると、レジ前に設けられた休憩スペースのソファーに座った。

慌てることはない。

時間はたっぷりある。

(いた!)

 七番レジに彼女はいた。

がっしりした体格が目立つ。

顔はお世辞にも十人並みとはいいがたい。

年齢はいまだ知るすべもないが、哲郎より三十ほど若いのは確実だ。

「早いのう」

 辻本だった。

同年輩のISスーパー仲間で、小柄な男だ。

植木屋を一人でやっている。

「今日は、仕事、休みか?」

「午前中で済ましたわ。

えろうてなあ」

「年やのに、そない頑張らんでええがな」

「仕事せなんだら、お得意さんも困るやろが。

そいにわしが食えんようになってまうがい」
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おい、おい、老い!・6

2016年06月07日 00時32分08秒 | 文芸
「……ご苦労さん」

 精いっぱいの言葉を掛けた。

あとは妻に任せる。

病室をウロウロしたり、ソファに立ったり座ったり。

どうも見舞いは苦手だ。

 ちらちらと娘の様子を窺う。

大事を済ませて、母親の顔になっている。

また父と娘の距離が開く。

複雑な思いが募り、ホロッとした。

 あれから一か月。

産後初めて里帰りした娘に抱かれた赤ん坊は、予想以上に元気だった。

「はい。あなたも抱いてやったら」

「あ?ああ、そうやな」

 妻に不意を突かれて、うろたえた。

「大丈夫?」

「あほぬかせ。わしかて、四人の親、やって来とるんやで」

「はいはい。そやったなあ」

 妻は軽くいなす。

 無視して赤ん坊を受け取る。

(!)

 こんなはずじゃない。

手先に緊張が走る。

不器用だから、慣れぬことをする際はプレッシャーで固まってしまう。

まさか赤ん坊を抱くのに、同じ兆候に襲われるとは!

 赤ん坊の扱いは手慣れている……はずだ。

夫婦共稼ぎで、子育ては二人三脚だった。

おしめを替え、授乳も、あやして寝かせるのも……いっぱしのイクメンを務めた。

 懸命に、そうしていることを家族に悟られないように、赤ちゃんを抱きかかえた。自

分でもぎごちないと分かる。いやはや!

「不器用なんやから」

 妻が言わずもがなの口を利く。

「おとうさん」

「うん?」

 思いに耽っていたらしい。

ハッと正気に戻ると、娘の笑顔が。

その視線を追うと、ベビーベッドでスヤスヤ眠る赤ん坊がいた。

「よう寝とるのう」

「いまのところ、順調に育ってるよ」

「そうかそうか」

 母性を隠さない長女に、自然と顔が和む。

第一子である。

妻と結婚に踏み切れたのは、彼女の存在があったからに他ならない。

短大卒業の後、保母の仕事に無我夢中だった妻。

自分の喫茶店をオープンで、てんてこ舞いの哲郎。

年の差十三で、すぐ結婚する気もなく、ずるずると交際を続けていた。

「できちゃった」

 妻に告白されたとき、心は決まった。

(父親になるんだ!)

 三か月で結婚式を実現させた。

長女を授からなければ、結婚すらなかったかも知れない。

 急遽出かけた新婚旅行も、妻のお腹に長女はいた。

記念すべき親子三人の初旅だった。

「おなか空いちゃった」

「そうか。すぐ何か作っちゃる」

 ちいさいころから、よくお腹を空かせては、食べるものを作れとせがんだ。

その希望を叶えてやるために、レシピをひねり出す。

さて、今日は何を作ってやろうか?

実に楽しい作業だった。

 茶碗蒸しと・鮭のムニエル、ほうれん草のお浸し……少し太めの娘には脂っこい洋食よりも和食がおすすめだ。

 夜九時。

帰宅した妻と二十年ぶりのコンビを結成し、赤ん坊を風呂に入れる。

湯船につかり湯加減をみるのは、昔も今も私の役目だ。

「もう用意はいいのん?」

 妻はせっかちだ。

こちらの都合を訊きながら、もう裸にした赤ちゃんをタオルにくるんで、「さあ、どうだ!」と迫る。

「ああ、ええで」

 やはり逆らえない。

三十数年、そうやって結婚生活はうまく続いた。

婦唱夫随は健在だ。

 赤ん坊の後頭部を親指と小指で挟んで支える。

右手に持つガーゼのタオルで洗う。

忘れたようで体はちゃんと覚えている。

顔、頭と来て、首筋に脇、股間からお尻を丁寧に洗う。
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おい、おい、老い!・5

2016年06月06日 00時11分24秒 | 文芸
刺身パックと野菜を

買い物かごに入れてレジに並んだ。

「あんた、

それだけかいな?」

「はあ」

 カートに商品山盛りの

買い物かごを積んだ客が振り返り、

声をかけてくれたら

シメタものだ。

「先にレジしなはれ」

「おおけに。

すんまへん」

 人の好意は素直に受ける。

断るなんて、

相手の気持ちを傷つけるだけだ。

世の中は

結構いい人が多いと

感謝すればいい。

 買った食材をを助手席に置いて、

ホーッと息を吐く。

仕事は終わった。

思い通りのものを安く買えた。

残りの食材は

家に買い置きがある。

あとは腕を振るえばいい。

まだ腕は錆びちゃいない。

 意気揚々と

玄関を開ける。

「お帰り。

どないやったん?」

 待ち構えていた妻が

性急に訊く。

「ほれ見てみい。

卵五パックやぞ!」

「えらいえらい」

 口ぶりがあきれ果てている。

定年で現役引退した夫に、

もう期待はしない。

亭主がボケないために、

好き勝手を許しといてやるんだとの

思いが滲んでいる。

「でも、

ちょっと買い過ぎやない、

卵五パックやって」

「あの子は

卵料理が好きなんやど」

「コレステロールが増えて、

あの子も災難や」

 妻の皮肉は、

もう狎れっこだ。

ほざいてろ。

「はい、

サヤちゃん。

おじいちゃんだよ」

 玄関に入って来た娘の第一声。

顔がにやける。

娘の胸に

しっかり抱かれた赤ん坊は、

初孫だ。

それも女の子である。

目に入れても痛くないを

実感させてくれる。

「はよ上がれ。

外はまだ寒いやろが」

「うん。

サヤちゃん、

お願い」

「ん?お、おう。

ほな、預かろか」

 赤ん坊を慎重に受け取る。

落としたら大変だ。

小心者だから、

ふと不安に襲われる。

右の腕で頭と首を支える。

首がまだ座っていない。

油断は禁物だ。

「ほら、

笑ってるよ」

「え?」

 赤ん坊を見やると、

確かに笑っている。

 長女の出産は

立ち会えなかったが、

夜遅く産院に駆けつけ、

保育器の赤ん坊と対面した。

「へその緒が

短かかったらしゅうて」

 長女の伴侶が、

なぜか

申し訳なさそうに説明する。

気にするな。

あんたの責任じゃない。

「ちょっと小さいんです。

二千四百あるかどうかで」

「ちいそう産んで

大きく育てるいうやろ。

なんも心配せんでええわ」

 妻は新米父親の不安を

笑い飛ばした。

男には及びがつかぬ

自信に満ちた物言いだった。

「それで母親の方は

べっちょなかったんか?」

 最も気になるのは

長女のこと。

出産は病気じゃないが、

万が一ということもある。

「はい。

大丈夫です。

元気してます」

 小太りの娘と

痩せてスリムな婿。

実にうまくバランスが取れている。

 病室は明るく小奇麗だ。

娘はベッドに寝ている。
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おい、おい、老い!・4

2016年06月05日 00時08分19秒 | 文芸
不思議だが、

並ぶより待つのは苦にならない。

いつも誰かと待ち合わせると、

必ず三十分前に出向く。

根っから小心者なのだ。

約束の時間に遅れることが

不安だし、

遅れてもうまく弁解できない。

それなのに

相手が十分以上遅刻しても、

文句ひとつ言わず

ニコニコしているだけ。

相手には都合のいい男だった。

 十五分前になると、

躊躇なく卵売り場に急ぐ。

ラックに山ほど積まれた卵を一パック、

やっと確保すると、

レジに急ぐ。 

なにしろ五パックは手に入れたい。

ひとり一パックの制限を

クリアするには、

レジを通過した足で

また売り場に取って返し

並ぶしかない。

 カートに五,六パックほど積んだのを

レジ近くに止め置き、

往復距離を短縮する常連客がいる。

馬鹿正直者には

呆れ果てた所業だ。

その上を行くのが、

ひとりで

ご来店が明白にもかかわらず、

レジを悠然と突破する輩たち。

「お連れ様はおってですか?」

「ああ。

あっこに待っとるんや。

あれ?どこ行ったんや。

しょうのないやっちゃなあ、

そこに居れ言うとんのに。

年寄りやさかい許したってーな。

うちの奴どっかで休んどるわ」

 レジスタッフも

毎度のことだから心得ている。

それに自分が損するわけではない。

確認の言葉をかければ、

それで事足りる。

とはいえ、

嘘も使いようと

要領よく

レジを切り抜ける連中の真似は

とうてい出来ない。

哲郎は根が生真面目、

いや小心者なのだ。

 出たり入ったりで確保した

五パックの卵を

マイ・バッグに詰め、

いったん車まで戻る。

助手席に積み上げておいて、

また売り場へ。

手早く

他の食材を調達する。

「おはようさん」

 レジに並ぶと

声がかかった。

定年まで勤めていた

弁当工場の同僚だ。

彼も、

もう定年を迎えている。

しょっちゅうこのスーパーで

顔を合わす。

アパートに一人住まいだから、

買い物は自分でやるしかない。

人それぞれ事情がある。

それも贅沢が叶わぬ

年金暮らしどうしなのだ。

安売り卵の購入は、お互いに欠かせない。

「お宅もまた卵かいな?」

「当たり前やがな。

物価の優等生やで、

それに乗っからんと、

やってかれんわ」

 それらしいうんちくを

口にしあう。

「一パックあったら、

一週間は持つもんのう」

 同僚の顔が

ショボクレて見える。

「なに言うとんや。

一パックじゃ足らへん。

うち三人家族やけど、

きょうは五パック狙いや、

五パック!」

「そないようけ買うて

腐らしたら勿体ないど」

「アホ言え、

腐らすような下手すっかい。

卵があったら、

他におかずがのうても、

どないかなるやろが」

「……消味期限切れたら……?」

「そんなもんべっちょないわ。

加熱したら

なんぼでもいけよるで」

 卵は重宝だ。

消味期限は

生で食べられる期限を

表示している。

卵かけごはんなら、

それを越すと怖い。

なら焼いたり茹でたりして

食べればいい。

消味期限が切れたら

加熱すりゃいいのだ。

厚焼き、出し巻き、

オムレツ、炒り卵、ハムエッグ……。

飽きることはない。

そうそう、

最近卵を使ったスィーツに凝っている。

中でもプリンはお手のものだ。

「あんた、

このプリン

売ってるもんより美味いやないの。

切らさんように作っときや」

 めったに亭主を褒めない妻が

褒めそやすぐらい、

自家製プリンはマジ美味である。

冷蔵庫に作り置きしておけば、

甘いものに目がない、

わが家のオンナどもが消費してくれる。

勿論亭主だって、

酒やたばこと縁切りして以来、

寂しい口を補ってくれるのは

甘いものだ。

十個ぐらいは、

すぐなくなってしまう。

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おい、おい、老い!・3

2016年06月04日 00時02分22秒 | 文芸
「わかっとるわい。

そやから安売りの日は

外せんのじゃ」 

 自転車を玄関の隅から

引きずり出した。

最近車をやめて自転車に替えた。

健康のためと

周囲には説明しているが、

経済的な理由からだった。

実は同居する末娘が

大学生になったからだ。

通学に車がいるとなり、

定年を迎えた哲郎が

譲らざるを得なくなった。

 自転車を乗り回して

もう半年ぐらいになる。

最初は何日か足腰が痛くて困った。

それが最近は慣れて、

ラクラクだ。

卵の安売りが待っている。

一パック九十七円。

税込みだ。

消費税が八%になると、

他店は

それまで目玉にしていた卵の安売りを

一斉にやめた。

この地域で、

今も頑張っているのは

ISスーパーだけである。

昔も今も卵は物価の王様……のはずが

昨今は通用しなくなった。

それを、

この大型スーパーISだけは

しっかりと守り続けている。

しかも以前より一円安い値段だ。

業界でひとり勝ちしている

ISスーパーだけのことはある。

それに商品の値段表示が内税方式で、

わかり易い。

年金で生活する身には、

涙が出るほど有り難い。

ISスーパー様々だ。

近郊では唯一の

大型ショッピングタウンで

中核を担う大規模スーパーである。

安売り日は毎週火曜日。

『火曜市』と銘打たれ、

かなり格安で買い物が楽しめる。

「本日の卵、

最後尾です。

ここにお並びください!」

スーパーの店員が、

『卵 最後尾』と表示されたボードを

高く掲げて呼びかける。

それでひとり一パックしか買えない。

ただ制限より並ぶのが辛い。

だから並ぶ必要もなく

買い放題が可能な早朝に

足を運ぶことが多い。

時間さえ失念しなければ必ず買えるし、

なにより並ばなくて済むのが嬉しい。

きょうは二時の卵狙いである。

 昼の一時半までに

大型スーパーの駐輪場に滑り込む。

三十二分かかった勘定だ。

出来るだけ

店舗の入り口近く

設けられたエリアである。

あとあとの都合がいい。


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おい、おい、老い!・2

2016年06月03日 00時13分21秒 | 文芸
確か澤田と同じ愚痴を

口にしている。

そうか、

あの時手渡されたチラシ……?

あれが旅行の案内だったのだ。

(関係ないわ)と、

丸めてごみ箱に

放り込んだ記憶がある。

もちろん中身は

目を通しもしていない。

「そいで、行くんやろ」

 父は勢い込んで念を押す。

よほど息子を同行させたいに違いない。

 こんな状況は考えもしなかった。

父と息子が同じ老人会の会員とは、

ショックを覚える。

「いや……行けへん。わし忙しいんや」

 自然と否定が口をついて出た。

「そうけ。お前は行かへんのか……?」

 父は肩を落とした。

相当の落胆ぶりだった。

それが気にならなかったのを思い出す。

(年寄りの仲間入りは、まだご免やで)と一点張りにこだわった。

 あれから六年、

父と息子が共に

老人会の旅行に行くことはなかった。

(今年は役員やさかい、旅行は行かなあかんわのう)

 集金先に向かいながら、

ひとりごちた。

 ただ父と息子の同舟は叶いそうにない。

九十を越した父に、

その元気はもうない。

(皮肉やけど、それが人生っちゅうもんやで)

 哲郎は宙を仰いだ。

「明日、あの子、帰るって」

 集金から帰った哲郎を

妻の声が出迎えた。

あの子とは、

長女なつみ。

昨年六月に結婚して、

この春、

出産した。

遅い初孫に、

喜び半分戸惑い半分でおじいちゃんになった。

「なんかおいしいもん用意したってや」

 哲郎の出番である。

脱ぎかけた靴を履きなおす。

家に上がる暇が惜しい。

六年前から、

定年まで弁当工場の製造部門で調理を担当したキャリアを生かして、

家族の食事を担当している。

十三歳開きがある妻は仕事で忙しく

料理する暇などない。

といってイヤイヤやっているわけではない。

家族が「うまい、うまい」と食べている光景を目にすると、

たまらなく幸せな気分になる。

それが続き、

妻に賄いさせる気は毛頭なくなった。

中でも長女は

哲郎の料理が一番のお気に入りである。

あの子には、

腕によりをかけてご馳走を作ってやると、気が引き締まる。

(よし。買い出しだ!)

 いつも行くスーパーが安売りの日だった。

ISスーパーまで、車なら十分だ。

歩けば四十分は有にかかる。

とにかく急ごう。

哲郎は両腿をパンと叩いた。

「どうしたん?上がらんの?」

 台所でお茶の用意をしていた妻が

手を拭きながら顔を覗かせた。

そういえば妻には

まだ出かけると言っていない。

「買い物や。ISに行って来るわ」

「あ?そうか、今日は火曜日だっけ」

「そうやで。安う買うてくるわな」

「あんまり無駄使いせんといてや」
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おい、おい、老い!

2016年06月02日 00時06分03秒 | 文芸
「老人会かいな。

わい、まだそんな年やないのにのう」

「同じやわ。

わしも端にはそない思うたわ」

「六十になった早々に、これや。

素直に『ハイ、そうですか』なんて言えへんど。

まだ若いのに、年寄り臭いとこへ、のこのこ行けっかい。

のう、そやろ、テツローはん」

 澤田の愚痴は止まらない。

この間まで市役所の総務部長だった男である。

高齢者としてひとくくりにされるのはプライドが許さないのだ。言いたいことは山ほどあるらしい。

「役員は順番やさかい、しょうないで。

そいで、こないに集金して回りよるんや」

「順番て、年の順かいな?」

「生年月日やと」

「へえ。テツローはんは二十三年やし。

マサシはんが次か。

わいにくるまで五人はおるのう」

 話は尽きそうにない。

このまま付きあうと時間がいくらあっても足りなくなる。

とにかく集金だけは済まさないと、何しに来たのかわからない。

「まあ、おたくが役員になるまで五年はあるわいな。

そいで、きょうは集金に回っとるんや」

「ああ。そやったそやった。

ほな、これ払うわ。

えろう足止めさせて済まんかったのう」

 やっと解放される。

千五百円の集金で、一時間近く拘束されては割が合わない。

「確かに預かりました。ほなら」

 踵を返しかけるところに、

「会費は払うけど、寄り合いや行事の参加は、しばらくこらえてーな。

年寄りの中におるのん想像するだけで、もうアカン!

死んだ方がましやがな」

「わかった。じゃあ」

 まあ好きに言っておけばいい。

時期が来れば、いやが応でも引っ張り出されるのだから。

 久杉哲郎は澤田の家を離れると、次へ向かった。

もう九十近い女性の家だ。

老人会は九十を過ぎれば、会費免除になる規約がある。

あと一年で資格を得られるのに、惜しい。

 哲郎の父は九十三歳になる。

まだまだ元気でピンピンしている。

会費は免除されている。

哲郎は新宅で、父と同じ隣保に家を持つ。

 六年前だった。

介護保険の通知が来て、高齢者の仲間入りを知った。

「おい。

お前、今度の旅行行くんかい?」

 父がいきなりやって来て訊いた。

寝耳に水とはこのことだ。

「え?」

 面食らった。

父の問いかけに、すぐ思い当たるものはなかった。

「老人会の旅行やがい。

案内が来とるやろが」

 老人会と言われても、まだピンと来ない。

「旅行て、なんの?」

「伊勢志摩へ行くて回覧……?

読んどらんのか、お前」

 そう、読んでいない。

確かに集金と回覧を兼ねて、近所の奥さんが来たのは覚えている。

「まだ、わし若いのに。

はや老人会のご案内やなんてなあ。

まあ、しゃーないけど、行事の方は勘弁さして貰いますわ」
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おやじの味

2016年06月01日 01時29分25秒 | 文芸
「帰って来るから、

ご馳走用意してやってね」

 仕事に出る妻が念を押す。

それぐらい言われなくとも承知している。

父親なのだ。

大切な娘の里帰り、

しかも初孫が一緒に戻る。

腕によりをかけて、

娘の好物をいっぱいテーブルに並べてやる。

喜ぶ顔が目の前に浮かぶ。

いやはや顔がにやけてどうにもならぬ。

冷蔵庫を開けると、

買い置きの食材をチェックする。

揃っている。

これなら十分間に合う。

さっそく料理作りに入る。

娘の好物は、

若いくせに意外と和風の家庭料理。

私と好みが同じだ。

これには理由がある。

娘を授かった時は、

商売を始めたばかり。

忙しく子育ては実家の母に委ねた。

結果、

おばあちゃん子に育った娘。

成長してからも何かにつけて実家だ。

帰宅すると、

「今日ね、

おばあちゃん、

混ぜごはん作ってくれたんよ。

すげぇー美味しかったー!」

「あの茶碗蒸し、

最高!

おばあちゃん、

料理上手いね。

何でも作れるもん。

尊敬しちゃう!」

 母の手料理を褒められると、

やはり嬉しかった。

当然である。

私も母の手料理に魅了されて育ったひとりなのだ。

 母が得意とした料理はカシワごはんに茶碗蒸し、

自家製のみそを使ったみそ汁や煮しめ。

どれも私の大好物。

母は天国だが味は残った。

 定年退職してから、

我が家の料理番となった。

従事していた仕事はレストランのコック。

料理はお手のものと言いたいが、

和風の家庭料理は初心者。

ネットや雑誌でレシピを参照して丁寧に作った。

隠し味は父親の愛情だと悦にいっていると、

娘が口を尖らせた。

「味が違うじゃん、

この茶碗蒸し」

「そんなことないやろ。

おばあちゃんが作ったのんと同じやぞ」

 ひと口味わう。

(!)

娘の言う通り。

母が生み出した味とひと味違う。

これでは何度作っても

娘の納得は得られない。

私も……だ?

 市販のだしの素をやめて、

昆布とカツオで丁寧にとった。

蒸しあがると何度も味見を重ねるうちに、

母を思い出す。

気が付くといつも母は白い割烹着姿で

台所に立っていた。

私に気づくと、

満面の笑みでお玉を構えて見せたっけ。

天国でも美味いものを作っているんかな。

元気か?

……母ちゃん!

涙が出そうだ。

 母の茶碗蒸しではなく、

私の茶碗蒸しを仕上げた。

もちろん母のを真似たカシワごはんも炊く。

ホウレン草のお浸しにチリメンをまぶした。

かぼちゃと茄子の煮つけも用意した。

 現役のころ専門にしていた洋食系のおかずは

すっかり影を潜めている。

けせらせらだ。

 娘が食事をする間、

赤ちゃんのあやし役だ。

「はい、おじいちゃんやで。

早う大きゅうなれよ。

いっぱい美味いもん食わしたるさけ」

 たぶん無理だろう。

遅くに得た初孫だ。

この赤ちゃんが

いっぱしの味見が出来る頃には、

この世にいないか寝たきりだ。

苦笑する。

「おいしい!

お父さんの料理が一番や」

泣ける言葉を聞こえよがしに言う娘。

『おやじの味』が、

娘に認められつつあるのかも
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